00-01:Dive into
唐突に静寂に、世界に降り立ったのは1つの剣。
それは絶対者の筋書きに存在しない、歴史の裏側で紡がれる小さな物語。
苔むした洞窟の臭いが鼻孔をくすぐる。
ひやりとした空気を肌に感じる。
遅れて実感する体の重さ。
なるほど。趣味が趣味だけに状況の把握はすぐに済んだ。
「……これはまたリアルなことで。いや、現実になったんだから当然か」
明かりなど存在しない洞窟の中だが、【暗視】コードのおかげで周囲は見渡せるのがまだ救いだろうか。
レベリング(レベル上げのこと)に籠っていた『霊下窟』で気付けばこの状況。
遊んでいたゲームの世界に精神が入り込むという、フィクションで散見するような事態に遭遇してしまったようだ。
プレイしていた{アコードオンライン}というゲームは近未来SF作品に登場する仮想現実ゲームのような超テクノロジーではなく、普通のパソコンで遊ぶ大規模多人数オンラインゲームだったので何もかもが一変した。
視界の変化がまず顕著だ。きめ細かなポリゴンよりさらに多い情報量。それは綺麗なだけでなく汚れた質感もしっかり伝えてくる。
どうやらこんな非現実的な事態であっても自分は結構冷静であるらしい。
まずは周囲を警戒し安全性の確認、そして次は己の状態を調べる。
システムウインドウなどが開けないか試してみるが、やはり特定動作や思念操作などでそのあたりが対処できそうなVRゲームと違ってうんともすんとも言わない。
ログアウトはもちろんステータスの確認なども行えないようだ。
「華々しく悠々自適な異世界人生、と楽観はできなさそうだなあ……」
異世界トリップ系の亜種ともいえるMMO世界入り小説は大抵がさほど苦しくはならないストーリー展開である。しかしそれはチートな能力を持っていればこその話。
{アコードオンライン}はサービス開始からそれなりに時間の経ったプレイ人口そこそこのオンラインゲームであり、俺はわりと新参なプレイヤーである。
評判が良いと友人から聞いてやってみたのだが、確かにUIや課金周りのバランスが良くハマってしまった。
このゲームの特徴は【コード】と呼ばれる術技が豊富な点だ。
戦闘職に上位職といったものが無い代わり、レベル30になればサブクラスを取得できて2つの職のコードを組み合わせられるのが面白い。戦士職と盗賊職を組み合わせれば二刀流が可能になったり、他にも魔法剣士や撲殺僧侶などの色んな楽しみ方ができるというシステムが中々に良かった。
だが廃人になるほどのめりこんではいない。時間が合わないこともある友人との連携よりも、ソロでの楽しさを求めて器用貧乏な育て方をしていた。
俺のアバターのレベルは170。カンストレベルはアップデートごとに段階的に引き上げられており、現在の限界は300だったはず。チートな強さどころかソロでの単独行動を重視して取得コードを選んだせいで適正レベルのダンジョンもキツいくらい。
……色々と危惧すべきことはあるが、まず起こすべき行動は情報収集。
とりあえずこのダンジョンから出て近くの街まで行ってみることだ。
「お、所持品はこの中に全部入っているのか。便利で何より」
ウエストポーチに手を入れてみればゲームで持っていた所持品が全て入っていることが知覚できる。見た目とは明らかに容積の違うこの技術が、この世界に一般的なものかどうか判らない。知られないよう慎重になるべきだろう。
おや、金銭もちゃんと入っているようだ。しかし銅貨何枚、金貨何枚としか出せないから価値がいまいちわからん。
街に出たら通貨価値を調べるのも忘れないようにせねば。
装備していた短剣は腰に佩いている。抜いて軽く振ってみればしっかり扱えた。
育てたアバターの能力は経験も含めて反映されているらしい。ここで躓くと面倒だったのでひとまず安堵する。
