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第二十三話 『白銀の凶手』




 額にコンクリートの冷たさを感じながら、俺は全身でのしかかるようにして自分の右腕を押さえ込んでいた。右腕は握力を最大にして掴んだ左手の指先が食い込んでいるにもかかわらず、なおも亜矢に向かおうともがいている。まるで獲物に食らいつこうとする蛇のように。


「――それ、なんのつもり?」


 頭上から亜矢の声が降りかかる。押し殺した――怒りを通り越して呆れたような声だった。


「無理だ――俺には無理だ。お前を殺すなんてできない――できるはずない。お前は別物なんかじゃなくて、本物の亜矢なんだ――」


 涙が止めどなく流れ落ち、声を霞ませる。まるで別の生物であったかのようだった右腕がようやく動きを止めた。


「どうしてここにきてそう思ったの? わたしは前からこうだった?」

「違う――俺も、俺だって前はこうじゃなかった。こんなことができるはずなかったんだ――」


 額を地面に擦り付けるようにして左右に振る。たった今自分が亜矢に振るった壮絶な暴力よりも、それに伴って沸き上がった感情こそが恐ろしかった。反吐を吐いてでも、口から漏れかけた哄笑を誤魔化したかった。


「俺は今、お前を痛めつけることを楽しんでいた。言葉では否定しても、俺もお前と同じだった。だからわかってしまった。お前はやっぱり亜矢なんだってことが――」


 握りしめた拳で地面を打つ。ひび割れているとはいえ、コンクリートの地面がただそれだけで砕ける。目を背けていたが、俺もまたおぞましい怪物なのだ。


「それが攻撃をやめた理由? ゴウちゃんのいうとおり、わたしはわたし――美作亜矢。だけどそれがなに? わたしが何者であるかと、ゴウちゃんの戦う理由となんの因果があるの?」

「俺はお前を守ると約束した――そんなお前をこれ以上痛めつけることはできない。変わってしまっても、亜矢は亜矢だ――」

「あぁ、一緒に寄り道したあの日にいってたねそんなこと。あの時私の目を見ずに一人で呟いてたから気づかなかったでしょ? わたしあの時笑いを抑えきれず大変だったんだよ。どの口がいってるの――って」


 亜矢が侮蔑をたっぷりと含んだ声でいった。俺はうなだれたまま拳を握ることしかできなかった。


「わかってない――やっぱりゴウちゃんなにもわかってないよ。わたしに負けを認めることがどういうことか。それともなにかを期待している? わたしがゴウちゃんの優しさに打たれて心をいれかえたりとか、そういう展開を」

「俺はどうなろうと構わない。だから桐生さんたちだけは手を出さないでいてくれ。頼む、あの人たちだけは――」

「そんなお願いになにも意味がないことくらいわかるでしょ? 敗者に望む権利なんてなにもないの――ただ奪われるだけ。それにこの街はすぐに悲鳴でいっぱいになる。わたしのお人形はゴウちゃんに壊された子だけじゃないの。わたしが号令をかければ一斉に動き出すんだよ」


 亜矢は街の明かりを横目に見ながらいった。片方の髪留めが失われた長い髪が夜風にそよぐ。


「戦う気をなくしたならそれでもいい。そうやって這いつくばったまま動かないでいて――せめて一瞬で死なせてあげる」


 亜矢の右肩に残った触脚がゆっくりと持ち上がる。俺は断頭台にかけられた罪人のように頭を垂れ、きつく目を閉じた。



「それが結論か。この期に及んでなお、お前は目を逸らすのだな」



 不意に聞き覚えのある声が頭上で響いた。瞼を開き、ゆっくりと顔を持ち上げる。視界を遮るほどに大きな影が亜矢の背後にそびえ立っていた。


 たなびく髪が月の光を受けて白銀の光を散らす。紫紺に染め上げられた奇妙な衣服――拳法着のようでいて、礼装のように洗練されたシルエットの装束を着た長身の人影が俺と亜矢を傲然と見下ろしていた。


「師――匠――?」


 呆然と呟いた俺に一瞥もくれず、師匠は目前で背を向けて立つ亜矢に目を落としたまま続けた。亜矢は触脚を真上に伸ばしきった姿勢のまま微動だにせず、見開いた目を虚空へと向けている。


「あの夜にいったはずだな。あるがまま振る舞うのは許すが、けして過ぎた真似はするなと。それを無視していたずらに騒ぎを招き、あまつさえ闘争においておくれをとる――」


 師匠の左腕が真横に払われ、床に赤黒い点が飛び散った。


ペナルティじゃ。受け入れい」


 直後に亜矢の体が斜めに裂け、花びらが散るように赤黒い血が噴出した。瞼に焼き付けられた母の姿と重なる光景に、喉の奥から絶叫があふれ出す。


「うわああああああああぁぁ!!!」


 地面を蹴り、後方へと倒れ駆けていた亜矢に駆け寄って抱き留める。腕の中へ倒れ込んだ亜矢の体は鉛のように重かった。


 紅玉のようだった瞳を淀ませ、亜矢が俺を見上げてくる。感情の読みとれない無機質な視線のままなにかを呟くように唇をかすかに上下させ――ことりと糸が切れたように全身の力が抜けた。


