28話:強制休息の時間
リーの腹心にして部下であるドミニクは、ここ数日とある悩みに支配されていた。
我らがリーダーにして先導者、至高なる魔王様。確か今は、”リー”という簡素な名前を使用しているといったか。
ドミニクは、そんな彼の部屋へと無断で足を踏み入れていた。
きちんと整理整頓のなされた部屋からは、まだ焦げた臭いがするようにも感じられる。
数日前、ドミニクは聖女と顔を合わせた。細くひょろひょろとした矮躯は実に頼りなく、その気になれば手加減をしてでもくびり殺せそうであった。
リーが彼女を安全に送り届けた後。ドミニクは彼の部屋を訪れ、軽く言葉を交わした。
そして、ドミニクに驚きの言葉を投げかけるのである。
――要約すれば、それは魔族としての侵攻を取りやめることにする、とのこと。
その意思は堅く揺らがないものであるのか、リーは短期間で練った数多の作戦書すらも己の手で燃やし尽くしてしまった。
彼の言うことは絶対。それはただ盲信的に従っているからではなく、リーの言うことはいつだって合理的で、納得するに足るだけの力を持っていたからである。
しかし、今回初めてドミニクと意見が対立した。
戦いを……やめる?
奪われたものを取り返すことなく平伏し、人間たちに隷属する……?
魔族の中には戦闘を好まぬ平和主義の者も存在する。彼らのことも考えた場合、それは確かに正解の道なのであろうが。
過去に犠牲となった、先人たちの魂はそれで浮かばれるのだろうか。
これが本当に正しいと、どうして断言できようか……?
「そんなに悩むならさぁ、協力してあげよーか?」
「誰だ!」
不満を脳内に列挙していれば、突如として高い声が響いた。
振り返った先にいたのは人間だった。全身を覆い隠すようなローブを身にまとい、フードを被っている。そのせいで顔は確認できないが、小柄で華奢、中身は女に間違いない……しかし、聖女ではない。
ドミニクが右手に力を込めれば、変装が解かれ鋭い鉤爪が露わになった。トカゲのように太く岩肌のような右腕を相手に向け、低い声と共に威嚇行動をとる。
「何処から入った? 名乗れ」
「へぇ~、ここが魔王リーの部屋。あのスチルと全く一緒なんだね。場所もそう、前に見たまんまだ」
「名乗れといってるだろう!」
「あんた魔王の腹心でしょ? 本心では人間が憎くて憎くてたまらない。蹂躙して簒奪して、死んでった仲間のたちの仇を討ちたくてたまらない。けれど、あんたたちの長はそれをやめてしまった」
「それがお前となんの関係がある」
「どう? 復讐したくないの?」
「――俺ぁ……」
図星だった。だからこそ、何も言い返すことができない。
ドミニクは覚えている。突如として攻め込んできた人間たちが、嬉々として仲間たちを虐殺していく様を。抵抗虚しく押し負けていく劣勢の焦りを。
目の前で魔王が封印された、あの日の絶望を。
なんとか生き残った者たちで結束し、人間から隠れ、逃げ回る日々の屈辱を。
すこし魔力を弱めれば、鉤爪が筋骨隆々とした人間の腕に戻る。ドミニクはそこへ力を込め、血がにじみ出そうなほどに拳を握った。
あのような惨めな思いはもう二度としたくない。
まだ見ぬ後生の魔族たちに、同じような目に遭ってほしくないのだ。
言い淀むドミニクの姿を肯定と受け取ったのか、女の口角がわずかにつり上がる。
「作戦書の内容って覚えてる?」
「一瞥しただけだ。断片的にしか……」
「それで充分! そしたら、あたしがとびきり素敵なものにアレンジしてあげるから!」
「……なあ、あんたは人間だろう? こんなことをして、何になる?」
両手を合わせてはしゃぐ彼女へ、ドミニクは自身の中で浮かび上がった疑問を口にする。
何故この女は、こんなにも協力的なのだろうか。
実際に戦いが始まってしまえば、不利益を被るのは彼女たち人間側だというのに。
「あたしの世界を始めたいの」
