ヴァナルデ・ユーレの困惑
ヴァナルデ・ユーレが白亜館に来た日の夜。
普段はセレステとビアラ夫人の食事が終わって、その次は家令執事のラインバルトとヴァレットのロノヴァールが終えてから他の使用人たちが夕食を取るが、今日はユーレの歓迎会を兼ねて、皆で大食堂で食事会を行っていた。
「み、皆さま初めまして。
ヴァナルデ・ユーレと申します。
この度はセレステ閣下のご恩に恵まれ、この屋敷の一員になれたこと、光栄と存じております。
不束者ですが、何卒指導鞭撻のほど、どうぞよろしくお願いいたします」
指導鞭撻と言っても、当主のセレステの『師匠』という立場で、使用人ではなく『家臣』としてメヌスの位も授かっている。
彼にとやかく言えるのはセレステ以外にはー
「メヌス・ユーレ。
貴方は、栄えあるレギス・セレステの家臣にして、末席であっても王国貴族なのです。
あなたが堂々としていなければ、主君であるセレステ閣下のお顔に泥を塗ることになるのです。
自負心を持って、堂々と振る舞いなさい。
わかりましたか?」
「は、はい!」
このように厳格なビアラ夫人と、上の位のラインバルト、そして場合によってはアリメカリセスぐらいしかいない。
でも彼は、とにかく新参者ということと、普段から自信を持てずにいたことから、畏まった態度を崩さずにいた。
「おー怖い怖い。
ユーレくん、このヒトこそがこの屋敷の真の権力者、ビアラ夫人であらせられるぞ?」
「閣下?お戯れはほどほどにお願いします?」
「はいはい。
自己紹介―と行きたいところだが、食事しながらするようなことではないな。
とりあえず、メヌス・ヴァナルデ・ユーレがこの屋敷に家族になったことを祝おう。
歓迎するぞ!メヌス・ユーレ!」
「「歓迎します!」」
魔術師の出来損ないの貧困助教から、大貴族で富豪、謎の力の持ち主であるレギス・セレステの家臣になってしまったのは、今日の午後から夕方にかけての出来事。
短い時間であまりにも急激な変化を経験したユーレは、いまだに何が起きたのか実感が湧かなかった。
食事会が終わった後、厨房チームが食器を下げて厨房へ下がり、警備チームも持ち場に戻って非番の者は使用人宿舎のミニマンションに休みに戻った後、セレステはラインバルト以下屋敷勤務の男性使用人を応接室に集めた。
「他の皆は追々紹介することにして、まずはこのメンバーだけでも紹介しておこう。
ラインバルトくんから、頼むよ」
「家令執事のラインバルト・ノコイだ。
お館様のご恩に恵まれ、ビカリの位を授かっている。
屋敷の仕事以外に、専売公社の経営管理を務めている。
よろしく頼む」
「ヴァレットのロノヴァールと申します。
今後とも、お見知りおきを」
「フットマンのロデリックでーす!
よろしく!」
「…お館様の自動車の運転をさせていただいております、レーテスです。
このバカの双子の弟でもあります」
結構個性あふれる面々だと思いながら、ヴァナルデは一人一人、紹介される度にペコペコ頭を下げていた。
「うん…まあ、気持ちはわかるけどね?君も自分の身分に慣れる方がいいと思うよ。
でなければ、ね?」
「は、はい。気を付けます」
とはいっても、ずっと委縮した日々を送っていた彼としては、すぐには慣れそうにないと感じていた。
「それはそれで、君には魔術の基礎理論の講義を頼みたいと言っていたが…
その前に、いくつか確認しておきたい。
まず、その講義は、私以外には聞いてはいけなかったりはしないな?
