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第十二話 『弱者の矜持』




 母さんの墓の前で膝をつき、両手を合わせて目を閉じる。この間は少し慌ただしくなってしまったが、今日は落ち着いてお参りを済ますことが出来そうだ。ただ一つの問題を除いては。


「おばさん、寂しかったらいつでも夢に出てきたりしてくれていいよ。火の玉ついてたって俺こわがったりしないからな!」


 一歩後ろで手を合わせていた昭が大きな声をあげた。今日は一人で来るつもりだったのに、下校途中で昭に見つかってそのままついてこられてしまったのだ。


「母さんをお化けみたいにいうな。まったく――」


 俺は立ち上がってからハンカチを水で湿らせ、墓石を軽く拭いた。それから水の入った桶を持って昭を振り返る。


「もう帰るぞ。お墓でうるさくしちゃいけないんだ」

「うん。ゴウ、今日はクレープ食べたい」

「今日はってなんだよ!? 買わないぞ!!」


 思わず叫んでしまい、慌てて口をふさぐ。今日はこのあと師匠のところに行くつもりなので、これ以上こいつの相手をしてやるわけにはいかない。昭が口を尖らせながらブーブーいってくるのに構わず、桶をもとあった場所に戻して墓地をあとにした。


「なぁゴウ。今日うちでごはん一緒に食べないか?」


 帰り道で唐突に昭がいった。


「なんだよいきなり?」

「お母さんが心配してたぞ。お前ずっと一人でとなりに住んでるだろ? ごはんとかちゃんと食べてるのかって気にしてる」


 昭の母親――景子のことを思い、胸の奥が痛む。景子は隣の部屋に住み始めて以来、ことあるごとに俺に声をかけてくれた。一応の保護者という形になっているため、家賃や学費に関しては俺の父――欠片ほどもそんな実感はないが――から彼女を通じて支払われているらしい。


 もちろん感謝しなければならない立場なのは理解しているが、心の奥底でどうしても彼女を受け入れられずにいた。それはおそらく単純な好き嫌いではなく、引っ越しの日に昭たちに対して見せた母親としての顔を見てしまったせいだろう。彼女を受け入れるということは、母の代わりを見つけるに等しいおこないであるように感じてしまう。それは許されないことのように思えた。


「――今日はやめとく。簡単な料理なら作れるから心配いらないって景子さんにはいっといてくれ」


 出来ることなら景子とは一線を引いておきたい。それが本音だった。


「――ゴウってさ、俺のお母さんのことキライか?」

「嫌いとか、別にそういうんじゃあない。お前にはわかんないよ」


 俺がそういうと、昭は腕を組んで首をかしげた。


「でもお母さん美人だろ? そりゃおばさんほどじゃないかもしんないけど、そのかわりおっぱいボイーンだぞ」


 昭は平然ととんでもないことを口走った。なぜか俺の方が猛烈な恥ずかしさを覚え、出来る限り力を込めず昭の頬を両側に引っ張る。


「お前――バカ! このバカ!!」

「ひででで! なにすんだコノヤロウ!」


 昭も負けじと俺の頬を引っ張り返してくる。しばらくそんな見苦しい争いを続けていると、背後から突然がなり立てる声がした。


「おいガキ共、道の真ん中で遊んでんじゃねえぞ!」


 俺と昭が振り返ると、歩道いっぱいに広がるようにして中学生が二人並んでいた。どちらもだらしなく制服を着崩している。向かって左手側に立っていたのは二度と会いたくないと思っていた奴だった。


「あん? お前こないだのクソチビじゃねえか」


 斉藤兄がそばかすだらけの顔を近づけてきた。関わり合いになるのはごめんだったので俺は顔を伏せて歩道の端に寄る。だが昭は動かず、斉藤兄の顔を指さして声を上げた。


「あ! お前この間ゴウをいじめてた奴だな!」


 このバカ――そう思ったときには遅かった。斉藤兄は昭をにらみつけ、訝しげに眉をひそめる。


「なんだこのガキ? ――いやちょっと待て、お前あの時に警察呼んだ奴だろ。その声覚えてんぞ」


 斉藤兄は脅しつけるように声のトーンを低くした。昭は一瞬怯えた顔を見せたが、すぐに消し去り俺をかばうように前に進み出る。そういえば以前昭に助けられたとき、こいつは俺のことを守るといっていた。まさか本気だったのか?


