第2話
――さあ、今日は昨日のリベンジ。
――昨日食べ損ねた限定ランチメニューを食べる!
会社の昼休憩を迎えた茉里乃は心の中で誓いを立てたのだが、
「はぁ~」
スマホを確認して、思わず、大きな溜息を吐いてしまった。
チャットアプリで、親友から電話が出来るか伺いが来ていたのだ。
これが1時間前なら、既読スルーが出来た。でも、着信は数分前。スルー出来ない。
――仕方がない。忙しい親友からのお求めだ。
気を取り直して、電話が出来る場所に移動して、スマホを操作。
電話のコールに相手はすぐに応えた。
『ごめん。仕事中に』
「それで用件は何?」
相手は福塚亜由美。高校の同級生で、茉里乃が胸を張って「親友」と呼ぶことが出来る唯一の人間。去年、一緒に出雲へ行った相手でもある。
『茉里乃の所にさ、高校の同窓会の案内、来た?』
「来たけど、それがどうかした?」
『もう出欠の連絡を、欠席でしちゃった?』
「まだだけど」
『良かった! ねえ、私と一緒に出てくれない?』
「え~」
――面倒くさい。イヤだ。
この感情を言葉に思いっきり乗せて、反応を返した。
今回の同窓会は同級生が集まる会ではない。高校の全ての卒業生が一度に会する大規模な集まり。惰性で支払っている同窓会費の対価として、年に一度、案内状が送られてくる。出席したことは一度もない。それでも会費を払い続けているのは、目に見える他人とのつながりだから。
『そう言わないで。ね! お願い!』
「嫌。私にメリットがないもの」
参加しない理由は「メリットがない」の一言に尽きる。旧友とのつながりを確認できる確証があるわけでもない。
――営業担当ならまだしも、経理担当では卒業生の間で人脈を広げる意味もない。
むしろ、顔も名前も知らない、先輩風を吹かせまくる年配者ばかりが集まっているイメージから、
――ハラスメントを受ける機会は避けるべし。
などと考えるほど。
『私にはあるの! 弁護士として独立したばかりの私にとって、絶好の営業チャンスなんだから』
亜由美は弁護士。去年までは小さな弁護士事務所で先輩弁護士から弁護士のイロハを学んでいたが、最近、独り立ちした。
彼女にとって、顧客開拓の機会は喉から手が出るほど欲しいもの。それが様々なバックグラウンドを持つ卒業生が集まる高校の同窓会なら、なおさら。
そんなことは茉里乃にも想像できる。
「でもさ、会場が去年とは違って、高級ホテルの宴会場にアップデートされているけれど、大丈夫なの? それだけ多くの人が集まるのかな」
『それは大丈夫。同窓会の幹事の人が同じロースクールで学んだ先輩で色々話を聞いているの。今回の会場は、ホテルの支配人が高校の卒業生で、便宜を図ってくれたんだって』
「ふーん」
『湯野川先輩も来るんだって。在学中の時から人気だった先輩の来る話がもう広がっていて、一気に出席者が増えたそうよ』
湯野川育伸。茉里乃たちの2つ上の高校の先輩で、当時からイケメン男子として人気だった。地元でも有名な旧家の出で、生徒会長も務めていたから、卒業生にも顔を知られていた。
彼でなければ、亜由美に「男目当てで参加するのか」と揶揄ったかもしれない。
けれど、湯野川育伸は、茉里乃にとって封印した記憶を思い出させるトリガーの1つだった。
「ふーん」
相槌のトーンも悪くなる。
――あの先輩が悪いわけじゃないんだけどね。
ところが、それを間違った方向で察したのか、亜由美が余計な情報まで加えてきた。
『あ、でも、安心して。赤峯早弥子が参加することはないから』
ズキリ
茉里乃の心に痛みが走る。かさぶたとなった古傷から血がにじんでくる。
赤峯早弥子は高校に入学して半年間だけ茉里乃たちと同級生だった。地元でも知られた資産家の令嬢で、気難しく、わがままな性格でも知られていた。だから、わずかな取り巻きを除くと、みんな遠巻きに見ているだけ。
でも、茉里乃は違った。
生徒会に入った彼女は、先代の生徒会長の育伸と接する機会がわずかながらあった。
それゆえ、彼に岡惚れした早弥子から嫉妬され、イジメられた。
(あんたなんか湯野川先輩に相応しくない! あたしと代わりなさい!)
