異世界最強の魔女、日本の地理に感心する
それより観光地の様子――ですか? 肝心の?
充さんと一緒に観てまわった山梨のことですよね?
――ああ! そうですね。そうでした。
つい、僕と充さんのことばかりしゃべってしまいました。
観光旅行を学びに富士河口湖町と鳴沢村に行ったんですからね。
その土地で得た知見に触れないと、なんのための日本観光だって話ですもんね。
そうですね――とにかく、目に映るものすべてが新鮮で、眩しくて。
なにから話すべきか、迷ってしまうくらいなんですが。
第一回山梨旅行の二日目は、お昼頃まで旅館でゆっくりして。
そのあと充さんの車で色々なところをまわって――。
そのなかから、まず、印象深いことを挙げるなら。
やはり、夜明けと共に大窓の外に広がった、清冽な山と湖の風景と。
それから――日本の地理は凄いなぁって思ったことでしょうか。
* * *
初日の夜の、「混浴事件」も解決して――。
山梨旅行二日目は、すばらしい夜明けの光景から始まりました。
僕たちの泊まった部屋は、河口湖北岸に建つ旅館の、南向きだったんですが。
朝日が空を紫色に染め始めると、真っ暗だった大窓の外がザァっと色付いて。
闇の帳のなかから、雪をいただいた富士山の白い頭が浮かび上がって。
優美な赤い山体と、緑の裾野と、空と同じ紫に染まった湖面が迫ってきて。
あの光景には、思わず息を止めて魅入ってしまいましたね。
――いえ、まあ、僕の身体は呼吸の必要がないので比喩表現ですが。
僕は睡眠も必要ありませんから、夜もずっと起きていて。
和室に付属している、小さな机とソファの置かれた広縁に陣取って。
夜間は充さんから借りた携帯型ゲーム機で遊んでいたんですが――。
日の出からあとは、刻一刻と色の変わる世界を眺めるのにもう夢中です。
視界の上を、夜色から朝色へのグラデーションがかかった空が覆って。
真ん中には雄々しい富士山が鎮座して、裾野が端から端まで伸びて。
視界の下側残り三分の一を、揺れる湖面が占めていて。
一幅の絵画さながらに、自然の美の全部が収まるべくして収まっていて。
紫から青に変わる空、銀色の波をたてる湖、威容を見せつける富士山。
目の前がみんな鮮やかに、朝色に染まっていく景色のなか。
まだ夜を引きずっているかのように黒い鳥の影がサッと斜めに翔けて――。
ああ――もう、本当に大迫力のひとときでした!
富士山という山が日本で特に有名な山だという知識はありましたけれど。
実際に近くで観てみると、びっくりするほど格好良いものなんですねぇ。
湖上に聳えるあの曲線美はたまりませんでしたね。
〈水の国〉でいうなら、〈星空の山〉を大スケールにした感じでしょうか。
単独峰で周囲に並び立つ山がなくて、広い裾野をもっていて。
とにかく格好良いうえに、凄く「美しい」という言葉が似合う山なんです。
なんでも、この感覚は日本に住む現地の人にとっても共通だそうでして。
充さんに観光の知識として教えてもらった情報によりますと――。
河口湖周辺の宿屋は、この山が湖と同時に観られるかが重要だそうで。
山と湖が逆方向に位置する湖南岸は、北岸の宿と比べて安い傾向にあるとか。
北岸の宿でも、山と湖の景色が観られない部屋は極端に安値になるとか。
宿泊費を安く済ませたいなら南岸狙い、景色を眺めるなら北岸狙いみたいに。
需要と供給のバランスがあるものなのだなあとも教えられましたね。
民宿やホテル、コテージを借りる――など。
宿泊施設も手段も豊富な河口湖周辺ならではなのかもしれませんね。
そういったことを、充さんが細かく話してくれまして。
つまり、僕が朝に素敵な景色を観られたのは充さんの準備のおかげだったと。
お値段も競争率も高い宿を選んでくれていたということを知りまして。
心を砕いてくれた充さんに、僕も大変に感謝して、頭を下げて――。
充さんは、観光の勉強って名目がなければ金銭の話題は話さないけどって。
ちょっとだけ、ばつが悪そうな顔で笑っていました。
* * *
