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第十四話 『掴めぬ距離』



 廊下を曲がろうとして誰かの話し声が聞こえた。足を止めたのは、片方の声が亜矢だと気付いたからだ。


「それじゃあ美作さん、ご家族の方によろしくね」

「はい。伝えておきます」


 どうやら女性教師と話しているらしい。家族という言葉に少しだけ興味を惹かれたが、盗み聞きをするわけにもいかない。俺は足音をたてないようそっと振り返り、来た道を引き返そうとした。


「七柄くん、なにやってるの?」


 思わず声が出そうになった。振り返ると亜矢が不思議そうに首をかしげている。


「あ――いや、今まで掃除当番で、帰り道に通りかかっただけで――別に話が聞こえたとかじゃあないんだ」


 しどろもどろになって弁解する。なにも後ろめたいことなどないはずなのに。


「プッ――アハハハ。ゴウちゃん焦りすぎだよ。そんなたいした話してたわけじゃないのに。今度の保護者会の連絡網、うちは共働きだから時間調整が必要なんだ。だから先生に時間ずらして電話してもらうようお願いしてたんだよ」

「あぁ、――そうか」


 景子からそのことについて聞かされていたのを思い出す。これから保護者に向けた連絡はすべて彼女に届くらしい。なんだか気が重くなる。


「それより早く帰ろ。遅くまで残ってたら注意されちゃうよ」


 亜矢に促されて校舎をあとにする。普段は校庭で遊んでいる生徒が何人もいるのだが、今日は誰もいない。最近ニュースを騒がせている失踪事件のせいだろう。人気のない学校というのはあまり気分がいいものではない。出来るだけ亜矢の歩調に併せ、俺たちは足早に校門をくぐった。


 アパート前の通りを亜矢と並んで歩いていると、道の先で瑠花が座り込んでいるのに気付く。瑠花のほうも俺に気付いたようだった。


「ゴウ兄ちゃーん。おかえりー」


 瑠花が立ち上がってちょこちょこと駆けてきた。だが隣に立つ亜矢の姿を見て困惑したような表情で立ち止まる。


「わぁ、カワイイ。この子だれ?」


 亜矢が目を輝かせる。俺は景子達が隣に越してきたことを亜矢に話していないのを思い出し、瑠花のことも含めて説明した。


「そうなんだ――あ、わたし亜矢っていうの。よろしくねルカちゃん」


 亜矢が腰を屈めて瑠花に目線を合わせる。瑠花はうつむいたまま目を合わせようとしない。俺は初対面で瑠花に怯えた目を向けられたことを思い出した。


「瑠花は恥ずかしがり屋なんだ。俺も初めて会ったときは怖がられたよ。でもすぐなれてくれるさ、な?」


 頭をなでながら俺がいうと、瑠花は俺と亜矢を交互に見てから小さくうなずいたようだった。


「そっかぁ、じゃあまた今度わたしともお話してねルカちゃん。――それじゃあわたし行くね。また明日」

「あぁ。じゃあな」


 手を振りながら通りの先へと歩き去る亜矢を見送り、俺は瑠花を振り返った。瑠花は俺の上着の裾を握りしめ、うつむいたまま消え入りそうな声でいった。


「――ごめんなさい」

「謝ることなんてないよ。それより一人か? お母さんや昭はいないのか?」


 俺が聞くと、瑠花は首を横に振った。


「お兄ちゃんといっしょにかえってきたんだけど、がっこうにカギわすれちゃったみたいなの。それでお兄ちゃんとりにいったんだけど――」


 そこまでいうと、瑠花は肩から下げていたカバンから二つ折りの携帯電話を取り出した。なれない手つきでキーを操作し、俺に電話機を差し出した。受け取って画面を見ると、一件のメールが表示されていた。