代われるものなら、代わりたかった。
けれど、生徒会の他のメンバーも、顧問の教師も、代わるのをやんわりと拒否した。早弥子の問題を知っていたから。
拒否しておきながら、イジメられていることは知っていながら、茉里乃を支えようとはしなかった。
クラスメートも担任教師も見て見ぬふりをした。
みんな、「赤峯」の名を持つ早弥子を恐れた。
そして、一年生の夏休み。彼女は取り巻きと一緒に遊びに行った東京で警察に現行犯で逮捕された。容疑は覚醒剤所持。当然、高校からは退学処分となった。
(赤峯も下手、打ったな)
(あいつがいなくなって、本当、清々する)
夏休み明け、時期外れのクラス替えが行われた。他人事のように笑いながら話す男子生徒たちに茉里乃は何か感じることはなかった。
ただひとつ、クラス替えによって得られたのは、教室で席が隣になった亜由美だった。
――もう大丈夫。
――昔と今は違う。
――今の私には亜由美もいる。カンスケもいる。
『ね! だから、お願い!』
それでも、高校時代の封印した過去を掘り起こされた不快感が苛立ちを生んでしまう。
――亜由美に悪気がないのは分かっている。
昔は引っ込み思案だった亜由美の変わった姿には喜びも感じてしまう。
情報収集のために同窓会の幹事にアプローチしたように、彼女が積極的に人と関わっていることへは、茉里乃の中で少しだけ羨望を生む。逆に、茉里乃は、猫又のカンスケを存在が公にならないように、他人との接触にはある一線を引いているから。
こんな感情が入り混じってしまったせいで、突き放す言葉を口にしてしまう。
「だったら、一人で参加すればいいじゃない」
口にしてから後悔してしまう。
亜由美を怒らせたのではないか。唯一の親友を失う恐怖にもかられる。
『そんなこと言わないで、ね。今度、私の事務所に近くにある和菓子屋の音古屋さんの季節限定のフルーツ大福を買っていくから。ほら、この間、茉里乃が食べてみたいって言っていたヤツ』
変わらない亜由美の話しぶりに、少しだけ安堵する。
だから、渋々、の空気を言葉に一杯乗せて、
「はぁー。だったら、私は会に参加するだけだよ。挨拶回りは亜由美が一人で行うこと。流石にそこまでは付き合い切れないから」
――同窓会用に新しい服を買わないといけないなあ。
――ネイルにヘアサロンにも行かないといけない。
『もちろん! それで十分! 茉里乃が会場にいてくれるだけで心強いから』
電話の向こうの空気が一気に華やかになった。
『ありがとっ! 茉里乃、愛してる!』
「女の亜由美に愛を囁かれても、全然嬉しくないんだけど」
そう言ってしまうが、ストレートに好意を示されて嬉しくないわけがない。
言葉に照れの感情が乗ってしまうのを抑えきれない。
電話の向こうに伝わってしまった感情が、亜由美の言葉をまたラフなものにする。
『そう言わないで。そうだ。私が挨拶回りをしている間、茉里乃は男探しをしていたらいいじゃない』
「……男探し、って。私がまるで男に飢えているみたいじゃない。人聞きが悪い。だいたい、同窓会に参加するのは私たちよりずっと年上の人ばかりじゃないの?」
『そんなことないみたいだよ。幹事の先輩が言ってたけど。湯野川先輩のように結構若い人の出席も増えている、って。茉里乃は綺麗だから、絶対に若い良い男を見つけられるよ。これまでずっとフリーなのが人類の奇跡みたいなものだもの』
「それは言いすぎ。亜由美だって、綺麗で可愛いんだから、良い縁を見つけられるよ」
『かもね。そうだといいな。って、縁は縁でも、私が求めているのは仕事の縁だよ』
「分かっているって。神在月の出雲大社にもお参りしたから、効果を期待してもいいんじゃない?」
軽口を返しながら、時計を見た。
――あーあ。今日も限定ランチメニューは望み薄だな。
――また明日チャレン……ダメだ。明日は同期で集まってランチを食べに行くんだった。
――明日は金曜日で、次は来週。ランチメニューは変わるよね。
――仕方がない。来週のメニューを期待しよう。
――そして、昨日に引き続き、今日もコンビニのおにぎり。
――ちょっとリッチなのをチョイスしよう。
――そうだ。同窓会の高級ホテルだったら、美味しいものが一杯食べられるよね。
――楽しみだなー。
こんなことを考えながら、亜由美の言葉は聞き流す。
『だったら、茉里乃も湯野川先輩にアタックしてみたらどう?』