「亜矢――亜矢!! 駄目だ、駄目だ!!」


 流れ出る血を止めようと亜矢の傷口に両手を押し当てる。その時右手の十字傷からなにかが這いだすのを感じた。


 血が形をなし、おびただしい数の触手状に別れて伸びた。それは亜矢の傷口へと入り込み、体内からなにかを絡め取ろうと蠢いた。


「よせ、やめろ!!」


 自分の意志とは無関係に伸びた触手を左手でつかみ、亜矢の体から離れるために後ろへ飛んで腕を引く。それと同時に亜矢の体から赤黒い液体が引きずり出される。俺は右手にそれが取り込まれる前に触手を引きちぎろうとしたが、多くは間に合わず右手の傷口へと瞬間的に吸い込まれていった。わずかに残った欠片は地面に落ち、力なく蠢きながら亜矢の元へと這いずっていく。直後、右手から脳に様々な映像が送り込まれた。


 暗闇でのしかかる男、目を合わせてくれない母親、そして走り去る俺の背中。恐怖や悲しみ、怒り――様々な感情とともに映し出されたそれらの光景は亜矢の記憶の一端だった。


「あ――あぁ――!!」


 頭を抱えてうずくまる。嗚咽がこみ上げ声にならない。大きく息を吸い込み、震える肺を空気で満たして師匠を見上げる。


「どうして!?」


 疑問や悲しみ、憤りといった感情すべてを込めて叫んだ。師匠の顔には深い影が差していて表情が読みとれない。言葉足らずな俺の意を汲むかのように間を置いたあと、ゆっくりと師匠が言葉を紡ぎはじめた。


「その娘に血を与えたのは儂じゃ。お前と初めて会ったあの場所でな」


 師匠は顎を軽く上げた。月の光が落ちくぼんだ師匠の眼窩を照らし出す。静かな輝きをたたえた灼眼が俺を見下ろしていた。


「――あああぁ!!」


 俺は反射的に地を蹴っていた。感情や思考より早く動いていた。心の容量を遙かに超えた激情のはけ口へとただ向かう――これもまた逃避にすぎなかった。


 師匠の左頬へと打ち込んだ拳から伝わったのは鋼の感触。それは生物的な質感を一切ともなわない、無慈悲なまでに硬く重い感触だった。


「彼我の力量差すら計れんか。愚か者め――」


 師匠の瞳が一瞬輝きを増し、俺の腹部に拳があてがわれた。体表が波紋によって波打つのを感じた直後、腹から背中へと凄まじい衝撃が突き抜けた。


 声すら上げることができずに俺は弾き飛ばされ、屋上のフェンスに背中から叩きつけられる。大きく湾曲したフェンスが作り出したアーチを転げるようにして屋上の地面に倒れ伏した俺は、呼吸より先に地面を手で掻いていた。今の衝撃で腹部に大穴が開き、内臓がまき散らされたと錯覚したためだ。


「かは――」


 激痛で収縮した筋肉によって塞がれていた気道が開き、かろうじて呼吸が出来るまでに数秒を要した。それは今まで感じた中でもっとも大きな――大人と子供どころではないほどの力の差だった。


「なにに怒る? 儂がその娘を変えたことか? それともそうさせた己自身の無力さか?」


 腹部を手で押さえ、目だけを師匠に向ける。いまだに体の自由が戻らず、起きあがることが出来ない。口を開こうとしても顎がガクガクと揺れるだけだった。


経緯いきさつを知りたいならば教えてやろう。儂がその娘を見つけたときは既に死の縁にいた。ガラス片で手首を掻き切り、自死を試みたのであろう。理由は今更話すまでもあるまい?」


 師匠の足下で倒れる亜矢に目を向ける。左手首に巻いていた白い革バンドは先の戦いで弾け飛んでいて、真っ白な手首には俺の胸にあるのと似た無惨な傷跡が残っていた。


「本来ならば捨て置くところであったが、気まぐれに儂は問うた。このまま死を受け入れるか、それとも血の洗礼に身を委ねるか――」

「血の――洗礼?」


 歯を食いしばり、喉から声を絞り出す。


「我らの血は誰しもに祝福となるわけではない。適うものでなければ知も理も食い尽くされた獣となる。この娘の義父のようにな」


 師匠が亜矢を指さしながら顎をしゃくる。


「この娘は洗礼を受け入れた。儂がこの街に留まることを決めたのは成り行きを見届けるため。この娘と――お前の二人をな」

「俺を――?」

「最初はお前も我らと同じと思っていた。だがどうやらそうではない。我らを食らうその血の暴威――むしろ真逆の存在であるようだ。凶変種とでも呼ぶべきか」

「凶――変――」

「儂がこの街へきた本来の目的はある男と逢うためであった。そして、それは恐らくお前の母を殺した仇と同一であろう。この娘が奇しくも同じ刻に儂と出逢うとはまさに恐るべき天意――そういわざるを得まい」

