表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ラストダンジョンの隠しボスが日本観光をするようです  作者: 幽人
第2章 異世界山麓 山梨県富士河口湖町・鳴沢村
16/65

『ミントティーをもう一杯』

 (みつる)の下宿先は、一軒家を改築して貸しアパートに設えた建物である。


 コの字型の二階建て、計八部屋。

 二階左手前側の部屋が充の住居である。

 各部屋の間取りは2DK風呂トイレ別、ベランダ付き。


 学生が一人暮らしをするには十二分な広さ。

 そのうえに電気、ガス、水道代が月の部屋代に込みで格安の値段。


 以上のような破格の条件を備えた物件、その名も綾絹荘(あやぎぬそう)

 その建物の、充の部屋の真下が大家の住居も兼ねているのだが――。


 今回は、綾絹荘の大家と充の交流にまつわる話である。



 * * *



 山梨(やまなし)旅行を終え、ミヤは一足先に異世界へと姿を消し。

 車を置いた充が、綾絹荘のエントランスホールへと入ったとき。

 共有スペースであるソファとテーブルが置かれた一角から、彼に声がかかった。


「お帰りなさい、沙々木(ささき)さん。ご首尾の方はどうだったかしら?」


 ひょいとソファを見れば、そこには総白髪で細面の女性が座っていた。

 骨張った皺だらけの手を振って、にこにこと充を手招きしている。


「大家さん」


 その女性こそ綾絹荘の大家、通称「お婆ちゃん」。

 年齢は八十歳前後であろうが、背筋も伸びており、動作もきびきびと若々しい。

 穏やかな物腰が品の良さを感じさせる女性である。


 ここの住人にとって、彼女は快適な住居を提供してくれている恩人であり。

 また、日々、手料理やお茶を差し入れてくれる、面倒見の良い人でもある。

 そのため、綾絹荘の住人は皆、彼女を慕っていた。


 それは充も例外ではない。


 招かれるまま、テーブルを挟んで彼女の向かいのソファに充は腰をかけた。

 すると彼の前に、早速、彼女お手製のハーブティーが置かれる。


「ほら、もうここに住んでる子たちだと、沙々木さんと久保(くぼ)さんが一番年長でしょう? それなのに浮いた話も聞かなくて、お婆ちゃん心配していたものだから。それが、まぁびっくり! 沙々木さんがあんな美人さんを捕まえてきて、嬉しくなっちゃってねぇ。これで沙々木さんも安心ねぇ」


 途端に始まる大家の怒涛の言葉に、やはりか、と充は観念して笑った。

 彼女の話題は、つい先程まで充と一緒にいたミヤのことについてであった。


 女はいくつになっても()()()が好きなのよ、と普段から言う彼女である。

 山梨旅行へと出かけるところを、この大家に目撃されたときから。

 充は、この展開を予想していた。


 おしゃべり好きな大家は、それは嬉しそうにあれこれと話を続け。

 いやいやそんな、などと相槌を打ちながら、充はハーブティーを啜った。


 すっと鼻に抜ける甘い匂いは、ミントだろうか。


「――でもねぇ、お婆ちゃんはあの美人さんを見てると、昔を思い出してねぇ」


「もしかして、大家さんの武勇伝ですか?」


「あらやだ、違うわ。お婆ちゃんね、昔、似たような子と会ったことがあってね」


「へえ、似たような」


「そうなの。あら、お茶のおかわりはいかが?」


 いつもであれば、お茶の一杯を飲んだあたりで雑談も終わるものである。

 それじゃあね、と二階に上がる充を見送るのが彼女の定番であった。


 しかし、その日の彼女はずいぶんと機嫌が良かったらしい。

 充をお茶のおかわりで引き止めると――。


「似ているって言っても、見た目は全然違うのよ? 凄い美人さんだってところは一緒だけど……そうね、沙々木さんにはこっそり教えちゃうわ」


 そのまま、昔話を始めたのであった。


 彼女の目が細まり、皺の波に埋もれそうになる。

 その細い目でどこを見つめているのか、彼女の声は穏やかであった。


「お婆ちゃんはねぇ、若い頃は大きな呉服屋の女将さんをやっていてね。その頃は毎日、綺麗な服を着て、お客様とおしゃべりして、結構なお金も稼がせてもらっていたのよ。今じゃすっかりシワシワで土いじりばかりのお婆ちゃんだけど」


