Unlimited Honey Works
フェリデリア王国宰相にしてレギスである、メランデ・オーラナ・パールは、かつてなかった危機意識を憶えていた。
別に身辺の危険を感じたとか、彼の仕えている王や、王国が危機に瀕しているとか、そんなことはなかった。
少なくとも今朝、目の前のこの得体の知れない「異世界人」が現れる前までには。
王家一家の前世の父君とか、宇宙の彼方の星から自在に行き来できる力を持っているとか、世迷言は程々にして欲しいと考えていたところ、オーテル・セレステとかいう変わった名前を名乗っていた例の自称異世界人が、フェリノイ系とカニセイド系の大臣たちとその補佐の人員に配ったあの『おやつ』なるものが、ほぼ暴力に近いほどの美味で、あれを口にした全員が行儀を気にする暇もなく、それに夢中になっては今ではその余韻で半ば放心状態になっているからだった。
……こういう宰相本人も、ついさっき正気を取り戻したばかりではあるが。
ふとセレステが自分の前にいないのに気づいて、どこに行ったのか室内を見回したら、そのセレステはフェリノイ系でも、カニセイド系でもなかったのでこの『味の暴力』にまだ晒されていなかった、ウルソートの法務大臣に何か話しかけているのが見えた。
「お生憎様、あれはフェリノイ系、カニセイド系の方々向けのもので、その他の方には何がいいかよくわからなくて……とりあえずこんな物を用意してみました。
お口に合うかは分かりかねますが、お一ついかがでしょうか?」
と言いながらまた何か細長い、琥珀色に見えるのスティック状の物を懐から取り出して、法務大臣のランデハレ・バルハ・パールに見せていた。
「なんですか、これは?」
「いや、お粗末な物ですが…
地球の蜂蜜です」
「ハ、ハチミツ!?」
宰相は、彼の目がここまで大きく開かれるのをみた覚えがなかった。
それもそのはず、地球人のセレステ=天城はわかっていなかったが、トゥシタの蜜蜂はスズメバチに引けを取らないぐらい大きく、気性も荒いので今だに養蜂など夢のまた夢で、野生の蜂蜜を取るのは命をかける危険を伴うほど危険なことだ。
それだから、蜂蜜を口にするのは上級貴族の中でも最上クラスである大臣さえ滅多にできないぐらい、希少なことだったのだ。
それを、異世界人-セレステは、何でもないかのように懐から取り出したのだ。
しかも、『お粗末』だと?
あのスティック一つで、下級宮廷文官の1ヶ月分給料はあるとみえるのに?
「はい。よろしければどうぞ」
「ほ、ほ、ほ、本当にいただいてもよろしいでしょうか?」
普段の珍重な振る舞いはどこに行ったのやら、言葉は噛みまくり、手まで震えている法務大臣を見て『はしたない真似はやめんかいいいい!』と叱りたいと心の中では思いながらも、彼らウルソートがどれだけ蜂蜜に執着を見せるかわかっているからこそ、それを口から出せられないでいた。
何せ、年間野生蜜蜂の巣を襲おうとして出るウルソートの死亡者の数を考えると…
「で、で、ではお言葉に甘えて…」
「はい。甘いでしょう。蜜だけに」
オヤジギャグにも程がある、と叩かれそうなセレステの駄洒落にも、誰一人ツッコミを入れられなかった。
セレステから蜂蜜スティックを渡されたバルハ法務大臣は、震える手さっきでその封を切ろうとしたがどうにもうまくできず、何度も失敗していた。
「手伝いましょうか?」
「いえ!」
まるで好きなおやつを取られたくない子供のように、断乎に断っては、バルハは深呼吸をして、気持ちを落ち着かせては、慎重に慎重に、スティックの封を切った。
– ペリッ
切れた封から、蜂蜜の甘い香りが漂ってくる。
しかも、トゥシタの蜜蜂が作り出す蜂蜜のような、ツンとした強い匂いではなく、柔らかく、文字通り甘い香り。
「おおおお…これは!」
一雫、味見をした法務大臣は、ほぼ泣き出さんばかりの目をしていた。
「蜜蜂の毒成分でヒリヒリする感じもなく、純粋で優しいこの甘味…この世のものではない!」
「ええ、異世界のものですから?」
