宇宙からの匂い
バーナダ・ガルンデルは、緊張していた。
昨日のフーマニタの不審者のことがあってから、国王陛下や王弟殿下から口外無用と圧力をかけられた上に、その不審者が何もない空間からいきなり現れては消えてしまうような奇怪な現象が起きた挙句、今日は王室のプライベート空間にまで呼び出される、普段ならありえないことが連続して起きているからだ。
王家のプライベートの間といえば、王朝の重鎮ですら稀にしか出入りを許されない、ましてや自分のような地位の低い、たかがエクスにすぎない武官などが出入りしてもいいところではない。
そんな恐れ多い所に、国王陛下御自らの御召喚があったのだ。
まさか、昨日のあのフーマニタのことで、何か陛下の逆鱗に触ることでもあったんだろうか。
自分はこのまま、処分されてしまうのか。
まだ結婚もしていないのに、この短かった生涯を…
「エクス・ガルンデル?貴様がこんなところで何をしている?」
俯いたまま想念に耽って歩いていたガルンデルは、いきなり自分にかけられた声にビックリして、頭を上げて前をみた。
そこには、こんなところで絶対見たくなかった人物が不思議そうな顔で自分を見つめていた。
「マ、マルク・メンゲン!
王城警備隊長、バーナダ・ガルンデル!
国王陛下の命により、馳せ参じましたであります!」
大慌てで報告したつもりだったが、当の人物は眉間に皺を寄せていた。
「静かに。ここがどこだと思っているんだ。
しかし…陛下の命とは、貴様にも御召喚があったのか?
奇遇、と言うべきか。さもなくば…」
『こいつ、何かしでかしたか?』と品定めするような視線で自分を見下ろす最高上官の前で、ガルンデルは完全に怯えてしまい、両耳は後ろに倒れ、尻尾は両脚の間に巻かれようとしていた。
そんな彼を情け無さそうな目で見ていたマルク・メンゲン、ダーハラト・メンゲン・パールは、ガルンデルの前に迫ってきて、唸るような低い声でガルンデルに言いつけた。
「貴様、陛下の前でそんな情けない姿をお見せする気ではあるまいな。
いいか。胸を張れ。尻尾はピンと伸ばせ。耳は真っ直ぐに。
王国軍人たるもの、怯えた姿などこのダーハラト・メンゲンが許さん」
ガルンデルだって結構大きい体をしていたが、目の前に立っている銀のルパシド(狼獣人)、マルク・メンゲンはそんな彼でさえ、到底敵う気がしないほど、巨大に感じられた。
「は、はい!肝に銘じて置きます!」
思わず大声で答えるところを、ガルンデルはさっき注意されたことを思い出して大声は出さず、その代わり節度のある返答をした。
「良い。では、参ろう」
そう言って、メンゲンはガルンデルを連れて応接の間の前に行き、待機している侍従に到着したことを告げた。
「陛下、マルク・メンゲン、エクス・ガルンデルの両名が上がりましてございます。」
『良い、通せ』
応接の前の優雅で頑丈な扉が開かれ、侍従が二人に言った。
「どうぞ、お入りを」
陛下を間近で侍られる侍従なら、最低でもビカリであろう。
自分より上級の貴族に敬語を言われ、ガルンデルはどうしても生きた心地がしない気がした。
実のところ、それは軍部の頂点に立つマルク・メンゲンへの敬語で、彼のことは気にしていなかっだけだ。
***
部屋に入った後、王の前に進み、右手を左肩に当てて頭を下げて礼をするメンゲンをみたガルンデルは慌てて彼に従って礼をした。
「軍務大臣ダーハラト・メンゲン・パール以下2名、陛下の命によって惨状いたしました」
「ご苦労。よく来てくれたな。
……警備隊長も、よく来てくれた」
「!王城警備隊長バーナダ・ガルンデル、もったいなきお言葉…」
「いや、いい。堅苦しいことはやめようではないか。
実は用があるのは君だったがね…君一人だけを呼び出したらどうなるかわからないというから、メンゲン卿も一緒に呼んだまでだ。
迷惑をかけたな」
「とんでもございません」
国王陛下に呼ばれただけでも心臓が口から飛び出そうな気持ちなのに、あの軍務大臣様が、もっぱら自分をエスコートするために、一緒に呼ばれて来た?
