新たな希望
ダランマ・ルイナは、かろうじて冷静を保とうとした。
だが、心臓の鼓動は激しく打ち鳴らされ、呼吸は否応なしに荒くなる。
背筋を冷や汗が伝い、その指先は無様に、小刻みに震えていた。
憎悪、恐怖、憤怒、そして絶望。
そんな複雑な感情が入り混じり気が遠のきそうになるのを、必死に理性で繋ぎ止める。
「どうした?体調が悪いように見えるが」
のうのうと、そう聞いてくるその面を殴り飛ばしたい、そう思ってはいるが、それができるはずもない。
殴りかかったら後ろにいるルパシドの執事に制圧され、不敬罪で処罰されるだろう。
「これは…」
「どういうことだ、と聞きたいのか?
悪いな。君のトラウマを刺激するような真似を…
って、これもこちらにはない言葉なんだろうか?
虎も馬もいない世界だから…」
「お館様、彼方の世界でしか通じないご冗談はお控えめに…」
「いや、わかってるって。
それでだ、ルイナ殿…えっと、それ本名じゃないね?」
ビクリ、とルイナの体がこわばる。
この国に難民として受け入れられる時、王家の名は捨てていた。
「いや、色々と事情があるだろうから、本名は伏せておいても結構だ。
この国に来て登録した名前で呼ばせてもらおう。
それでだが…信じてもらえないだろうけど、私はフーマニタなどではない。
いや、むしろあんな輩と一緒にされては溜まったものではないな。
実に不愉快なことだ」
そういうセレステの顔は、フーマニタと思われることを心から嫌悪しているような、険しい表情をしていた。
「少し似ているだけで、よく見たら全然違う種だってわかるはずだけどね。
…被害者の君としては、無理な話だろうか。
まあ、私がフーマニタではないということを、信じようが信じまいが、別に構わない」
セレステが偉そうな仕草で、ソファの背もたれに身を預けながらいうのを、ルイナは冷たく燃え上がるような視線で見つめていた。
「私はね、たった5年で中堅商会にまで成り上がったその能力と、努力、そして
必死で働いてきたその覚悟を高く買っている。
差別とか、妨害とか、なかったわけがないだろう?」
「…はい」
「亡国とはいえ、王族ともなればそれなりに優遇されるはずなのに身分を隠すことを選んだのにも…まあ、理由があっただろう。それも問わないことにする。
私が何をしているか情報を掴んでいて、ここに呼ばれた時には一枚噛めるのか、と
期待していただろう?」
相手があんな相手だと知る前には、確かにそうだった。
レギス・セレステがフーマニタに似ている種族だという情報をすでに掴んではいたが、情報で知っているのと実際目の前にするのとは訳が違う。セレステの素顔はまだ、貴族街以外にはあまり知られていない上に、フーマニタの外見についてよく知らないヒトも多い。
新聞などに彼のニュースが載ったことはあるが、記者が写真を撮ったこともないので、謎の種族としか知られていなかった。
でも、実際会ってみたらこの、形容し難い感情に苛まれているのだ。
彼らピグレットはフーマニタに蹂躙された被害者だからこそ、なお。
「そして、私は実際にその機会を君に与えようとしている。
君の民…同胞たちにもな。
私との契約さえうまくいけば、『黄金の樽』は、フェリデリア王国の御用達になれるんだ。
…必死の思いで育ててきた商会が、国家の庇護を受けられる、大商会に成長できる機会なんだ。
場合によっては、隣国との国際貿易に携えることになるかもな。
その場合、その国まで逃げることができた君の同胞にも、機会があるかも」
フーマニタに酷似しているせいでまだ警戒を解いてはいないが、彼のいうことは確かに魅力のある話だ。難民上がりの少数民族が営んでいる中堅の商会にとって、王国の御用達という箔は、魅力的というか、ありがたい話なのだ。
「まあ、どうしても嫌ならなかった話にしてもいいがな」
それを、権力者の方から『機会を与る』形をして提案しているのだ。
「おこがましい話しでございますが…
一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか」
セレステの後ろにたっていたラインバルトの表情が少し厳しくなったが、セレステはそんなことは全く気にせず平然とした態度で返答した。
「ああ、いいよ。
双方面接だから、気になることは気軽に聞いてくれて結構だ」
「ありがとうございます。
では、お言葉に甘えて、遠慮なく質問させていただきます」
セレステの素顔を見て覚えた激しい感情は大体鎮められたのか、ルイナは少し落ち着いた口調で質問することができた
「私の商会を高く評価していただけて、この上ない喜びと存じます。
ですが、ピグレットの民まで閣下のものになれ、との仰せは…?」
確かに、商会自体はピグレットの同胞が中心になってはいる。
だからと言って、この国に流れ着いているピグレットの全員を、商会に雇用できているわけでもないのだ。
「ああ、それか?