朝になって、充さんが起きてからは、しばらくはそんな勉強会でしたね。
あ、はい。観光旅行のいろはって感じの話題です。
僕が窓にかじりついて外の景色を楽しんでいたら、充さんも起き出して。
布団から上体だけを起こして、広縁にいる僕に気付いて。
「あ、おはようございます、充さん」
「おはよう、ミヤさん。一人だけ寝ちゃっててごめんね」
「いえ! お借りしたゲームもありましたし、外の景色もすばらしくて、凄く有意義な時間をすごせていましたよ!」
「それなら良かったよ。ミヤさんは食事できないのに、昨日の夜は自分だけお酒飲んじゃったりして、ちょっと申し訳ない気分だったけど――」
充さんは前日の夜に、食品雑貨店で地ワインを購入していましたから。
日本だと山梨みたいに地ワインが手に入る場所は少ないから――って。
飲食の機能が備わっていない僕の身体を気にして、香り高いお酒を選ばれて。
僕は香りを楽しむ、充さんは味も楽しむって具合の晩酌をしまして。
僕としては充さんにも存分に旅行を楽しんでもらいたいですから。
そうやって充さんが羽を伸ばされるのは願ったり叶ったりなんですが。
充さんとしては、自分だけ楽しんでいるみたいで申し訳なくなっていたようで。
「そのあたりはご心配に及びませんよ! 充さんが楽しまれているところにご一緒できるだけで僕も楽しいですし、僕は『本』ですから、そういった楽しい体験自体が栄養みたいなものですから!」
そんな風に朝の挨拶を済ませて、それから充さんの朝食のため、部屋を出て。
またガラス張りで見晴らしの良い食堂で一息ついて。
「この白米と味噌汁に、塩鮭と味付け海苔と卵って組み合わせを見ると、なんだか『旅行に来た!』って気分になるんだよねぇ」
「はぁー、そうなんですか。日本の旅館の朝御飯はコレって、定番なんですね」
こじんまりとしながらも色とりどりの小皿料理が並ぶテーブルに座って。
充さんがのんびりと食事を続けるかたわら。
現在の山梨旅行を引き合いに、観光旅行のことを色々と話し合ったんです。
「ここは富士の樹海とか洞窟とか、秘境探検気分を味わえる場所がたくさんあるんだけど、高速道路も直結してるし、電車もバスもあるし、宿も多ければコンビニだってそこそこあるっていうアクセスのしやすさがいいんだよね。気軽に行ける秘境って感じかな」
「気軽に行ける秘境、ですか」
「東京から車で一時間半、バスなら東京駅から一本で二時間半、電車でも大月駅の乗り換えを含めて河口湖駅まで三時間ってところだから、日帰り旅行もできるよ」
「あの、バスや電車というのがどんな乗り物かという知識はあるんですが、具体的に旅行者はどんな理由で『自分はバスで行こう』とか『今回は電車で行こう』とか選ぶんですか?」
「おおう……だいぶ観光の前段階の質問が来たな……。それぞれの移動手段の長所と短所が知りたいみたいな話だよね? ちょっと長くなると思うけどいいかな?」
「はい! お願いします!」
「ええと……まず自家用車は、車を持っていて、運転手もいるって前提条件が必要で、さらに運転手が疲れるって問題もあるけど、どれもクリアしてるなら一番気楽に使える移動手段だね。なにより、観光地に到着後の移動が楽っていうのが大きいよ」
「今回の充さんが選んだ手段ですね」
「うん。特に、ここみたいに観光名所が数キロおきに散らばってるような場所だと車があれば格段に楽になるね。で、バスは事前に空席を探して予約する手間がかかるけど、目的の観光地の正面まで一気に送ってくれるって利点があるかな」
「事前準備が必要だったり、希望のバスに乗れない場合もあるものの、移動中は体力的に楽なんですね」
「逆に、電車は定刻どおりに駅に向かえば現地の駅に到着できるけど、大抵、途中で乗り換えがあったり、現地の駅から目的地まで距離があったりで、移動に体力を使う場合が多いね。ああ、あと、バスの場合は観光ツアーってものもあって――」
日本を案内してもらうにあたって、僕が充さんにお願いしたことがあって。
