23話:魔族が語りし真相
どのくらい話し込んでいただろうか。一言二言だけでも交わせたらと思っていたが、予想に反してずいぶん長い間お世話になっていたらしい。
話の途中で離席する者もいたが、エルミアもリーも彼らを引き留めなかった。
思考回路なんて人それぞれ。ラディスと呼ばれていた男の子もそうだが、これだけ大勢いれば人間をよく思わない魔物がいることは至極当然といえる。
その中でエルミアは、彼らに関する情報をあらかた入手することに成功した。
木の実や肉、魚といった自然の食物を食べることもあれば、パンやステーキといった手の込んだ料理を口にすることもある。
今までは鳴き声のトーンやジェスチャーでコミュニケーションを図っていたが、最近言語を習得するように魔王から通達があったらしい。ドミニクのように完璧にマスターしている者もいれば、ジークのようにまだ曖昧な者もいる。
魔族たちは生きていくにあたって、いくつかの約束事を決めているらしい。
おいそれと人間に接触しないこと。人間の街に出るときは、正体がばれないよう完璧に変装をしてから行くこと。
そして、人間たちを襲わないこと。
どうやら彼らは我々人間と関わることに消極的であるらしい。
それどころか、避けているようにすら見える……?
得られた情報や考えを整理していれば、誰かに肩をツンツン突かれた。
隣に立っているのはリー。他の魔族はとうに退出したらしく、大広間には彼とエルミア二人だけが残されていた。
彼は口元にうっすら弧を描くと、慈愛に満ちた眼差しを向ける。
「聞き慣れないことばかりだろう。無理に理解せずともよい」
「その通りなのですが……、とても重要なことなので」
「……其方は、我と初めて出会ったときのことを覚えているだろうか」
「ええ」
忘れもしない、あれはこの世界についての情報収集をしていたときのこと。
図書館で世界観を学ぶエルミアに、声をかけてきたのがリーであった。当時は「魔族に少し興味がある人」程度にしか考えていなかったのは懐かしい記憶。その正体は、泣く子も黙る魔王様だったのだが。
「我が其方になんと話しかけたかも、記憶しているか?」
「ごめんなさい、そこまでは」
「よい」
気にするな、とでも言うようにリーは首を振った。
出会ったときのことは、はっきりと覚えている。いかんせん気配もなく背後に立っていたものだから、転生直後と同じくらい驚いたものだ。
しかし何を話したかまでといった細かい部分までは、流石に記憶から抜け落ちてしまっている。
「”ずいぶんと偏った話だ”、と。エルミア、其方はあれが人間の主観で書かれた話だということに気づいていたか?」
「……言われてみれば」
エルミアは本の内容を思い出す。
『人間にとって魔物は害であり、脅威であり、そして恐怖の象徴とも言えた』
『自分たちと異なる体格に容姿、伝わらない言語。いつ何をされるかわからない潜在的不安。そんな彼らに怯え過ごす日々に、終止符を打ちたいと考えた人間たちは立ち上がった。』『あまたの犠牲を払い、魔物たちを討伐し、ついには”魔王”を封印することに成功。彼らは平穏な日々を手中に収めることができたのだ。』
どれもすべて、人間サイドから見た魔族に対する主張や思考ばかり。
たくさんの本を手に取ったからこそ、覚えている。
魔族側の主張を書き記した文献は、あの中に一つとして見つからなかった。
リーは顔つきを険しいものに一転させると、衝撃の事実を口にする。
「確かに我らは人間とは違う存在だ。だが、昔の我らは、彼らを害そうと思ったことは一度たりともない」
「………………え?」
エルミアは耳を疑った。
魔族が、人間を攻撃しようと思ったことはない……?
