21話:ディラン殿下との一時
今日の学校は午前授業のみ。ルペシャも都合が悪いらしく、彼女の講習もお休みの予定。
そんなわけで、午後は自室でお昼寝か日頃の復習でもしようと計画を立てていた。しかし、アフタヌーンティーの時間になってもエルミアは学校から出られずにいた。
「チェルシーったらもう~……」
エルミアは頭に親友の困り顔を浮かべながら、昇降口で愚痴をこぼしていた。
どうにも本日が提出期限の課題を忘れたらしく、手伝ってほしいと懇願されたのだ。
真面目に授業を聞いているおかげで、基礎的な部分であればエルミア一人でも対処することができるようになっている。しかし応用問題となれば話は別だ。二人で唸り頭を回しても、答えらしい答えが出てくることはない。
最終的には野次馬で現れたテオやアンドリューも巻き込んで、なんとか提出することに成功した。
おかげさまで、エルミアは校舎内から綺麗な夕日を拝んでいる。今からお昼寝をしてしまえば、中途半端な時間に目覚めてしまうだろう。幸い明日は休日なので悪影響はないが、生活習慣が乱れることはできれば避けたい。
計画が台無しになったものの、しかし不思議と嫌な気はしなかった。それはきっと、頼られることが嬉しかったから、だろうか。
そういえばリアムは先に帰ったのかな、ともう一人の親友を想起しながら、校門をくぐり抜けようとすると――。
誰かが言い争う声が微かに聞こえてきた。
声質からして男女。しかも、よく耳に馴染んだ音たちである。
もしかして……ルペシャ様とディラン殿下?
導かれるように歩いて行けば、次第にはっきりと内容まで聞き取れるようになってくる。
中庭から少し外れた場所。そこには確かに、エルミアが思い浮かべている人物たちがいた。
ルペシャとディランが対立するように向かい合っている。男のそばには当然、従者であるルイスも控えていた。
ルペシャは珍しく取り乱しているようだったが、対するディランは落ち着いた表情のまま。
それを目にしたエルミアの全身に、虫が這うような嫌な感覚が襲いかかった。
彼の顔はまるで、必死に何かを訴えかけるルペシャをまともに相手にする気がないようにも見て取れる――。
「どうしてディラン殿下は、はっきりと口にしないんですの?」
「……ルペシャ。何度も言っているよね。世渡りには本音と建前が大事だと。私はそれを使い分けているにすぎない」
「そうやって誤魔化さないでください! そのような戯れ言はいい加減、聞き飽きましたわ!」
「静かにしないか。今のルペシャの姿は、君の言う”淑女らしくない”に該当すると思うな。少し、頭を冷やした方がいい」
「わたくしは知りたいだけです。あなたのお心を……!」
ルペシャの自責と失意の念がこもった叫びを耳にしたとき、エルミアは確かに感じ取った。
正直彼らが一体なんの話をしているのか、どうして今の流れになったのかはわからない。けれどこれだけは理解できる。
ルペシャは今にも泣きそうである、と。
――気高く凜としている貴方に涙は似合わない。何より、貴方が悲しんでいるところを見たくありません。
エルミアが思ったのとほぼ同時、ルペシャがこちらに向かって駆けてくるのが見えた。
まずは彼女をこちらに誘導して、落ち着けるところに連れて行かねば。
エルミアは物陰から姿を現すと、手を伸ばし名前を呼ぶ。
「ルペシャ様――」
「ルイス」
「仰せのままに」
しかしそれらは叶わなかった。
エルミアの隣を紫電が駆け抜け、伸ばした手は虚しく空を切る。次の瞬間には、ルペシャも命を受けたルイスごと跡形もなく消えていた。
今何が起きたの? 二人はどこへ?