話しが噛み合わない気がしなくもないけど、そんなことはどうでもいいと思ってしまう大臣一同の中、先からセレステから目を離せられずにいた宮廷魔術師長であるブーガの女性、コミスのイアーレ・ナイラン・メアが恐る恐るセレステに話しかけた。
「あ、あの、よろしければ、私にも少し、見せていただけませんか?」
彼女としては食欲よりはただ単に、さっきの法務大臣の「この世のものではない」という発言から、異世界の物質への学問的好奇心を刺激されただけだったが、どうやらセレステは誤解してしまったようだった。
「あ、はい。そういえば貴女にもまだ、何も振舞っていませんでしたね。
甘いのがお好きでしょうかな?他の方々も、甘いのがお好きでしたらお召し上がりを」
– バラバラバラバラッ
「えっ?」
セレステが胸ポケットからもう一本の蜂蜜スティックを取り出したのをみて、法務大臣の目がキラッと光った。
しかし次の瞬間、掌にそれを乗せていたセレステが掌を傾けてそっとそれをテーブルに落とした瞬間、落ちたはずのスティックが彼の掌に次々と現れテーブルにこぼれ落ちて、瞬く間に小さな山を成してしまったのだ。
「何と言う奇跡!」
いつの間にか、法務大臣がセレステのそばに膝をついていた。
彼の口には先のスティックが咥えられたままだった。
「おいおい、主君である余以外に跪いていいのか?」
ラシオン王はケラケラ笑いながら独り言のように言っていた。
「なんなんですかあなたは!魔力は全然働いていなかったのに!」
今すぐにでもセレステに飛びつく勢いの魔術師長。
「おい、あれは…」
「はい、あれだけで王都の貴族屋敷を買える…いや、建てられる価値があると見ました」
財務大臣が聞くと、彼の補佐がすかさず返答した。
「…もう限界じゃ…」
老宰相は、今にでも失神しそうな気がしてフラフラしていた。
その他の大臣一同も、放心状態から回復したと思ったら、また目の前に広がる信じられない光景に、現実からの逃げたい気持ちでいた。
「まあ、食べ物の話はここまでにしよう。
父上殿?先の会議、見ていたんだろうな?」
「はい。僭越ながら。
皆様方、申し訳ございませんが、陛下のご命令で一部始終を拝見させていただいておりました」
その言葉に、場内がざわつく中、また魔術師長が我慢できず叫んでしまった。
「ま、まさか遠隔視の能力もお持ちなのですか?」
「あ、いや。私の能力ではなくてですね…
あれです。陛下のお手元にあるあれ」
そう言えば、会議が始まる前から王の手元に、あの奇妙な球体があった。
さっき、陛下があれに話しかけられたので連絡用の魔道具かと思ったら、あれが遠隔視の魔道具だったと?
「恐れ入りますが、私とて宮廷魔術師のお役を拝命しているものです。
しかし、あのような、しかも魔力が全然感じられない魔道具など、見たことありません」
「それは当たり前です。魔道具ではありませんから」
「はい?」
魔術師長–コミス・ナイランは、目の前の男が一体何を言っているのか理解できなかった。
「それは魔道具とかそんな大したものではありません。
ただの、WiFiカメラにすぎませんよ」
「わいふわい?それはどのような魔術…いや、魔術じゃないとおっしゃいましたね。
だとしたら、法術具ですか?」
「いいえ、法術でもありません。
すみません、その件に関しては追々説明できると思います。
今は先に、財務大臣様にお話がございまして」
「私にか?」
急に話を振られ、ビクッとするリオネアの財務大臣、マハッサ・ゲリエ・パール。
先の蜂蜜の山の件でセレステのことをずっと睨んでいたから、余計驚いたようだ。
「はい。さっき申しましたとおり、陛下のご命令で皆様の会議の様子を拝見させていただいていましたけど………
どうやら、隣国からの借款の申し出があったようですね?」
–どよ
会議室内に動揺が走る。
この男は、本当にそれを見ていたのか?
どこなのかすらわからない、魔力も、気配も感じられないところから?
「そうだ」
苦い気持ちで、財務大臣が肯定した。
その答えを聞いたセレステが、今度は上着のポケットから何か、板のようなものを取り出していじりながら語り始めた。
「確か……申し出たのは5億フェリでしたか?
