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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

しのび愛 第一幕:遠い手と影

作者: もりのみず



疲れた。ああ疲れたんだ、うん。やっと終わった。



重い足は長く暗い廊下からロッカールームへと進み、無機質な扉が音を立てて静寂を切り捨てる。

着慣れた白衣は備え付けのハンガーに身を任せて重力に従い揺れが次第に静まった。

結んだ髪を解き、胸が隠れる程長い黒髪は空中に踊らされた。

私服に身を包みきっちりと着こなす。仕事モードから完全にオフモードへ。



それと同時に深い溜息を吐く。私こと『蛍』はとても疲れていた。



何に疲れているのだろうか、考える程無限に溢れ出る最近の生活の記憶を辿れば答えなど埋もれてしまう。


(とりあえず眠りたい。こんなに働くことって辛いものだったかな…でも皆同じだよね、辛くなんてないんだこれが普通。普通なんだってば)



自己暗示。追い詰めるその姿は酷く脆く危な気に見えるがそれを見るものなどいないのだ。人がいる場所でこんな事をしたのなら面倒くさい対応に追われる事を蛍は知っている。




だからしないのだ。

だから今やるのだ。




こうでもしないと両足を地に着けたまま立てる気がしないのだ。



ふと目線を下に移すと自分のロッカーの中に白い封筒が妙に存在感を出しながら蛍を見ていた。荷物に埋もれかけているそれを掘り起こすと見慣れた自筆の文字が「退職届」と消えそうな字で書かれていた。



いつ書いたかも覚えていないほど記憶から抹消された存在。


これを出せれば楽になれるのに

これを出す勇気があれば新しい自分を発見できるかもしれないのに

これを出せば…



繰り返される例え話は蛍の成人女性にしては小柄な体を更に縮こませる様だ。


眉を寄せて唇をぎりっと噛む。なんでこうも疲れるんだ。

沸き起こる苛立ちの波を封筒にぶつけ切り捨てられたらいいのに。

いっそのこと全てを捨てて逃げ出してしまいたいーーーそんな衝動が体を駆け抜けた。



(そんな勇気私には無いってわかってるのにね)



ふと全身の力を抜き、白い封筒をもう一度荷物の一番下に押しつぶすように入れ直す。

ロッカーの無機質な音は蛍の耳のすぐ近くで鳴り喚く。すぐ止む音は呆気なくどこか凛としたまま一直線に伸び消える。その姿が羨ましく感じた。









愛車に乗り込み出発する。その動作さえ億劫だ。だが走り出した車を止める訳になる訳もない。

家までは片道一時間もかかる。同期の中でも長い道のりを休みでない限り毎日来ていた。

なんの愛着もなくただ在るだけの道路。

ハイビームをつけたところでパッシングをしてくる車もいない時間帯、エンジンを響かせながら進む足取りは重い。

街灯は背を曲げることなく直立したまま周囲を照らし続ける。強制労働ご苦労さまです、なんていった所でむなしくなった。

信号を何度も引っ掛かり思いっきりクラクションを鳴らしたくて仕様が無い。そんな時ふと同僚と話した他愛もない会話を思い出した。




「深夜二時過ぎになったら稀に出現する橋を歩いて渡ることができたなら、」



「違う世界に行ける」





根も葉もない噂話。でもどこか興味がある。

蛍は誰もいない車道を先程より速いスピードを出し駆け抜けた。

まるで引き寄せられるように。










蛍の通勤経路に出没するらしいと噂は流れていた。だがどんな形なのか色など詳しい情報は流れて来ない。信憑性など皆無。普段の蛍なら翌日忘れているぐらいの内容なのだがなぜか興味が尽きなかった。


チラリ

時計を見ると目標の出現する時間をとうに回っていた。


蛍が猛スピードで車を運転しながら飲み物を飲む為目線を逸らし元に戻した瞬間



「、あった」



赤い赤い大橋。名は書いておらずただ異様な光景に呆然とする。足の方も力が抜け比例するようにスピードもゆっくりになり、やがて止まった。

一瞬も眼が離せないと錯覚してしまう程美しく人工的に作られた物であろう大橋は幻想的に見える。

車を降り牛歩の速度で大橋に足を近づけて渡り始めた。


ビルの十階は越えている高さは歩くだけでもほんの少しの恐怖感を与える。たまに吹き抜ける風は恐怖感を煽る。乱れる髪を片手で抑えつつ歩みを少しづつ速める。




もしもあの噂が本当なら

本当なら、私は




周囲は暗く赤い色が嫌に目立つ。満月が天高く輝き少しづつ黒い雲に姿を隠していた。

歩く距離は思ったよりも長く蛍は息が上がり始めていた。

だが歩き続ける。


もう後ろの車なんてどうでもいい、振り返りたくない、行きたい、行きたい。

楽になりたいっ


そう思いながら必死に足を動かしていると影が見えた。

端に背を預けて顔を下に向けていた。

自分以外にいた事に驚きつつもすぐに意識を変えて人影を追い越す。



コツリ

後ろから近づく音は蛍の歩行速度を徐々に勝ってくるが気にせずに前を見ながら歩く。まだ終わりは見えない。



大分歩いた。息は荒く体力は底をついてしまった。

座り込む蛍。その後ろで響いていた靴音は蛍の真横で止まった。不思議に思い顔を上げるが逆光で顔は見えない。シルエットは男性のものだとおもう。



「あの、なにか?」


「…」


返事は無い。だが動く気配も無い。


「え、ちょっと!」


いきなり蛍の右腕をつかみ立ち上がらせた。握る力は強く、でも痛みはひとつもない。

バクバクと高まる心臓のせいで蛍の呼吸は早くなるが人影の顔を見続ける。


(この人?どうしたんだろう…)