…国王の前で恥じないよう、毅然な態度を見せようといっぱい頑張って、耳だけはまっすぐに立たせていたガルンデルだったが、尻尾が脚の間に巻かれてしまっていることに全然気づいていないのは、軍務大臣も国王も見なかったことにしてくれていた。
「それで君を呼んだ用件だが…父上殿、参られよ」
『父上殿?』
奇妙な呼称に、呼ばれて来た二人は「心の中で」首を傾げた。
国王の父上なら、去年ご逝去された先王陛下のことだろうけど、『殿』などをつける?しかもここにいらっしゃると?
その疑問は、王の後ろのカーテンの後ろから現れる一人の人影によってさらに深くなった。
「御意」
と答えながら王の後ろに近づくその人物は、この中では少し小さい方の体格で、尻尾もなければ、身に纏っている衣装も見たことのない様式のものだった。
しかし、その中で最も奇妙なのが、その顔につけているお面らしいもの。
何か分からない光沢のあるつるんとした材質でできたその白い面には、1対の尖って耳と、前にピンと伸びたマズルがあり、カニセイド、特にフェネに似たような形をしていたが、緑と赤の線だけで描かれた奇怪な感じの顔が、形容し難い面妖さを醸し出していた。
- ビクッ
ガルンデルの視野に、前に立っている軍務大臣の肩に力が入るのが見えた。
国王の御前で、あのような怪しい者が現れたのだ。
さっき「父上殿」と言ったから辛うじて自制しているだけで、普通なら既に制圧しに飛び出ていてもおかしくない。
しかし…さっきから感じていたが、あの者からは記憶にある匂いがする。
色々混ざって結構薄れてはいるけど、間違いなく昨日のあのフーマニタの匂いだ。
しかし、たった1日でここまで匂いが変わるものか?
その怪しい人物が、口を開いた。
「ガルンデル殿、お久しぶりですな。
昨日はお世話になりました。誠に感謝しておりますぞ」
ガルンデルは決して愚鈍な人物ではない。
しかし、今ではかえってそれが災いして、彼の精神を恐怖の深淵へと追いやっていた。
目の前のあれは、昨日のあのフーマニタに違いないと自分で証明した。
その者を、国王陛下が「父上殿」と呼んで、間近に侍らせている。
これが何を意味するか、理解できないほど鈍感ではないのが、むしろ彼にとって不幸になっていた。
必死で我慢していた両耳は、既に後ろに倒れていた。
尻尾は…言うまでもない。
せめてもの救いを求めて、焦がるような気持ちで前に立っているマルク・メンゲンの大きい背中を見つめたが、彼もまた微動だにできていない。目の前に奇妙な存在を警戒するのでいっぱいなのだ。
ああ、あのお方に「シャンとせんか!王国軍人に恥をかけるな!」と叱られたら、この恐怖から逃れられる気がするのに…
「いつまで立っているつもりだ?近くに来るように、一旦座って話そうではないか」
「お、お許しください!!!!」
無心に話かけてくる王の前で、ガルンデルは恐怖に耐えられず、崩れ落ちて跪いて許しを乞うてしまった。
「……実に情けないところをお見せして恐縮ですが、陛下」
ガルンデルをチラ見したメンゲンが、王に進言した。
「彼のような下の者には、いささか刺激が強すぎたかと」
「む……
ふははははははは!」
一瞬困ったような顔をしていた王が、次の瞬間大いに笑い出した。
「ああ、すまぬ。流石に彼には圧がすぎたかもな。事情の説明もしていないわけで。
よし、ここは無礼講でいこう。二人も堅苦しい礼儀作法は忘れてくれ」
「は、仰せのままに。
エクス・ガルンデル、何をする。御前でいつまで恥をかくつもりだ。
さっさと立ち上がれ」
限界まで追われていたガルンデルの精神に、その詰問はどんなに甘い響きだったんだろう。
直ちに命令に従いたいけど、腰が抜けて立ち上がれないとは死んでも言えないガルンデルだった。
そんな彼らを眺めながら、王の後ろではお面の怪人物と王弟がヒソヒソと何かを話し合っていた。
『だからその気持ち悪いお面はやめろって言っただろうが!』
『いや、人間は警戒されるようだし…これ、可愛くないか?』
『どこがだよ!』
『あ、尻尾つけるべきだったか…』
『頼むから、本当にやめて』
***
とにかく場が収まり、王以外の4人はそれぞれソファに腰をかけた。