「いやあ、でも、わかる気がします。こう、上品な感じが……」


「あらお上手」


 最初は、なんということもない昔語りであった。


 彼女が若かりし頃、どれだけ着物を売りさばいてきたか。

 どれだけ仕事に熱心だったか。


 冗談を交えながら、それらが軽快に語られた。


 この無茶な条件の物件の大家をやれている彼女である。

 その在りし日の栄華も推し量れようというもの。

 充も、調子良く相槌を打っていた。


「子供も産まれて、もう将来は安泰だわ~なんて、笑ってばかりいてね」


 しかし、彼女の軽快な口調も長くは続かなかった。


「それでね、その頃は幸せの絶頂だったのだけれどねぇ」


 それは、秋空のにわか雨のように前触れもなく。

 それまでの調子が嘘のように――。


「娘がね……」


 そこで、彼女の声が微かに震えた。


 充は、ぎょっとした。

 長い付き合いのこの女性が声を乱すのを聞いたのは、初めてであった。


「あの子ったら、事故で死んじゃって……高校生になったばかりだったのに」


 幾許か、会話が途切れる。

 ハンカチで目頭を拭い、ごめんなさいねと一言詫びて、彼女は話を再開した。


「それからはもう、みんなひっくり返っちゃったの。嫁いでいた呉服屋からは子供を死なせたって責められて。親戚だけじゃなくて旦那まで一緒になって。それで手切れ金と、この土地と家だけ用意されて、店を追い出されちゃったのよ」


 時代劇みたいでしょ、でも、お婆ちゃんの時代にはあったのよ――。

 そう、おどけてみせる彼女であったが。

 ティーカップを持つ彼女の節くれ立った手は、震えていた。


「ここに来たばかりの頃は、なにもやる気が出なくてねぇ。一日中、ぼんやり空を見上げてたのよ。もう、お婆ちゃんがお婆ちゃんになる前からボケちゃったって感じだったの。だけど……そんなときに会ったのよ。すっごい美人さんに」


 前置きが長くなってごめんなさい――と、彼女はそこで一呼吸置いた。

 握ったままであったティーカップを、ようやく口に運ぶ。

 充も、ハーブティーで口を湿らせた。


 それから、声の調子を戻した彼女が、ここからが本題なんだけど――と。

 昔話を再開した。


「その美人さんはね、外人さんだったんだけど、髪の色も目の色もお肌も、透きとおるようにキラキラしていてね。お人形さんみたいに可愛くて。もしもこの世に宝石の反物(たんもの)があったらこんな具合じゃないかしらってくらい、キラキラでサラサラな女の子がいたの。ある日突然よ、突然」


 大家は懐かしむように裏庭の方角を指した。


「あの、ペパーミントを植えてるあたりね。あそこに立ってて。門なんてなかったからだれでも忍び込めたと思うのだけど、親御さんも見当たらないし、言葉もしゃべれないしで、迷子みたいにキョロキョロしていて……日も暮れかかっていて」


 そこで再び言葉を止めた彼女は、勿体ぶるように左右を確認した。

 それから充のほうへと顔を寄せ、沙々木さんは真似しちゃだめよ、と注意し。

 そして思い切ったように言い放った。


「きっと、不法入国とか密入国って言うのかしら? 後から考えると、その子はそういうのだったんじゃないかしらって思うのだけど。とにかく、お婆ちゃんったら、その子をね……匿っちゃったのよ。人さらいって言ったほうが正しかったかもしれないけど」


