13話:疑われた実力
自習仲間から基礎的なことを教えてもらい、それをアンドリューに伝授する。その間、ルペシャによる作法の授業も忘れない。
なんとも目まぐるしい日々が過ぎていき、やがて期末テストは滞りなく終了した。
この学校では、成績上位者は大々的に張り出されるらしい。
どうか赤点だけは回避していますように。でないと、せっかく教えてくれた皆に合わせる顔がない。
エルミアは早まる鼓動を押さえつけながら、恐る恐る掲示物へと目を向ける。
やがて実技の項目に自身の名前を見つけたときは、歓喜のあまりその場で跳びはねそうになった。満点を逃したのは少々不服だけれど、学年で四位という位置につけたのだ。悪いことではない。
そして、テオから聞いていた王太子殿下こと、「ディラン=スコット」なる存在。
彼が苦しめられる一因となった程に優秀な彼は、総合、筆記各科目、実技――それら全ての項目のトップに、名を連ねていた。
肝心のアンドリューはというと――。
実技で同率学年二位、その上総合点数において学年三十位入りを果たすという、快挙を成し遂げていた。これまで赤点ばかりをとっていた彼にしたら、大きな進歩である。
アンドリューは人目もはばからず、その場で雄叫びを上げガッツポーズをする。拳を天へ向けるその横で、テオが目を輝かせ拍手を送っていた。
そんな彼の姿を見て、エルミアは自然と笑みがこぼれる。
アンドリューとの約束は果たしたのだ。完全に信頼は獲得できずとも、少しくらいは見直してくれたっていいと思う。どさくさに紛れて、接する態度を改めるように要求しよう、そうしよう。
これにてアンドリューと期末テストを巡る騒動は終了した。
彼もまた、「自分は勉強が出来ない」という名の呪いに囚われていたにすぎなかった。アンドリューだって、本当はやればできる男なのだ。
今回の成功体験を機に、己を縛り付けていた鎖から解き放たれることを願う。
あわよくばテオと一緒に授業に出たり、これからも王族騎士団になるという夢を諦めないでほしいと思うのだが。
これで当面の間は問題ないであろう、と、エルミアは楽観的に考えていた。
しかし――。
「エルミア!」
「どうしたの?」
「アンドリューが……!」
自席へ戻ったエルミアに、突如として声をかけてきたのはテオだった。
息を切らし、顔面蒼白で駆け寄ってきた彼にただならぬ様子を感じ取る。どこか落ち着かない様子の彼に、案内されやってきた先は職員室だった。
「だから、俺はやってないって言ってるだろう!」
「しかし、君ねぇ……」
扉に手をかけたエルミアの耳に届いたのは、アンドリューと教師が言い争う声。荒んだ口調と、ドンドンと何かが叩かれる音から、アンドリューが激昂していることがわかる。
しかし相手方とはいうと、どうやらまともに取り合っていないようにも聞こえた。
「何度も言うけれどさあ。底辺を彷徨っていた君が、この短期間で成績をグンと伸ばしたこと自体がおかしいって思うのが普通なのだよ」
教師のねちっこい嫌味ともとれる言葉に、彼らの間に何があったのかを即座に察知した。
アンドリューは不正を疑われている。
「いいや、これらは全て俺自身の実力だ。他でもない、俺が勝ち取ったものなんだよ!」
「そうは言われても、どう信用したらいいんだい? 君が不正をしていないと言える証拠があるのかい?」
「っそ、れは……」
「はぁ……。困るよ、君。これ以上問題を起こすようであれば、本当に君自身が退学になるようだよ?」
それでも反論を続けるアンドリューは、しかし有力な根拠を提示できずに押し黙るほかなかった。
エルミアは腸が煮えくり返る思いであった。
まさか、カンニング容疑をかけられてしまうだなんて。
四苦八苦しながら教えたのはエルミアだ。けれど、アンドリューがここまでたどり着けたのは、なにもエルミアだけの力ではない。
テオとリアムとチェルシーと、そして何より、必死で努力したアンドリュー本人のやる気があってこそだ。
我慢ならないエルミアは職員室の扉を勢いよく開ける。ちん入者に渦中の二人は、揃って驚きの目を向けた。