ドミニクの質問に、女は歌うような口調で返答した。細く白い人差し指を口元に当てれば、唇の端が裂けんとばかりに意地の悪そうな三日月を描く。
それはまるで、これから引き起こさんとしている災禍を心底楽しむかのように感じられた。
愉快な愉快なお祭りが始まるとでも言わんばかりに。
フードに隠されたその奥、ルビーのように赤く丸い瞳が不気味に光り輝いたような気がした。
「そのために、彼女たちには犠牲になってもらわないとなんだぁ」
そして、女は実に粘着質な声で囁いた。
***
ディランとルペシャが本音をぶつけ合った翌週のこと。
放課後、エルミアはホームルームが終わるなり教室を飛び出した。目的の人物を見つけるなり、素早く前へと回り込む。そして両腕を目一杯広げ、その人の行く手を阻んでいた。言うなれば通せんぼである。
邪魔をされた主であるルイスは、高い目線からエルミアを見下ろしていた。やがてゆっくりと目を閉じると、頭を左右に振りながら小さくため息をついた。
「あなたにはきちんとお伝えいたしましたよね。オレたちには関わらないでください、と。話を聞いていなかった、という言い訳は通用しません」
「ガルシア様。貴方は働きすぎです。そんなだからぶっ倒れるんですよ」
まるで聞く耳を持たない相手には、こちらも同じく聞く耳を持ちこまない。エルミアは人差し指をルイスの眼前に突きつけると、言葉で鋭く両断した。
彼が倒れたあの一件以降、ずっと考えこんでいたこと。
恐らく、ルイスにはワーカーホリックの気がある。
言うなれば仕事中毒。彼の頭にプライベートの文字はなく、全てを主君に捧げ生きている。
朝起きて仕事、昼ご飯を食べて仕事、学校が終わっても仕事寝ても覚めても仕事。
ディランへの忠誠心が厚いのは大変素晴らしいことだが、そのせいで自身が壊れてしまっては元も子もない。
休めるときには休み調子を整える。でなければ、有事の際にまた倒れでもしたら一体誰が主人を守るというのだろうか。
本当はあのお茶会の翌日にでも誘いをかけたかったのだが、ルイスはなかなか手強かった。ホームルームの終了とともに駆け出してみても、彼は既に姿を消してしまっている。それを繰り返すこと数回、五度目の正直。エルミアはついに彼を捕らえることに成功したのだ。この好機を逃さずとしてなんと言おう。
「というわけで、今から貴方を連行します」
「……は?」
「文句は受け付けません」
ルイスの細くもしっかりとした腕を掴み、エルミアは歩き出す。振りほどかれるかと思いきや、彼は意外にも大人しく着いてきてくれた。
十代半ばにして王太子殿下の護衛兼従者という役職に就く男。外見は細身といった印象を受けるが、服の下はさぞかし鍛え上げられているのだろう。闘技場では剣を軽々振り回し、あのアンドリュー相手に立ち回っていたのだから大きな力を有していることには間違いない。
その気になれば、心の底から本気で嫌だと感じれば力で実力行使に出る選択肢もあったであろう。しかしルイスはそうしなかった。
観戦の際もエルミアが参加することを拒まなかった。彼の本心は、一体どこにあるのだろうか。
疑問を抱きつつ、エルミアは彼を強制連行する。向かった先は最早お馴染みとなりつつある市街地。実はあの串焼きの味が忘れられず、時間を見つけては通い詰めていたのだった。
平日の夕方であるにも関わらず、往来は賑わいを見せていた。大はしゃぎする子供たちの群れをかき分けて、エルミアは目的地にたどり着く。
屋台の主は、エルミアの姿を目にするなり豪快な笑みを見せた。
「エルミアちゃん! 今日は見たことない兄ちゃんと一緒なんだな?」
「こんにちは! ええ、彼にここの美味しさを伝えにきたんです!」
「はは、そりゃ光栄だな!」
エルミアは慣れた手つきでお金を渡し、出来たての串焼きを二本受け取る。
まずは自身が一口食べることで無害性を示し、もう一本を強制的に彼の手に握らせた。