返済期間は30年で、利子は年利5分で複利…」
「『見る』だけではなく、あんなに詳しく『聞いて』もいたと?」
ナイランは、驚き興味を隠せずにいた。
-カタカタ
セレステの弄っている板から、何か奇妙な音がするのが大臣全員の神経を刺激する。
魔術師長なんか、『あれはどういう道具なんだろう』といいたそうな表情で、食い入るように見つめている。
「で、この利子の計算に時間がかかって、外務大臣様もこの申し出をどう処理するべきか、悩んでおられるそうでしたね?」
「あ、ああ…」
「30年後には元金と利子を合わせて21億6097万1188フェリになりますね」
瞬間、会議室が凍りついた。
「…はい?」
押し潰されたような声で、かろうじて声を出す財務大臣。
「ですから、30年後には5億の借款が21億6097万1188フェリ、になって戻ってくると」
財務大臣は、頭の中に稲妻が走るような感覚を覚えた。
複利計算の問題は、彼の率いている財務部のエリートたちを動員しても結構時間のかかる問題で、今日の会議でその条件を持ってきた外務大臣に、次の会議で計算結果を持ってくると答えておいたところだった。
なのに、それをまるで問題と呼ぶ価値すらないとでもいうかのように、語っているうちに計算結果を出してしまう?
あれが正解なら、まるで化け物のような計算能力ではないか。
「…検算でもしたいところだが、正直その検算だけで数時間はかかりそうだな」
財務大臣の後ろに立っていた補佐の黒毛のレオパなんか、落ちた顎を収拾できずにいるぐらいだった。
「で、外務大臣様は…」
「言うまでもない。あの国に30年後にあれを返済できるような国力は期待できません」
グレートピレニーズのカニセイドの外務大臣、ロイバー・ナデント・パールが言い切った。
「だ、そうです。陛下」
外務大臣が言い終えるのを待って、王に向かって優雅に礼をしながら言うセレステを見て、この会議室にいる大臣一同は切実に痛感した。
陛下は、異世界からとんでもない化け物を呼び出されたと。
「だそうだな。
財務大臣?彼に何か聞きたいことがあるだろう?
そなたの補佐には、もう口を閉じるように伝えてくれ。羽虫でも入ったら大変ではないか」
「は、はい。
せ、セレステ……様?」
「ただのセレステでいいです。私のような無冠のものに」
「では、セレステ殿。
その計算…一体どのような技術をお使いで?」
「技術…そうですね。技術に違いありません。
ただ、地球では誰でも廉価で手に入れられる、この『関数計算機』と言う、『工業製品』 という技術の賜物です」
セレステがそう言いながら、みんなの前にある物体を差し出した。
それは手のひらサイズの板のようなもので、何か文字のようなのがあしらわれた突起が多数生えてあるものだった。
「関数計算?」
「はい。例えばさっきの複利計算なんかこう…
年利5分ですから、1年目は5億の1.05倍、5億2500万フェリになりますね?
これにまた1.05をかけると、2年目の5億5125万フェリ。
こうして30年間1.05をかけていけば、1.05の30乗…4.32294237515。
これを5億にかけると21億6097万1188になるわけです。
別に私にすごい計算能力があるわけではありません。
この計算機さえ活用できれば、誰にでもできることです」
セレステが計算機を試演して見せるのを食い入る様に見つめて、その脅威の能力に舌を巻いていた大臣の面々は、喉から手が出るぐらい、『あれが欲しい』と思っていた。
何も計算を必要とする部署は財務部だけではないからだ。
「とはいえ、今それを『持っていて』、『活用できる』のは父上殿だけだろう?
見るに、数字表記がこちらとは違う様だな」
「そうなりますね。
しかし…」
そう言ったセレステが計算機の上をなぞるように手を動かすと、計算機が八つに増えていた。
ちょうど此の場に居る大臣六人と宰相、そして宮廷魔術師長に配れる数だった。
先程の蜂蜜の件もあり、もはや何が起きても不思議ではないという一種の諦観が場を支配していた。
もはや彼らには、驚くための気力さえ残っていないようだった。
「あ、失礼」
さらにもう8つを作り出したセレステが、羨望の眼差しを隠せていない財務大臣の補佐を見ながら微笑んだ。
大臣たちも大臣たちだけど、本当にあれを必要とするのは彼ら、実務陣だから。
「と、言うことだ。
余は此処に父上殿へ、王家の一員としてレギス・バシの位を授けよう。
加えて、『王父卿』の職にて此の王城に出入りする権限を与える。
これは、この国のためにその力を借りんがためだ。
……異存ある者、此の場に居るか?」
「「「「「「「「ございませぬ」」」」」」」」
宰相以下8人の声が、重々しく重なり、会議室に響いた。
これは同意を求める質問ではない。
異議は認めない、という宣言なのだ。
自分達は最初から、王の掌に乗せていたのだ。
しかも、あんな能力を見せつけられた後、誰がいて反対できようか。
大臣たちはみんな、この「異世界から来た化け物」とどうやって良好な関係を築き上げられるか、で頭がいっぱいになっていた。