『ともだちとさっかーしてくる。もすこししたらゴウがかえってくるからだいじょうぶい』


 ほとんどひらがなで書かれたメールは送信者を確かめるまでもなく昭のものだとわかる。俺は怒り半分呆れ半分の声をあげた。


「あのバカ――なにが『だいじょうぶい』だよ! 妹をほったらかしにしてなにやってんだ」


 俺は瑠花に携帯を返しながらどうするべきか考えた。時間はまだ三時を少し過ぎたところだ。景子が仕事から帰ってくるのはもう少しかかるだろうし、昭もいつ帰ってくるかわからない。やはりこのまま瑠花を放っておくわけにはいかない。


「仕方ない。瑠花、しばらく俺の家で待ってればいいよ。昭が帰ってきたら俺がガツンといってやるから」

「うん」


 瑠花は嬉しそうにうなずいた。俺は瑠花をつれてアパートの階段を昇り、自宅の鍵を開けて瑠花を入れてやった。念のため隣のドアノブを回してみたがやはり鍵がかかっている。


「おじゃまします」


 瑠花は丁寧にお辞儀をしてから玄関に上がる。景子がしっかりと教えているのだろう。靴もきちんとそろえていた。


「帽子やカバンはそこら辺に置いといていいぞ。ちょっと待ってろな」


 俺は居間に折り畳み式のちゃぶ台を広げ、座布団をしいてやった。テーブルはあるのだが、イスの高さが瑠花には少し高く感じたのだ。


 テレビをつけ、子供番組にチャンネルを合わせる。音がしていたほうが瑠花も気が紛れるだろう。


 台所でヤカンに水を入れ、コンロにかける。イスを足場にして流し台上の棚に入れてある紅茶のパックを取り出した。カップに半分ほど紅茶を入れ、砂糖と牛乳を入れて温めのミルクティを作る。


 テレビを見ながらちょこんと座っている瑠花の前にカップを置いた。


「わぁ、ありがとう」


 瑠花はカップを両手で持ち、紅茶を口に含む。


「とってもおいしいです」

「そっか、よかった。――おなかすいてないか?」

「だいじょうぶだよ。おきづかいなく」


 似合わない言葉遣いに小さく笑ってしまう。おそらく大人の言葉を真似たのだろうが。


「そういえば瑠花はもう字が読めるのか? いくつだっけ?」

「もうすぐ五つ。じはひらがなだけよめるよ」

「へぇ、すごいな。俺がひらがな全部読めるようになったのって小学校に入ってからだったな」


 そんな会話を続けているといつの間にか時間が過ぎていた。玄関の呼び鈴が鳴らされるのと同時にドアが立て続けにノックされる。立ち上がってドアを開けると、思った通り昭が泥だらけの顔で立っていた。


