22話:魔族との対面
「ここ数日其方を見ていたぞ」
「ひっ!?」
休日。部屋のベッドに横たわり、放心状態で天井を見つめているときのことだった。
突然目の前にブラックホールのような空間が現れたかと思いきや、その中からリーが姿を現した。にゅにゅっとこちらを伺う姿は逆さづりにされた生首のようで、さらなる恐怖心を煽る。
まるでホラー映画の一幕のような演出に、危うく心臓が飛び出るところだった。
どうにもこちらを監視していたような口ぶりだが、エルミアがそれに気づいたことは一度たりともない。それならそうと、せめて一言くらいかけてほしいものだが。
……見られたくないプライベートな部分には、きちんと配慮されていることを切に願うばかりである。
リーは空間から全身を現すと、軽い身のこなしで床に着地した。艶やかな長髪と黒のローブがきれいに翻り、その場に微風を巻き起こす。
エルミアはゆっくりと上体を起こし、ベッドの縁に腰掛けた。仁王立ちの魔王を見上げて、未だバクバクと鼓動を早める心臓を落ち着かせようと大きく息を吐く。
「次はもっとまともな登場の仕方にしてください。ショック死するところでしたよ」
「はは、そんなタマではないだろうに」
「それで。数日監視していた貴方は、私が一人でかつ誰にも会う予定がないところを見計らったかのように現れました。もしかして、”あの件”に関するお話ですか?」
「流石はエルミア。我の思惑をまるっと見抜くとは。おかげで説明する手間が省けた」
リーは感心したように小さく拍手を送る。完璧に当てずっぽうだったが、褒められて悪い気はしない。
そもそも彼はエルミアに何かしらの用があり、ここ数日ストーカーのごとく監視し機をうかがっていたとのこと。ならば話しかけるチャンスはいくらでもあったはずだ。
それでも完全に一人でいる状況を狙ったのは、恐らく魔族に関する話題を上げたかったからだろう、と考えることもできる。
「其方があの殿下と懇意にしている様子が見受けられたからな。鉄は熱いうちに打て、とも言うだろう」
「あれが最初で最後、みたいなものですがね」
「大事なのは接点ができたということ。其方に頼み事がある。我には解決しなければならない問題があるが、我一人の力ではどうにもならないのだ」
リーは一呼吸置くと、厳かに話を続ける。
「知っての通り、我は魔族でありそれらを統べる王。少ないながらも、仲間がいる」
仲間と聞いて真っ先に思い浮かんだのは、ジークの無邪気な笑顔だった。彼は今元気にしているだろうか。そして後方に控えていた、ドミニクと呼ばれていた送迎役の男性も彼らの一員なのであろう。
リーは己の胸元に手を当てると、曇りなきまっすぐな瞳でこちらを見つめた。
「仲間を守るために、聖女エルミアにご助力願いたい」
「具体的には、何をすればよろしいのでしょう」
「国の者と交渉がしたい。そのために、まずは謁見の許可を得たく思う。しかしいきなり素性不明の者が訪れては、いらぬ混乱を引き起こしてしまうだろう。そこで、其方には仲介役を依頼したいのだ」
エルミアは反射的に身構えた。例え彼がこちらを害する気はないと頭ではわかっていながらも、咄嗟に働いた防衛本能にも近しいものだった。
交渉にあたりまずはアポイントメントをとる。しかしリーの身分は魔王、おいそれと明かせぬ上に素性を隠し通せば一悶着起きることは容易に想像がつく。
そこで、先日ディランと接点のあったエルミアに仲介役を持ちかけてきた、ということか。
手順こそ丁寧に踏んでいるものの、一体何を話すつもりなのだろうか。
ひとえに「仲間を守るため」といえども要求は様々だ。人間が今後魔族に危害を加えないようにすること。魔族が生きやすいような環境を整備すること。
人間の居場所を奪い、魔族の世界を作ることだって、仲間を守ることに該当するのではなかろうか――。
そこまで考えてから、エルミアは己の中に湧き上がった不埒な妄想をかき消した。
まだ決まったわけじゃない。人間にとって最悪なシナリオを本当に展開するつもりであれば、わざわざ回りくどい方法をとらずとも奇襲を仕掛けた方が成功率は格段に上がる。
これは彼なりの誠意の見せ方。ならばこちらも、真摯に対応するのが筋だ。
「……リーさん。私からもお願いがあります」
しかし、今のエルミアには分からないことが多すぎる。
彼が仲間と呼ぶ者たちの素性や思想、数や生活習慣など。エルミアが想像しているよりもずっと慎ましやかなものかもしれないし、もしくは過激なものかもしれない。
だからまずは、魔族について深く知る必要がある。
「私を魔族の皆様に会わせてください」
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リーはエルミアのお願いに無言で頷いた。そして、いくつかの条件を提示してきた。
魔族の住処へ向かう際には一時的に五感の一部を制限すること。
