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17話:わたくし-ルペシャ①

***


 その壮年は、年老いてもなお相手に威圧感を与えているようだった。何も口にすることなく、ただその場にいるだけで誰もが腰を抜かしそうになるほどの、すさまじい圧力を感じてならない。

 白に染まるオールバックや引き締まった身体は衰えを感じさせることなく、日々自己研鑽や鍛錬を積んでいることが一目瞭然だ。

 シワや汚れの一つもないスーツをきっかり着こなす姿が印象的な男性、シュナイデン公爵。彼はルペシャの実の父親であり、また物心ついたときから憧れの存在であった。

 その父が、幼いルペシャの前に立っている。まだ年端もいかぬ実の娘を目の前にしても、彼は厳格な雰囲気をまとっていた。普通の貴族令嬢であれば一瞬にして悲鳴を上げ、その後半日間は泣き止まないであろう。

 そんな男を前にしても臆することなく、ルペシャは堂々と地に足をつけ彼を見上げていた。


「ルペシャ。我々シュナイデン家に伝わる家訓は覚えているな」

「はい、お父様。『――貴族たるもの、責務を果たせ』、と」

「ああ、いい子だ」


 ルペシャは余裕たっぷりに、それでいて間髪入れずに返事をする。それを耳にした彼は、目を細めルペシャの頭をふんわり包み込むように撫でた。つり上がった目尻がわずかに垂れ下がり、こちらを見る目がいささか優しいものになる。

 褒められました、と、歓喜に満たされるルペシャの頬も同じく緩むようだった。


「お前はディラン王太子殿下の婚約者となった身。将来は、その身体で民を率いていくことになるのだ」

「承知しております」

「公爵家に産まれたとはいえ、お前はまだ子供だ。重責に恐れをなし、泣きわめいてもいいのだぞ」


 言い方こそ冷酷無比に聞こえるものの、これが父なりの心配であることを理解している。

 外部では『血の通わない悪魔』だの『地獄の審判者』といったあだ名がつくほどには悪辣な手段をもいとわない、と噂されているほどの男。

 しかし困った者には迷わず救いの手を差し伸べる、自身の収入の一部を孤児院の寄付に宛てているなど、完全に人としての心を失っているわけではないことをルペシャは知っている。

 善を全うし悪を切り捨てる。だからこそ彼はルペシャの憧れであり、目標とする人物なのだ。

 

「あら、お父様。わたくしはこの間十歳を迎えたばかりです。しかし歴史学や語学はもちろんのこと、ダンスやマナーも完璧、と家庭教師からもお墨付きをいただきました。来年にでも社交の舞台に顔を出しても、恥ずかしくないとの評判です」

