4話:世界の歴史とエルミアの未来
昨晩遅くまで起きていたせいか、初めて見る魔物に恐れをなし、なかなか寝付けなかったせいなのか。
目を覚ましたのは、太陽が真上に昇った頃になってしまった。
リアムが入室した形跡があったけれど、何かを察したのか起こすことなく戻ったらしい。 枕元には、読みやすく丁寧な字で「毎日お疲れ様」との書き置きが残されていた。
……来てくれたのなら、起こしてくれてもよかったのに!
でも、おかげで久々にぐっすり眠れたかと思うとちょっと複雑!
黒日であろうものならば余裕で大遅刻もの。
今日が休日でよかった、と天運のよさに感謝しながら、ゆっくり髪の毛を梳かしていく。
情報収集すると決めた手前だが、残念ながらこの世界にインターネットという技術はない。そうなれば、頼れるのはあの場所のみである。
いつものようにツーサイドアップで結い上げ、服装はなるべく華美でないように。持ち物も最小限にとどめ、堂々と学生寮を抜け出した。
散歩がてらのんびり歩きながら、改めて知らない世界に酔いしれる。
これで現状が酷いものでなかったら、もっと軽い気持ちで楽しめただろうに。
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エルミアは市街の図書館へと足を運んでいた。
学校内にも大きな図書室を備えているが、せっかくだから普段は行けないような場所に足を運んでみたい、と以前から思っていたのだ。
「わぁ……」
館内へ足を踏み入れたエルミアを出迎えたのは、橙色の暖かな灯火に包まれた優しい空間。幾重にも積み重なった本棚には、たくさんの本が所狭しと並べられている。
見渡す限りの本、本、本。図書館というよりは、美術館のようにも見える。
一生かかっても読み切れない量の蔵書には、頭がくらくらするようだ。
中へと歩みを進めれば、少し古い紙の匂いが鼻孔をくすぐった。
そのうち、歴史本を取り扱う一区画へと向かう。背表紙のタイトルを確認し、それらしき書物を引っ張り出しては腕の中に積み上げていった。
子供向けに簡単な言葉で説明された絵本から、大人向けに作られた文字中心でハードカバーの分厚い冊子。また、マニアへ用意されたものか難解な文字列がびっしり細かく記載されたアーカーイブ、などなど。
併設された勉強机に向かい、多種多様に渡る文献を読みあさり、時折持参の用紙にメモをとりながら理解に努めた。
難しいものはよくわからなくて雰囲気で読んでしまったけれど、どれも記載されていることはことはほぼ同じである。
――かつて人間と魔物の存在していた時代。
人間にとって魔物は害であり、脅威であり、そして恐怖の象徴とも言えた。
自分たちと異なる体格に容姿、伝わらない言語。いつ何をされるかわからない潜在的不安。
そんな彼らに怯え過ごす日々に、終止符を打ちたいと考えた人間たちは立ち上がった。
あまたの犠牲を払い、魔物たちを討伐し、ついには”魔王”を封印することに成功。彼らは平穏な日々を手中に収めることができたのだ。
しかし神託は下る。
『いずれ魔王は復活するであろう』、と。
あれだけの屍を積み重ね、封印に漕ぎ着けた悪党が再び跋扈することの、なんと恐ろしいことか。
けれど人間は決して悲嘆に暮れなかった。そんな中、予言はもう一つの神託も下していたからだ。
『魔王復活せし時、聖女も生まれ出ずる』
その聖女こそがエルミア=アルネスト。人類の希望であり、光であり、そして救済であった。
なるほど、大体わかってきた。そして、どのようにしてエルミアが死亡ルートを突き進んでいくのかも。
今ここで、はっきりと思い出した。
世界は聖女を救国のしるべだと誰もが信じて疑わなかった。彼女こそ、我々を魔物から護ってくれる絶対的存在であると。
事実、攻略対象らの個別ルートに入ったときは魔物を退けた功績者として国から大いに称えられる。
しかし、周囲からの――特に攻略対象者からの好感度が低いと評価は一変してしまう。 なんと主人公は「裏で魔物と手を組み、自国を滅ぼそうとしていた悪しき存在である」などと、とんでもない言いがかりをつけられてしまうのであった。
その結果が国家反逆罪により処刑、というとんでもバッドエンド。
ことごとく好感度を下げまくったせいか弁明の機会すら与えられず、主人公はあっと間に殺されてしまう。
そんな後味の悪い結末こそがSNSで流行を見せていた要因。このゲームに詳しくない私が知っていた理由にして、やたらと記憶に残っていた原因でもある。
改めて考えても酷い話だ。
いくら嫌いだからって釈明もなく刑に処するというのは、あまりにも公平性に欠けるのでは?