「そ、それがどうした! 大人のくせに弱いものいじめするなんて最低だぞ!」

「なに生意気いってんだこのガキ。ぶっ殺されてぇのか」


 斉藤兄が顔を真っ赤にして怒鳴る。すると隣にいた髪を茶色く染めた男が前に進み出た。


「おい斉藤、ガキに口でいってもしゃーねえって」


 俺は茶髪男の不穏な空気に気づき、反射的に昭を抱き寄せるようにして下がらせた。直後に左肩に衝撃が走る。


「うわっ!」


 左肩に受けた衝撃にくわえて昭が後方に倒れ込んだため、俺も地面に尻餅をつく形になる。俺は右腕を昭の背中に回し、地面へ激突するのを防いだ。


 茶髪は前蹴りを放った右足をゆっくり下ろす。足の高さから見て、間違いなく昭の顔面に向けて放ったものだ。


「なにするんだ! こいつはまだ一年生なんだぞ」


 激昂して叫ぶと、茶髪は鼻を鳴らして笑った。


「だから言葉でいっても通じねえってんだよ。馬鹿なんだからな」


 その言葉を聞き、胸の奥で怒りが膨れ上がる。それと同時に師匠にいわれた『暴力を振るうな』という言葉が思い出された。ここで手を出せばその約束は守れない。


 ふと、腕の中で昭が震えていることに気付いた。数ヶ月前の自分と同じか、それ以上に小さな力しか持たない子供の恐怖が直に伝わってくる。俺の中にあったかすかな迷いが消え去った。


 茶髪が続けて前蹴りを放つ。俺は左手を伸ばしてその足首を掴み止めた。


「な――!?」

「あんたのいう通りかもな。馬鹿に言葉は通じない」


 俺は茶髪の足首を掴んだまま昭を立たせ、背後に下がらせた。


「てめ――離せやコラ!!」


 いわれた通りに離してやると、茶髪は前に数歩よろめいた。俺は一歩踏み込むと同時に茶髪の胸を手のひらで突き飛ばす。茶髪の足は地面を離れ、斉藤兄の隣を転がっていった。


「おい――なにやってんだよ!? ガキの遊びに付き合ってんじゃねえぞ」


 斉藤兄は振り向いて叫ぶが、数メートル先で転がっている茶髪が嗚咽混じりのうめきをあげているのを見て異常を察したようだ。


 俺は右手に視線を向ける。すぐそこは広場のある公園になっていて、都合のいいことに遊んでいる子供の姿は見えない。俺は立ち尽くしている昭の傍らを抜け、公園の入り口に向かって歩き出した。


「お――おいコラ、逃げんじゃねえ!」


 斉藤兄がわめくのを無視して公園に入ってすぐの開けた場所まで進む。背負っていたランドセルを少し離れた場所に投げて振り返る。ちょうど俺を追って斉藤兄が公園の入り口に姿を見せたところだった。


 俺は軽く両拳を握り、ファティングポーズの真似事をしてみせる。


「来いよ。あんたの大好きなボクシングだ」


 俺の言葉を聞き、斉藤兄が猿のような顔を赤くした。


「てめぇ調子コいてんじゃねえ。本気で殺すぞ!」

「出来るもんならやってみろ――デクノボウ」


 斉藤兄は言葉にならない怒声と共に突っ込んできた。大上段から怒りに任せて振り下ろしてきたパンチを右半身だけ引いてかわす。斉藤兄は逆上して次々にパンチを繰り出してくるが、いずれも力任せに拳を振り回すだけのものだった。