「美味しいので是非。勿論、毒なんか入れちゃいませんよ」
ルイスはこちらが言い終わるよりも早く、無表情で口へ運んだ。あまりの躊躇のなさにエルミアは不安を覚えながら、彼がもぐもぐとリスのように咀嚼する様子を見守る。
ごくん、と喉仏が上下するのと同時に、僅かながら彼の表情が緩んだ。驚きを交えつつも未知への体験に対する喜びを含めたような変化に、エルミアは心の中でガッツポーズをする。
「これは……」
「庶民の味、というのもなかなかよいものでしょう?」
エルミアは胸を張り、既に主役の消えた竹串を彼の前へ突きつけた。
ディランの従者兼護衛を務める彼のことだ。王宮に住まう立場にいるので、毎日の食事はきっと豪勢なものに違いない。もしかしたらその過程でディランの毒味役を任されているかもしれないし。
どちらにせよ素朴で質素な食べ物など、貴族育ちのルイスは生まれてこの方口にしたこともないだろう。
「ガルシア様も、ディラン殿下を連れてお忍びでいらっしゃることがあれば、是非ごひいきにしてくださいね」
「……検討しておきましょう」
それからもエルミアは、ルイスをあちらこちらへと連れ回した。あの日はリアムに案内されていた立場だったが、今はルイスに肩の力を抜くことを教えている。
レンガ造りの喫茶店でホットケーキやコーヒーを食したり、お手頃価格で手に入る個人制作のアクセサリーや色とりどりの花を扱うお店を眺めてみたり。数え切れないほどの紅茶を販売する専門店へ足を運んで、それぞれ親しい人へのお土産も購入した。
ゆったりと人通りを歩く最中、ふとエルミアは疑問を覚えた。
「そういえば、あなたのことを強引に連れてきてしまいましたけれど。ディラン殿下の護衛は大丈夫ですか?」
「何もかも今更ですね。ええ、この時刻までは別行動でも構わないと、殿下から仰せつかりました。不本意ですが、職務も他の者に任せております」
あまりの段取りの良さに、エルミアは思わず拍手を送るところだった。
いつの間にディランと連絡を取っていたのか。いや、それともこうなることを予め予期していたのかもしれない。詳しくは追求しないので、真相は闇の中だが。
呆れながらも淡々とルイスだったが、その表情がわずかに曇ったのを見逃さなかった。微かに俯いた彼の顔に影が落ち、青色の双眸が左下を向く。
「殿下を守れないようでは、オレに価値などありませんので」
意識を集中させなければ聞き取れないほど、小さな声で発せられた内容にエルミアは首を傾げる。
何もそこまで自身を卑下する必要はあるのだろうか。その行き過ぎた謙遜がどこから来るのかが、いまいち理解できない。
今にも壊れてしまいそうなほどにまで自身を追い込み、それでもなお剣を振るい続ける。並外れた根性と覚悟は大変に立派なものであり、誇れることだと思うが。
彼の繊細な心象など考えたってわからないのだから、悩んだって仕方がない。
ならば次はどこに行こうか、と己の中で行き先を決めていた時だった。
「――きゃぁああああああっ!」
絹糸を裂くような悲鳴が辺り一帯に響き渡る。
エルミアとルイスは弾かれたように顔を見合わせた。
発生源はおそらくこの近く。二つ先を曲がったところにある路地裏から聞こえたはずだ。
何かを言うよりも早くルイスが走り出し、エルミアも続く。
そして、広がっていた光景にエルミアは目を疑った。
「魔物!?」
イノシシにも似た四足歩行の生物が、尻餅をつき倒れる女性の前に立ちはだかっていた。
人間より一回りも大きな魔物は、長くゴワゴワとした体毛に覆われている。
特に目を引くのは鋭く研ぎ澄まされた牙だ。釣り針のように曲がり天を向く先端は、刃物のように尖り殺傷能力は一目瞭然である。
イノシシの体にマンモスのような双牙。それは非常に興奮しているのか、鼻息荒く今にも襲いかからんとしていた。
指の一本でも動かそうものならば突撃せんと言わんばかりに、赤く煌々と輝くつり上がった獣の目。