 人さらいとは穏やかでない。

 その言葉に、さすがに充は目を見開いた。


 始めはそんな大それたことをする気もなかったのよ、と彼女は続けた。


「娘と同じ年頃の子が困ってる……って思って、その子を家に上げてね。とりあえず今晩は家で寝かせて、明日には警察に届けようって考えていたんだけどねぇ」


 そこで彼女は遠くを見つめていた目を伏せ、そして。

 ()()()()が――と口ずさんだ。


「朝になって、起きてきたその子におはようって声をかけたらね。その子がね、『おはよう』って、オウム返しに言って……意味もわかってなかったと思うけど、覚えたての言葉をしゃべった赤ちゃんみたいに……お婆ちゃんね、それ聞いた瞬間に頭のなかがもう全部パーッて飛んでっちゃって」


 新しいお茶をカップに注ぎ、彼女は静かに、白い湯気の立ち昇るお茶を含んだ。


「自棄になっていたのもあるけど、それから一ヶ月くらいだったかしら。その子をずっと家に置いて、朝から晩までおしゃべりしたわ。もちろん、その子は言葉をしゃべれなかったけど、なんでもお話したわ」


「一ヶ月……」


「娘の小さい頃の玩具とか、あいうえおの書かれたカードとか、そういうのを使って必死になってその子に言葉を教えたの。本もたくさん買ったわ」


「その子は……しゃべれるように?」


「ええ。なったわ。その子も言葉を覚えようと頑張ってたんだと思う。自分の国を飛び出して、外国で働こうって若い身空でやってきたのなら、やっぱり必死だったんでしょうね。そのうち絵本とか辞典とかで、どんどん自分で勉強して、しゃべれるようになっていったわ。あの子……反物や着物の辞典とか、おとぎ話の辞典とか、綺麗な色のついた本がお気に入りだったわ」


 ぐいとお茶を飲み干し、彼女は空のカップをテーブルに置いた。

 長い溜息をつき、凝った肩をほぐすように首を軽くまわし。

 やがて――それで、お別れの日が来たの――と、呟くように彼女は言った。


 その言葉に込められた思いは、果たして寂寞感か、達成感か。

 充には計り知れなかった。


「あの子はね。覚えた言葉で、こんな()に言ったのよ。『ありがとう』って。『勉強できて嬉しかった』って」


 しかし――。


「こんな身勝手で、頭のおかしい女に、感謝してくれて……私なんて、あの子の本当の名前も知らなくて……娘の名前でずっと呼んでた、最低の女だったのに」


 彼女の悔恨の念だけは、充にも伝わった。


「……でも、それでも、嬉しかったの」


 異国の来訪者が家を出て、すぐに家の改築に取り掛かったのだと彼女は言った。


 各部屋に洗面所を設け、キッチンを置き、不要な部分は減築して駐車場にした。

 当時のまま残したのは、母屋の一部と、裏庭の家庭菜園だけだという。


 そして、学生向けの、ただし居たければいつまでも居続けて良い――。

 この破格の物件、綾絹荘が生まれたのであった。


「こんなお婆ちゃんでも、誰かの役に立てるならってね。みんながお勉強する手助けを出来たらなって、そう思ってね。こうして趣味の余生を送っているのよ」


「大家さん……」


「思ったよりも暗い話だったでしょう? ごめんなさいね。でも、この話は本当に気分が良いときにでもないと話せないものだから。今日は沙々木さんのお泊りが嬉しくって、ついね?」


 皺に埋もれた笑顔を向けてくる彼女に、充は返す言葉を思いつかなかった。


「大家さん。お茶をもう一杯、どうです? 私ももう一杯飲みたくて」


 ――だからせめて、聞き役になれるならば、と彼はポットを手に取った。


「あら、それじゃあいただこうかしら」


 その申し出に、彼女はクシャクシャになった笑顔で応えた。



 * * *



「そうなのよ。沙々木さんのところの美人さん」


「はい?」


 ティーポットのお茶も飲み干し、いよいよお茶会もお開きという頃。

 思い出したわ、と大家は両手を打ち合わせた。


「何が似ているかってね、おんなじ薫りがするのよ」


「薫り?」


「忘れるところだったわ。年寄りって嫌あねぇ」


 空のティーカップから立ち昇る残り香が、記憶を刺激したのだろうか。

 嬉しそうに、彼女は過去の一瞬を想起した。


「あの子はねぇ、不思議とお花みたいな……ハーブみたいな? いい匂いがしていたんだけどね? 沙々木さんの美人さんとすれ違ったときにね、ふわ~って、おんなじ匂いがしてねぇ。だからかしらね。似てるって思っちゃったのよ」


