3話:二人からの難題
ここらで一旦、情報を整理しようと思う。
ある日、私は目が覚めたら乙女ゲームの世界に転生していた。
転生先はヒロイン、名をエルミア=アルネスト。魔族の存在するこの世界に必要不可欠とも言われしめている「聖女」なる存在。
しかしどういうわけか、エルミアは周囲から異様に嫌われていた。好感度が最底辺のまま突き進めば訪れるのは、死。
それをなんとしてでも回避するべく、私は生まれ変わることを決意したのである。
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初めに行ったのは、貴族としてのマナーを身につけること。
やはりとでも言うべきか、ルペシャによる稽古は非常に厳しかった。
彼女は少しの妥協も許さない。
たとえそれがお辞儀の角度たった一ミリが違うものだとしても、容赦なく指摘をされた。
日中は学業に専念し、放課後は貴族としての礼儀作法など最低限のことを学ぶ。学生寮に戻ればその日の復習は当たり前で、それだけで一日が終わってしまう。
休日も自主学習に精を出しているおかげで、休みらしい休みはほとんど取れていない。
日付が変わってしまいそうな頃、ふかふかのベッドに寝転んで眠りにつくのが唯一の休息時間といってもいいほど。
もう無理ギブアップ。
初日からそう口にしたくなるほど心身共に疲弊していたけれども、エルミアは決して諦めなかった。
ここが生死の分かれ道と踏んでいれば、もとより投げ出すだなんて選択肢が存在するわけない。
加えてなんだかんだでルペシャは面倒見がよく、こちらのやる気があるうちは決して見限らなかった。
それに彼女は時折目をそらし、扇子で口元を隠しながら「……やれば出来るじゃありませんの」と呟く。
素直でない様が不躾ながらも愛らしいと感じてしまい、エルミアは胸を高鳴らせ、また次の段階へと歩みを進めるのであった。
その甲斐あってか、見事ルペシャの提示した合格ラインへと到達した。
そしてここまで来たからには、と今後も彼女のお世話になることになる。
思わず小躍りしそうになったけれど――淑女らしくないなんて、即合格取り消しになっては大変悲しいのでなんとか耐え忍んだ。
ルペシャに申し入れをしてから一ヶ月も経過する頃には、慌ただしい生活にも慣れてしまっていた。
相変わらず彼女の言動一つ一つからはトゲを感じるが、それはルペシャなりに周囲を考えてのこと。
責任感の強い彼女は、一度果たした約束は決して反故にしない。
規律を守り抜き、違反する者にははっきりと注意する。
褒めるべき相手の美点はしっかり捉えており、認める――残念ながら、それを表に出すことは少ないのだけれども。
そしてエルミアは、今日も真面目に取り組んでいたのだが――。
「なあ見ろよ、あいつまたやってるぜ」
「本当よく飽きないよねぇ。それとも、ルペシャ様にお近づきになって、なにか企んでいるのかもよ~?」
耳へと入る不愉快な冷やかしに、集中力を削がれそうになる。
貴族マナーを学び始めた頃からだった。孤軍奮闘するエルミアのやる気を削がんと言わんばかりに、刺客が周囲をうろちょろし始めたのは。
いつからいたのかは覚えていない。気づいたら、確かにそこにいた。
テオ=グレイシャ。階級は伯爵。レモン色の綿菓子のような、ふわふわの頭髪が特徴的な男子生徒。男性にしては小柄な矮躯と大きな瞳が特徴的で、若葉のように柔らかい黄緑色で見つめられた日には思わず虜にされてしまいそう。しかし見た目に反して毒舌なのか、彼の発言からは常に毒という毒を感じ取れる。
片割れをアンドリュー=マーフィー。同じく伯爵。燃えたぎる決意のように激しい赤をオールバックにまとめあげ、筋骨隆々とした見事な肉体美が目を引く。言葉遣いも乱暴で粗暴そのものだが、エルミア以外の他者を傷つけているところは見たことがない。
見た目は正反対な彼らは非常に馬が合うらしく、行動するときはほどんど二人一緒。
二人ともエルミアと同じクラスでありながら、教室内でまともに姿を見かけることは殆どなかった。俗に言うサボり魔というやつなのだろう。
彼らはエルミアに対し何らかの恨みがあるようで、姿を見るなり執拗に絡んでくる。とはいえ直接関わるというよりは、今のようにヒソヒソ陰口を叩いてくるのだが。