あんなものに追突された日には、ただの怪我どころでは済まされないだろう。
足を震わし息を呑むエルミアの前に、ルイスが半歩踊り出る。彼は制止するようにエルミアの前へ腕を伸ばすと、冷静に指示を出す。
「下がってください。アルネスト嬢、彼女を」
「はい」
彼は荷物をエルミアに託すと、全速力で駆け腰に下げていた剣に手をかける。鈍い輝きを放つ刀身が露わになったとき、魔物も荒い咆哮とともにルイス目がけ走り出した。
これで注意はルイスへ向いた。
地震が来たのではないかと錯覚するほど揺れる地面の上、エルミアは女性の腕を引きできるだけ距離を取る。
恐らく突進とあの牙が主な攻撃手段であろうが、他にどんな手を使ってくるか分からない。その上、襲撃者があの一体だけとも限らないだろう。
エルミアは呪文を口にすると、自分と女性に防御魔法をかけた。目には見えないが防護壁のようなものが展開されているので、これならいつ襲われても数発は耐えられるだろう。
去り際、ルイスにもこっそりと身体能力向上の魔法をかけておいた。魔物の攻撃力は未知数。彼の実力を疑っているわけではないが、足下を掬われてしまえば元も子もない。
エルミアは人通りが少なく、それでいて広い道を選び、女性を落ち着かせる。周囲からは魔物の気配も感じられない。
「ここまでくれば安全でしょう。見たところ、怪我はないようですね」
「ごめんなさい、ありがとうございます……」
「魔物はいつ頃から現れ始めたか、覚えていますか?」
以前、リアムと訪れた際は平和そのものだったはずだ。それからというものの、エルミアはあの屋台を目当てに時々顔をのぞかせていた。
それが一体、どうして魔物が現れるような場所になっているのだろうか。
彼女が居たのは比較的人通りの少ない場所であったことを考慮しても、治安の悪い場所はこれといって存在しないはず。現に、表通りはあの時のように人々が行き交い活気に溢れているというのに。
「三日くらい前、だったかと思います……」
女性は頬に人差し指を当て、考え込むような動作とともに口にする。
直近の出来事。ここ一週間のエルミアはルイスを追いかけるのに躍起になっていたおかげで、市街地に足を運ぶことも出来ずにいた。
なるほど、それならばエルミアが見たことないのも当然と言えよう。
納得したように頷いていれば、彼女の顔が徐々に青ざめていく。そしてあたかも自身の罪を弁明するかのように、エルミアに訴えかける。
「けれどみんな、野良犬か何かだと思って本気にはしていませんでした。襲いかかってきたのは、これが初めてです」
「貴重なお言葉、ありがとうございます。即刻、上には話を通しておきます」
女性から事情聴取を終えたところで、ルイスが姿を現した。話によると、あと少しで仕留められそうなところで相手が逃げ出したという。
深追いすることなく剣を納めた彼は、エルミアたちの逃げた方向を追いかけてきたとのこと。魔物による脅威が去ったと断言はできないが、今日のところは心配ないであろうとルイスは語る。
安全面を考慮して、二人は女性を家まで送り届けることにした。たどり着いた彼女は申し訳なさそうに、玄関の扉を閉じるまで何度も何度も頭を下げていた。
最近徐々に日が延びてきたとはいえ、空は影を落とし始めてきた。時刻は六時半くらい。お開きにするには、まだ少し早いとも言えるような時間ではあるが。
本来ならば時間の許す限り、ルイスに羽を伸ばしてもらう予定であった。しかしあの現場に立ち会ってしまった以上、悠長なことは言っていられない。
「ガルシア様、戻りましょう。急ぎ、このことをディラン殿下にお伝えせねばなりません」
「オレから話を通します。けれどアルネスト嬢。その前に一つだけよろしいでしょうか」
ルイスは一瞬物憂げな表情を浮かべると、少しばかり小さな声で言葉にする。
「……一カ所だけ、寄りたいところがあるのです」