「杞憂であったか。ならば、それでいい」

「必要とあらば、わたくしが国王の座に就くことも厭わない覚悟ですもの」


 毅然と返答するルペシャに対し、父の頬がほんのわずかに引きつった。堅物男から生みだされた一瞬の隙を、あらゆる訓練をされつくしたルペシャの目はしっかり捉えていた。

 ……最後の一言はわたくしなりの冗談でしたのに。

 父は大きく咳払いをすると、その肉体に再び覇気をまとわせる。研ぎ澄まされた殺気にも似た雰囲気をいち早く感じ取ったルペシャは、背筋をぴんとまっすぐ伸ばした。

 この先は父としての言葉ではない。「シュナイデン公爵」としての時間だ。

 シュナイデン公爵はこちらを見下げる。ルペシャと同じ白銀色の瞳が絶対的な輝きを放つ。まるで幼き少女相手だろうが容赦はしない、と物語るようだった。


「シュナイデン家たる者、常に厳しく皆の手本となれ」


 そう口にした父の言葉が、歳月を重ね貴族学校の生徒となった今でも忘れられない。

 代々シュナインデン家に伝わる家訓。我が道を征く父の後ろ姿。これがルペシャの人生における指標の全てであった。

 周囲に何を言われようとも気になどならない。陰口や悪評なんてものは無駄なものに他ならない。

 わたくしはわたくしの、正しいと思った道を信じ歩むのみ。

 だからこそ、エルミア=アルネストという人間は心底気に食わない存在であった。

 聖女という役割を持ち合わせながら、何もしない。やるべきことは放棄され、婚約者のいる男子生徒へみだりに接触し、果ては問題行動ばかりを起こし周囲の手を煩わせる。

 自身の人生観から大きく逸脱した者。誰がどう生きようが個人の勝手だが、彼女の場合は”聖女”という大義名分を背負っている身。

 それ故ルペシャは事あるごとに口出しし、あろうことかそれを止められなかったのである。


「あなたには”聖女”という立場がございます。周囲の人々のために力を振るうのは、当然のこと。そう思いませんか」

「その男子生徒は婚約中の身です。風紀の乱れに繋がる行動は即刻、慎みなさい」

「……殿下へみだりに接触するのはおやめなさい。あなたの愚かな行動一つで、情勢というのは簡単に傾くものですから」

 

 彼女はルペシャの小言をきちんと聞いていた。自信なさげに揺らめくアクアマリンの瞳は、確かにこちらをはっきりと見ていたはずだった。

 こちらが何かを言うたびに、申し訳なさそうに頬を引きつらせ笑う。そんな情けない姿は、今でも鮮明に思い出せるほど記憶に残っている。

 しかしそれでも彼女は問題行動を起こし続け、瞬く間に周囲から嫌われていった。

 ルペシャは彼女の悪評が耳に届くたび、腸が煮えくり返るようだった。

 何故、どうしてなのですか。

 どうしてここまで言っても実行に移さないの。

 あなたは聖女、その役割を与えられたからには全うしなければならないのに。

 それは責務を果たさない者へのもどかしさか。はたまた、自らの思い通りに動かないことによる、自分勝手な苛立ちか。

 不満を抱えながらも忠告し続けること、気づけば数ヶ月が経過していた。


---

 

 柔らかい日差しに空気の澄んだある日のこと。学校の温室で一人、ルペシャは紅茶を嗜んでいた。

 豊かな緑に囲われた温室は実に居心地がよい。校舎から離れた場所にあるし、事前に貸し切りの申請をしておけば誰にも邪魔されず一人の時間を過ごすことが出来る。嫌なことがあったとき、何か複雑な考えをまとめたいとき、ルペシャはここを訪れ静かな時間を過ごしていた。

 しかしこの日だけは様子が違った。バタバタと慌ただしい音が聞こえたかと思えば、次いで荒い息づかいが耳に届く。


「ルペシャ様っ」


 姿を現したのは金髪を一つに結い上げた女子生徒だった。彼女は確か、チェルシー=ハートランドと言ったか。

 階級は男爵。エルミアと仲がいいのか、行動を共にしている光景を幾度と目にしていた。

 ルペシャはティーカップを音も立てずソーサーに置くと、花のように愛らしい少女を一瞥する。

 彼女はリスのように頬を膨らませると、こちらを怯えたような目線で見つめ始めた。次いで華奢な人差し指を突きつけると、とんでもないことを口にする。


「エルミアをいじめるのは、やめてくださいっ」

「……何をおっしゃいますの」

「言葉通りの意味です! ここずっと、エルミアにしつこくしているじゃないですか!」


 どうやらルペシャにとってのアドバイスは、端から見たらいじめになるらしい。

 絵空事にも近い主張を受け流し、ルペシャは目の前の少女を注意深く観察し始める。

 これはエルミアの友人としての、健気な抗議だろうか。あの彼女が代理を立ててまで文句を言いに来るとは、にわかに考えがたい。

 けれどそのわりには、彼女から相手方を心配している様子を感じ取れない……?