あまりの素早さへ呆気にとられていれば、誰かに身体を引っ張られた。
振り返れば、ディランがエルミアの腕を掴んでいる。彼は相も変わらず心底を読ませぬ笑顔を貼り付けて、エルミアを見つめていた。
「は? ちょっとディラン殿下? なんで引っ張るんです?」
「君はこっち」
「ふざけないでください。私はルペシャ様を追わないといけないんです!」
「向こうはルイスに任せてある」
「それでも」
「これは命令だ」
「……権力を行使すれば、素直にはい、と言うとでも思いましたか」
「じゃあお願いならどうだい? 君と一緒にいたい気分なんだ」
「お言葉ですが、私は――」
そこまで言いかけてエルミアは口を噤んだ。
乙女ゲームでは、高確率で攻略対象となっている王太子殿下というポジション。例にも漏れず、ディランも攻略対象なので彼からの好感度もクリアする必要がある。
現状、エルミアが彼について知っていることは少ない。テオの従兄弟であること。ルペシャの婚約者であること。そして、腹の底が読めない男であること。
向こうからこちらと一緒にいたいと願い出ているのだ。これといって有力な情報のない中、絶好の機会と言わずして何と言おう。
しかし、一方でこれはルペシャに対する裏切り行為になるのではないか、との葛藤もあった。彼は己の婚約者より、赤の他人と一緒にいることを選んだのだ。
わずかな時間悩み、出した結論は――。
「処罰は後ほど、どのようにでもお受けいたします」
「何か言ったかい?」
「いいえ、何も」
エルミアはルペシャの向かった方角へ小さく謝罪を口にする。
あくまで彼女にに対する謝罪であり、決してディランに向けた言葉ではない。
ディランと共にいることを伝えれば、彼は唇の端を微かにつり上げて応答した。
ついてきて、と手招きをされたどり着いた場所は校舎裏。近くにはレンガ造りの花壇が備え付けられている。
忘れもしない、ここは転生したエルミアが初めてルペシャに出会った場所だ。
自身の尊い思い出に泥を塗られたような気がして、エルミアはわずかに眉根を寄せる。
ディランはこちらの心情など露知らず。校舎の壁にもたれかかると、ため息をつく。やれやれといった様子で空を見つめる様子は、まるで重たい何かを無理矢理取り払ってきたかのようにも見える。
その姿を、エルミアは固唾を呑み見守っていた。
「ここまで来れば、誰も来ないだろう」
「それで、私に何を要求されるのですか」
「それがね、私自身もよくわかっていないんだ」
「はい?」
「君と一緒にいたいとは言ったけれどね。エルミアに何をしてほしいのか、よくわかっていない」
なんだそれ……。
てっきり無理難題を要求されると身構えていたので、随分と拍子抜けな話である。エルミアはがっくりと肩を落とし、露骨に嫌な顔をしてみせた。
彼は何かを察したのか、顔をこちらに向けあからさまな作り笑いをしてみせる。
相変わらず嫌な表情をする男だ。どんなときでも余裕綽々で、整った造形には常に笑顔が張り付いている。
そこで試してみたくなることが一つ。
この仮面はどうしたら剥がせるのだろうか、と。
「わかりました。ならば膝枕、というのはいかがでしょう」
「膝枕……?」
「ええ。殿下はこの頃、お疲れのようですから」
「……そんなことは」
「お言葉ですが。誤魔化しても無駄ですよ。貴方の目の下、クマが出来ています。それに顔色も悪い。ガルシア様は普段、貴方にお休みになれと仰らないのですか?」
視線こそそらされない、表情こそ一切変わらないものの返事はない。
本当に休めと言わないのか、それとも彼が従わないだけなのか。
どちらにせよ、今の彼に必要なのは休息に他ならない。
「まぁいいです。さぁ、ここに座ってください」
エルミアはその場に腰を下ろすと、力強く地面を叩いた。ディランはおずおずといった様子で同じように屈む。
その姿を確認するなり、彼の側頭部を掴み思いきり横倒しにした。
今のエルミアから見えるのはディランの後頭部。故に彼がどんな顔をしているのかはわからないけれど、きっとこれしきのことでは動じないであろう。それがなんだか少し悔しく、もどかしい。
しばらくの間これといって反応を見せなかったディランであったが、やがて大きな手をエルミアの太ももに添える。そしてゆっくりと頬を擦り付けると、とろけそうな声で呟いた。
「君の膝の上は、案外居心地がいいな……」
この状況、誰がどう見ても絵面が悪いことは重々承知している。
将来的に国を背負っていく者が婚約者以外の人間と密接に触れ合っている。この上ないスキャンダルであり、失脚を目論む者たちにとっては格好の餌であろう。
「次からは、是非ともルペシャ様にお願いしてくださいね」
「……君はどこまでもルペシャを強調するなぁ」
だからこそエルミアは、二度目はない、といった意味を込め彼女の名前を引き合いに出す。
それに対して彼は、面白くないと言ったように返事をした。