「おっす!」


 無言で昭の頭頂部にチョップを落とす。昭はぐえ、と短くうめいて頭を抱えた。


「なにすんだよ!?」

「こっちのセリフだ。瑠花ほったらかしでなにやってるんだお前は」

「いやー俺にもつきあいがあってさ。でもゴウならちゃんと瑠花のめんどう見てくれるって信じてたぜ」

「俺が帰ってくるの遅かったらどうするつもりだったんだ、まったく。もうこんなことするんじゃあないぞ」

「はいはいっと。そんじゃあおじゃましまーす」


 昭はそういって俺の横を通り抜ける。振り返った時には靴を脱ぎ散らかして居間に上がり込んでいた。


「お兄ちゃんおかえり」

「ただいまぁ。あれ、瑠花それなに飲んでんの?」

「ゴウ兄ちゃんが作ってくれたの。おいしいよ」

「いーないーな。ゴウ、俺にもこれ作ってくれよ」


 昭が瑠花の持つカップを指さして騒ぎ立てる。というか、なぜこいつは俺のうちに居座るつもりでいるのか。


「昭、鍵は見つかったのか?」

「あったりまえじゃん。なくすようなマヌケじゃあないんだな俺は」


 昭はそういって得意げにポケットから鍵を取り出した。


「だったらもう瑠花つれて帰れよ。俺だってヒマじゃあないんだぞ」

「いいじゃん別に。母さんまだ帰ってこないし、俺まだゴウの家に入れてもらったことないし。これもごきんじょづきあいってやつだよ」


 昭はそういうと座布団を自分の分も引っ張り出し、すっかりくつろぐ姿勢になった。どうやらいっても無駄なようだ。


 時計を見るとまだ四時半にもなっていない。日が落ちるまではまだある。せっかく師匠が教える気になってくれているわけだし、今日も出来ることなら訪ねる気でいた。


 俺は手早く昭の分もミルクティを作り、ちゃぶ台の上に置いてやった。


「俺はちょっと用事あるから出かけてくる。なるべく早く帰れよ」

「えー、ちいさな子供置いてどこいくんだよ。せきにんかんないぞ」

「お前がいうな」


 唇を尖らせる昭とできるだけ目を合わせないようにして足早に家を出る。途中でついてこられていないか何度も確認しながらいつもの場所へと向かった。


 橋の下へ降り師匠に呼びかける。だが返事はなく、タバコの煙も浮かんでいない。


「あれ――?」


 周りを見渡しても姿はない。師匠がいつも寝そべっている場所まで上がってみるとカバンだけが置かれていた。


「なんだよ。不用心だな」


 最近はここに来るといつも師匠がいたせいか、肩すかしを食らった気分だ。そういえば最初の頃はいない日も多かったことを思い出す。


 帰ろうかとも思ったが、荷物が置きっぱなしということはすぐに戻ってくるかもしれない。俺は河原に降りてこれまで教えてもらったことを一人で練習することにした。


 師匠が見せてくれた動きを思い浮かべ、出来る限り正確になぞらえようとすると自然と一つの動作を終えるまでに時間を要した。考えてみると昨日もこうすればよかったのだが、緊張もあってそれどころではなかった。これでは筋が悪いといわれても仕方ないかもしれない。


 それから攻撃の捌きかたや、構えていない姿勢から突きを放つなどの動きを自分なりに考えて試してみる。師匠がいないこともあってそのあたりは好き勝手にやった感じだ。


 気付けば全身汗まみれになっていた。周囲もすっかり暗くなっている。だが師匠が帰ってくる様子はまったくない。


「どこ行ったんだろう。荷物も置いたまんまだし」


 頬を伝う汗の滴を袖で拭いながらひとりごつ。これ以上待っていても仕方ないので帰ることにした。持って帰るようなゴミもないことを確認し、河川敷をあとにする。


「――!?」


 土手を登りきったとき、不意に視線を感じて周囲に顔を巡らせる。ただ見られただけの感覚ではない。以前に廃ビルの中を満たしていたものと似た、粘ついた不快な肌触りを伴っている。


 全身から先ほどまでとは異なる汗が滲み、脈拍が速まる。だが視線は異常な空気と共にすぐ消え去り、周囲は先ほどまでと同じ色を取り戻した。


 意識しすぎたのかもしれない――そう思うことにして帰路を急ぐ。その間もひどく背後が気にかかり、何度も振り向いた。


 アパートに帰り着くと自分の部屋に明かりがついているのに気付く。早く帰れといったのにまだいるのか――呆れながらドアを開けると、鼻先をカレーの匂いがくすぐった。


「あ、業ちゃんお帰りなさい」


 台所に立っていた景子が笑いかけてくる。一瞬母が立っているのかと錯覚してしまい、言葉を失った。


「勝手に上がり込んでごめんなさい。昭がどうしても――」

「お、帰ってきた。遅いぞー」


 居間に座っていた昭が手を振ってくる。それだけですべてを察した。やはりどうあっても追い出しておくべきだったと後悔する。


 とはいえ景子や瑠花の前で声を荒げるわけにもいかない。腹いせのつもりで、昭が瑠花を一人でアパート前に置いていったことを景子に伝える。景子は昭を振り返り、眉根にしわを寄せた。