「…っ…、…」


人影が言葉を発しようとするが言葉になっていない様だ。それは蛍に何かを伝えようとしている様にも見える。


「ーーごめんなさい私、もういかなくちゃいけないんです」


いつ消えるかも分からないこの橋を渡り切りたい。そのためにはこの腕を離してもらは無ければならない。蛍はこのチャンスを逃したくはなかった。



ぶんぶんと首を振る仕草を見せる人影は必死に蛍の腕を掴む。力も少しずつ加わってくる。

眉を寄せ痛みをこらえつつ掴む腕を取ろうと自身の左腕を掴む腕にかける。

離れまいと力を込められる。

そのくり返し。



悪循環は蛍の腕を苦しめるだけ。



ついに耐え切れなくなり蛍は暴れ始める。


「はなして!離してっ行かせてよ!退いてえ!」


押さえつけ様とする腕を振り払い近づかない様に勢い良く人影を突き飛ばした瞬間ーーー





「ぇ?」





急に足場が無くなり身を橋から落としているのは蛍だった。



落ちる、落ちる?

橋わたってないのに、わたってないのに?

なんで、なんで?



赤い赤い大橋から上半身をぎりぎりまで出して必死に長い腕を伸ばす人影はどこか焦っている。


なんで邪魔するのに助けようとするの。矛盾にみちた行動に蛍は苛立ち、



手を伸ばせば掴みとってくれるであろうその手を勢いよく引っぱたき拒絶した。



今の蛍は人影を恐ろしい形相で睨みつけいるだろう。なぜ邪魔をするの、と。

遠く離れていく影はまだ手を伸ばし続けている。



蛍が応えることは  ない。




落ちる時間は長く耳が風圧で痛くなってきた。死ぬなら痛くないのがいい、ワガママを言っても聞く人などいないのだ。馬鹿らしくてたまらない。



段々風の音が変わってきた。まるで花火の気分だと蛍は笑う。声にはださずにやすらかに微笑むのだ。


もう人影は見えない。きっともう手を伸ばしてもいないだろう、なんなんだろうかあの影は。

でももういい。きっと死神か別の何かなんだ。



違う世界という名のあの世にでもいけるのかな。そう思うと心が楽になった気がした。



「蛍っ」



川に落ちる瞬間に誰かから名を呼ばれた。誰かは分からない、それに体が痛い。即死になれないなんて私は悪運が強いんだね最期まで。


川の底へと落ちていくにつれ酸素が減る。もう酸素も必要ないんだろうけどね。


鼻から口から出る空気は泡となり川の上へ顔をだそうと競争をしている。その姿は綺麗で透き通っていた。




(ああ私しぬんだ )


遠くなる意識、その瞬間頭に映像が流れ始める。





川、流れが急で速い。そこは数多の船と死体と大橋の様な赤い赤い川が出来上がっていた。声が聞こえる。雄叫びのような声の中にひっそりと上品で決意をした様な声がする。



「阿弥陀の浄土へ参りましょう、波の下にも都がございます」


「…赤い都はいやです」


「綺麗な都でしょう。川に身を任せた都なのですから、きっと透き通っていることでしょう」



幼い声は小さくて赤い都は嫌だという。血のことかな…それにしてもなんなんだろうこの映像。

まるで戦国時代っぽい、大河ドラマのワンシーンのようだ。


そのまま剣をしっかり握り、勾玉ぽいのを首にかけて幼い少年を抱いた老婆が川へ身を投げた。





映像が終わる頃には川の底に身を任せていた。もう光もない、暗い暗い川の底の世界は初めてみる。



(真っ暗だなぁああ。眼が機能してないのかも)



疲れたまぶたをゆっくり下げ微かに残っていた意識を土より深い場所へ飛ばして蛍は呼吸を止めた。




『たすけて』




閉じる瞬間にきこえた声は誰の声なのか混ざりすぎて判別できなかった。















ああ、しんだ。死んだのか私は、やっと楽になってやっと…あれ暗くない。

なんか明るいよ。


まるでさっきの川の底とは真逆の明るさが眼に突き刺さる。


まぶたをゆっくりあげてみる。焦点の合わない眼がほんの少しの間をおいて人物を把握できた。



(え!?だれですか)



「…ユズ、皐月」


(あれ口が勝手に動いてる、怖ッ)



私の口が勝手に紡いだ言葉は目の前の男女の名前だったらしい。若い男女は喜びを顔にだしたまま叫ぶ。





「「蛍姫様がお目覚めだあああああああ」」





え姫?だれそれ…天井もよくみれば年季の入った木が連なっていた。私の家ではないことは確か。


てことは…


「違う世界…?」





粗末な文をお読みくださってありがとうございました。


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