私が見る夢
Be over
荒廃した町、アスファルトにはヒビがいくつも入り、立ち並ぶビルの林は過去の栄光がうかがえないほどにボロボロと崩れており、風が吹く度に土煙が道を我が物顔で駆ける。
こうやって、町が滅んでしまう過程を見るのは何度目だろうか。今回もまた、今まで同様に町は滅び、人類は私を残して去って行ってしまった。死にたくないという根源的な望みは、私を生かし、ほかの人々を殺したのだ。
この死にたくないという思いから起こした行為は、私にとって自然におこした行為だったし、何度も繰り返される世界において、その行為に至る過程を除いて結果が変わったことはない。また私はこの結末を夢として考えて当たり前のように日々の動きを機械のように正確に歩んでいくことだろう。この結末に至るように、その過程こそ変わっても、結果が変わることは幾千幾万の結末を用意してもあり得はしないだろう。
初めて死を認識したのはいつだったか、その意味について考えたのはいつだったか、そして、自らの死について最初に考えたのは、いつのことだったのか……。
Remind
エンジン音を轟かせつつ、車は道を突き進む。目算時速五十キロから六十キロ……雨の降る中それほどの速度をこんなに狭い道で出せば、事故が起こる可能性は決して低くないだろう。そして、それだけの速度があれば運転席に座っていた若い男とその彼女であろう助手席の若い女性は簡単に死ぬことが出来るということを、あの二人は意識していないだろう。運が良ければ、どちらか一方だけが生き残るということがあり得るかもしれない。彼らが幸運の持ち主ならば二人とも生き残れるかもしれない。二人とも生き残ればこれはただの笑い話だ。破壊したものを弁償し、自分たちも病院で治療されて、多くのものを失いつつも最終的には笑い話となるかもしれない。片方だけ生き残れば、その罪の意識からこのようなことはもうしなくなるかもしれない。自分たちの不注意を深く反省し、次を起こさないように注意を払うようになるかもしれない。
だが、これらはすべてIFの話。実際には事故ひとつ起こすことなく、危険なことをしたという自覚もなく、そもそもそんなことをした記憶すら残さずにベッドでゆっくりと眠るのだろう。
しかし、私にはとても恐ろしかった。自分の隣を法定速度を無視した速度で走り抜け、ロクに周囲に注意を払っていなかったあの車を心の底から恐怖していたのだ。
理由は単純だ。昔車にひかれたからとか、自分がそういった事故を起こしたわけではない。そんな複雑な非日常は経験していない。私が恐怖したのはそんな他人のちょっとした不注意で自らの命が危機に瀕していたかと思うと、腹の奥底から背中にうすら寒いものが流れていくのを感じる。私は死の恐怖に怯えつつ、思考はどんどんいつか見た夢へと移行していった。
私は死にたくないというあまりにも当たり前の精神から恐怖していた。とはいっても、あの程度の危険運転、警察も目の前でやったとしてもサイレンをなさられてスピード違反で捕まるということはないだろう。この道が時速四十キロ制限とはいえ、その程度のスピードで捕まっているのを私は見たことがない。むしろ見るだけならば日本中どこでも当たり前のように日常として起きている事例だろう。誰一人としてスピード違反についてグチグチ言わないだろうし、危ないと思ってもそこまでだ。ただ横を走り抜けるだけで死の恐怖を感じるなんて私ぐらいのものだろう。けれども、私には心底恐ろしいのだ。恐ろしいのはなんということはない。私という人物が死亡するということについてである。