そんなことがもう何度目か。文句の一つでも返したいところだが、そんな暇があるならば少しでも作法を自分のものにしたい。
困っていれば、不意にルペシャがため息をついた。
彼女が広げていた扇子を素早く畳む。たったそれだけで、辺り一帯が緊張感に包まれた。
一瞬にして、息を呑むことさえ許されないほどにまで張り詰めた空気が漂う。
そしてつり上がった目尻の奥にある白銀を一層鋭く光らせて、率直に苦言を呈した。
「テオ様、アンドリュー様。彼女は勉学の最中です。妨げになるようなことはお控えください」
流石にこの日ばかりは我慢ならなかったのであろう。いつもは何も言わずに指導へ集中する彼女が、初めて口出しをした。
腐っても彼らは伯爵。階級は圧倒的に公爵であるルペシャの方が上。
二人は顔色を変えるなり頭を低く下げ、適当に謝罪しては足早に去って行った。
「困ったものですね、お二人にも。時間の無駄と思い放っておきましたが、もう少し早く退散していただくべきでした」
「申し訳ございません、私のせいでお手を煩わせてしまい」
「お気になさらず。しかし、あの態度は貴族として如何なものかと」
どうやらルペシャには、あの二人の態度は「正しいもの」として映ってはいないらしい。 しかしそれ以上言及することはなく、彼女はエルミアに完璧なカーテシ-をたたき込まんと指導を再開した。
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特別授業終了後、エルミアは学生寮への帰路についていた。
最中にボソボソと聞こえたのは耳障りな男たちの声。音のする方へ近づいて、低木の陰からひょっこり顔を出す。
そこには案の定、例の二人の姿があった。中庭に設置されたベンチに並んで腰掛け、不満げな表情を浮かべながら談笑に興じる。
二人の様子からして、あまりいい内容だとは思えないけれど……。
エルミアはこっそり聞き耳を立てる。
「アルネストの奴をどう思う?」
「さーあ。最近ルペシャ様によく絡んでるみたいだけど、どうせ長続きはしないと思うよ」
「賭けようぜ。俺は夏休み前に終わるとみた」
「本気? 僕はあと三日も持たないと思うけどね」
この人たち……本当懲りないな……。
どうやら彼らに反省の二文字はないらしい。いくらルペシャが口添えしてくれたとはいえ、この態度は目に余るものがある。
それにエルミア自身、直接言ってやらないと腹の虫が治まりそうにない。
「そこのお二方」
堂々と姿を現せば、二人の身体が大げさなくらい跳ね上がった。この様子では、エルミアがこんなにも近くにいたことに気づいていなかったのであろう。
よっぽど悪口に夢中になっていたのね……不愉快極まりない、といったらありゃしない。
面倒な前置きは必要ない。求めているのは事実だけだ。
エルミアは単刀直入に、彼らへ疑問を呈する。
「どうすれば私が変わろうとしてるって認めてくれますか?」
「なにそれ。意味わからないけど~……。あーじゃあ、それが本当かどうか証明してくれない?」
「テメェが聖女らしいことをしてるとこ見たことねぇんだよ。名前だけでチヤホヤされやがって」
果たしてアンドリューには正しい現状が見えていないのであろうか。今のエルミアは、どう見たってチヤホヤなどされていない。むしろ真逆の待遇を受けているほどだ。
しかし、論点はそこではない。
なんとも的外れな言いがかりに黙ったままやり過ごせば、テオがなんとも憎らしい笑みを浮かべながらあることを口にした。
「最近、学校裏の森から変な声がするんだって。あくまで噂でしかないんだけれどさぁ。多分魔物か何かじゃないの~?」
「……まさか、それを私に倒してこいとでも?」
「気づいちゃった? あはは、そのまさかだよ」
「そいつを倒すか追っ払うかできりゃ、テメェのこと少しは考え直すかもな」
「ま~ぁ? お前には無理だと思うけれど~!」
二人は笑うだけ笑ってその場を後にする。
その背中を見つめながら、震える握り拳を収めようと深呼吸を繰り返していた。
――許せない。
揃いも揃って、そんなにも私のことが憎いのか。
何が理由だかわからないけれど、ここまでされる筋合いはない。
魔物だなんかって言ってるけど、どうせ大したことないんでしょう?
