猫とおじさんと壁クローゼット
王城警備隊長ガルンデルと彼の副官パヤルカは、不審者のフーマニタを逮捕したとの報告があった現場に来ていた。
当の不審者は王兄弟が来て連れ去られ、彼の件についてはできる限り口外無用にしてほしいとのことだったが、せめて事件が起きた場所の調査だけでも行っておかないと、警備責任者としての任務を果たしたと言えない気がしたからだ。
「ここか?」
「はい。報告によると、まるで何もないところからいきなり現れたようだそうでした」
確かに、そこは長い廊下の真ん中だった。
当時、廊下沿いの部屋にはそれぞれ仕事中の宮廷官吏たちが詰めており、その中のどこかに隠れていたとは考えにくい。
かといって窓から入って来たというにしても、ここは2階で外の警備にも目撃証言はなかった。
「何もないところから現れたのではあるまいな」
「魔術師に調査を頼んでいますが、それらしい魔力の痕跡も残っていないそうでした」
「だな。まさか何もない空間に扉でも、そうそう、あんなのがあぁぁぁぁぁぁ!?」
「隊長?」
このヒト、また何バカなことを言うのかな、と心の中でため息をついていたパヤルカだったが、彼の視線の先に現れたのをみて彼女もまた息を呑んでしまった。
ー ギギギ
何もなかったところにいつの間にか扉が現れ、音を立てながら開かれたその扉の中からひょこっと誰かが頭を出して来たからだ。
「あ、どうも、ガルンデル殿、パヤルカ殿。先ほどはご迷惑をおかけしましてー」
「何呑気に挨拶してるんだよ!早く閉めろって!」
― バタン
扉の中から慌てた王弟の声が聞こえ、例のフーマニタの男が中に引きずり込まれ扉が閉まる音がしたと思ったら、そこには再び、何もない空間だけが残されていた。
「ぎ…ぎゃああああああああああ!」
「わああああああああああ!」
警備隊長とその副官の悲鳴が見事なハーモニーを成して廊下に響いたが、彼らの後ろにいた警備隊員たちにそれを止める術はなかった。
…何より、彼ら自身が悲鳴をあげたい気持ちだったから。
***
応接の間では、慌てて天城を引きずり込み、扉を閉めたノルガ―が苛立ちを隠せずにいた。
「なんなんだ今の!?」
「扉?」
「それはわかるけど!いきなり現れた扉を不用意に開けてみるバカがどこにーー」
「いや、なんだか私の呼び出しに応じて現れた気がしてさ。
あの扉で地球に戻れるんじゃないかな、って」
「いや、そんなわけ…」
「でも父上、その扉がなぜ警備隊長のところに繋がったんですか?」
「それが分かれば苦労しないけど…む?待てよ?」
そういえばさっきほど「イフタフ・ヤ・シムシム」と言った時、「扉を開く」ことだけに集中して、どこに繋げるかまでは考えていなかったことを思い出した。
閉じたアプリをもう一度起動すると、直前の状態をそのまま復元してくれる機能があるけど……まさか、場所を指定しないと、最後に開いていた場所につながってしまうのか?
そう思った天城は、もう一回、今度は少し趣向を変えて唱えてみた
「열려라 참깨(――開け、ごま)」
同じ意味の呪文を、今回は韓国語で、「自分のマンションにつなげ」と強く念じながら。
「また呼び出した?可哀想なガルンデルたちをからかうのはもうやめろって」
同じ扉が現れたのをみて、呆れたといいたそうな顔になるノルガ―だったが
「いや、先のとは違うだろうね… 多分。
ノルガ―、念の為お前は下がっていてくれ」
「なんだ?急に。さっきの扉は勝手に開いておいて」
「扉の向こうに『前世のお前』がいたらな…」
瞬間、固まってしまうラシオンたち。
「お父様?まさか……」
「法術発動の条件はもうずれてしまったというのに… 父上?」
「まあ、開けてみない限り何も分からないからな。とにかくみんなはさがっていてくれ。
もういいかい?じゃ、開けるよ」
今度は、なんの音も立てずに扉が開かれた。
「ここは…あ、思った通りだな」
扉の向こうには、天城のマンションの風景が広まっていた。
「どれどれ…マンションのどこなんだここ…って、壁クローゼット?」
確かに、ここで目が覚める直前に、壁クローゼットにおやつの箱を入れようとしていたところまでは、天城の記憶に残ってある。
しかし、その後何があったのかが、まるでぽっかりと切り取られたかのように、綺麗さっぱりに消えてしまっている。
でも…
「信じられん…本当に父上のお屋敷だ」
いつの間にか、天城の後ろに立って驚きを隠せないでいうラシオンの声に、天城はハッと我に帰った。
一人暮らしにしては広いマンションではあるけど、決してお屋敷といえる規模ではないけどな、と苦笑しながらも、天城がそのラシオンに言った。
「さがっていろって言ったのに…まあ、あちらにお前はいないから大丈夫なんだろうか。
ちょうどいい。扉を持っていてくれるか?