「いい匂い――」


 その言葉で、充もようやく思い出したことがあった。


「沙々木さんが借りられてるお部屋ね、あそこがあの子の使っていた部屋だったんだけど。あれからあの部屋に入ると、ふわ~ってその匂いを感じることがあったんだけどねぇ」


 ミヤと出会うきっかけとなったチラシを見つけたときに感じた、()()()()()()

 あれは、今の部屋を借りる際。

 扉を開け、初めてあの部屋に入ったときに感じた薫りであったのだ――と。



 * * *



「日本語発見」


「なんですか?」


 異世界の仕事終わりに、ミヤの書斎でくつろぎの時間を過ごしていたとき。

 書架を眺めまわっていた充は、そこに日本語で書かれた辞典を見つけた。

 年季物ではあるが、丁寧に扱われていたらしく、まだまだ綺麗なものである。


「ああ、それは僕が日本語を覚えるきっかけになったもので……貰い物なんです」


 充の声に反応して近づいてきたミヤが、その辞典を見て笑顔になる。


「へえ、貰い物ってことは、日本で?」


「そうですよ。この一角は、ずっと前に日本で貰った絵本や辞典を置いてあるんです。この神話辞典は挿絵も綺麗で、特にお気に入りなんですよ」


 充はふわふわとした笑顔を浮かべるミヤと、ミヤの長い黒髪を見た。

 それから、大家が言っていた宝石のような髪の色の少女という言葉を思い出し。


 ああそうだ――と、彼は質問を口にした。


「ミヤさんは姿を自由に変えられるよね? その髪の色ってもしかして?」


「あ、そうですよ!」


 ミヤは嬉しそうに、流れる黒髪をそっと指で()いてみせた。

 白い指の先から、艶めく波がこぼれる。


「日本が好きだったので、黒髪にしてみました!」


「そっかそっかぁ……」


「あの、なにかありましたか……?」


「いや――」


 充の不審な言動に首をかしげるミヤに、彼は首を振ってみせた。


 あの人は、最後まで少女の名を聞けなかったと言った。

 自分が先に聞くべきものではないだろう。

 これは自分が冒険するべき道ではない。


 そう考え、言葉を濁した。


「ええと……あの、もう一杯、お茶を飲んでいかれますか?」


 敏感に充の感情を察したのか。

 ミヤはお茶を用意しますねと、いそいそとソファのほうへと戻っていった。


 残った充は無言で辞典を元の位置へ置き直した。

 やがてゆっくりと、テレビとソファが置かれたいつもの場所に戻る。


「はい! どうぞ!」


 待ち構えていたミヤから渡されたのは、清々しく甘い匂いのお茶である。

 ティーカップを受け取った充は、遠慮なくそれを口に運んだ。


 口に広がる甘い匂いと、鼻を抜ける清涼感。

 お茶を啜りながら、そういえばと充は思い出した。


「このお茶って、私が初めてここに来たときも出してくれたよね?」


 初の異世界アルバイトの日、迷宮(ダンジョン)講座が開かれたあのとき。

 啜ったお茶は、確か、清涼感溢れるこの甘い匂いのお茶だった。


「あ、はい。そうですね。ペパーミントティーを真似たお茶なんですけど」


「へえ」


「あの……お口に合いますか……?」


 おそるおそる、といった具合に尋ねてくるミヤに、充は笑って答えた。


「凄くおいしかったよ。ごちそうさま」




 * 異世界山麓 山梨県富士河口湖町・鳴沢村 了 *

※恋バナ……恋の話。


※匂いと記憶……嗅覚と記憶は密接に繋がっており、匂いを嗅ぐことでその匂いにまつわる過去の記憶を思い出しやすい傾向があるという研究結果が報告されている。五感の中で嗅覚のみ、脳への情報伝達経路が異なることが原因であるといわれる。


※ペパーミントティーの効能……ペパーミントティーを摂取した場合、長期記憶、一時記憶両方の能力が上昇するという研究結果が報告されている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