けれどそれは、自身が経験したことがないからこそ呑気に言えること。
魔物の侵攻により壊滅した街、奪われた日常や愛する者の命。なにもかも瓦解して、混乱して、理性などまともに働かない場所に黒幕が現れたとなれば、非難轟々になることだって想像に難くない。
私だってきっと、そんな状況に置かれたならば、元凶の声に耳を傾ける余裕なんて持てないと思うから。
……もしこのまま、私の好感度が低いまま、何も変われなかったら……本当に死んでしまう。
民衆の前に晒されて、罪人だと声高らかに決めつけられ。物を投げられ暴言を吐かれた挙げ句、最期にはこの首を切り落とされて……――。
ぞくり、と悪寒が背筋を駆け抜けていく。
それとほぼ同時、己の無事を確かめるように首元へ手をやった。
両手に伝わる肌の温もりと拍動する脈。たったそれだけの当たり前に酷く安堵し、深く息を吐き出した。
大丈夫、まだ生きている。まだ、きっと……猶予はある。
ここで投げ出してしまえば、それこそ一環の終わりなのだから。
それより、今は目の前のことに集中しなければ。
「これが、この世界の歴史……」
「なんだこれは、ずいぶんと偏った話だな」
「ッ!?」
噛み締めるように口にしたとき、背後から見知らぬ声が聞こえた。
まさか誰かに話しかけられるだなんて思ってもいなかったので、驚きのあまり飛び上がりそうになる。
「……あの、どちら様で……?」
男だった。魔道士のような黒いローブを羽織った見知らぬ人物は、ただ静かにエルミアの後ろに立っていた。
彼は何も答えない。無言のまま興味深そうに、エルミアが走り書きで記したメモ用紙を見つめるばかり。
やがて男が顔を上げた。
初めて絡んだ視線の先。こちらを静かに見据える両目は赤く、心の奥底を探らんとばかりに鋭い眼光を放っている。
腰まで伸びた髪はカラスの濡れ羽色のごとく艶やかで、その場にいる者の目線を全て奪わんばかりに光り輝いていた。
何を考えているのかわからない。それが真っ先に浮かんだ感想。
けれど不思議なことに、こちらの考えは全て筒抜けなような気がしてならない。
到底、人間とは言い難いほどの神秘的な雰囲気をまとう人物。
エルミアが男に見とれている合間にも、痛いほどの沈黙は続いている。
……何か話した方がいいのかな?