私のマンションに違いないようだけど、あちらに行ったまま扉が閉まって、二度とこちらに戻って来れなくなるのも困るからな。
どこかの薄情息子とは違って、別れの挨拶ぐらいはちゃんと交わして分かれたいからね」
「おっしゃってくれますね…
わかりました。こう見えて力には自信がありますから、しっかり持っていましょう」
「いや、その身体で力がないって、誰が信じるものか―」
ケラケラ笑いながら天城が扉をくぐった瞬間、扉は閉まるどころかそのまま霧のように消えてしまい、ラシオンは何もない空を掴んでいた。
「ち、父上?」
***
「おっとっと」
扉をくぐった瞬間、 何かに押されたような感覚がして、天城は足をもつれさせながらも、なんとか踏みとどまった。
「こら、ラシオン、嫌味を言ったぐらいで、父を押したりするなど…… ラシオン?」
振り返ったが、そこには開け放たれた壁クローゼットの中身しかなかった。
「あれ?ラシオン?扉を持っていろって…ラシオン?聞こえないの?おーい?」
返事はない。
向こうの世界との連結が、壁クローゼットのドアによって断たれてしまったようだ。
「どういうことだよ…とりあえず、もう一回扉を、うん?」
― スリ
天城の足元に、猫のイーシャがすりすりと体を擦り寄せてきた。
そういえば、あっちにいって何時間経ったのだろう。
時計代わりのスマホは、あちらでは圏外で時刻の表示を当てにできない上に…… 没収されていたのでろくに時間を確認する暇もなかった。だが、たぶん5、6時間ぐらいは経ったのではないか。
「ごめんね、お前たちの晩御飯も抜きになるところだったね。
あ、さっき買ってきたお寿司も…傷んでないかな?あ~あ、もったいないことをし…
えっ?何時?」
すっかり深夜になったんだろうと壁時計をみたら、時計の針は、まだ十時も指していなかった。
あちらと地球では時間の流れが違うということはわかっていたから、まさか一夜あけたのかと思ってスマホの日付を確認したが、変わっていない。日付を勘違いしていたのかとも思ったが、お寿司のレシートのことを思い出して確認してみたら同じ日付だった。
しかもレシートに刷ってある購入時間からまだ1時間も経っていなかった。
「なんだこれ… まさか…?」
2つの惑星がそれぞれ違う時間帯にあるのでは、という可能性は考えていたが、まさかあちらの時間の流れが地球より何倍も早いのかもしれない。
「だったら、こうしている間にあちらでは…?」
天城は深刻な顔でクローゼットのドアノブに手を伸ばした。
***
「どうなさいました、陛下?お父様は?」
扉が消えてしまった何もない空間に向かって唖然としているラシオンのそばに、ノルガ―とイーシャが歩み寄った。
「わからん。扉をしっかり持っていたのに、いきなー」
「おい!ラシオン!イーシャ!」
「「「ふぎゃあああ!」」」
心配そうに扉のあったところを見つめていた王夫婦とノルガ―は、後ろから出現した扉から現れた天城の声に度肝を抜かれ、背中と尻尾の毛が全部逆立ち、ピンと突っ立った尻尾は普段の2倍はあるかのようにぼわっと膨らんで見えた。
イーシャなんか、腰がぬけたのか、へなへなとラシオンの腕にすがってかろうじてしりもちせずに済んだほどだった。
「ななななな、なんですかいきなり!驚かさないでくださいよ!」
「す、すまないね。でもお前らはなんでそんなところに立っていたんだ?」
「ついさっき親父が消えてしまったから、どういうことか心配していたんだよ!」
「あ?」
「は?」
「え?」
「お父様?」
― ぺりっ
状況が飲み込めない大人たちが狼狽える後ろで、アーシャ姫は黙々と、おやつのスティックの封を切っていた。