死後の世界の存在は、はっきり言って不確実だし、私が存在を確認することはできない。死後が転生だというのならば、『私』という存在は『誰か』の転生であるはずであり、前世のことを全く覚えていない以上、転生してもやはり『私』は消滅する。『人間のための神』を崇めた宗教における人間社会や支配に都合のいい善悪感から語られる天国だの地獄だのには全く興味はなかった。こんな私の考えから導かれる死後とは、『無』の一言に尽きる。私が死んだとき、私という存在はどこでもない無に放り出され、自分の思い出の中で夢を見るのではないか、そうして私という存在が無に溶けるまでの間をごまかすのではないか、そのように私は考えた。その考えが頭に浮かんだ時、まだ小さな子供だった私は膝を抱えて布団の中で丸くなりながら夜の闇を恐怖しながら涙を流したのだ。それが私が初めに死について真剣に向き合った最初の夜。親戚だという老人の葬儀から帰った日の夜だった。
初めて見た人の死体というものは、あまりにもきれいであり、私に死というものを向き合わせるものではなかった。死というものが分からなかった私は、たぶんあの人は今寝ているのだといわれたら納得しただろうし、あなたに葬式というものを教えるために精巧なマネキンで見せているのだといわれたら純粋な少年だった私は信じただろう。母親と父親に呼ばれて葬儀に行き、そこで横たわっている『もの』と私の関係性を説明され、記憶にもない見知らぬヒト型のものを目の前に悲しむふりをした。そして家に帰ったら真っ先に聞いたのだ。死ぬとはどういうことなのか、死んだあとにはどうなるのかと。
次に私が死について考えたのは、高校に入った後、祖父の葬儀であった。祖父になついていた私は祖父に元気な姿を見せ、祖父の元気そうな姿を見て、いろいろな話をして家に帰った。その翌日、祖父は寝ている間に心臓発作を起こして眠ったままその生を終えたのだ。祖父の心臓が弱かったわけではない。老人がちょっとした拍子で心臓発作を起こすなんてままあることだ。そうはいっても、そういう理屈を知っていながら、私は今まで感じた何にも勝る恐怖を覚えた。私は知っているのだ。祖父が死ぬ二十四時間以内の姿を、その生気に満ちた姿を、死を予感させなかった姿を。私は知っていたが、知らなかったのだ。死ぬ人間というのは、自殺や他殺やがんなどの病気に限らず、ちょっとしたことで死ぬのだということを。私はその事実を自分には関係のないことだと思い込み、自分の身に降りかかる可能性から除外していたのだ。
祖父の葬儀の間。私は周りから心配されるほどに暗く、涙を流していた。だが、周囲の人々は知らないだろう。私が暗くなり涙を流した本当の理由が祖父の死ではなく、私も何の前触れもなく死ぬかもしれないということに気付いたからなど、誰も知る由はなかったのだ。
高校になって死についてでなく、生について考えるようになった。より具体的に言うのならば生きるということへの意味を考えるようになったのだ。生まれて死ぬという摂理の存在意義を考え、様々な宗教的なものを調べたりもした。この時には都合のいい神を称えた宗教からでも何かしら得るものがあるのではないかと思えるようにはなっていたのだ。だが、その時の私には意味というものは与えられるものでしかなかったし、その意味もまた人間が都合よく解釈しているようにしか見えなかった。高校に通っていた私は与えられたカリキュラムに沿って教科書というマニュアルを覚えてそこに書かれていないこともマニュアルを書いた人の望みそうな答えをマニュアルから導き出すだけだったからだ。結局のところ、どうすればいいのか、今何をすればいいのか、そういったことは何もかもを与えられてきたのである。そんな私が行動の意味というものを考えるのにマニュアルを考慮しないはずがなかったし、それを除いたときに何が残るかといえば何も残らなかったのだ。きっと、私の子供時代は優秀だったのだろう。与えられたマニュアルは理解できたし、それに載っていないことでも推察できた。世間の言う良い人生を歩むための道筋を言われるままに歩んでいたのだ。結局のところ、私に生きる意味を見出すことはできなかった。生きたいと思う理由を『生物の生存本能として……』とか並べることはできたが、私が行きたいと思う理由を何もあげることが出来なかったのだ。その時、私はようやく一つの大きな事実に気づいた。私には生涯をかけて何かをやり遂げたいと思うような夢が存在しなかったのだ。もちろん、『○○大学に行きたいな』とか『次のテストではもう少し頑張ろう』などといった少し先の目標は立てることが出来たし、そのための行動もできたのだ。それでも、私に夢というものは存在しなかった。
