第二十四話 『伝わる絆、伝わらぬ温もり』
*
「なぜお前がここにいる」
師匠は突然現れた男に振り返りもせず問いかけた。
「愚問ですな。街中に現れたレッドラムの掃討――及び住民の保護が我々の仕事です」
当然のように答えた男は視線だけを動かし、冷たく沈んだ黒い瞳で俺を見据えた。
「そしてそこの少年は事件に巻き込まれ、負傷もしているようだ。ならば私は私の仕事を遂行するのみ――違いますかな?」
「フン、わざわざそのためにお前が現場まで足を運んだというのか? 白々しいことを」
「ならばいわせていただきましょうか。今回の失踪及び連続殺人事件、これらは同一の個体による犯行である可能性は極めて高い。この事態を招いた要因はあなたにあるのでは?」
男はやや口調を強くした。師匠は顔だけを男に向け眉を寄せる。
「本来ならば我らが調査、解決に乗り出すところでしたが、それを押し止めたのはあなたです。私はあなたを信頼して今回の件を黙認していた。ですが結果的には被害者はわかっているだけで十を越え、あまつさえ広域汚染の危険すらあった。これはどう言い繕おうともあなたの落ち度でしょう」
「この娘が作り出した傀儡ならばすべて始末してある。広域汚染に至る可能性はない。それに上位種の選別に際してある程度の犠牲は黙認する――これもまた約定であろう」
師匠は腕に抱いていた亜矢に視線を落とした。聞き覚えのない言葉を交わしあう二人についていけず、俺はただ交互に視線を動かすことしかできずにいた。
「それも事前に各機関の承認を経た場合に限りますな。今回はあくまで私が知己であるあなたを信頼して託した個人的なやりとりにすぎません。それともあなたはそれすら軽視していたとおっしゃるのですか?」
師匠の眉間に刻まれた皺がさらに深くなる。男と俺、交互に視線を向けた後、師匠はふっと息をついて背中を向けた。
「――よかろう、この場はお前に免じて引くこととする。なにより興が削がれたわ」
師匠はそのまま屋上の端まで歩いていき、軽く跳躍してフェンスの上に飛び乗った。
「業、これで最後かはわからぬが一つだけ忠告しておいてやろう。――その男にくれぐれも気を許さぬことだ」
師匠はそれだけいうと軽く膝を曲げ、フェンスを蹴って跳躍した。突風が巻き起こり、ジャンプの反動によってひしゃげたフェンスの金具が固定されていたコンクリートごと抉られ、根本から折れ曲がった。一瞬の後、師匠の姿はすでに夜の闇に紛れて消えていた。
「大変な目にあったようだな。怪我は大丈夫かね――七柄くん」
夜空を呆然と見つめていた俺の側まで歩み寄り、男が訊ねる。気遣うような言葉とは裏腹に語調は落ち着いたものだった。
「あんたは――?」
「あぁ、紹介がまだだったね。私は寡神鎮磨という者だ。とある警備会社のCEO――責任者だよ」
「寡神? 俺を知ってるのは――」
自分と異なる名字を名乗った男――寡神に訝しげな視線を向ける。寡神は気にした様子もなく続けた。
「――君のお父さんとは知り合いでね。私もまた、彼から君のことを頼むといわれていた。来るのが遅くなってしまい申し訳ない」
「知り合い――か。病院から飛び出したあの日、俺はアパートであんたと似た声を聞いた覚えがある。あれは俺の気のせいなのか?」
「確かにあの日、君を迎えにいったのは私だよ。病院に向かっている途中、桐生くんから君がいなくなったと連絡を受けてね。もしかしたらと思い君の住むアパートに向かった。そうしたら偶然君を見つけることができたというわけだ」
寡神は俺から目を背けず淡々と言葉を紡いだ。まるであらかじめ用意していた回答を読み上げるような口調で話す寡神の目を見上げていた俺の胸に落胆、怒り――そしてほんの少し寂しさの混じった感情がこみ上げる。
「師匠とも知り合いなのか?」
俺は男から顔を背け、投げやりな口調で訊ねる。一刻も早く話題を変えるべきだと感じたからだ。
「師匠? ――あぁ、そういえば君は彼から教えを受けていたんだったね。血を与えたこともそうだが、あの男がそんな気を起こすとは珍しいこともあるものだ」
「あの人は何者なんだ?」
「私も詳しく知るわけではないよ。私が彼と知り合った時はデュオ・ヴァルナという名で呼ばれていたが、それも彼が持つ無数の通り名の一つにすぎないからね。かつて西の大陸で名のしれた凶手――殺し屋であったということぐらいさ、私が知る中で確かなことはね」
「殺し屋――」
「危険な男だ。あまり深入りしない方がいい」
寡神は眼球だけを横に動かしていった。視線の先には無惨に破壊されたフェンスの骨組みが風に揺られ、金属の擦れあう耳障りな音を鳴らしている。