その証拠に、この世界に来てからそれらしきものを一匹たりとも目にしたことがない。
そんなもの、さっさと片付けて目にもの見せてやる。
既に小さくなった仇敵たちを指さし、彼らの耳にも届くようにと大声で叫んだ。
「……絶対見返してやるんだから!」
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啖呵を切った日の深夜。
エルミアはこっそりと部屋を抜け出し、森の中を散策していた。
学校からそう遠くない場所に位置する山林。鬱蒼とした場所は普段から人の出入りがないせいか、草木が荒れに荒れている。
自ら危険を冒していることは百も承知。余計な心配をかけたくないからと、リアムとチェルシーには何も言わず黙って出てきた。
周囲を小型のライトで照らしながら、ゆっくりゆっくり奥へと進んでいく。
乾いた土と枯れた木の葉の臭い。まともに整備などされてない、道なき道を歩き続けた。 天気も生憎の曇り空。行く先を示すのは、頼りなくか細い光だけだ。
歩けど歩けど、周囲からはやはり何の気配も感じない。
思い返せば、テオは『あくまで噂でしかない』と口にしていた。真偽不明の噂を鵜呑みにしたのは、紛れもないエルミアの方だ。
じゃあ結局、私は騙されたってこと? あり得る。
これも嫌がらせの一環だと考えたら、だんだん腹立たしくなってきた。
「……帰ろ」
馬鹿馬鹿しい、と吐き捨てるように口にしたとき。
ゾクリ、と全身を突き刺すような悪寒を感じた。
あまりにも突然の出来事。確かに何もなかった、その場所に何かが”ある”。
少しでも気を抜こうものならば、跡形もなく押しつぶされてしまいそう。そう思えるほどには強大な気配を感じ取っていた。
未知の重圧は前方から。騒がしい己の心臓の鼓動を聞かないふりして、徐々に顔を上げていく。
そして目撃してしまった。平和な空間に混ざる、明らかな異物を。
「……え?」
自分よりも格段に大きな身体。横にも縦にも広がるそれは、見上げるだけで精一杯だった。
捕食されようものならば、丸呑みにされてしまうであろうほどに大きな口。
天に向かって生える二本の装飾品は角、長く太い曲線は首。
どっしり構えられた四つ足から伸びる鋭い鉤爪のようなもの。
胴体の根元から生え、先端にかけ細長くなっていくものは尻尾だろうか……?
それはさながら、ドラゴンのような影。
あれが魔物だとでも……? いやいやいや、ずいぶん大きくない!?
前言撤回。大したことめっちゃある。
それを倒すか追い払うだって? 無理だ無理だ、あんなの命がいくつあっても足りやしない。
あの様子では、こちらにはまだ気づいていない。撤退の判断を下すまでは速かった。エルミアは音を立てないよう、細心の注意を払い後ずさる。
一歩二歩、三歩進んだところで――。
……パキ。
「……――!!」
踏みつけた小枝の折れる音が響き渡った。一切の静寂にも等しい場には、どんなに小さな音でさえはっきりと耳に届く。
あまりにもお約束過ぎる展開に声を出しそうになりながらも、寸でのところで飲み込みこらえた。
ライトを当てなくたってわかる。正体不明の怪物が、ゆっくりとこちらを振り返っているのが。
やがて、捕食者のごとく鋭い眼光に射貫かれて――。
「――ぴぃあぁあああ゛あ゛あ゛あ゛ッ!!」
あたかも潰れたカエルのような悲鳴を上げながら、ただひたすらに足を前へ前へと動かした。
ルペシャがこの場にいようものなら容赦ない鉄槌が下りそう、なんてよぎるほどに淑女像からはかけ離れた行為。しかしそんなことを気にしてる余裕なんてない。
何度も躓きそうになりながら、何度も叫びそうになりながら――しかし決して後ろを振り返ることはせず、暗い暗い迷宮をがむしゃらに走り抜ける。
どうやってここまで戻ったのかを全く覚えていなかった。汗だくになりながらたどり着けた自身の部屋に、酷く安心感を覚える。
それでも脳裏に焼き付いて離れない光景だった。
焼き付くようなまばゆい光線は、振り返ればすぐそこにあるのではないかと錯覚するほどに。エルミアに恐怖を刻みつけるには十分すぎた。
荒い呼吸を整え、ガタガタと身体を震わせながらも頭を回す。
自身に最も不足しているもの。それは情報。
魔物とは何か、聖女とは何か。そういった事象のあれこれ、全て知らないままでいる。
それもそうだ……転生したら知らない世界の登場人物、しかもヒロインであり聖女。だというのに各方面から嫌われているから、教えてくれる人がいないのは当たり前だ。
もちろん”私”はこの世界のことをほとんど知らないけれど、十数年と生きている”エルミア”が知らないというのは違和感に他ならない。
もう十分周囲からは様子がおかしい人認定されているのに、これ以上変人扱いされても私の心が持ちそうにないし。
まずは情報を集めるのが先決だろう。そうとなれば、早速行動あるのみである。
ずっと一人称で書いてきたので、結構難しい
ちゃんと三人称一視点になってるなかぁという不安。