スプラ・ヌベス、開場
その招待状には、行事の予定時間の代わりに、こう書いてあるだけだった。
「当日は、お好きな時分に、ご自由にお越しくださいませ」
要は、いつ来てもいいということだ。
パーティーにしろ何かの式典にしろ、準備と接客の限界があるから開始時間と終了時間ぐらいは予め決めて、それに合わせて早すぎず、遅すぎず訪れるのが社交界のマナーということだ。
なのに、「好きな時にいつでも」とは、かつてないことだったので、招待状を受け取った貴族の面々がむしろ慌てていた。
だからこれは一体どういう意味か、まさかレギス・セレステはこういう社交界のしきたりもまだわからないのかと、それぞれの人脈を動員して探り合っていたが、『文面そのまま』という答えしか出なかった。
ビアラ夫人の嫁であるメリーネ・ビアラ・メアに貴婦人たちが「ビアラ夫人に聞いてくださいまし」と頼んできたが、彼女にはすでに『疑う必要などありません』と答えるように指示が出ていた。
あのビアラ夫人がそうおっしゃっているのなら、マナーもしらない新参者のミスなどではない、という結論が出たが、だとしたらいったい、何をやろうとしているのだ、という疑問が残る。
しかし、あのお屋敷のお披露目パーティーの日のことを考えると、フェリデリアの常識を超えているなにかが待っているに違いない、というのは招待状を受け取った貴族たちの共通の認識だった。
そして、そんな大人たちの思惑とは違って、貴族家の子供たちの方は期待に胸が膨らんでいた。
パーティーや色んな社交活動はいつも大人たちだけのもので、成人していない子供たちが屋敷の外に出ることは、学び舎に行くときや、稀に親に連れられだけに訪問する時ぐらいしかない。なのに今度はいま話題になっているあの『空飛ぶ島』から招待されているのだ。
成人する前に社交界の行事に参席できるだけではなく、それが空の上だというから、子供たちが興奮しないわけがない。
『空の上』という言葉にときめくのは、なにもこどもだけではないだろうけど。
***
リゾートホテルの開場イベント当日。
『いつ来てもいい』とは言え、だからといって朝っぱらから他家を訪問するのはマナー違反だというのもあって、だいたい午前10時がすぎた時点から徐々に訪問が始まっていた。
当日になっても王都上空にテンゲルが現れていなかったので、行事は白亜館で行われるのかと思って騎獣が引く車で白亜館を訪れた貴族たちは、屋敷内ではなく、屋敷の前に設置されてあるアーチ状の奇妙な構造物をそのままくぐるように誘導する白亜館の使用人に当惑を感じ、一応言われるがままに進んだ次の瞬間、まったく別の場所に繋がっているのがわかって仰天した。
「いらっしゃいませ」
ゲートをくぐって出てきたところは、テンゲルに建たれたリゾートの正門の前だった。待機している従業員の案内に従い、広い庭園を進んでエントランスに到着したら、そこには制服を着こなした従業員たちがエントランスの左右に並んでお客様をお迎えしていた。そこから広々としたラウンジに案内してもらい、どこからか鳴り響いてくる音楽を聴きながらウェルカムティーを出されて一息入れていると、案内職員が来てホテルの説明をしてくれる、そのような流れになっていた。
「コミス・ダリエデご夫妻とお子様、ようこそお越しくださいました。
私は今日のご案内を担当いたしますラドリタと申します。
当施設の説明をさせていただきたく存じますが、よろしいでしょうか」
大体こんな感じで行われるが、その案内職員が男女問わず眉目端麗なほうで、白いシャツにダークグレイのズボンにベストという、フェリデリアでは慣れていない制服を着ているのがまず目を引いた。
「当リゾートはホテル『スプラ・ヌベス』と、付属のスパ施設、そして遊具公園の『クラウドランド』となっております。
ホテルは予約制で営んでおりますので今日は施設の御視察のみとなりますので予めご了承のほどよろしくお願いいたします」
「スパ?それはなんだ?」
初めて聞く言葉に怪訝と思う貴族。
それもそのはず、銭湯文化が成立していない世界だから、スパという概念自体がない。
「大変失礼いたしました。
スパとは、お風呂とマッサージ、毛並みケアなど、いわば湯治を気軽に楽しめる総合施設となります」
「ああ、湯治のことか…」
銭湯の文化はなくても、温泉での湯治は医者のお勧めで行われていたので、とにかくそれで説明すれば概念はわかってもらえた。
「はい。スパと遊具公園は開場イベントとして無料利用とさせていただいておりますので、ご利用を希望される場合には私に申し付けてくださいませ」
「湯治って、別に病んでいるところもないのにわざわざお風呂にはいる理由があるのかしら?」
夫人の方が疑問を示すが、これも当たり前の反応だ。
「ごもっともでございます。
お湯の準備や後片づけ、毛の乾かしが大変なので、あまり入りたくないのがお風呂ですね。
しかし、当施設ではそれら全部解決できた上に、艶々サラサラの毛並みを保証する、新たな水石鹸も完備しておりますので、気軽にリフレッシュできる機会とお考えになっていただけると幸いです」
その説明を聞いても、イマイチ納得がいかないでいるところだった。
「こんないい所に、旦那様一人でいらっしゃったのね?一生恨みますわよ!」
「じゃから、あの時はわしもどういうところかわからずにきたと何べんいえばわかるのじゃ!」
何か騒がしいと思ってそっちを向いたら、マヌルネコフェリノイの老夫婦が何かガウンのような簡単な服を羽織って、ラウンジを横切りながらいがみ合っていた。
「あれは…宰相様!?」
「あ、はい。宰相様ご夫妻は早朝から訪れられ、スパを堪能されております。
宿泊予約は明日からの受け付けになっておりますが、オーナーに無理を仰って2泊される予定と聞いております」
「オーラナ・メアのあの毛並み…
まるで若い女性の様じゃないの?