いや、別におかしい意味で言ったわけではないんだ。
先日、私が浮遊大地を領地として拝受したことは、知っているだろう?」
「はい」
「その領民…というか、職員が必要になってね。
ここで話すより、直接その目で見た方が早いだろう」
と言ってソファから起き上がるセレステの後を追って、ルイナも慌てて起き上がった。
「気の早いことだ。
では、行ってみようか?」
「ど、どこへ…!?」
どういう意味かわかっていなかったルイナは、いつの間にか室内に現れた、火花散らす扉に驚いて、言葉を失ってしまった。
「久しぶりだね〜この反応。
ようこそ、我が領地、浮遊大地『テンゲル』へ」
あやふやな噂でしか聞いていなかった、レギス・セレステの『不思議な能力』を目の前にして、そしてその扉の向こうの広大な草原に出てみたルイナは、先ほどとは違う意味で気が遠のきそうなのを感じていた。
「いらっしゃいませ、マイロード」
「!!」
扉をくぐった一行を迎えてくれた女性…?らしい存在を見て、ルイナはあまりの驚きに尻もちをついてしまった。着ている服装もさることながら、その頭のあるべきところに…
「な、なななな…」
「やれやれ、失礼ではないか。
彼女は我が家臣、ビカリ・アリメカリセス・テンゲリデだ。
女性に向かって、いけない態度だろう?」
「で、で、でも…」
「次元位相の違う存在を前にして、驚かないマイロードの方がおかしいと思いますが」
平穏な言い方でツッコミを入れるアリメカリセスのそばで、ラインバルトも同意するかのようにゆっくりと頷いているのを見て、「いや君たちいつからそんなに意気投合した?」とプンスカ言っているセレステを見て、ルイナは先ほどまでの複雑な感情はどこにいったのか、当惑の中で起き上がって、服を払っては、手に触れたのが本物の草ということにまた驚いた。
「空の上というのに…本当の草原が?」
「ああ、それな。
どういう仕組みかは領主の私もよくわからないけどな…
循環できる水源もあって、動物はいないけど植物の生態系は成立しているようだ」
セレステが何を言っているかわかる気がしない。
ただ、自分の常識では計り知れない世界の住民だということだけは、痛いほどわかった。
フーマニタではないかと疑っていたが、全く違う何か、と受け入れるしかない、そんな気がした。
「そ…それで、こんなところで職員…とおっしゃいますと…?」
「あ、興味が湧いたか?
ここにな、貴族や、大商人のような大金持ちのためのリゾートホテルを建てようと思っているんだ」
「りぞおと?」
「まあ、要は大金持ちの休養地だ。
空の上を旅しながら、地上の喧噪とは離れたところでゆっくり休養できる…
魅力的と思わないか?
王子だったころ、いや、今の君だって、仕事に疲れ果てて、どこか変わったところで心ゆくまで休みたい、と思ったことぐらい、あるだろう?」
「はあ…それはもちろん」
「そんなところが、空の上にあったら、どれだけ特別な経験になるか、想像してみろよ?
そのリゾートの管理にね、少なくとも1千人ぐらいは、職員が必要だ。
それに、そのリゾートに供給する野菜や農作物の生産にもな。
君たちピグレットは、元々農耕民族だと聞いた。
今この国に流れ着いた君の同胞は、3千人ほど『いた』と聞いた。
農耕民族だった君たちにとって、耕す土地から引き離されたのは…
相当辛い思いをしていたんだろうな」
「……はい」
故郷から追い出され、大地から引き離された自分の民族のことを理解してくれる相手を、故郷を離れて初めて会う気がした。
農耕民族だからと言って、全員が農業に従事しているわけではないが、農地に愛着を持つものが多いのは否めない事実。
しかし、故郷から追い出され、他郷で日雇いや使用人などで細々と生きている彼らにとって、農地など叶えられない夢に過ぎないの現実だ。
「君の商会の職員や、既に定着の場を見つけたものはいい。
それ以外、ちゃんとした職についていない者たちがいればな、ここで訓練させてリゾートの職員にするか、付属の農場で農産物を育てさせようと思うけどね。
どうだ?私はまとめた数の職員が採用できて、君は同胞の働き口が見つけられる。
そして、大臣たちからのお墨付きなんだが…
君たちピグレットが不満を持つ民族集団と化す前に、目につくところに定着して、生産性を上げてくれれば…管理目的にも付合するから、賛成だってな」
不満を持つ集団とか、管理対象とか、この5年間、嫌になる程聞いてきた言葉だから、今更どうということはなかった。
いや、ないはずだった。
しかし、セレステから聞くその言葉は、全く同じ言葉なのにも関わらず、どこか希望を感じさせるところがあった。
「そして、まあ、これは私の勝手な思い込みに過ぎないから、真面目に受け入れても困るけどね…
もし君が見事に専売事業を成功させてくれて、この国の繁栄に貢献してくれればなー
その功績を買われ、どこかの領主になれるかもな?
同胞たちと一緒に生きていける、そんなところが手に入れられるかも」
まさに、夢のような話だと、ルイナは感じた。
でも、生存に追われる日々よりは、希望を持って生きていける日々は、どれだけ素敵なんだろう、と思う自分がいるのも事実だと、感じた。
「お館様、それは本当に勝手におっしゃってはいけないことだと思いますが」
「わかってるよ、それぐらい。
でも、若者に夢を見させるのも大人の義務にして特権だと思うけど?」
「『物理的な』年齢では彼より年下って事、お忘れなきよう」
「いや、その言葉は誰に聞いたんだよ!」
ライバルトとセレステが他愛のないやりとりをしているそばで、ルイナは静かに心を決めた。
『この方に、ついて行こう』
遅くなってすみませんでした!
お読みになってくださる皆様には、本当に申し訳ありません。