しかしこれといって話題がない。気まずい空気に晒されていれば、彼の薄い唇が開き音を紡いだ。
「其方は聖女なのか?」
「どうして突然そのようなことを?」
「質問に質問を返すな」
「……肩書き上はそうみたいです」
とはいえ今や聖女は嫌悪の対象。どこで誰が聞いてるのかも分からないので、尻すぼみに返答をする。
嘘をついてもよかった。けれど直感が告げていた。
血のごとき赤き双眸の前には、小手先の虚構など無意味なものであろうと。きっと下手に取り繕ったところで、後々自分が後悔する羽目になる――。そんな気がしていた。
彼はエルミアの応答を耳にすると、口元に手をやり何かを考え込むような動作をとる。
自らを納得させるように数回頷いた後、次いで質問を投げかけた。
「ふむ。なあ、魔物についてはどう考える」
「どう……というのは?」
「其方が魔物に抱く気持ちを、そのまま口にすればよい」
もしかしてこの人は魔物に興味があるのだろうか。だから熱心に文献を読みあさるエルミアに声をかけてきた、のかもしれない。
人間にとって魔物は、恐怖足りうる存在であると今し方学んだばかりだ。そうでなければ、わざわざその言葉を口にすることもないであろう。
彼の真意が読めない今、文字通り”そのまま”口にすることはリスクがある。それを踏まえ、エルミアは慎重に言葉を選びながら回答する。
「……恐ろしい、です。当たり前ですが、こちらの言語や常識は通じません。身体も我々人間より大きいですし、万一にでも襲われるようなことがあればひとたまりもないでしょう」
「では仮に、意思疎通に関する懸念がクリアされた場合は?」
「話し合いの余地はあるかと思います。けれどあくまで時間稼ぎにしかならないでしょう。人間同士でもわかり合えない場合は充分にありますので」
「人間と魔物は未来永劫、相容れない存在であると?」
「それは……わかりかねます」
脳裏に浮かぶのは、昨晩出会った巨大な影。
与えられた恐怖は絶大で、今思い出しただけでも指先が震えるようであった。
仮にあの大きな生き物と言葉が交わせたとする。いいことも悪いことも、楽しいことも悲しいことも共有して、笑い合い涙を流せる日が来たとして――。
そうすれば、共に生き抜くことは可能なのであろうか。
答えは否である。
静かに首を横に振った。そこからエルミアの考えを推測したであろう彼が、小さく唸り声を上げた。かすかにだが、眉間にシワが寄るのが見てとれる。
しかしこれだけでは終わらない。エルミアは彼が口を開く前に、次なる意見を主張した。
「存外、人間も魔物もお互いのことを知らないのかもしれません。私もこの世界のことがわからないので、こうして調べているところです。貴方の考えはわかりませんが、もし共存を願うのであれば……大事なのは相互理解。そう考えます」
「……そうか」
魔物が恐ろしいというのは、もしかしたら人間の中に根付いた勝手なイメージかもしれない。確かに魔物と聞いて、真っ先に思い浮かぶのは凶暴や破壊といった、負の方向性ばかりである。
しかし、実際に接してみれば案外思いやりにあふれた優しい生物なのかもしれない。戦いを好まない穏やかな個体も存在すると言われてしまえば、そうなのか、と納得するほかない。
「ずいぶん素直な娘だな」
「貴方がそう言ったんじゃないですか」
「はて、そうだったかな」
男のおどけたような態度に少々苛立ちを覚えながらも、エルミアは何も言わずため息をついた。
そのまま口にしろと言ったのは紛れもない彼である。でなければ、私だってここまで明け透けに答えてない。
メモの片隅に「相互理解」と書き記し、ぐるっと丸で囲う。持ち帰ったところで、あまり役には立たないかもしれないけれど。
「ところで、貴方は――」
エルミアは思い出したかのように呼びかけ、振り返った。
しかし――。
「いない……?」
男は忽然と消えていた。
慌てて周囲を見渡してみるも、彼の姿はどこにもない。
まるで初めから存在しなかったかのように、蜃気楼のごとく行方をくらませてしまった。
残念だ。こちらからも、魔物に対しての印象を問おうと思っていたのだが。
でもこれではっきりしたことがある。
「私」がいるのは、あのゲームで間違いない。
奮闘する心の奥底で、何度夢であれと、気のせいであれと考えすぎであれと願ったことか。それらはただの希望的観測にすぎず、現実は非情にもエルミアにとって一番最悪の道を突きつけてきた。
今は六月の半ば。断罪が行われる卒業パーティーは三月初旬。
時間はわずか九ヶ月ほどしか残されていない。
このまま誰からも好感度を――ひいては信頼を獲得できなければ、エルミアは凄惨な死を迎える。
指先が酷く冷たく感じる。震える手で何かに縋るよう腕を伸ばすも、その先には何もなかった。
私が……死ぬ。
それだけは……それだけは、絶対に避けなくてはいけない。
以降は書き上がり次第、投稿していきます