「人間と敵対するつもりはなかったんですか?」
「ああ」
「殺すつもりも?」
「ああ」
「笑顔も住居も、何気ない日常だって奪う気はこれっぽっちもなかったって、そう言いたいんですか?」
「人間は、我らが”自分”たちと違うという、そんな身勝手な理由で滅ぼし我を封印した」
「な……ぁ……」
矢継ぎ早に口にした質問に、ただ淡々と回答をしていくリー。声も体も震え、段々と覇気を失うエルミアと違い、あたかも呼吸をするかのように彼は答弁を続ける。
彼から告げられた真相に耐えきれず、エルミアはいよいよ膝から崩れ落ちてしまう。力を失った両腕がだらんと投げ出され、瞬きをしながら砂利の敷き詰められた地面を見つめた。
そんな。
……そんなことって。
エルミアはずっと思い違いをしていたのかもしれない。魔族という、今まで生きてきた世界では当たり前のように悪者扱いされてきた種族の名前を聞いたそのときから。
疑いもしなかった。おかしいとも思いもしなかった。
まさかきっかけを作ったのは、人間の方だったなんて。
「信じられぬか? ならばそれでもよい。だがこれだけは知ってもらいたくてな。我はかの歴史の、生き証人であると」
「貴方が嘘をついているとは思いたくありません。ですが……」
ガタガタと震える両手を、地面を引っ掻くように握りしめた。傷がつきそうなほど、爪が剥げそうなほど、指紋が消えてしまいそうなほど強い強い力で。
目頭が熱い。鼻の奥がツンとする。視界がぼやけて、上手く前を見ることができない。
それでもエルミアはゆっくり頭を上げ、顔色一つ変えない魔王の赤い瞳に焦点を合わせた。
声が出ない。何かを言おうとしても、はくはくと口が動くだけで音にならない。
そして、ようやく絞り出した言葉に――。
「……悔しいとか、復讐してやろうって、そうは思わないんですか……ッ!」
「……泣くな、エルミアよ」
リーがゆったりとしゃがみ込み、エルミアに視線を合わせる。大きな手をこちらに伸ばしエルミアの頬に触れれば、親指の腹で優しく目尻を拭った。
彼はただ困ったような表情を浮かべていた。まるで駄々をこねる子供をあやす親のように、仕方ないといった様子で眉を下げる。
「其方は本来我らと対立する者。聖女として我らを滅ぼす側の人間だ。敵の前で、おいそれと涙を見せるものではない」
「けれど!」
「そのような気持ちがあったことは事実。つい先日まで我も考えていた。この怒りをどうしてくれようかと。どう、人間たちを跡形もなく無惨に消し去ってやろうか、と」
エルミアは彼を怒る気にも、咎める気にもなれなかった。それどころかむしろ、彼の行いに同意さえしていた。
自分たちは何も悪いことをしていない。それなのに突然、平穏な日常を奪われたのだ。
人間が自分たちとは違うという理由だけで。ろくに接しようとも理解しようともしなかったくせに、いつ何をされるかわからないという、思い込みの果てに。
だからこそ、そう思ってしまうのだって当然のことであろう。
「しかしエルミア。其方のおかげで気が変わったのだ」
「……わたしの?」
エルミアは彼の言葉をいまいち理解できず首を傾げた。
リーは復讐を企てていると語っていたが、この様子だと中止になったのだろう。
争いが起きない。こちらとしては大変喜ばしいことだが、一体どうエルミアと繋がるのだろうか。
「エルミア。其方はこの世界を愛しているか?」
「……わかりません」
「では、仲を深めた人間たちを失うことは?」
「到底許しがたい行為です」
脳裏に浮かぶのは、大事な友人たちの笑顔だった。
”エルミア”として生きた時間は多く見積もっても半年程度。しかも、今交流のある人たちの半数からは信じられないほどに嫌われていた。
それでも紆余曲折を経て、自身の中ではかけがえのない仲間になっていた。だからこそ、彼らを傷つけようとすることは断じて許されない。
世界についてはわからない。周囲からの好感度はまずまず取り戻せていると感じているけれど、いつどこで牙を剥くかは全くもって予測不可能だから。
「それは魔族も同じことよ」
頬を包み込んだままのリーの大きな手のひら。ここに連れてきてくれたとき、触れていたものは氷のように冷たく思わず身震いするほどだった。
しかしその手は今や温かい。エルミアの酷く混乱する心をじんわりと沈めてくれるような、絡まった糸を優しく解いてくれるような温もりを感じる。
「実現不可能かもしれない。綺麗事と罵られるかもしれぬ。それでも我は、仲間が――大事な者たちが傷つく姿を見たくないのだ」
長いまつげに縁取られたつり目がゆっくりと伏せられる。瞬きがなされ、現れた深紅の双眸には強い決意と意思が宿っていた。
「我は、平和な道を模索したい」
エルミアは、かつて思考し口にしたことを思い出していた。
争いなんてしたくないと。自らの手で戦火の火種を巻くようなことはしたくない、と。
どうやらリーは、その時のエルミアと同じことを思っているらしかった。
人間と魔族。種族こそ違えど考えることは一緒。
血を見ることなく、誰も傷つくことなく問題が解決するならば、それが誰にとっても最善に決まっている。
彼のいう通り、どんなに実現不可能に強い理想論だとしても。
「それが貴方の選択であるならば、何も言いません。私はリーさんの意見を尊重します」
「……感謝する」
リーは薄く笑って、噛みしめるようにお礼を述べた。
魔族の領地から退出するため、エルミアは再び目と耳を一時的に制限される。暗闇と静寂に支配された世界に置かれるが、不思議と恐怖心はなかった。
次に目を開けたとき、立っていたのは自室の中心部だった。ベッドサイドに置かれた時計に視線をやれば、驚くことに既に日付が変わってしまっている。
念のため確認してみたが、エルミアの身体には傷一つも見当たらない。どうやらリーは帰路も無事に送り届けてくれたらしい。
感謝の気持ちを伝えようと辺りを見回すも、そこには誰にもいなかった。
「リーさん、今日はありがとうございました」
それでもエルミアは虚空に向かって話しかけ、頭を下げる。
彼は数日エルミアを見ていた、と言っていた。ならば、今も姿が見えないだけで近くにいるのではないか。そう考えて、この気持ちが伝わることを祈って。