大学に入り、独り暮らしを始めてモラトリアムとかいうものを思い出した。今まで受験だのなんだの世間に追い立てられてきたが、大学に入り、独り暮らしをして、そういった行動決定はいきなり自分にゆだねられたのだ。ああ、確かにこんなのでは何をやるべきか見失う人が多いのもうなずける。私はその有り余った時間を自分の人生について考えて過ごした。きっと、このまま私は大学も卒業し、結婚をするのかはわからないが、就職し、老いて、誰かに惜しまれながら死ぬ。死ぬ原因はなんだっていい。死んだあとは無に帰りながら夢を見る。胡蝶の夢ではないが、今の私がその夢なのかもしれない。私に思い出されている過去の私と今を生きる私の違いは何もない。大学在学中に少々怪しげな宗教サークルに声をかけられて、少しの間それに参加した。この人生に対する不安を取り除くためには、自分のようなあきらめてしまっている思考以外の考え方が必要だった。それを得るためには何でも私以外の考え方を知る必要があると思ったのだ。しかし、そのサークルは心理学をかじっているだけの私が聞いたことのある洗脳方法、役になりきらせる、自分と違う考え方でもその考え方で物事を考えさせる、多数派の中に一人閉じ込める、などといった方法を使っていたのでさすがに飽き飽きしてしまったのだ。そうして、私はまたもや夢を持たず、生にも死にも意味を見出せず、生きる屍として過ごした。
私はまさしくブラックといわれるであろう企業に就職した。実際同期は五年もすれば私一人になっていた。アパートを借りてはいたが、自宅というのは第二の作業場であり、第二の仮眠室でしかなかった。だが、私は決して不幸だとも苦しいともおもことはなかった。むしろ大学時代よりも生き生きしていただろう。理由は簡単だ。意味を与えられ、すべきことは決まっている。こんなに楽な生活はなかった。だが、そんな生活も長くは続かなかった。
唐突なテロだった。私は出先でその人質の一人として捕らえられた。死にたくなかった私は犯人側の要求にはしっかりと従ったし、およそあの中では最も優秀な人質だっただろう。要求は刑務所にいる仲間の解放と金、そして逃走用の車であった。彼らがどのようなことをしていたのかは知らないが、外から聞こえたニュースによるとオフィス街のビルをかなりの数のっとっているようである。何とも規模の大きい行動だろう。規模を大きくしすぎたのが原因なのか、それとも日本警察が優秀なのかは知らないが、犯人たちは捕らえられた。しかし、恐らく多くの人にとって予想外のことが起きた。端的に言おう。脅しのために仕掛けられていたC4爆弾の時限装置が作動したのだ。爆発まであと三分。優秀な人質だった私は腕を縛られていただけで足を縛られたりしなかったので爆弾に気付くなりすぐに立ち上がって外へと逃げた。猿轡をされていたため私はとにかく走って、走って、川に飛び込んだ。ビルを見守る警察にもテレビ局のニュースキャスターにも心配されていたが、彼らは爆弾を知らないのだ。私が川に飛び込んだ少しあと、地面が揺れるとともに爆音が鳴り響いた。
夢はそれでおしまい。私は夢の内容に恐怖しつつ、安心しつつまた会社へ向かう。
Again
ずぶ濡れの体からは異臭が漂うが、そんなものは気にならなかった。粉のようになったコンクリートの上を歩きつつ、ぽたぽたと服からはしずくが落ちていき私の通った軌跡を残す。
―――ああ、ここにたどり着いてしまった。
私は自然とこの後には絶望しかないのだということを悟った。
―――さあ、もう一度夢を見よう。
分類が分からなかったので一応文学にしました。
感想、評価お願いします。