案内してほしい観光地の条件として、二つの希望を出したんです。
そのうちの一つ目が、アクセスの容易な場所であること、だったんです。
日本でいえば、首都圏といわれる東京や大阪から日帰りで行ける場所ですね。
観光旅行という文化のない〈水の国〉に観光用迷宮を造るんですから。
やはり、最初は気楽に訪れられる観光地というものを参考にしたいから――。
そう充さんにお伝えして、お願いしたわけです。
その結果として選ばれたのが、山梨県の河口湖畔だったわけです。
充さんは毎年の夏に、あの格好良い富士山に登っているそうで。
その際の中継地点として、河口湖周辺に泊まることが多いとのことで。
だから、河口湖には何度も訪れていて、詳しくなったそうなんですが。
そんな理由もあって、先の充さんの会話のとおり。
河口湖畔は、充さんにとってアクセス良好の観光地として記憶されて。
こうして、僕に紹介されるにいたったんですね。
「なるほど――旅行者には体力的、精神的なことも含めて様々なスタイルの人がいますから、アクセスが容易であったり、アクセス手段が豊富なところも、観光地へ『実際に行こうかな』と思わせる魅力になるわけですね」
「ざっくり説明したけど、だいたいイメージは湧いたかな?」
「はい! ありがとうございます!」
そんなこんなで、河口湖周辺の交通事情と、交通手段に関する話をして。
観光地へのアクセスというものは、距離が近ければ良いのではない、と。
旅行者の事情を考えて、様々なアクセス手段を用意するべきだと学んで。
このほうが近いぞと展望台への階段の段差を二メートルにする、とか。
そんな、〈身体強化〉の魔法が使えない人お断りの道だけを用意するとか。
そういったうっかりをしないよう、気をつけないとって肝に銘じまして。
――まあ、僕の身体に肝は入っていないんですが、それはそれとして。
「それじゃ、そろそろ部屋に戻ろうか。――ごちそうさまでした」
それから部屋に戻った僕たちは、観光に出発するまでのあいだ。
あ――河口湖周辺は標高が高くて、冬の朝はとても冷え込むそうで。
だから、お昼近くになったら出発するという予定だったんですが。
それまでのあいだ、充さんと二人、和室で綺麗な景色を眺めながら。
その日に巡る観光名所の予習をして、楽しく過ごしたんです。
はい――次からは、いよいよ。
富士河口湖町と鳴沢村の観光名所に触れていきたいと思います。
* * *
時刻は午前十時をまわったときのことです。
もう、窓の外は抜けるような青空で、湖が陽光を弾いてキラキラ眩しくて。
あれこそ、絶好の行楽日和って空気に染まりだした頃。
僕と充さんは、部屋の備品の観光用マップを机に広げて歓談していました。
「それで、昼に行く二つの洞窟というのは……」
「まずはここにある氷穴。次に、少し進んでこっちの風穴に行くよ」
はい、先程も言った、僕が充さんにお願いした観光案内してほしい場所。
その二つ目の条件を満たす場所のことを、出発前に聞いていたんです。
僕が充さんに伝えた、行ってみたい日本の観光地の希望、その二つ目。
それは、周囲と比較して『異観』が観られる場所、でした。
要するに、見るからに不思議な光景が観られる場所ということですね。
建造予定の迷宮は、魔法による不思議な景色こそが売りですから。
似た理由で集客している観光地を教えてほしいと、お伝えしたわけです。
その点でいえば、山梨県の河口湖周辺はまさにうってつけといいますか。
なにせ、〈水の国〉のように魔力に満ちた世界でもないというのに。
うだるような真夏の炎天下であろうと、常に氷に閉ざされた洞窟――。
その名も富岳風穴と鳴沢氷穴があるという場所なんです。
充さんと初めてお会いしたときにも、充さんの口から聞いた観光地でしたが。
そんな不思議な光景が観られる場所だから観光客を呼んでいる洞窟だなんて。
もう、ほとんど僕が造る予定の観光用迷宮そのものじゃないですか!
これは見学に行かない手はないってものです!