少しコードも試してみてから洞窟を抜けるべく行動を開始した。
盗賊をメインクラスに設定していてよかった。
やはり道中はモンスターに遭遇したが、アクティブ(自分で意識して使用する)コードである【ハイド】で何とかやり過ごせたのだ。
このコードだけだと見えなくなるだけで足音などは消せず、見つかったら効果がなくなるので心臓バクバクだ。
しかし低い消費MPを鑑みれば優秀なコードである。そこそこなレベルはあるので【ハイド】だけならMP自然回復量のほうが上回っているのも使い易くて良い。
遭遇しかけたら息を潜めてやり過ごすことで、結果として何の消耗もなく出口まで上がって来れた。
「……まあ、精神的にはかなり疲れたけど」
現実になったモンスターの迫力は大したもので、多少余裕を持って倒せるはずのレベル130~140程度の相手でも勝てる気がしない。
それがこちらに気付いてはいないとはいえ何度も真横を通って行くのは結構心臓に悪かった。
ゲームと同じでモンスターのいないB1Fを抜けて外へ出る。
「んぁ、眩しっ」
闇に慣れた目へ差し込んだ光。慣らすと見えてくるのは広大な草原と山岳地帯。
草の香りや鳥の鳴き声に癒される。近くにはモンスターも人間もいないようだ。
無造作に歩き出す。パッシブ(常に発揮している)コードの【警戒態勢】と【歩哨】は洞窟内でもちゃんと機能していたので奇襲を受けることはないだろう。
広いフィールドをアクティブコードの【ホークアイ】で見渡せばちらほらとモンスターの姿が見える。
様子を見て気付かれないように回り道をしながら記憶を頼りに近くの街を目指す。
わりと1本道に近かったゲームとは違って多少迷いそうになるが、山があるおかげでそれを避ければ行くべき方角は判った。
しかし洞窟の出入り口が木で打ちつけてあったのは何故だろう? 何やら魔法陣のような模様も刻まれていた。
プレイしていた時にはそんな物はなく、普通に出入りできていたんだけどな。
まあ恐らくモンスターが出てこないようにする処置の類だろう。壊した訳でもなく隙間から出られたので深く考えないようにする。
途中に小川があったので少し休憩。
せせらぎに癒される。日本ではあまり見られない広い草原に比べれば割合慣れた風景だ。
「おおう……やっぱりこうなってるか」
ぬばたまの黒髪。血を垂らしたような赤い瞳。
折れそうな細い腰と引き締まった四肢。
軽装の黒衣に身を包んだ小柄なその姿。
水面を覗き込んで映るのは、かなりの美少女だった。
まあキャラメイクに数時間かけたのだから当然である。
顔はパーツの選択どころか位置や大きさの調整が細部にまで項目があった。これに折れてランダム生成機能を使った人は多いという。
美形を作れたのは俺のような昔からエディット機能があるゲームが好きで望むキャラを作るのに慣れていたプレイヤーだけだ。
そしてここまで細かく作れるのならムサい男ではなく可愛い女の子がいいと思い女性キャラにした。ほぼソロ専で、女の子らしいロール(演技)などはしていなかったのでネカマではないと思う。
低めの身長や設定年齢より若く見えるようにした外見。
好みで設定したが、これから苦労することもあるかなあ、とぼんやり考える。
「とにかく、PKにだけは注意だな……」
この世界に来ているのが俺1人ならいい。しかしそうでなくプレイ中の者が全てこちらにいるとかだとしたら非常に危険だ。
他人のことを悪し様に言うのは品が無いのは判っているのだが、やはりどこにでも考えの浅い者はいる。手に入れた力を乱用したり、世界征服なんて面倒なことのために暗躍したりするような奴は非常に厄介。
ゲームでの仕様ではPvP(プレイヤー同士での戦闘)は大半のエリアで承認制、一部のフィールドやダンジョンだと自由になっていた。