 俺はあえて反撃はせず、しばらくの間それらすべてをかわしつづけた。


「んの野郎――!」


 逆上した斉藤兄は右の前蹴りを放とうとして足を上げた。俺は一歩前に出て、蹴り足が伸びきる前に膝を右手で押し下げる。結果として斉藤兄はただ地面を強く踏みしめただけに終わった。


「な――!?」


 斉藤兄がやや前屈みの姿勢で驚愕の声を上げる。俺は人差し指を丸め、斉藤兄の鼻を指先ではじいた。


「ふぎゃあ!!」


 鼻先を押さえ、斉藤兄は体をのけぞらせる。そのまま足を絡ませ、地面に尻餅をついた。


「キックは反則だろ。それくらい俺でも知ってる」


 いいながら斉藤兄の正面に立つ。斉藤兄は鼻を押さえていた手を地面に突き、俺を見上げた。小鼻には赤い跡がくっきりと残り、鼻孔からはダラダラと鼻血が垂れている。


「ひぃ――!」


 斉藤兄は瞳にはっきりと恐怖の色を浮かべ、座り込んだ姿勢のまま後ろに下がる。俺はその速度に合わせてゆっくり歩いた。斉藤兄を公園入り口のブロック塀まで追いつめたところで足を止める。


「もう二度と俺の前にその汚いツラ見せるな。今度は――」


 拳を堅く握り、斉藤兄の頭上スレスレに打ち込んだ。拳がめり込んだブロック塀に亀裂が走り、小さな破片が斉藤兄の頭や肩にパラパラと落ちる。


「――本気で殺すぞ」


 さっき斉藤兄がいった台詞をそのまま口にし、睨め下ろす。


「あわ、わ――ひいいぃぃぃ!!!」


 斉藤兄は情けない悲鳴を上げながら這うようにしてブロック塀から離れ、公園の入り口を出たところでようやく立ち上がって逃げ去った。先ほど突き飛ばした茶髪も腹の辺りを抑えながらそのあとを追っていく。


 ため息をつき、鈍い痛みの残る右拳に目を落とす。薬指と小指の皮膚がひどく擦りむけていた。正しく突けていたとしたら中指が擦りむけたはずで、やはり師匠がいったように拳を打ち込むというのは難しい。


 そんなことを考えながらランドセルを拾い上げる。振り返ると、昭が少し離れてポカンと口を開けていた。


「ゴウ、お前――」


 俺は昭から目をそらした。やりすぎただろうか――不安が胸によぎる。


「すっげぇ! なんだよお前めっっちゃくちゃ強いじゃん!! すげぇカッコよかったぞ今の!!」


 昭が目を輝かせながら詰め寄ってくる。予想外の反応に面食らい、思わずあとずさった。


「お前――今の見てなにも思わなかったのか?」

「思った思った! スッゲーって思った!」


 そういう意味で聞いたわけではない。だがショックを受けているわけではなさそうなので安心した。


「なぁ、今あの石わったのか? あんなのどうやったんだ?」


 昭がヒビの入ったブロック塀を指さしていった。今にして思えばとんでもないことをしてしまったかもしれない。いくらなんでも人間離れしているし、それでなくても公園の物を壊したら怒られるだけでは済まないだろう。