彼らが過度に嫌がる、もしくは怯えるような素振りをみせた場合は、リーの判断次第で撤退すること。
今日あったことは、決して口外しないこと。
即座に了承すれば、彼は呪文のようなものを唱え始める。リーの大きな手のひらが頭上へかざされ、詠唱が終了する頃には――。
エルミアの視界と聴覚が完全に奪われていた。
見えない。何も見えない。まぶたの裏へ微かに届く赤すらも感知できない。
光を失った世界はどこまでも真っ暗で、底知れなく深い深い闇の中にいるような感覚さえ覚える。
おまけに何も聞こえないときた。自分の声、リーの声、布切れが擦れる音や足音の一切も耳に届かない。事前に説明もなくこのような状況に陥ってしまえば、恐怖のあまりパニック状態になってしまうだろう。
大きな不安を抱えるエルミアの肩に、冷たい何かが触れる。確認する術がない今、それがリーのものであると信じ身を委ねることしかできなかった。
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……どれくらいの時間が経っただろうか。虚無にも等しい空間に取り残されていたのは、楽しいことをして過ごすほんの一瞬のようにも、苦痛を耐え忍ぶ長い長い時間のようにも思えた。
冷たい皮膚感触がエルミアの耳を優しく包み込む。ゆっくり離れた瞬間、音という音が洪水のように押し寄せてきた。
乾いた風に水滴の落下音、そして布同士が擦れる音。隣で聞こえるリーの微かな息遣いに、エルミアは少なからず安堵する。
「着いたぞ。三秒後、其方の視覚を返そう」
宣言からきっかり三秒後、閉じられた瞼の裏に赤い世界が帰ってきた。エルミアはまばゆい光に目を細めながら、徐々に明かりへ視界を慣らしていく。
洞窟、もしくは炭鉱のような場所だった。周囲はゴツゴツとした岩肌に覆われ、大きいトンネルのような空洞がどこまでも一直線に続いている。道は整備されているとはいえ、大きな石が多く転ぼうものなら怪我をしてしまいそうだ。
そんな行く先を煌々とと照らす青白いライトを頼りに、エルミアたちは歩き出す。よくよく見れば、等間隔で木製の扉のようなものが壁に埋め込まれている。あの奥は魔族たちの個人的な部屋なのだろうか。
秘密基地のような、隠れ家を彷彿とさせるような所。
ここが……魔族の住処……?
「驚いたか? ここは拠点の一つにすぎぬことよ。……さあ、待たせたな」
辺りを見回し進むエルミアの心を読んだかのように、先導するリーが口を開いた。
そして長くきれいな指が、とある一室を静かに指し示す。扉の向こう側からは、ボソボソとした話し声のようなものが微かに聞こえてくる。どうやらこの奥に魔族の人々が集まっているようだ。
準備はいいか、といわんばかりに彼がゆっくり首を縦に振る。エルミアは覚悟を決め、唾を飲み込みながら頷き返した。
扉にかけられた手が、緩慢な動きで引かれていく。ギィイイイ、と実に古めかしい音を立てれば、ついにエルミアは魔族と対面を果たした。
魔物の姿の者、身体の一部分だけ変化している者、完璧に人間の姿をしている者。体の小さくまだ子供と見て取れるような個体から、立派な大人の形をしている魔族まで。様々な生物たちの視線が、すべてエルミアへ注がれている。
三者三様十人十色、その数はざっと五十名くらいだろうか。少ないような気もするが、学校の二クラス分に相当すると考えたら多い部類なのかもしれない。
「忙しい中、ご足労感謝する。こうして集まってもらったのは他でもない。まずは、彼女を紹介させてくれ」
リーが口を開けば、それまで戸惑いに溢れていた場が一瞬にして静まりかえった。誰も彼もが真剣な顔をして、魔王の話に耳を傾けている。
リーは周囲をゆっくり見渡し始めた。まるでその場にいる全員の一人一人と目を合わせるかのように。
そして、肝心のエルミアを紹介しようとするが――。
「彼女の名はエルミア。聖女の座につきし人間である」
「聖女だって……!?」
聖女。その単語に魔族たちは大きく反応した。
固唾を飲みリーダーの言葉を待っていた民衆たちは、刹那の間に警戒を露わにする。大人と思わしき魔物たちは、小さく力ない仲間たちを守るように。牙や爪を剥き出しにしながら彼らの前へ立ち塞がり数歩躍り出る。臨戦態勢に入ったことは、誰の目が見ても明らかだった。
「ねぇねぇ、聖女ってなあに?」
「わからない。でも、悪い人なのかな……?」
「どうして人間がこんなところにいるの!? あの時みたいに、また私たちから全てを奪おうっていうの!?」
「相手は女一人だ……、今ここで葬ってしまえば、ドミニクが何度も言ってた惨劇は防げるだろうよ……!」
「静まれ」
実によく通る声でリーが一喝すれば、周囲の魔族は誰もが口を噤む。エルミアも彼の覇気に当てられ、思わず背筋がピンと伸びた。
「其方らが不安を煽られるのも最もだ。だが、彼女は我が信頼に足ると判断した者。この場において、其方らを傷つけることはないと保証しよう」
