第二話 『十二度目の記念日』
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産まれてから十二回目の二月二十一日。十二歳の誕生日を迎えた日、僕は学校が終わると足早に家へと急いだ。
クラスに友達といえる人間などいないため、誰からも祝いの言葉などはない。別に悲しいわけではなかったが、やはりどこかいたたまれない気持ちになったのだ。
「七柄くん、待って」
アパートまでもう少しというところで背後から呼び止められる。振り返った先で亜矢が走ってくるのが見えた。
「――なんだよ?」
亜矢と目を合わせずいった。
「今日お誕生日だよね。おめでとう」
息を切らしながら亜矢が笑顔を向けてくる。亜矢の家は僕の住むアパートからさして離れていない。
もっと小さい頃――というよりも、最近まではよく遊んでいた。
亜矢はサイドテールに結った長い髪を揺らしながら背負っていたランドセルを下ろし、中から小さな紙袋を取り出した。
「これプレゼント。喜んでもらえるかわかんないけど――」
「いらない」
差し出された紙袋を受け取らず、亜矢に背を向けた。
「もう、僕に話しかけるなって言っただろ」
突き放すようにいって駆けだした。アパートを囲うブロック塀を曲がった時、視界の端で悲しげにうつむく亜矢の姿が見えた。
亜矢とは一年ほど前から距離を置くようになっていた。
理由はとても子供じみたもので、一緒にいるところをからかわれたことが原因だった。それまでは気にならなかったのに、五年生になったくらいの頃からひどく恥ずかしく思うようになった。
一度芽生えてしまった感情というのは拭いがたく、五年に進級してクラスが変わったこともあり、以前のように二人で遊んだりといった事はほとんどなくなった。
アパートの階段を上がり、二階の突き当たりにある自宅の前で鍵を取り出しながらノブに手をかけた。だが鍵がかかっていないことに気づき、いぶかしげにドアを押し開ける。
途端、目の前で破裂音とともに紙吹雪が舞った。
「業、お帰りなさい。お誕生日おめでとー」
玄関の前に立っていた母が笑顔を向けてくる。手にはクラッカーが握られていた。
「母さん――今日は早かったんだね」
予想外の出来事に思考が追い付かず固まってしまった。どうやら母なりのサプライズのつもりらしい。思わず苦笑が漏れる。
靴を脱いで玄関にあがると母に抱き寄せられた。
「今日は業の誕生日だからね。病院も行かなきゃいけないし、お仕事早引けしてきちゃった。ビックリした?」
いたずらがばれた女の子のような笑顔で母がいった。内心嬉しかったが、なんだか照れくさくてそっと母を引き離す。
「僕が帰るまで待ってたの? いつ頃から?」
「ほんの1時間くらい」
こともなげに言って笑う母を見て、思わずため息を漏らしてしまう。
母は紙テープの垂れ下がったクラッカーをゴミ箱に放り込んで僕の顔をのぞき込む。
「今日はなに食べたい? 好きなもの作ったげるよ。――そうだ、亜矢ちゃんも呼んだげようか?」
亜矢の名前を聞いた途端表情をこわばらせてしまった。母から体を離し、小さく首を横に振る。
「あいつは――いいよ」
「どうして? 毎年お互いの誕生日にはいつもお祝いしてたじゃない」
「だって、あいつ女の子だし――」
言葉の最後が消えかかる。自分でも心の底ではくだらない意地だと理解していた。
母は腰に手を当てて小さくため息をつくと、僕の目線に合う高さまでひざを曲げた。
「誰かにからかわれたんでしょう? 女の子と遊ぶなんてカッコ悪いって」
的を射た母の言葉に思わず目をそらしてしまう。肯定も同然の仕草に母は嘆息しつつ人差し指を立て、目の前でクルクルと回した。
母が自分を叱るときによくする癖だ。
「業、仲よくない子に言われて仲のいい子と遊ばなくなるなんてそんなのおかしいでしょ? それに男の子でも女の子でも、友達の大切さは変わらないはずよ」
言葉を返すことができずうつむいた。心の奥で言いようのない感情がこみ上げる。
「でも――仕方ないか。男の子だし、そんな時期もあるよね」
母が頭を優しくなでてくる。今の表情が不満からくるものだとでも思ったのだろう。
「じゃあ今日は駅前のレストランでご飯食べようか。チーズハンバーグでもふわふわオムレツでも、業が好きなものなんでも頼んでいいから」
本当は母が作る料理の方が好きだが、重くなりかけた空気を変えようという母の気遣いを感じ、笑顔でうなずいた。
明日学校で亜矢に会ったら今日のことを謝ろう――心の中でそう誓った。
*
ひやりとしたバンドが腕に巻かれ、アルコールの染み込んだガーゼがあてがわれる。注射を打たれるのには慣れたが、肌に針の先端がふれる一瞬の感触だけは永遠に好きにはなれそうもない。
「業くん、特に最近体の調子がおかしいとかはないかい? 食欲は?」
血を抜かれている間、メガネをかけた医者の先生がいつもと同じ質問をしてくる。それに対し僕もまた、大丈夫です――といつも答える。
医者は頷きながら机に広げた用紙にペンを走らせる。そうしている間に看護士のお姉さんが腕に刺さっていた針を抜き、新しいガーゼをあてがいながら笑顔を向けてきた。
「はい、おしまい。業くんえらかったね」
そういって頭を撫でられる。いつものことだが子供扱いされているようで恥ずかしい。もう2ヶ月もせずに6年生になるのだが。
医者と連れだって病室の外へ出る。病室前の待合室で待っていた母がすぐに駆け寄ってきた。
「それではお母さん少しお話を」
「はい。――業、すぐ済むからね」
僕が頷くと母が入れ替わりで病室に入っていく。
僕の体の弱さは筋金入りらしく、こうして定期的に病院で検査を受ける必要があった。医師とのやりとりが形式化するのも当然だ。なにしろさっきの診察を物心ついた頃からひと月に一度受け続けているのだから。
待合室のイスに座り母が出てくるのを待つ。市内の総合病院だけあって診察待ちの人たちも結構な数だ。
何気なく目を向けた壁掛けテレビではニュースキャスターが連続失踪事件について喋っている。変死体がどうとか、物騒な単語も聞こえてきたので慌てて目を逸らした。
いつもなら足をぶらつかせているうちに母が病室から出てくるのだが、今日に限っては時間がかかった。何かあったのかと少し不安になりだした頃、ようやく母が病室から出てきた。
気のせいか浮かない顔をしているように思える。
「母さんどうかした? なんだか今日は長かったけど」
母のそばに駆け寄って見上げると、母はすぐにいつもの顔に戻った。
「――なんでもないよ。それよりお腹空いたでしょ? 早くご飯食べに行こ。もう母さんはペコペコだよぅ」
そう言うと母はいきなり僕を抱き寄せて頬ずりを始めた。 待合室の人たちがクスクスと笑い出す。
必死で母を引きはがしながら、先ほどの表情はただの見間違いだったのだろう――そう自分にいい聞かせた。