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最終話 side.YA



 料亭から帰宅した育伸は、ズルズルと玄関扉にもたれかかるように座り込んで、頭を抱えた。


 目の前が真っ暗だった。心の中も暗闇に包まれていた。


(半妖が!)(汚らわしい)(半端者!)(湯野川の恥知らず!)


 過去の記憶の声が、どこからともなく、響き渡り続けている。


 普段なら、鼻で笑って、「お前たちが俺をこんな形にしたんだろ!」などと言い返して、声の主を踏みつぶす。


 でも、今は、そんな力、どこにもない。


 辛うじて、彼を引き留めているのは右手に残っている記憶。料亭で、茉里乃の少しひんやりとした手のひらに包まれた感触。


 影からトラモリの声が聞こえた。


「どうしたんだ、育伸。また、こんなところで座り込んで」


「……もう、このまま消えてしまいたい」


「なんだ。古根嬢の前で猫耳を生やしたことか。だから、マタタビ酒には気を付けろ、と言っただろ。お前はあれを飲むと、普段隠している半妖の本性を出してしまうんだから」


「……」


「だけど、仕方がないか。初恋の古根嬢に手を握られたんだ。舞い上がってもしょうがない」


 トラモリの声にからかいが混じるが、


「……もう、本当にこのまま消えてしまいたい」


 育伸の口からは、消え入るような、か細い声しか出ない。


 影からトラモリが姿を現れる気配がした。


「まったく。育伸は、他のことでは完璧なのに、古根嬢に関しては本当にへっぽこになるな」


 その顔には呆れた表情が浮かんでいるのが、見なくても分かった。


「でも、当然と言ったら当然か。お前が一目ぼれした初恋の相手だからな。おまけに、契約結婚を提案してきた古根嬢のあの気風の良さ。あれは妖の自分でも惚れる。あ! でも、勘違いはするなよ、惚れるの意味に恋愛の意味合いはこれっぽっちも入っていないからな」


「本当か? 人と妖の恋愛譚は古今東西どこでもみられるだろ」


 恨めし気にトラモリを見上げると、呆れた表情を浮かべていたトラモリはさらに呆れた顔になって、


「安心しろ。お前の恋路を邪魔するつもりは欠片もない!」


 断言するのだが、育伸は再び頭を抱えた。


「もうおしまいだ。半妖であることが古根さんにバレた以上、絶対に彼女から嫌われる」


 目の前が真っ暗になった。心の中も暗闇に包まれたまま。


(半妖が!)(汚らわしい)(半端者!)(湯野川の恥知らず!)


 ワイシャツの下で冷汗が身体を伝う。


「育伸が思っている程、古根嬢はお前の本性を見て、嫌悪感を感じているようには見えなかったがな」


 トラモリの声は聞こえるが、心には届かない。


 真っ暗な目の前では、こう言うしかない。


「もうおしまいだ」


「だったら、古根嬢と本当に別れるか。これは別れる良い機会だぞ」


 トラモリの声に冷たいものが加わった。


 その冷たさが、ギュッと締め付けるような痛みを心に与える。


「彼女に迷惑をかけないように、適当な時期に別れるつもりだ、と言っていたではないか。それが彼女の幸せだ、とも。湯野川の家があれで諦めるわけがない、と俺は言ったが、お前は、あの店主に邪魔さえされなければ、別れを切り出していただろう。違うか?」


 図星だった。


 しかも、それは茉里乃にも察せられていた。


 彼女の寂しそうな瞳が脳裏に浮かんでくる。


 グサリグサリと心に斬り刻まれるような痛みが走る。


 ――違う! 寂しそうなんて、見間違いだ。

 ――俺の願望なんだ。


 あの時も、心の痛みを抱えながら、そう自分に言い聞かせて、別れを切り出そうとした。


 ――それが彼女の幸せなんだ。

 ――私の手で彼女を幸せにしたい、なんて言うのは、私の傲慢で身勝手な考え。

 ――半妖の私が彼女を幸せになんかできるわけがない。

 ――裏の妖の世界のしがらみと旧家のしがらみ。そんなしがらみを彼女に与えるわけにはいかない。


「そうして古根嬢がどこか他の男の下へ嫁ぐのを指をくわえて見るんだな」


 煽るようなその言葉が、育伸の心を2つに引き裂く。


 茉里乃の幸せを一途に願う心と、自分の手で彼女を幸せにしたいと思う心に。


 気づけば、立ち上がって、トラモリの目を見据え、吼えていた。


「ならば! どうしろと言うんだ!!」


 トラモリも負けずと育伸の目を見返し、吼える。


「育伸が古根嬢を幸せにしろ!」


「そんなことできるわけがない! 半妖である自分なんかでは、幸せになんて出来るはずがない!」


「半妖なんか関係ない! 育伸は育伸だ! それ以外何者でもない!」


「俺は半妖だ! 人間である彼女とは違う!」


「違わん! お前はさっき言っただろ。人と妖の恋愛譚は古今東西どこでもみられる、と。愛さえあれば、そんな違い簡単に乗り越えられる!」


「そんなものは幻想だ!」


「幻想なんかではない! お前も自分の幸せをつかみ取りに行け!」


 睨み合う二人。


 他に誰もいないマンションの一室に、荒い息だけが響いた。


 そんな中で、


 ♪~


 メロディが鳴った。それは育伸のスマホの着信音。その中でも、茉里乃からの連絡にだけに割り当てているメロディ。


 心から軋み音がした。


 再び、ズルズルと玄関扉にもたれかかるように座り込んでしまう。


 なんとか、ポケットからスマホを取り出すが、


「おい。古根嬢からの連絡を確認しないのか」


 手が震える。呼吸が浅くなる。


「……ダメだ。見れない。見たくない。絶対に今後一切連絡を送ってくるなという内容だ」


「……仕方がない。俺が見てやる」


 スマホが奪われた。


 トラモリの声が呆れから慰めへ変わることに耐える心の準備をする。


 耳を塞ぎたくなる衝動をこらえる。心臓がバクバクと鼓動するのを感じる。


 でも、呆れの声から変わったのは、感嘆だった。


「やっぱり、古根嬢は良い女だ」


 顔を上げると、目の前にスマホの画面がかざされた。


 茉里乃から送られてきたメッセージの最初は、高級料亭でご馳走になったお礼。


 次いで、育伸の秘密を一方的に知るのはフェアではないから自分の秘密も明かす、と。


 その秘密とは、自分も妖の存在を知っていて、今は猫又と一緒に住んでいる。


 次第に、育伸の目の前が霞んできた。頬には熱いものが流れる。


 暗闇に包まれていた心に一陣の光が差し込んできた。


 ――このメッセージは彼女の本心だろうか。

 ――半妖の私でも、幸せになって良いのだろうか。

 ――古根さん。あなたは、こんな私にもチャンスをくれるのか。

 ――私はこのチャンスをつかんでも良いのだろうか。

 ――……私はこのチャンスをつかみ取りたい。


 茉里乃から送られてきたメッセージの最後は、猫又のカンスケを抱いた茉里乃の自撮り写真とともに、こんなメッセージで締められていた。


「猫の妖様、バンザイ!」

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