5話:再度、相対する
エルミアは、どんな手を使ってでもテオとアンドリューから出された課題をクリアせねば、と考え込んでいた。
寝ても覚めてもそのことばかり。頭を回しすぎて上の空。授業も全く身に入っていない。放課後もそんな調子なおかげで、ルペシャから「もっと集中なさいませ」と言われてしまう始末である。
転生以前のエルミアは、ルペシャ曰く『聖女としての務めも果たさない人間』であったという。
耳にしたときから、この部分になんとなく違和感を覚えていた。
エルミアは強大な光魔法の持ち主だ。それも、生活環境が一変してしまうほどには非常に強力なものを。
ならば、このエルミアだってそれ相応の実力を有しているのでは?
でなければ、一介の平民にすぎない少女が貴族学校に編入することすら許されないはずだ。
仮説を立てたエルミアは、実際に己の魔力を試してみることにした。
例の森以外になるべく人目のつかない場所を選び、こっそり魔法を使ってみる。
その結果――”とんでもないこと”に気づいてしまった。
そして確信した。これなら、二人からの無茶振りを達成できるかもしれない。
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深夜、エルミアは再び森の奥へと降り立った。
その場一帯を支配する巨大な影。それはなにをするわけでもなく、ただ静かに、大人しく鎮座していた。
あの時はおぼろげな輪郭しか分からなかったが、今となっては姿もはっきりと確認できる。
ドラゴンだった。凝固した血液のような禍々しい赤褐色が目を引く、視線で相手を射殺さんばかりに鋭い眼光を放つ竜。
エルミアの何倍もの大きさを誇る魔物は、しかし立派な四肢や翼を折りたたみ同じ場所で沈黙している。
「こんばんは。お話しはできますか?」
慎重に声をかければ、ドラゴンの尾が微かに揺れ動いた。たったそれだけで地震が発生したかのように、足下が激しく振動する。わわ、と声が漏れてはその場でたたらを踏んだ。
エルミアが最初に試みたのは対話。図書館で謎の男性と会話をしたとき、退けるための選択肢として浮かんだのだった。
いざとなれば対抗できるだけの力はあるはず。けれど、できることならば戦闘は避けたいもの。
しかし当然のことながら返事はなかった。やはり魔物との意思疎通など、夢のまた夢であるというのか。
わずかながら己の膝が笑い始めた。それを見ないふりして、エルミアはドラゴンの周囲を注意深く観察する。
荒らされた形跡が見当たらないことから、恐らくあれから一歩も動いていない。なんなら身じろぎの一つもしていないことであろう。
いまいち目的が理解できない。破壊活動のためにここを訪れているのであれば、さっさと実行に移せばいいのではないのか。
それともどこかに仲間がいて、機をうかがっているだけなのか……?
「仕掛けるつもりならどうぞ。貴方なんて怖くないもの」
手のひらをドラゴンに向け、自然と頭に浮かぶ呪文を唱える。主の命令に呼応するように、エルミアの手中へ金色の光が宿り始めた。
体中が熱くなって、奥底に秘められた力が血液のごとく循環していく。内側から燃えているような感覚と共に、かざした右手へ熱が集まっていくのがわかる。
拳ほどの大きさに収束した後、エルミアはドラゴンに向けて光を放った。
砲弾のごとく射出された球体は宙を舞い、ドラゴンのすぐ側にあった樹木へと激突する。
バン! と、鼓膜を打ち破るような音が響き――目を向ければ、木の幹は当てられた場所から上部が丸々消し飛んでいた。
今のは攻撃魔法の一種。あくまで威嚇射撃にすぎないので、直接当てはしない。
「これは警告です。次は当てます」
これでも威力を最小限に留めたのだが。何度も刃を立てたところで簡単に折れはしないほどの太さを誇っていた木が、こうも簡単に吹き飛んでしまうだなんて。
これこそ数日間でエルミアの見つけた、”とんでもないこと”。
やはりと言うべきか、エルミアはヒロインというだけあって高い魔力を有していた。恐らく、その気になれば国一つ簡単に滅ぼすことができそうなほどには、強大なものを。
それにしても、この違和感はなんだろうか。
エルミアがこれだけアクションを起こしても、ドラゴン側はまるで何もしない。何かを仕掛けてくる様子も見受けられない。