そしてリーは己の目的を語り始めた。嘘偽りなく、誤魔化しの一切もなく、エルミアに話したそのままを淡々と打ち明けていく。
話し終えるなり彼の赤い瞳がエルミアに向けられ、視線が交差した。言わんとしていることを読み取ったエルミアは小さく頷き、一歩前へと出る。
「ご紹介に預かりました、エルミア=アルネストと申します。リーさんの言うとおり、私は聖女という肩書きを背負っています。しかし本日は聖女としてではなく、ただのエルミアとしてお邪魔しました」
リーがこちらへそうしたように、エルミアも誠意を以て応対する。
「私の目的は魔族という種別を理解すること。お恥ずかしいことに、私は聖女でありながら何も知りません。そのために、貴方がたについて教えていただきたいのです」
こちらに敵意がないことは充分に伝えた。しかし、それでも魔族の警戒は緩みそうにない。むしろエルミアの演説は彼らの反感を買ってしまったのか、周囲に流れる空気はより一層厳しいものに変化した。
眉すらわずかに動かそうものならば、八つ裂きにされ噛み千切られてしまいそうなほどの緊張感。
だがそれでいい。むしろそれが正しい対応だ、とエルミアは自分に言い聞かせる。額に滲む脂汗や、指先の凍り付いてしまいそうな感触に目を背けながら。
「何が聖女だよ! どうせそうやって俺たちのこと騙そうって魂胆だろ!」
一触即発の空気を打ち破ったのは強く非難する声だった。甲高い音とともに群衆の背後から男児が現れ、エルミアを睨み付けている。
浅黒い肌が目を引くその少年は、憎悪と嫌疑のこもった視線を向け、指先を鋭くこちらへ突きつけていた。
「心にもないこと並べて、油断させてから殺そうと思っているんじゃないのか!? どうなんだよお前ぇっ!」
「そんなことは――」
「やめるんだぞラディス!」
エルミアの言葉を遮るように飛び出してきたのもやはり男児。ラディスと呼ばれた褐色肌の少年を牽制したのは、エルミアにとって見覚えのある人物であった。
「ジーク、久しぶりね。元気にしていた?」
「僕元気していた! エルミアは?」
「私もよ」
声をかければ彼は満面の笑みを浮かべ返答をしてくれる。面白い話し方をするのは、相変わらずのことらしい。
ジークは自身の両腰に手を当てると、どこか誇らしげな顔で言い放つ。
「本当はすぐにお話したかったけど、やめました。僕は空気が読めるので」
確かにあれだけピリピリとした雰囲気では、なかなか知り合いとは申し出にくいであろう。それでもこうして、仲間の暴走を止め姿を現してくれたジークには感謝する他ない。
少年は非常に申し訳なさそうな顔をすると、しかし緊張感のない声色で言い放つ。
「ラディスがごめんなのだ。こやつは人間のことが嫌いなのだよー」
「だからお前はさっさと正しい言葉覚えろって! それと、俺のことはお兄ちゃんと呼べ!」
「ラディスは」
「お兄ちゃんだ」
「……お兄ちゃんは、どうしてこんなに人間を憎むのだ?」
「ジークを傷つけたんだ。嫌いになるのは当然のことだろ!」
「き、気持ちは分かる。でも、悪いやつばかりじゃ……」
「そんなわけあるか! お前は騙されているんだよ。そんなんだから人間相手に怪我させられたんだろ!」
「はいはい、おめぇらそこまでにしとけって」
加熱する男児同士の言い争いに、大柄な禿頭の男性が割って入ってきた。彼は二人の首根っこを掴むと、太い腕で軽々持ち上げて見せる。
彼の顔に見覚えがある。ほんのわずかな時間視界に入れた程度だが、それでも確かに記憶の片隅に残っている。
名前は確か――。
「ドミニクさん……で、合ってますか?」
「まさか名前を覚えられてるたぁな。ああ、ジークの時は大変世話になった」
「今度はこちらがお世話になる番のようです。本日は、どうぞよろしくお願いいたします」
「ああ……できる限り力になるぜ」
そう答えるドミニクはどこか浮かない顔をしている。
例えどんなに頭を下げたところで、簡単に教えてくれそうにないことは重々承知していた。
得体の知れない、信用のおけない者に自らの生態を明かすことは弱点を晒すも同義。渡す情報と相手を一つでも間違えれば、それは命取りになる。だからこそ提供するものは慎重に見極めていかねばならない。
有利な情報は積極的に与え、不利な情報はひた隠す。エルミアはその心づもりで、今ここに立っている。
そしてエルミアは、思いつく限りの質問を彼らにぶつける。初めは誰も何も答えようとしなかったが、ジークが積極的に発言する姿に何か思うことがあったのか。半分くらいの魔族たちは、口を開き真摯に回答してくれた。
上手く意思の疎通が出来ない者は、リーが通訳してくれる。
魔王への忠誠心の高さ故か、魔族とは本来争いを好まない者たちなのか。
警戒こそ露わにするものの、その間表立ってエルミアを害そうとする魔族は一人としていなかった。