「師匠――あいつを、知ってるのか――?」

「知るためにここへ来た。それに今更奴の正体を知ってどうする? 今お前はこれまでの決意すべてを投げ出したばかりではないか」


 師匠が冷然と言い放つ。俺は全身が砕けそうな痛みを奥歯でかみ殺し、必死に上体を起こした。


「お前がこの娘と戦う決意を固めたのはなぜだ? 守るべき者のためであろう。だがお前はそれすら投げ出して戦いを放棄した臆病者。純粋なる闘争において敗北が意味するのは己の死。だが守るための戦いで、敗北によって失われるのは己一人の命だけではない。お前は今背にした者たちすべての命を差し出したのだ。戦いをやめたのはこの娘を思いやったためではない。ただ己が背負うであろう罪におののき、拳を引いたにすぎん」


 怒気を含んだ師匠の声が空気を震わせ、俺の胸に突き刺さる。目からあふれ出した涙が頬を伝い落ちて地面を濡らした。


「亜矢は――優しい奴だった。死ななきゃならない理由なんてなにもない。こんな目にあっていいはずもないんだ。それでも――それでも殺さなきゃ駄目だったのか?」

「たとえ過去がどうであれ、この娘は己の狂気に飲まれ悪逆を尽くした。お前にとって倒すべき敵であったはず。――ならば送ってやるべきだったのだ、お前の手で」


 師匠は目を伏せ、呆れ果てたように深く息をついた。


「お前に為せることなどなにもない。己の無力を胸に刻み、母とこの娘の菩提を弔って生きるがいい。お前などこの手で殺す価値もない」


 師匠はそういうと亜矢を抱き上げ、俺に背を向けた。


「待て――亜矢をどうする気だ」

あたわなかったとはいえ、仮にも我が血を与えた者。この娘の始末は儂がつける。もはや助かるまいが、せめて最期まで見届けるのが筋であろう」


 強い風が吹き、師匠の髪と装束の裾を揺らす。屋上の端で足を止め、師匠が俺を振り向いた。


「――なぜ立ち上がる。拾った命を捨てるつもりか」


 いわれて自分が立ち上がっていることに気づいた。遅れて全身に走った激痛に顔を歪めながら背筋をいっぱいに伸ばした。


「師匠のいうとおり――俺は逃げた。こんな力じゃなくても、一握りの勇気があればきっと亜矢は救えていた。俺はそれさえ持っていなかった」


 こみ上げる怒りと後悔の念、そして師匠の射殺すような視線が言葉尻を震わせる。胸に指先を食い込ませ、無理矢理に言葉を紡いだ。


「亜矢の血が流れ込んだときに知ってしまった。あいつがどんな目に逢っていたのかを。どれだけ怖くて、どれだけ悲しかったか――そして俺のことをどんなに憎んでいたのかも」


 涙を拭い、師匠の目を真っ直ぐに見据える。


「――だからもう二度と逃げたくない。大切なものから目を逸らしたくない。そのために俺はもっと強くなりたい。見せかけの力じゃない、本当の強さが欲しい」

「――戦いをやめるつもりはないということか。それを聞いて儂がお前を見逃すと思っておるのか? 先にいったがお前は我らの天敵。ここで殺しておくになんのためらいもないのだぞ」

「俺を殺したければ殺せばいい。今、俺が生きているのはあんたがいてくれたからだ。あんたに殺されるなら、きっとそれが俺の死ぬときなんだ」


 短い沈黙のあと、師匠が俺に向かって足を踏み出す。動けずにいるのは体中に残る痛みと巨大な獣が歩み寄ってくるような威圧感のため。そしてなにより死を受け入れる心が自分の中にあったためだろう。


「デュオ師父、そこまでにしていただきましょうか」


 屋上への出入り口から声が上がる。師匠が足を止めるのと同時に俺も声がした方へと振り向いた。亜矢によってドアの取り去られた戸口を背にして男が一人立っている。


 髪をオールバックにした彫りの深い精悍な顔立ち、長身で大柄な体躯にスーツを着込んだ三、四十代ほどの男だった。初めて見る顔であったにもかかわらず男を知っている気がしたのは、声に覚えがあるせいだろう。


 病院を飛び出してアパートに戻ったあの日、意識を失う直前に俺は確かにこの声を聞いていた。

 

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