魔物にとって、人間なんてとるに足らない存在だとでもいうのだろうか。それとも、何か別の目的があるとでも。
右手を巨体に向けたまま、ジリジリと、ゆっくりゆっくりにじり寄る。
呼吸は既に荒い。全身からはこれでもかというほど汗が噴き出ている。
心臓は口から吐き出しそうなほどに飛び上がり、四肢の至るところが痙攣し始めた。
それでも徐々に、徐々に距離を縮めたところで――。
「――ギャァアアアアアアアッ!?」
「痛ッ……!?」
一瞬の出来事。鼓膜すら破けそうな鋭い雄叫びに、思わず足を止めた。
エルミアの視界を何かが素早く駆け抜けていく。黒い影は白銀の閃光と共に舞い、流星のごとく現れては消えてしまった。
誰かがドラゴンに剣を振るったのだと、数秒遅れて理解する。しかし、硬い装甲に包まれた図体には傷のひとつも見当たらない。
「くそっ、全然入ってねえ!」
「全く、何をちんたらやってるの? こういうのは油断しているうちに攻撃しないとでしょ!」
耳に届く男二人の声にはひどく聞き覚えがある。
導かれるように顔を上げれば、立っていたのは案の定。この難題を出してきた張本人、テオとアンドリューだった。
悔しさをにじませながら悪態をついた大柄の男は、立派な大剣を携えている。アンドリューと同じくらいの背丈を誇る広幅の兵器。
人間なんか簡単に真っ二つにできそうな得物ですら、あの魔物に一矢報いることはできなかったなんて――。
いや、それよりも。
「どうして二人がここにいるんですか!」
エルミアがここに来ることは誰にも話していない。リアムはおろか、チェルシーですら知らないのに。
「どうしてはこっちの台詞だよ!」
「テメェどういう神経しているんだよ!? こんな真夜中に森の中で!」
「……いや、貴方たちがこの魔物をどうにかしてこいって言ったんでしょうが!」
自分で言ったことを忘れたなんて言わせない。
エルミアは大声で真っ当な主張をしただけなのに、彼らはそれを上回る勢いで声を荒げ返答する。
「言ったけど! お前のことだから尻尾巻いて逃げると思ってたのに!」
「丸腰で立ち向かうなんて何考えてるんだよテメェは!」
「まさかと思って後付けて来たけどっ、本当に魔物だなんて思わなかったじゃん!」
「は……」
テオの返答に愕然とする。
二人は確証もないまま、エルミアを危険地帯に放り込んだというのか。
けれどこうして様子を見て、いざとなったら剣を振るってくれた状況を喜ぶべき……?
「よくわかんないけど聖女サマって、人のこと強くできるんでしょ? 早くアンドリューにそれやってくんない!」
確かに、エルミアの使える魔法の中に他者の強化魔法が含まれていたけれども。
上から目線なテオの態度に青筋を立てながらも、それが彼なりの精一杯の強がりであることに気がついた。
震えている。それもあからさまに。テオの額からは絶えず汗が流れ落ち、心なしか顔色も悪い。
ここは指示通りに、右手の指先をアンドリューへと向けた。強化魔法の呪文を唱えようとして、直前であることに気がつく。
「待ってください二人とも!」
「何!? さっさと倒すんじゃ――」
「ドラゴンから交戦の意思を感じません」
「はぁ?」
これだ、先ほどから覚えていた違和感の正体は。
あくまで「ドラゴン」という名前から連想する事象に過ぎないが、彼らは気性が荒くプライドが高い。空を飛び、鋭い爪で空間を切り裂き、大きな口から火炎を吐き出し敵を攻撃する。
目の前の魔物がそれに該当するかは不明だ。しかしアンドリューに斬られてもなお、ドラゴンがこちらに危害を加えようとする様子は見られない。
そちらがその気ならば、こちらもやることは一つ。
「平和的に解決できる方法を探します」
「んなこと信じられっかよ!」
「平和ってなに? 話し合いでもするつもり? そもそも、魔物に知性があると僕は思えないけれど?」
「そしたら私が責任をとります。貴方たち二人を守るくらい余裕ですから」
あくまで人命優先なので、この森全体の安全までを気にしている余裕はないが。
二人をエルミアの背後に退避させ、再びドラゴンと向き合う。
相変わらず恐怖心は消えてくれないけれど、それでも先ほどよりは幾分かましだった。
話せないならば、無理矢理にでも口を割らせればいい。
顔の前で両手を組む。祈りを捧げるように堅く手を握りしめた後、目を閉じた。
「聖女が命じます。貴殿の目的を、御心を明らかにしてください」