PK(プレイヤーキラー。他のプレイヤーを攻撃することを趣味とする)に出会ってしまうのは現状だと致命的だと言えるだろう。
現実になってしまったこの状況で承認制が機能しているとは思い難い。
こんなことならAGL極振りじゃなくVITも上げておくべきだったか、と溜息をこぼして辺りを見回したところ、どうやらこの川は森から流れて来ているらしいことがわかった。
地形に見覚えがある。確か森の外周を迂回すれば街道に出られるはずだ。
そう思って歩き出したところに物音が聞こえた。
早速何かトラブルに巻き込まれるのか。念のため【ハイド】を使って状況を伺う。
どうやら人がモンスターに襲われているようだ。義を見てせざるは何とやら、すぐに出て行こうとした。
しかし、
「ひ、ひいいいぃ。貴様らさっさとそのモンスターを倒さんかあぁ!?」
貴族っぽい豚。いや豚っぽい貴族みたいな人物が喚いていた。
壊れた馬車の陰から叫んでいるその醜悪な絵面に回れ右をしてしまいそうになったが、豚を守る騎士っぽい人達が苦戦していたようなのでもう少し様子を見る。
対峙するモンスターは1体。今は巨体を揺らし威嚇しているようだ。
果敢に立ち向かう者の中でも特に目を引くのが金髪の青年だ。
切れ長の碧眼。高い背丈に甘いマスク。凛々しい表情には煌めいて見える汗。
フルプレートで見えないが、どうせ服の下には調和のとれた筋肉がしっかりと付いているのだろう。
なんかあそこまでイケメンだと意味もなくちょっと腹が立つのは何故かなあ。
「くっ、お前たちはジアセチル卿を護衛しながら街まで行け!」
「し、しかし隊長!?」
お約束っぽいやりとりだな。一応これだけでそれなりに情報が集まった。
そして彼らが苦戦している相手は『ホーンボア』という、このフィールド特有のユニークモンスター。通常モンスターとは違い1体しか現れないユニークモンスターと出会ってしまったことは不運なのだろう。
しかし{アコードオンライン}における本命モンスターは全てダンジョンにおり、フィールドでは何処に行ってもレベル100以下のモンスターしか出ない。
『ホーンボア』はその上限であるレベル100だが、70も差がある俺なら楽に倒せる。
やはり先ほど『霊下窟』の出入り口にあったのはモンスターを外に出さないようにする処置だったのだろう。おそらくレベル100以上のモンスターが出るダンジョンにはあれが貼られており、フィールドや街への侵入を防いでいるのだと推測する。
「ぐああああ!?」
「た、隊長!」
「いいから早く行け! ここは俺が食い止める!」
む、考えている間に隊長さんが良いのを貰ったようだ。大きい外傷は無いが吹っ飛ばされた模様。屈強な男たちが手も足も出ていない点を見るに、現実になったこの世界の平均的なレベルはあまり高くないと判断できる。
目の前で死なれるのは流石に寝覚めが悪い。
ここはとりあえず恩を売っておくことにしよう。狙いは豚より隊長さん。
「よっと」
「――――なっ!?」
移動コードの【アクセル・ステップ】で肉薄し、猪の巨体を適当に蹴りつける。
スピードを威力に上乗せする効果を持つパッシブコード【速力攻撃】で強化された、特にコードを使うでもない通常攻撃。
それは隊長さんを追撃していようとしていた巨大猪を数メートル吹っ飛ばした。
急な横槍に怒る『ホーンボア』。まず負けない相手なのは判ってるけどやっぱちょっと怖いわこれ。
背後に庇った隊長さんが茫然と声を漏らす。
「き、君は一体……?」
騎士っぽい人達や豚っぽい貴族まで声を失い目を見開いてこちらを見ている。
いきなり現れた美少女に驚いているのだろう。なんとなく快感だ。
短剣を抜き放ち半身に巨大な猪を見据える。
大丈夫。こいつより俺のほうが強い。
「通りすがりの冒険者ってところ。シォラだ、よろしく」
さあて、異世界ライフを充実させるために頑張るとしようかね。