「あんたや師匠がさっきいってた――広域汚染だの、上位種だのってなんのことだ? 師匠と亜矢は違うのか?」
「――その質問に答える前にひとつ聞かせてくれないか。君はいまだに彼のことを師匠と呼ぶのかね? 彼は幼なじみを殺し、君も手にかけようとした相手だよ。それに今回の件だって、彼がこの街を訪れたことで引き起こされたもの――そうは考えないのか?」
寡神の口調には疑問に対する興味を感じない。むしろ俺がどう答えるか見極めようとしている響きがあった。
「――復讐など考えず、母を悼んで生きろ」
俺の言葉を聞いた寡神が首を傾げる。
「あの人が俺に最初にいった言葉だ。今も同じことをいわれた。師匠が俺に戦うことを促したことなんて一度だってない。いつだって俺を戦いから遠ざけようとしていた」
師匠にかけられた言葉が次々と脳裏をよぎる。寡神はなにもいわずに聞いている。
「今だって師匠は俺を助けてくれた。殺す気があったなら亜矢が俺を殺すまで待つだけでよかった。亜矢を殺したのは誰でもない、この俺なんだ――」
再び涙が流れ落ち、頬を濡らす。俺が涙を拭い終わると、待っていたように寡神が口を開いた。
「彼からある程度の経緯は聞いている。美作亜矢――彼女のことは残念だったね。だがあの子を救えなかったことを自分の責任だなどと思う必要はない。自分を最も苦しめる存在は他人ではなく自分自身だ」
「知った風にいうな! あんたにはわからない。俺は気づいていながら亜矢を見捨てた。俺がもっと強かったら――」
「思い上がるな」
寡神に一喝され、俺は思わず肩をすくめた。けして怒鳴ったわけではなく、語調を荒げたわけでもない。にもかかわらず押さえ込まれるような強い圧力を寡神から感じた。
「子供がするべきは己の弱さを学ぶことだ。肉体も精神も未熟な子供に強さを求めるなどそれこそ恥ずべき大罪。私はそう考えている。あの子を救わねばならなかったのは周囲にいた大人以外にない。罪もまたそこにのみある」
俺はいい返せずにうつむいた。寡神は咳払いを一つして、少し口調を柔らかくしていった。
「きつい物言いをしてすまない。ともかくあまり気に病まないことだ。――さて、そろそろ本題に入ろうか。他でもない、君のこれからのことだ」
恐る恐る見上げた寡神の顔つきはさらに無機質なものへと変貌していた。口の中に湧いた唾を飲み下し、俺は無意識に身構えていた。
「君がこれから先、その力を自分の手が届く範囲の人を守る程度に抑えて生きると誓うなら、私はその思いを尊重しよう。きっと君は満ち足りた人生を送ることができるだろう。その場合私に背を向ければいい。今すぐここへ救護班を呼び、然るべき治療を受けさせよう。これから先も君への支援は続けるが、私と会うことはおそらく二度とない」
そこまで話した寡神の目に鋭い光が宿る。それは師匠や亜矢が向けてきたものと似た剣呑な輝きだった。
「だが、もしも君がもっと大多数の人を救いたいと願うなら私の手を取りたまえ。――つらい道程にはなるだろうが君にはその力がある。君の力を振るうにふさわしい場を提供しよう。そのための援助を私は惜しまない」
目の前に寡神の手が差し出される。自分のものとは比較にならないほど大きくて広いその手と、寡神の顔を交互に見る。寡神に促すような素振りはない。あくまで泰然として崩れることのないその態度は、最初から俺がどう答えるか確信しているようですらあった。
「――母さんを殺したあいつの目を見たとき、すごく危険なものを感じた。あいつはきっとこれからも不幸や悲しみを撒き散らす。放っておいてはいけない存在なんだ」
寡神の目をまっすぐ見据えていった。
「そうか」
寡神は短く答えた。
「それと、あんたにはなにも関係ないことだけど、俺は会いにすらこない――母さんがいなくなったのに澄ました顔してるだろう父親のことが大っ嫌いだ」
ガラス玉のようだった寡神の瞳に一瞬陰が差した。いや、そう感じただけかもしれない。
「いつか面と向かってこの気持ちを伝えてやる。そのためには父さんのことを知ってるあんたに逃げられるわけにはいかない」
せめて少しだけ、一瞬でも表情を変えてほしい。そんな期待があった。
「そうか」
寡神は即答した。表情はもちろん、口調にすらなにも変化はない。
俺は歯噛みしながら、ゆっくりと右手を上げて寡神の手をそっと握った。俺の手を包み込むようにして寡神が力強く握り返してくる。
一目顔を見たときに感じたもの――視覚だけでは曖昧だったものが、触れたことによって確信へと変わった。
産まれて初めて繋いだ父親の手は大きくて頼りがいがあって――そして今まで触れてきたなによりも冷たく感じた。




