27話:可能性の塊---ディラン
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手の内を見せてはいけない。
腹の底を読ませてはいけない。
簡単に相手を信用するな、それはお前を油断させる罠かもしれないのだから。
だからこそよく見極めろ。目の前に立つ人間が本当に信頼するに足る人物であるかどうか。
その上で我が臣民を大事にし、彼らに仇なす者は何であろうと確実に排除しろ。
これが王家たる者の心得。
言語も理解できぬ、まだ首も据わらぬうちから聞かされてきた教訓。
呪いのようにじわじわと無意識下に染みこんできた言葉たちは、成長するにつれディランの身体や精神をゆっくりゆっくり蝕んでいった。
加えてディランは王家待望の第一子であり男児。この世に命を生まれ落としたその瞬間から、王位継承権第一位の座についている。
だからこそ、ずっとずっと酸素のない深海で生きてきたも同義であった。
まだ小さなディランの身体に視線を合わせ、母親のように愛情を持って接してくれていた侍女は敵対勢力の間者だった。
眠れない真夜中、部屋を抜け出し遊びに行った厨房でこっそりお菓子を与えてくれた料理人は暗殺者の一味であり。
帝国学をたたき込み、立派な大人へと育て上げる役割を担ったはずの教育者は、素知らぬうちに寝返り立派な裏切り者に変貌。
父の、国王陛下の右腕を務めていた男は国の資金を着服し、横領罪で然るべき処分を下された。
そんな彼らがどんな最期を迎えたなんて、……ああ、きっと忘れていたままの方が楽でいいに決まっている。
陰謀、奸計、欺瞞、詐術に詭弁。黒く深い欲望という名の手垢にまみれた大人に囲まれてきたディランが人間不信に陥るのは、そう難しいことではなかった。
実の家族ですら、幼い弟妹ですら――心血注いで尽くしてくれる使用人たちでさえ、誰も彼もが疑わしい。
唯一心を許せるのは、自身が気まぐれに拾ってきた護衛兼従者のルイスのみ。
婚約者であるルペシャとの仲は、とうに冷え切っているためどうなろうと知ったことではない。
例え彼女が王家を乗っ取ろうと画策しているだとか、こちらに対して愛情のない政略結婚を承諾していようが、愛人を持とうが、一切合切ディランには関係のないこと。
怪しい動きを見せるのであれば、実行に移す前に排除してしまえばいいのだから。
そのはずだったのだ――、つい先ほどまでは。
「どうしたんだいルイス。顔色が優れないようだけれど」
エルミア、ルペシャと別れた後。送迎馬車に揺られ岐路についていたディランは、目の前に座る男の変化に触れた。
長い脚をきっちりと閉じ、膝の上に手を置きお行儀よく座るルイス。彼の眉間にはしわが刻まれ、ただでさえ近寄りがたい絶対零度の空気に拍車をかけている。
ルイスはしばし逡巡した後に、ディランの顔をしっかりと捉えてきた。そして、主人にも臆することなく堂々たる様子で口を開く。
「恐れながら殿下。何故、あの女を信じることにしたのですか」
「おやおや、君にしては随分と口が悪いじゃないか」
何を言い出すかと思えば、エルミアに対する扱いが気に食わないといったところか。
それでもなお余裕の笑みを浮かべ続けるディランへ、彼は追い打ちをかけるように強い口調で続ける。
「貴殿への愚行の数々、お忘れになったわけではありませんよね?」
「……ああ」
返答はため息とともに零れ出た。
「はっきりと覚えているよ。仮とは言え、私にも婚約者がいる身。それでいてあのような振る舞い……普通であれば、到底許される訳がないだろう」
ディランは窓の縁に肘を置き、馬の速度に合わせゆっくり移ろう外の景色をぼんやり眺める。その脳裏によぎるのは、色素の薄い髪をハーフツインに結い上げた平民上がりの少女の顔。