上席である王の左に、王弟ではなく、奇妙なお面をつけた人物が座ったのでまた驚いたが、2人はそんなことは表に出さないように頑張った。先ほどの「父上殿」という呼称もいい、この人物は本当に王家ゆかりの、重要な人物に違いないようだった。
無礼講とは言え、基本的な礼法まで無視するわけではないので、王から向かって左のソファにはメンゲンが座り、その左のソファに恐る恐る腰をかけたガルンデルは、ふかふかな高級ソファに座っているにも、まさに針のむしろに座った心情だった。
「メンゲン卿」
「は」
「色々と聞きたいことがあると思うが、とりあえずは我慢してもらえないか。
彼…父上殿については、後日正式に公表するゆえ」
「承知いたしました」
王自ら『今は何も聞くな』と言ったのだ。
王に忠誠を誓った彼-ダーハラト・メンゲンとしては、それ以上異を唱えることはない。
間が持たなくなろうとしていた瞬間ー
「陛下、よろしいでしょうか」
問題の人物が、話し出した。
「何だ?」
「空気が重すぎて、ガルンデル殿を呼び出した目的が果たせなそうなと存じまして。
彼、未だにすごく萎縮しているではないですか」
「ああ、そうか。
楽にしていい、と言いたいところだけど、彼の立場の上、寛げないだろうな」
『王の御前でくつろげる武官など、どこにいようー』
と、メンゲンが思った瞬間、例の人物がまた言った。
「では、例の物を試させていただけますでしょうか?」
「好きにしたまえ。そもそもそれが目的で彼を呼んだだろう?」
『試す?何を?』
次の瞬間、お面の男は上着の胸のところに手を入れた。
そこのポケットでもあったらしく、服の中から何か細長いものを取り出した。
奇妙な物質でできているように見える、派手な色で…カニセイドの子供の似顔絵が書いてあるそれは、どうしても武器には見えなかった。
しかし、ダーハラト・メンゲンはその判断を後悔することになる。
お面の男が、そのものの封を切った。
固そうに見えたのとは違って、脆い物質でできていたのか、指先だけでも簡単に切られた。
問題は、封が切られたその瞬間だった。
完全に切られたわけでもなく、少し切れ目が入った瞬間、なんとも言えない芳しい匂いが部屋の中に漂い、臭覚のいい二人はビクッと身震いした。
何か、ここにいるはずのない珍味が目に浮かぶような、食欲をそそるようなー
後ろに倒れたままでいたガルンデルの耳までもが、いつの間にかピンと立って、その鼻はビクビクと震えていた。
平穏な顔をしているメンゲンだって、心の中であれの匂いを深く吸い込みたいという本能と激闘していた。
『あれは、危険だ』
自分ですら誘惑に負けそうになるのを感じて、我慢できずメンゲンが口を開いた。
「恐れながら、陛下」
「何だ?」
「その方…が今何をなさっているのか、お聞きしてもよろしいでしょうか」
メンゲンの質問に、お面の男が王の方を見る。
王が目配せして、お面の男が返答した。
「何も致しません。
ただ、昨日お世話になった彼…ガルンデル殿に少し、お礼をしたく存じまして」
「いささか危険な物をお持ちだと思いますが?」
「危険…ですか。
確かに、少し危険かもですね。」
「何?」
「あ、心配ご無用。
彼に危害を加える気などさらさらございません。
ただ…彼の気に入りすぎて、後で台所事情に直撃するかも…ということです」
「気に入りすぎて台所事情…?
陛下、まさか…?」
「卿が何を考えているのか大体察しが付く。
しかしな、『そんな物』ではないんだ。
余が保証する」
王がそこまでいうなら、臣下としてそれ以上何も言えない。
ガルンデルが何をされようと、王の意志で行われることだから。
しかし…メンゲンの知っているラシオン王は、そんな暴君ではない。
あのお面の男は一体誰で、王をしてこんなことまでさせているのか?
「さあ、ガルンデル殿。これを」
お面の男は手に持っているあの物を軽く絞り、先端から何か、ぬぼっとした物を溢れ出させて、ガルンデルの鼻の先に差し出した。
それの匂いを嗅いだガルンデルの鼻は、もう猛烈にー
フェリデリアの爵位につきましては、追々説明できる機会があると思います。
とりあえずはエクスは騎士、マルクは侯爵もしくは辺境伯、という感じで理解していただければ幸いです。