職員さん?あれがさっき仰った水石鹸というものの効果?」
近くで見たわけでもないのに、ダリエデ・メアは目ざとく宰相夫人の毛並みの異変をキャッチしていた。
別に若返りしたわけではないが、毛並みというのはシャンプーとトリートメントで劇的に変わって見えるのだ。
「よくお気づきでした。
はい。オーラナ・メアもその効果でご満悦でした」
優雅に微笑みながら説明するラドリタは、心の中でこう呟いた。
『落ちましたね』
宰相夫人、リレンドラ・オーラナ・メアが朝一で訪れてくれたのは、セレステも予想できなかったうれしい誤算だった。
あの事前体験の後、〇-ルスロイスで屋敷に戻って来た夫に驚いていた宰相夫人は、それ以上に艶々サラサラになっていた旦那の毛並みに驚いて、なにがあったのかを根掘り葉掘り聞き出し、開場の日を待ちくたびれていたのだ。
…夫を後ろ盾に強権発動しなかっただけで、彼女の良識がよくわかる所だったというべきか。
「スパの方はお分かりいただけたでしょうか。
では、クラウドランドの方の説明をさせていただきます。
遊具公園と言います通り、あそこは主にお子様のための乗り物遊具で構成された公園です。
オーナー、レギス・セレステの世界、チキュウの『テーマ・パーク』なるものを再現したところで、現在ローラーコースター、大観覧車、バイキング、メリーゴーランド、回転ブランコなどを用意しております」
子供のための遊具、という説明に、夫妻の幼い息子は目に見えてそわそわしている。
『行きたい!』と騒がないだけでも、しつけがよくできているという証拠だろう。
「子供の同道を待っている、というのはこのためだったのか?」
「はい。お子様が心行くまで遊べる場がないのが気になって、大人の休養地だけでなく、子供の遊び場も用意したい、というのがオーナーのお考えでした。
お望みの場合、子守り担当の職員が別に待機しておりますので、お二人がスパを楽しまれている間、お子様は公園でお遊びになることもできます」
ラドリタの説明を聞いたダリエデ夫妻が、視線を交わした。
休養地と言えば子供は連れて行かないか、連れて行っても子供の楽しめるようなところではないのが普通だが、ここは…
「では、せっかくだから…利用してみないか?お前」
「そうですわね…アルランド、お父様と一緒にスパに行ってみますか?
でなければ…」
「遊具公園というところに行ってみたいと思います、お母さま!」
その会話を聞いたラドリタが、機転を利かせて割って入った。
「わかりました。ではお風呂の方は、個室をご希望ですか?」
…結局、コミス・ダリエデ家の家族3人全員が落ちた。
もちろん、貴族用ではない施設も別に用意してあるので、ダリエデ家の従者やグルームもそちらに案内された。
それから続々と続く他のお客様への対応も大体似たような形で行われ、夕方までこれといったトラブルなしで開場イベント行事はうまく進んで行った。
…王夫妻は公務で早くは来れなかったが、幼いアーシャ姫は昼過ぎて侍女たちを侍らせて来て、ローラーコースターに何度も乗り込んで侍女たちを絶叫させたのが問題と言ったら問題だったが。
「絶叫マシーンとはよく言ったものだ」
「レギス・セレステ、呑気なことおっしゃらずに姫様を止めてくださいまし!」
結局バッテリー切れになった幼い姫と、疲れ果てた侍女たちにもスパに入っていただき、ロイヤル客室でゆっくり休んで王宮に戻ることにした。
ひょんなことで開場イベントも大盛況でその日が沈んだごろ、王夫妻とダーハラトが訪れた。
「余がいれば、みんながゆっくりやすめないだろうと思ってな。
でも、遅すぎなかったか?」
「もったいなきお言葉を。
基本深夜にも対応できるように1日3交代で運営しておりますゆえ、ご心配なさらずごゆっくり楽しんでくださいませ」
王のお出ましだといってオーナーのセレステが応対しているが、実は王家は白亜館の別邸で大体体験済みで、今日初めてなのはダーハラトだけだった。
「実はもっと早く来るつもりだったが、軍務大臣を誘ったら仕事が忙しいと断ってな~
余は傷ついたぞ。よよよよ~」
「ああ、何と不忠な!まさに逆臣!
その賊めのお仕置きは私めが…」
「…お二人、私で遊ぶのはやめてくださいませんか?」
「「でへっ」」
そんな大人げない二人を生温かい目で見守っていたイーシャ王妃が、王の耳を引っ張りながら言った。
「陛下?お疲れの軍務大臣殿をからかうのはやめて、遊具の方に行きませんか?
絶叫マシーンというのを楽しみにしておりましたのに、こんなに遅くなってしまって…」
「イダダダダ、分かった、分かった!」
「では、お父様?
軍務大臣殿を、よろしく頼みますわよ?」
王の耳を引っ張って、ホテルの総支配人に案内され速足で遠のいていく王妃を疲れた表情で見つめているダーハラトを見て、セレステが話しかけた。
「でも、本当に疲れているようだね。
どうだ?湯船に浸かって、リフレッシュしないか?
特別サービスで、私が背中流してやるよ?」
「…気持ち悪い冗談はやめろ。
あの日のように、毛乾かすのが大変だったら変える時困るのだろう…」
「いや、それはもう解決済みだよ?
それに、どうせ私じゃなくても従業員に手伝ってもらうことになるからな」
「だからといってお前に裸をみせろと?」
「いやもう見たじゃん?」
「貴様!」