「当たり前じゃないですか。ルペシャ様はディラン殿下の正当な婚約者です。であれば、大事にするのは当然ではありませんか」
ゲームの世界観に沿った時代だと、恋愛結婚より政略的意味合いの方が強いのだろうか。
追求するのはお互いの利のみ。使えない相手と判断すれば、即座に切り捨てる。であれば、自分の婚約者に情が湧かなくとも仕方ない、ということなのか。
それはなんだか空しくて切ない気がする、とエルミアの心に陰りが差す。
膝上でディランがもぞもぞ動き、顔をこちらに向けた。上目遣いになった彼と視線がかち合えば、白い歯を見せとんでもないことをうそぶき始める。
「私は正直、君を気に入っている。なあ、今からでも私の妃にならないか」
「……はい?」
「今の君とはより良い関係を築けそうな予感がしているんだ。ルペシャよりもずっと、ね」
――どうしてこの人は、こうも残酷なことが言えるのであろう。
腹の底から何かがふつふつと湧き上がってくるような感覚。頭に血が上って、少しでも気を抜こうものなら不敬罪に問われてもおかしくない言葉ばかりを零してしまいそう。
エルミアがそのとき感じたのは、確かに怒りそのものであった。
「お断りいたします」
あくまでも冷静に、しかしきっぱりと口にする。
ディランは訳がわからない、といった様子で目を見開いた。
「それはまたどうして?」
「私の悪評は皆様が知るとおりです。そのような人間が国を率いていくなど、到底納得いかないでしょう。ルペシャ様の努力も無碍にされるおつもりですか? 彼女がどんなに日々頑張っているのかも、貴方はご存じないのですか。なにより」
「なにより?」
ディランの暗闇を切り抜いたような瞳をそらすことなく見つめ返す。そこにはまだわずかに、エルミアが色よい返事をするだろうという期待とほんの少しの嘲りが混じっていた。
だからこそ、その思惑ごと両断してやる。
「私が嫌だからです」
「……は」
開いた口がふさがらない、とはまさにこのことであろうか。彼は小さな口をこれでもかというほど大きく開け、何度も瞬きを繰り返す。
やがてディランの身体が小さく震え始めた。喉奥から呻きにも似た何かが聞こえ――。
「はは、はははははははは……!!」
そして、学校中に響き渡るのではないかと思えるほど大きな笑い声を上げた。
耳をつんざくような雑音にエルミアは思わず片耳を塞ぎ、顔をしかめる。しかしそんなことお構いなしに、彼は笑い続ける。
たっぷり数分は笑い続け、声量が穏やかになる頃にはディランの目尻に涙が浮かんでいた。
「ああ、面白い……。まさか君に手酷く扱われる日が来るだなんて、夢にも思わなかったよ」
「誤解を招く言い方はやめていただけませんか」
「事実を口にして何が悪い?」
「……ディラン殿下は、何故ルペシャ様に本当のことを仰らないのですか」
ディランのおどけたような態度が気に食わなかったので、それ以上深堀りすることはなかった。代わりに質問をぶつけることで無理矢理話題を転換する。
「仮にも貴方の婚約者でしょう。そのような相手にこそ、本音を打ち明けてもよいと思いますが」
「さあ、何故だと思う?」
「到底わかりかねます」
「……私は立場上、命を狙われることも多くてね。誰かに本心を吐露することは、弱みや隙を見せるも同義。そう教えられ、そして身をもって経験してきた」
彼は苦く遠い過去を思い出すように、視線をエルミアではない別のどこかへと向ける。
「全幅の信頼を寄せていた者の正体が刺客だったなんてことは、両手を使っても足りないくらいだろうね。彼女だって、いつ敵対勢力に寝返るかもわからない。そうしているうちに、気を許せるのはルイスくらいになっていたよ」
しみじみと物語るディランの表情はどこか暗く、物憂げなものであった。そこには相も変わらず薄気味悪い笑顔が浮かんでいるのだが、悲嘆に暮れているのは明らかである。
彼の語りを聞いて、エルミアはとある一つの仮説にたどり着いた。
もしかしてディランは――。
「怖いんですか?」
「怖いだって? この私が?」
「貴方の口ぶりですと、まるで彼女に裏切られることを恐れているように聞こえますが」
「……そんなはずは……、私はただ、己の気持ちを悟られぬように動く必要があったからで……」
「ルペシャ様は聡明なお方です。難しいことはわかりませんが、いつだって貴方の心強い味方でいてくれることでしょう。その上、ディラン殿下を想ってらっしゃる。彼女の気持ちに応えないということは、あまりにも不誠実だとは思いませんか」
ディランは観念したようにため息をつくと、ゆっくりと頭を横に振った。
眉こそわずかに下がり困った様子が見て取れるものの、口元は弧を描いている。そのアンバランスさが、どこか不気味に思えた。
「ずいぶんと変わったんだね、君は」
「教えてください。以前の私は、どんな人間だったのですか?」
「前も言っただろう? 私を筆頭に異性へしつこく付きまとい続け、貴族としてのマナーも身につけようとしない。私も私で、君が不敬罪に問われようが知ったことではない、と無視をしていたけどね」