「――昭、お母さんそんな話聞いてないけど?」


 静かだが重い口調が逆に怖い。必死の言い訳むなしく尻をはたかれだした昭をよそに俺は流し台に目を向けた。大きな鍋に煮込まれたカレーがグツグツと音を立てている。


「おかあさんのカレーおいしいんだよ」


 振り向くと瑠花が側に立っていた。


「そっか。瑠花はカレー好きか?」

「うん。ゴウ兄ちゃんは?」


 瑠花が火にかけられた鍋を見上げながら聞いてくる。かつて母がカレーを作っていた傍らで自分も同じようにしていたことを思い出す。


「――俺もだよ」



 賑やかに慌ただしく食事が済む。昭と瑠花がテレビのチャンネルを取り合う声を背にして、俺は景子のあと片づけを手伝っていた。


「業ちゃんありがとう。助かるわ」

「別に。俺の家だし――」


 景子と目を合わさないよう、うつむきながら答える。いまだにこの人とどんなふうに接すればいいのかわからない。


「昭から色々聞いてるわ。あの子きっとお兄ちゃんがほしかったのね。いつもあなたのこと嬉しそうに話すの。――生意気な子だけど、これからも仲良くしてやってね」


 色々という言葉を聞いて少し心配になったが、この間の昭の様子からして約束事を破る奴とは思えない。俺は声を出さずに小さくうなずいた。


 洗い物が大体終わり、景子が塗れた手をタオルで拭きながら振り返った。


「お手伝いごくろうさま。お茶入れるから業ちゃんもテレビ見てらっしゃい。おいしいクッキーあるから持ってきてあげるね」


 景子はそういって玄関から出て行った。いわれるまま居間にいき、ちゃぶ台の空いているスペースに腰を下ろす。瑠花は疲れたのか、座ったままコクリコクリと船をこいでいる。その様子がかわいらしく、俺はテレビではなく瑠花を見ながら頬杖を突いていた。


「あれ、なんだろ?」


 テレビを見ていた昭が首をかしげる。アニメが放送されているテレビ画面の上部に緊急速報のテロップが流れだし、不安をかき立てるコール音が鳴った。


 ――東坂市の雑居ビルの一室で変死体が発見。行方不明になっていた女性の可能性もあると見て、警察では殺人事件の観点で操作を進めると発表。


 流れるテロップを追っていた俺の背を冷たいものが走る。住んでいる地名がテレビ画面に映るというのはどこか現実感に欠けるが、どうやらついにこの街でも事件が起こったようだ。


 ――否、明るみに出たといったほうが正しいのか。


「なぁゴウ、いまのニュースなんだったんだ? 漢字ばっかりでわかんなかった」

「なんでもない。たいしたニュースじゃあないよ――」


 いいかけてふと、先ほど感じた悪寒を思い出す。もしあれが気のせいではなく、この事件の犯人のものであったなら――そんな思いがよぎる。


 突然景子のことが気にかかった。すぐ隣の部屋へクッキーを取りに行っただけにしては帰りが遅い。すでに五分以上は経っている。


 最悪な想像が脳裏をかすめる。俺は立ち上がると玄関に走り、靴も履かずにドアを押し開けた。


「キャッ――!? ビックリしたぁ」


 すぐ前にクッキー缶を抱えた景子が立っていた。いくらなんでも考え過ぎだったかもしれない。とにかく悪い予感が外れたことに胸をなで下ろす。


「ごめんね、どこに置いたかわからなくて探すの手間取っちゃった」


 景子がそういって笑いかけてくる。俺はバツが悪くなり、曖昧にうなずいて部屋へと戻った。


「どしたんだよ? いきなり走りだすからビックリしたぞ」


 昭が目を丸くしていった。瑠花も驚いたのか、目をパチクリとさせている。


「あぁ悪い。その――外で物音聞こえたような気がして、それで景子おばさんが転んだりしたんじゃあないかって思ったけど、テレビの音と間違えたみたいだ」


 とっさの言い訳にしてはうまくいえたほうだと思う。昭は拍子抜けしたような顔で再びテレビに顔を向けた。


「ふふ、心配してくれてありがとう。昭もいってたけど、業ちゃん優しいんだね」


 そういって景子は俺の頭をなでた。見当違いな景子の言葉が胸に刺さる。


 やはり嘘などつくものではないのだ。



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