「ち、違うよ。あの部分は前から脆くなって崩れかけてたんだ。あいつを驚かしてやろうと思って軽く叩いたら、もともと割れかけてたブロックが崩れただけさ」

「そうなのか? ふーん――」


 昭は疑わしげにブロック塀を見つめている。なんとか話題をそらそうと思い、俺は先ほどの昭と斉藤兄のやりとりを思い出した。


「そうだ。俺があいつらに絡まれた時、お前俺を守ろうとしただろ」

「うん。前に約束したし、ゴウがこんな強いなんてしらなかったしな」


 昭は当たり前のようにいった。


「どうしてあんな危ないことするんだよ。ヘタしたらお前もっと痛い目にあってたかもしれないんだぞ。ケンカしたら勝てるはずないってくらいわかるだろ」


 呆れたように俺がいうと、昭は頬を膨らませて口を尖らせた。


「ちぇ、わかってるよ。どうせ俺はゴウみたいに強くないし、あいつらデカいから勝てっこないのもわかってたさ。だけど――」


 昭は両腕を頭の後ろに回し、足下の石ころを蹴飛ばしていった。


「あとでやっぱりこうしとけばよかった、って後悔するよりいいじゃんか」


 昭の言葉に俺は胸を抉られる思いがした。もしも以前の自分が昭と同じ境遇に立ったときはどうしただろうか。


 考えるまでもなくわかる。きっと恐怖に押しつぶされ、なにも出来ずにいただろう。恐怖から目を背け、逃げだし、そして後悔しながらも諦めたはずだ。いつか強くなったらきっと――そんなことを思いながら。


 いたたまれなくなり、俺は昭の視線から逃げるように横を向いた。昭はすぐに俺の前に回り込み、再び目を輝かせて見上げてくる。


「なぁ、それよりどうやったらそんな強くなれるんだ? 弟子でも子分でもなんでもなってやるからさ、俺にも教えてくれよ」

「なってやる――ってえらく上からだな。俺だってまだまだ勉強中なんだ。お前に教えてやれることなんてなにもないよ。――それと、さっきのことは誰にもいうなよ。特に景子おばさんには」

「なんでだ? 心配されるからか?」

「そうだよ、変に気を遣わせたくないんだ。わかるだろ?」

「ふーん」


 昭はわかったようなわかっていないような、気のない返事をした。少し不安だがこれ以上いっても無駄だろう。


 昭を連れてアパートまで戻ると、向こうから景子が歩いてくるのが見えた。手を繋いでいる瑠花が幼稚園服を着ているところを見ると迎えに出た帰りだろうか。なんという間の悪さだ。


「あら、業ちゃん。昭と一緒に帰ってきてくれたの? お帰りなさい」


 景子が柔らかな笑顔を向けてくる。俺は気まずくなって軽く頭を下げた。


「お母さんただいまー。あのさー、さっきゴウと一緒に帰ってるときになー」

「わああぁ!?」


 いきなり景子にさっきの話を振ろうとした昭の口を押さえ、そばにあった電柱の陰まで引きずっていく。


(お前さっき俺の話聞いてたか!? なにをいきなりバラそうとしてるんだよ!)


 出来る限り声を抑えて昭の肩を揺さぶる。昭はニヤニヤ笑いながら頭をガクガクと揺らした。


(えー、いわないなんて約束してないしなぁ。どうしよっかなー)

(どうしろっていうんだよ! 弟子にしろとかは本当に無理だぞ)

(じゃあ今日はうちで一緒にごはん食べるか? それなら秘密にしといてやるけど)


 まだ諦めていなかったのか。俺が返事に困っていると背後から景子が訝しげな声で呼ぶのが聞こえた。


「二人ともどうかしたのー?」


 そっと振り返ると、景子だけでなく瑠花まで首をかしげている。隠し事をしていることさえ出来ることなら悟られたくはない。俺は渋々昭に向かってうなずいた。


(わかった。わかったから絶対今日のことは内緒だぞ! 約束だからな)

(オッケーオッケー。ゆーびきーりげーんまん、と) 


 昭は俺の手を取り勝手に指切りをすませると、俺の横を通り過ぎて景子たちの元へと駆けていった。


「お母さんあのさ、ゴウが今日うちで一緒にごはん食べたいって」

「あら本当に? もちろん大歓迎よ」


 景子が俺の前まで来て腰を屈める。俺は顔が熱くなるのを感じてうつむいた。


「それで恥ずかしがってたの? 遠慮なんかしないで、毎日だってこうしてくれたらいいんだからね」


 そうではない。声に出したかったが、昭の手前なにもいうことができない。うつむいたまま視線だけを通りの向こうへ逃がすと、日が沈みかけて暮れゆく空の端が見えた。


 どうやら師匠のところへ行けそうにはない。もし今日のことを師匠が知ればどうなるだろう。弟子ではいられなくなるのだろうか。


 俺は胸の奥に不安を抱えながら、昭と一緒にアパートの階段を昇った。



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