――ガァア……。
願いへ応えるように、鼓膜を切り裂かんばかりの鋭い咆哮が響いた。
しかし不思議なことに、それらはエルミアの脳内に言語として流れ込んでくる。
まだ幼い子供の声で再生される声。曰く――。
「”主君と喧嘩して家出したら、この森で迷子になってしまった”」
「はぁ? 迷子ぉ?」
エルミアの返答に、アンドリューが不満げな声を上げた。
事の発端が喧嘩とは、どうやらこの魔物もずいぶんと大変な思いをしているらしい。
「ほんとにそう言ってるの?」
「要約しただけだから、一言一句そのままではないわ」
どうにも外へ遊びに行くことを許可してくれなかった、とのことらしい。
家出同然で飛び出したはいいものの、この森に迷い込んでしまい、帰る方法がわからなくなってしまった。下手に動けば周囲を破壊しかねないため、動くに動けない。主とは喧嘩別れをしたため、助けを求めるにはバツが悪い。
これが理由の全貌だという。
それにしても、動機が遊びにいきたいとは、ずいぶん子供心に溢れた魔物だ。
しかし彼らはどうしても納得いかない模様。それでもなお怪訝そうな顔を浮かべる二人に、エルミアは自身の考えを述べる。
「これはあくまで私の推測にすぎませんけれど。この魔物に襲撃の意思があったならば、学校は当に攻撃を受けているはず。それ以前に、森だってこんなにきれいに保たれているとは思えません」
「はぁ……?」
「うぐ……悔しいけれど、一理あるかも」
「どういうことだよテオ、わかりやすく言ってくれ」
「だーかーら、こいつが本当に敵なら、僕たちも無事じゃないよねって話」
「なら初めからそう言えばいいだろう」
言ってるじゃない。
腕組みをして、威張るように言い放ったアンドリューに思わず声をかけそうになった。
隣ではテオが文字通り頭を抱えている。恐らくこの瞬間だけ、エルミアと彼の思考は一致しているのだろう。
魔物の思考が判明した以上、怖がる必要はない。彼に敵意はないのだから。
目の前の不可解な生物は、今し方心を通わせられる仲となった。
きっと、もう大丈夫。
エルミアは巨体に近づき寄り添った。手を伸ばし、アンドリューが切り裂いた箇所にそっと触れる。ひんやりと冷たく、ゴツゴツとした岩のような肌触りが伝わってきた。
回復魔法を口にしながら、脳内に浮かべるのは温かく優しい光。身体に受けた傷が塞がるような、心に受けたダメージが少しでも癒えていくようなものをイメージする。
「ごめんなさい。私たちはもう貴方を傷つけないわ。一人で帰れそうですか?」
ドラゴンは大きな頭を小さく縦に振って、肯定の意を表わした。
しかしこのままでは身動きすらとれない。だからエルミアは、ドラゴンの周りに結界のようなものを張ることにしてみる。バリアのような薄い膜で守ってあげることで、周囲へのダメージをなくすことはできないかと考えたのだ。
「他の人に見つからないようにね」
「――ギャァ」
嬉しそうに一鳴き、高い声を上げドラゴンは歩み始める。結界が功を奏したようで、彼がいくら巨体を揺らそうが、周囲に被害らしきものは見当たらない。
エルミアの目論見は上手くいったようで、ほっと胸をなで下ろした。やりたいことがなんでもできてしまう。光魔法、あまりにも便利すぎる、と改めて己の能力に感嘆する。
彼はゆっくりゆっくり、確かな足取りで帰路へとつく。
ドラゴンが暗闇に溶けていくのを見送って、エルミアはずっと黙りこくったままの二人へ帰宅を促した。
「時間も時間です。私たちも早く帰りましょう」
「俺に指図すんじゃねえよ」
彼らはどこか不貞腐れた様子でエルミアに背を向ける。そして一度も振り返ることなく、森の外へと歩き進めていった。
全く以て、どこまでも困った人たちである。
森の中に現れた魔物らしき生物を退ける。これで、二人からの無茶振りはなんとか達成できた。
一件落着、と言いたいところだが、この事件は己の中に新たな疑問を残した。
何故、”エルミア”はこんなにも強大な力を持ちながら、何もしなかったのだろう。
攻撃魔法、強化魔法、回復魔法。さらに、願えば強制的に魔物の思考を暴くことができた。はっきり言ってチート、なんならご都合主義に近いレベル。ここまで来たら、エルミアを中心に世界が回ってる、と言っても過言ではないのに。
だからこそ、どうしてこの力を人々のために使おうとせずにいたのだろうか――と。