魔術学校の秘伝だったりして」
特殊な知識・技術だから、門外不出とかそういう制限があるのでは、と考えての質問だった。
「あ、いいえ、構いません。
魔術学校に入学せず、先達の魔術師の工房に直接弟子入りして、見習いから始める場合もありますから、必ず魔術学校だけで、というわけではありません」
「あ、そうか。
魔術学校以外で教えてはいけないものだったら、学長も君を送り出しはしなかったんだろうね」
「おっしゃる通りです。
他人を教えられるような才能はありませんが、一人でも多くの方に魔術を伝えることができると、うれしいと思います」
「そうか。では次の質問。
魔術の教師だけでなく、一般科の家庭教師もできるか?」
トゥシタ、その中でもフェリデリアでは、初等教育は身分に関係なく行われる。
でも義務ではないので、貧しい庶民の場合、これさえ受けられない場合もある。
中高等教育は主に家庭教師や私立学校で行われるので、貴族や裕福な平民でなければ期待できない。
それ以降の大学校教育は『必要と思う人のみ』受けるようになっている。
「あ、はい。一応一般科ならできます。
恥ずかしい話ですが、学費を稼ぐために貴族家の家庭教師として働いたこともあります」
「…自分で学費を稼ぎながら、3年間主席の座を手放さなかったのか?
それは恥ずかしい話ではない。自慢してもいいことだ。
まったく、秀才どころの話ではないじゃないか」
そう褒め称えるセレステの前で恥ずかしくて穴があったら入りたいぐらいだったが、それと同時に、自分の努力は無駄ではなかったと認めて、慰めてくれるような気がした。
「セレステ閣下…」
「それでだが…
私の個人教師と、魔術顧問として雇っておいて、さらに仕事を増やすような気がしてすまないが、屋敷の使用人の中、学びたいと思う者がいれば、講師をたのめるかな
あ、ロデリックとレーテス。君たちは必須だ。逃げるな」
「お、お館様?」
「えーいやだっ!」
ロデリックが習慣のようにブーイングしておいて、殴られると思って身構えたが、予想していたゲンコツが飛んで来なくて逆に当惑していた。
「レーテス?」
「は、はい」
「殴れ」
「あ、はい」
‐ゴッ
「痛っ」
3人で漫才でもやっているかのような光景に、ユーレはポカンとした顔で見つめていたが、そんな彼にラインバルトが無表情な顔で語った。
「あれにも慣れてくれ。この屋敷の風物詩のようなものだ」
「は…はい?」
最高位の貴族であるレギスが、使用人と一緒にじゃれあっているあれが、風物詩?
しかも、その使用人のために家庭教師を頼む?
ユーレの常識ではあり得ないことだった。
だが、目の前に実際に起きている事実でもある。
「君たち二人、中等教育までは受けているんだろう?」
「どうしてそれが…?」
当惑したレーテスはそう聞き返すと、セレステがロデリックを指さしながら答えた。
「そいつだよ。
脳筋ではあっても、無学には見えない。
親衛隊だって、誰でも入隊できるわけがないだろうし」
「それは…そうですね」
驚きを隠せないままそう答えると、セレステが続けた。
「そこで止まったのは何かの事情があっただろうから、あえて聞かないことにする。
だが、これからの君たちのためにも、君たちを雇う私のためにも、君たちに高等以上の学を身につけてほしいところだよ。
ラインバルト、君もだ」
「私も…ですか?」
いきなり話を振られ、ラインバルトもびっくりした。
「そうだ。
君にはこれから、専売公社を始めとする、色んな事業の経営管理をしてもらおうと思っている。
君はマルク家の3男坊だから高等教育まで受けているんだろう。違うか?」
「おっしゃる通りです」
「だがね、経営管理となると、そこまでの教育と、短い親衛隊経験だけでは、いつか粗が出ちゃうよ。
会計でも、経営学でもいい。経営の役に立ちそうなのを学ぶといいだろう。
大学に、関連学科があるのかな?」
「経営…を学問としてとらえているんですか?
会計なら行政学校に、関連講義がありますが」
一応ここにいるトゥシタ勢の中では一番高学力だからか、ユーレがすぐ返答した。
「そうか。ありがとう。
聞いたな?ラインバルトは行政学校の準備をするように。
中間編入もできるかな?
ロデリック、レーテス、君たちもだ。
若い君たちのことだ。生涯他人の使用人で終わる気はないだろう?