ディランの立場を知りながらも平気で近づき体を触り、挙げ句の果てため口をきいた。
身体で誘いかける相手はディランだけに留まらなかった。彼女は目に留まる男全てに声をかけているのかと勘ぐってしまうほど、様々な男子生徒に近づいては誘惑を繰り返していた。
いくら最近まで平民として生活していたからとはいえ、この学校では貴族として扱われる。それなのに最低限のルールやマナーを守ることも、ましてや覚えることもせず、彼女は横暴に振る舞い続ける。
建前上とはいえ、婚約者がいる身と断りを入れようが、彼女はお構いなしに腕を絡めては身体をすり寄せてきた。
そんな女を、ディランも好意があるように見せかけ心の中では冷淡にあしらっていた。
私にとって、彼女は「どうでもいい」存在。それが不敬罪だなんだで理由をつけられ処されたところで、私には何の関係もない。無論、知ったことではない。
「けれどねルイス。私は彼女から可能性を感じたんだ」
「可能性……ですか」
目線を外からルイスに移せば、彼はわけがわからない、といった様子で首をかしげていた。
その表情がなんだかおかしくて、ディランは彼にさえ気づかれない程度に小さく笑い声を漏らす。
ある日突然ぱったりと会いに来なくなったかと思えば、まるで別人が入り込んだかのように変化していたエルミア。彼女が言うことには、近い未来に訪れる死を回避するために動いている、とのこと。
あの様子からして、その場しのぎの嘘ではないことくらい即座に判断できた。だからこそ少し試してみようと遊んでみたのだが、まさか逆にしてやられるだとは。
王妃になる誘いを断り、ルペシャとの仲を改善させようとルイスまでも巻き込み場を設ける。
この大々的劇的変化を、可能性の塊といわずとしてなんと言おう。
ディランは自身の唇に人差し指を当てると、神妙な声色で告げた。
「これは何か面白いことが起こる前兆に他ならない――、ってね」
「……殿下がおっしゃるならば、そうなのでしょう」
言葉こそ主人の決定を肯定する従順な従者。しかしルイスは、明らかに不服そうな表情を浮かべていた。
あれだけ荒んでいた男がまるで嘘のようだ、とディランは過去を思い返す。
彼はディランがまだ幼い頃、スラム街を視察にいった際拾ってきた男だった。
それはほんの些細な、ただの気まぐれだった。
丁度、自分と歳が近い護衛がほしかった。しかし人間不信に陥っていたディランは、周囲の推薦があった候補生ですら選ぶことはなかった。
そんな時に出会ったのがルイスである。今日を生きるのも必死なその場所で這いつくばりながら命の手綱を握っていた彼に、過去のディランは何かを感じ取ったのかもしれない。
平民育ちのエルミア、スラム出身のルイス。似たような境遇にいたせいか、彼はエルミアに近しいものを感じていたらしい。
その結果がこれだ。
だからこそ、ルイスは人一倍彼女を毛嫌いしているのかもしれない。
なんて、ただの自分勝手な予測にすぎないが。
それきりルイスは、堅い岩のように口を閉ざしてしまった。背筋をピンと伸ばしながら、こちらの足下を見つめるかのように目を伏せている。
ディランからも何かを話すことはない。馬車の中には、長い長い沈黙が訪れた。ガタゴトとアスファルトの上を走る馬車の音だけが、静寂を切り裂くように鳴り響いている。
ディランは小さな箱に揺られながら、この先について考えを巡らせていた。
私の手によって、ルイスという一人の男の運命は変わっていった。
だがそれ以上に。
彼女という変数は、この先数え切れないほどの変革をもたらしてくれるだろう。
そんな未知への好奇と、期待に胸が高鳴ってやみそうにない。
もしかしたら、世界すらも変えてしまうような力を有しているかもしれない――。
ディランはまだ見ぬ未来を想起して、再び口角をつりあげるのであった。