ずっとそらされていた目線が再び絡み合う。そこに浮かぶのは「ディラン」という一個人ではなく。「殿下」という大義名分を背負う統治者の顔であった。
「今の君であれば、できる限りの力を使ってつなぎ止めようとするだろう。面白い人材を逃すことは、大きな損失だから」
「ディラン殿下に私の努力が認められたようで、何よりです」
ディランがゆっくりと上体を起こす。相変わらず顔色は悪いが、ここに連れてこられる前よりかはスッキリしたような表情だった。
「ありがとう。エルミアのおかげで、幾分か疲れがとれた気がするよ」
「ルペシャ様と向き合うこと、どうか真剣にご検討くださいね」
「前向きに考えておこう」
「嘘ついたら王太子殿下といえど、容赦はいたしません」
「はは、どうやら度胸までも身につけたようだ」
一時間にも満たないほどの限られた時間だった。その短時間でディランのことをわずかながら理解し、こちらの気持ちもはっきり伝えることができた。
正直、進展らしいものがあったかどうかはわからない。けれど、ディランは真摯に話を聞いてくれ、理解してくれたと思う。
だからこそ好感度という面で、少しでもいい方向に持って行くことができたと願い信じるしかない。
「私はそろそろお暇いたします。可能であれば、適度に休息されることをおすすめいたしま――」
「エルミア? こんなところで何やってるの?」
聞き慣れた声に振り返れば、あどけない顔立ちの男子生徒がいた。夕暮れに優しく浮かぶレモン色の柔らかい髪。小さな背格好が目を引く彼は、驚いた様子で立ち尽くしこちらを見つめている。
テオのくりくりの瞳はこれでもかというほどまでに大きく開き、肩に下げた鞄の取っ手が滑り落ちる。
「ああ、テオ」
「……ディラン」
ディランはまるで軽い挨拶をするかのように、テオに声をかけた。因縁深い従兄弟を視認したテオの顔がわずかに強ばる。
以前、テオは彼に対し強いコンプレックスを抱いていることを教えてくれた。エルミアとともに変わっていこうと約束を交わした仲でもあるが、苦手意識というものはそうそう消えてくれないもの。やがて懐かない野良猫のように警戒を露わにした表情で、エルミアたちを見つめる。
肝心のディランはといえば、そんなことお構いなしという様子で口を開いた。
「最近、授業に出席しているんだってね。成績自体も好調なようだ。君はやらないだけで、本当は高い実力を備えていることは知っていたからさ。これらも全て、彼女のおかげかな?」
「……ッお前には関係ない……」
「誤解しないでほしいな、責めているのではない。私はただ、嬉しいだけさ」
絶対王者が立ち上がると、テオはその小さな身を微かに震わせた。
ゆっくりゆっくり近づいてくる脅威に、しかし青年は逃げることなく立ち向かう。
「これからも頑張ってね」
ディランは子供をあやすような手つきで、テオの頭を優しく撫でる。いつものいけ好かない微笑を浮かべると、ゆっくりとその場を後にした。
彼の姿が見えなくなったことを確認するなり、テオは血相を変えエルミアの元へ飛び込んでくる。
「エルミアっ何か変なことされなかった!?」
「え、ええ、問題ないわ」
テオはエルミアの両腕を掴み、勢いよく身体を揺らしてきた。首がもげてしまいそうなほどに強いせいで、視界が頭がぐわんぐわんと回る回る。
それでもなんとか返事をすれば、攻撃はピタリとやんだ。テオがほっと胸を撫で下ろす。
「そっか、ならいいんだけど。……ねぇ今、ディランに何してたの?」
「特にこれといって特別なことは」
「嘘。僕見てたよ、エルミアの膝にあいつの頭乗せてたよね」
テオが疑いを含んだ目でじっと見つめてきたので、エルミアは思わず言葉に詰まる。現場を目撃されてしまったとなれば、到底言い逃れなどできない。
観念したエルミアは、素直に白状することを決めた。それでもなんだか後ろめたさの方が勝るので、視線を右往左往させながらゴニョゴニョ音にする。
「あー……、膝枕、ってやつだよ。でも今後一切彼にそんなことは――」
「へぇ。僕にはそんなことしてくれないのに、ディランにはするんだ。ずるいよ、僕もやってほしい!」
「えっ、な、なんで?」
「なんでって、ダメ……?」
「い、いや……」
こてんと愛らしく首をかしげる彼に、エルミアが抱いたのは罪悪感だった。
……なんで?
そういえば私、どうしてさっきあんな提案をしてしまったのだろうか。ディランは一緒にいたいと言っただけで、それ以上の要求はしてこなかった。ならばやり方なんて、きっと他にもあったはずなのに。
顔中がかっと熱くなり、それに伴い体温も急上昇する。そんなエルミアをテオは不思議そうに見つめながら、徐々に距離を詰めてくる。
「あ――、脚が痺れてるからごめんっ!」
エルミアは素早く立ち上がると、脱兎のごとく逃げだし寮を目指す。
後日知るところによると、テオがディランを嫌いな理由がまた一つ増えたらしい。