 ……ああなるほど、そういうことですのね。

 しかし、それが何だというのだろうか。真相を見抜いたところで、ルペシャには一切関係がない。

 それでもチェルシーによる物申しが止むことはない。次第に煩わしさを感じたルペシャは、扇子を取り出し自身の口元を覆い隠した。心象穏やかでないこの状況で口を開こうものならば、淑女としての品性を疑われる言葉ばかりが飛び出す可能性がある。

 適当にあしらっていれば、やがて言葉の弾丸がピタリと止む。チェルシーに目を向ければ、言ってやったり、とでも言いたげに得意げな顔を浮かべていた。


「読み聞かせは以上ですか」

「へ?」

「あなたのお話、あまりにも退屈すぎてうっかり寝てしまうところでした。入眠剤としては最適かもしれませんね」

「人の話はきちんと聞いてくださいよ。夢の中にいるとか、やっぱり失礼な人ですね」

「寝言は寝て言うものです。あなたこそ、夢から覚めた方がよろしいのではなくて?」

「な、なんの話ですか?」

「あなた、目上の者に対する言葉遣いがなっておりませんわ」


 ルペシャは口元を隠していた扇子を畳むと、不届き者へ鋭く突きつける。目にもとまらぬ速さで彼女の眼前に展開されたそれには、殺気も込められていた。

 チェルシーはこちらの明確な敵意に感づいたのか、大げさなほどに身体を震わせた。大きな瞳に涙をいっぱいためながら、一歩後ずさる。

 そのような体たらくでよくも喧嘩を売ろうと思ったものだ、内心呆れ返る他ない。


「仮にもわたくしは公爵令嬢です。そのような態度は、ひんしゅくを買ってもおかしくありません。周囲に誰もいないのが幸いしましたね」

「だったらなんですか? ルペシャ様といえば悪役、敵、ヴィラン。態度がキツすぎて皆の嫌われ者、どこに行っても邪魔者扱い。そんな人間の味方をする人がいるとでも?」

「わたくしの評価などどうだっていいことです。それがルールですから、糾弾されてもおかしくない、と。あくまで一般論をお話ししただけです。そもそも、彼女を……――」


 ルペシャはそう言いかけて口をつぐむ。ついでかぶりを振ると、いつもの無表情に戻り彼女ではない適当な場所に視線を移した。


「いいえ、やめておきましょう」

「は!? なんで黙るんですか!?」

「あなたにとって不都合なことですから、黙っておくのが得策と思いまして」

「……ッ意味わからない、本当、ルペシャって奴はぁあっ――」


 天使のように愛らしい表情が一転、般若のごとく顔を歪め怒り狂う。野犬の唸り声にも似た呻き声を上げては、小さな声でブツブツと何かを呟き始めた。

 嫌いだの見たまんまだの聞こえてくるが、ルペシャにとってはどうでもいいことに変わりない。


「そんなんだからディラン様にも愛想尽かされんのよっ!!」


 やがてチェルシーは捨て台詞を吐き、踵を返した。ドスドスと大きな音を立て歩く様は淑女から到底かけ離れた行為であるものの、それを指摘するだけの気力を持ち合わせていない。

 それ以上にルペシャの心に、トゲのように引っかかっては抜けないものがあった。

 何故、ここでディランの名前が出てくるのか。

 王太子殿下であるディランとは婚約の身。しかし、上手くいっていないことは事実だった。顔を合わせれば言い争いばかり、会話らしい会話はなく、あるのは事務的なやりとりのみ。プライベートの話などもっての外である。

 それを一介の男爵令嬢に指摘されるとは。どうやら自分もまだまだである証拠。

 しかし……自分が悪役とは。


「……目眩がしますわね」


 ルペシャは天を仰ぎ、ため息と共に呟いた。

 空は雲一つだってなく、憎らしいほどに澄み渡っているというのに。

 スイーツでも食べて気を紛らわせたいところだが、ここで自分を甘やかしてしまえば悪い癖がついてしまう。

 せっかくの時間に水を差されたような気分だ。先の応酬に意味はなく、ただお互いに無為な時間をすごしただけ。

 ルペシャはティーカップを再度持ち上げ、口をつけた。

 とうに冷え切ってしまった紅茶からは、何も味がしなかった。


次回もルペシャ様回です

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