だから、充さんの山梨旅行の提案には我ながら凄い勢いで食いついて。
そうして晴れての、第一回山梨旅行が企画、実行されたわけですね。
そんなわけで、目的地の話が始まったら、僕もずいっと身を乗り出して。
充さんと額を寄せ合って、地図を覗き込んで、充さんの指先を目で追って。
たくさんお話を聞かせてもらいました。
「あれ? 氷穴は隣村にあると言っていませんでした? 一本道ですよね?」
「ああ、この道に被さるように鳴沢村が出っ張っているからね。氷穴のあるあたりだけ鳴沢村のなかを走って、風穴のあたりではまた富士河口湖町を走っている道ってわけ」
「わあ……日本では本当に村が隣接しているんですね。道も繋がっていて」
そこで日本の地図というものを見て。
町や村といった人々の生活区域がどこもぴったりと隣り合っていて。
それぞれの生活区域を、整備された道が繋いでいて。
そんな日本の「当たり前」が、僕には目新しくて。
六千年以上前の記録を思い出させて、懐かしくもあって。
「やはり、村と村のあいだで魔物に襲われることもないんですよね?」
「日本だしね。魔物に襲われたって話は聞かないなぁ」
「さすが平和の国……〈水の国〉では考えられません」
「樹海のなかには幽霊が出るって噂なら聞くけどね」
「幽霊ですか?」
「富士の樹海は一度足を踏み入れたら二度と出られない、みたいな噂もある場所だから、そういう怪談話もたくさんあるんだよね。実際は、見てのとおり樹海のなかを車道が走っているし、樹海を散策できる遊歩道もあったりで、そんなに怖い場所じゃないんだけどさ。今日はその遊歩道もちょっと歩く予定だよ」
「わあ! いわくつきの森の散歩ですか! それも楽しそうですね!」
「〈水の国〉も、そういう『いわくつき』の場所って多いの? 〈災いの石〉の採石地なんて、まさにその類だよね?」
「町の外ですと、そもそもどこでも人が死んでおかしくないですし、訪れる人も少ないですから、そのような噂話になる場所は極少数ですね――」
充さんとおしゃべりをしていると楽しくて。
ついつい、脱線してしまうことも一度や二度じゃないんですが。
最終的には、きちんと充さんが話題を戻してくれて――。
「――で、風穴は横に伸びている洞窟で、こっちのほうがちょっと広いよ」
「風穴は横穴の洞窟……」
「氷穴はずっと登り降りする感じの洞窟」
「氷穴は竪穴の洞窟……」
「どっちも夏に大きな氷柱が見られる、とにかく寒いことで有名な洞窟だね」
「名前に氷が入っていないですが、風穴も寒い洞窟なんですね」
それに、充さんはいつも僕のツボを押さえてくれていて。
「あの」
「うん?」
「天然の洞窟なんですよね? どうして形の違いが生まれたんでしょうか?」
「おお……さすがはダンジョンデザイナー。難しい質問をする……」
僕がこうやって興味を惹かれることを、いつも予め予想してくれていて。
「ミヤさんって解説好きだとは思っていたけど、人の解説を聞くのも好きだよね」
「あ、そうですね。その、本分をまっとうしているといいますか……」
「ああ、なるほど、『本』の本能ってやつだ」
「そんな感じです……けど……もしかして僕、変な質問をしちゃっています?」
「いやまあ、ミヤさんならそういう質問もするかと思って事前に調べておいたよ」
「さすが充さん!」
充さんはいつも、楽しそうに話をしてくれて。
「ええっと、まずどちらの洞窟も火山が噴火して流れてきた溶岩が固まってできたものなんだけど」
「はい」
「坂を下る溶岩は表面が先に冷えて固まるけど、内部は溶岩のまま流れていくから、坂の途中には横穴の洞窟が残って――」
「おお……なるほど……」
「氷穴は溶岩が冷え切る前に、内部で膨張したガスが地上に噴き出して、そのときにできた穴が残って竪穴になった――んだったかな」
「それで竪穴に……」
以前、充さんは旅行前には現地の下調べをよくすると言っていましたが。
なるほど、こうやってこれから訪れる観光地のことで盛り上がっていると。
観光旅行において、この事前の情報収集という時間もまた楽しいものだって。
そんな、現地を訪れるだけが楽しみじゃない旅行の一面も知ることができて。
それから、そんな楽しい時間を充さんとご一緒できていることが嬉しくて。
充さんと出会えた日のことを思い出して、あのときの出会いに感謝して。
つい、笑いが抑えられなくなってしまって――。
「――ミヤさん? どうしたの?」
「あ、いえ、ちょっと充さんとお会いした日のことを思い出して」
「初めてのバイトの日?」
「はい。洞窟について説明される充さんと、それを聞く僕って、あの日と立場が逆だなあって思ったら、なんだか少しおかしくて」
「ああ……あのときはミヤさんが迷宮のことを教えてくれたっけ」
あの日、あの場所で、あの会話をしなければ――。
今、充さんとこうして笑い合うこともなかったのかと思うと。
あの日の出会いは本当に運命だったと、そう感じられて。
「あのときの充さんのお知恵のおかげで、すばらしい迷宮ができそうなんですから……忘れられません」
「私もよく覚えてるよ。まあ、あれは私の知恵というか……日本なら誰でも思いつくことだと思うけど」
「では、異世界の知恵のおかげということで」
そんな言葉を交わして、視線を合わせて、笑い合って。
外の天気に負けないくらい、晴れ晴れとした気持ちを胸に――。
はい、お待たせしました。
それから僕と充さんは、観光地巡りに出発したんです。