あ、ロノヴァールもその気さえあれば援助するぞ?」
その場にいる全員が、慌てふためいた。
使用人に向かって、『援助するから勉強しろ』などという雇い主が、どこにいるんだろうか。
「ご命令あらば従うまでですが…
私たちの領分は、お館様に仕えることです。
仕事を疎かにするわけには」
「うん、そういうと思ったよ。
でもね、うちの家事って、他の家に比べれば仕事が半分以下なんだろう?
色んな家電とか、邸宅自体がこの世界に比べればいわゆる『未来型』だから。
その分浮いた時間を活用して、と言っているんだ。
自分で学費を稼ぎながらも、主席の座を手放さなかったユーレの前で、学費もなにも援助するから浮いた時間に勉強しろ、というのも『できない』とは言わせないよ?」
これはもう、逃がさないという宣言だ。
それに、『命令あらば』と言ってしまったのは他でもない自分。
ラインバルトは、親衛隊時代の習慣、いや、武家のチオノ家の血の影響を、これほど呪ったことはないと思っていた。
「で、でもユーレさんは天才肌だから…
俺はほら、脳筋ですし、無理ですよ?」
何とか逃げ出そうとするロデリックだったが、セレステは容赦なく逃げ道を断った。
「うん。だからその天才様の爪の垢でも煎じて飲め、ってことだよ?
あ?これもここにはない表現か。
とにかく、浮いた時間で遊ぶことばかり考えず、少しはその天才を見習えってことだ。
脳筋の根性、見せてみろよ」
「うぐっ…」
ロデリックがなにか反論しようと、足りない語彙力で必死に言葉を探っているところ、ラインバルトが彼の肩に手を載せ、鷲掴みにした。
『逃がさないぞ』
無言で送ってくるその視線に、絶望して双子の弟の方を見たがー
「レーテスには、思うところがあるんだろう?
それに、これからこの国で自動車が生産されることになると、運転教育体制の確立、関連法案の立案などに…最初のドライバーである君も、呼ばれかねないよ?
国の政策に関わるかもしれないのに、学が足りないのは周りが構わなくても、君自身が不安を感じるだろう」
「想像もできないお話ですが…おっしゃる通りかと。
ご厚意に、甘えさせていただきたいと思います」
従順に受け入れるレーテスに、ロデリックは希望の光(?)が消える気がした。
「ほら、双子の弟の向上心を見習えよ。
脳筋脳筋いっても、君だってやればできる子だと信じているよ?
学校行け、ってわけでもない。うちで学べって言っているんだ」
「はいぃぃぃぃ…」
消えかかる声でやっと答えたロデリックの肩は、ラインバルトに鷲掴みにされたままだった。
「で、ロノヴァール、君は?
『もう年ですから…』とかいうだろうけど、その気さえあればね。
一応私がこちらにいない時など暇もあるだろうから、自由に考えたまえ」
「いやあ、これは、やられましたな」
「それに…メイドや警備のみんなにも希望者があればな。
ユーレくん、すまないね。勝手に仕事を増やして」
それを聞いているユーレとしては、目の前の光景が信じられなかった。
使用人の未来を考えて教育させる上に、仕事を増やしてすまないと謝る雇い主。
すくなくとも、自分はみたことがないと、ユーレは思った。
「い、いえ!とんでもございません!
雇い主である閣下の御命令なら、従うまでです」
「いや、その『命令だから従う』というの考え方はね、この屋敷では捨ててくれ。
理不尽な命令はしないつもりでいるけど、君たちも命令だからと無条件で従わず、自由に意見を言ってくれ
そしてね、ユーレくん?君は『家臣』だよ?それを忘れないようにね?」
「じゃ、俺はやめ…」
「うん、却下だ。ロデリック、君だけは理不尽でいい」
「酷い!」
最高位の貴族家なのに、この自由な雰囲気はいったいなんだろう。
苦学の日々と、安い給料で生きながらえていた日々を考えると、家庭教師の仕事などどんなに増えても全然苦ではないと思ってはいるが…他の意味で、とんでもないところに連れられてきたのでは、という一抹の不安が脳裏を過っていた。
アップロード予約を忘れて、寝込んでしまいました。OTL;;;
呼んでくださる読者の皆様に、申し訳ございません。