「お話中すみません。少々よろしいでしょうか?」
「なんだね君は。急ぎでなければ後にしてくれないかね? ご覧の通り、我々は忙しいんだ」
「いえ、ダヴト先生から、どうにも聞き捨てならない言葉が聞こえましたので。恐れながら、訂正させていただこうと思いました次第です」
「はっ、聞き捨てならないだと?」
教師ダヴトは鼻で笑うなり、己の中でのみ完結しきった論理を振りかざす。
「マーフィー伯爵令息が不正を働いたのは自明の理であろう」
彼は眼鏡のブリッジを指で押し上げると、嫌みったらしい笑みを浮かべた。
それはあからさまに自分よりも下と認定したものへと向けるものであり、吐き気を催すほどに邪悪である。
これが、仮にも教師である者がすることか……。
ダヴトの暴君ぶりは周知の事実であるのか、ここには数名の教師がいるにも関わらず、誰一人と何も言おうとしない。
そして虚言の対象は、あろうことかこちらにまでも向けられた。
「ああまさか君だね、エルミア=アルネスト! 彼とグルになって、点数を劇的に伸ばして見せた! そうすれば納得だ、そうだ君もなんだか様子がおかしいと思って――」
「歴史学の教科書、百四十二ページ目上から三行目」
「はっ?」
「何が書いてあったか覚えておりますか、マーフィー様」
――矛先を私にも向けたこと、後悔させてやる。
そんなに疑うのなら、実際にやって見せた方が手っ取り早い。
エルミアはアンドリューの目をしっかりと見つめた。あれだけ詰められてもなお、太陽のような輝きを忘れない紅の瞳と視線がかち合った。
ゆっくりと頷き返した彼の顔は自信に満ち溢れている。ゆっくりと深呼吸をしたアンドリューは、室内によく響き渡る声で解を述べた。
「――メイガス三世亡き後、王位に就いたローレンス二世は民へ不当に重税を課し、暴虐の限りを尽くした。悪税に苦しむ平民たちは革命を起こし、皇位を簒奪した。その主導者こそが、現国王であるスコット家の血族に当たる者である」
幸か不幸か、このダヴトは歴史科を専門としている教師であった。だからこそエルミアはこの科目を選んだわけなのだが――、正誤に至っては、確認するまでもない。
小馬鹿にしたような態度は一転、徐々に歪みゆく顔は最早原形をとどめないほどに。可哀想な男へエルミアは勝ち誇った笑みを向け、腕を組み追撃を仕掛ける。
「ええ。マーフィー様は、今回のテスト範囲をきちんと頭に入れております。それも、教科書をそっくりそのまま暗唱できるくらいには。これでも、まだ疑いをかけますか?」
「それはだね……!」
「ご納得いただけたようで何よりです。この場は解決したようですので、我々は退出させていただきます」
「待て! 話は終わってないぞ!」
エルミアはアンドリューの背中を押し、退出を促した。
タヴトが後ろで犬のように吠えるも無視を貫く。あの手の輩はいくら説得したところで折れることはない。自分の主義主張を曲げないどころか、次第に論点をすり替え己に有利になるよう事を進めていく。
要は話せば話すほど面倒ということだ。ならば、早々に逃げ出すのが吉。
ぴしゃり、とわざとらしく音を立てて扉を閉めたエルミアは、小さくため息をついた。
テオは早々に教室へ戻ったのか、既にその姿はなかった。
あの場にいても事態がより複雑化するだけだったから、エルミアは彼の的確な判断に感謝した。
隣ではアンドリューが俯き、何やら気恥ずかしそうにしている。大きな図体に似合わず、モジモジと身体を動かしていた彼であったが、やがて腹を括ったのか心の底を小さく吐露する。
「……その、ありがとう……な」
「私の方こそ浅はかでした。カンニングを疑われるとは、思いもせずに」
「あいつなんだよ、俺を推薦するって言っときながら、結局取り消しやがったの」
その言葉を聞いて、やっぱり、と心の中で納得した。
根拠などないただの勘にすぎない。ただ、不正ルートを斡旋するならこの人しかいないだろうな、という下衆の勘ぐりが働いただけだ。
「それを実力でねじ伏せて、俺のすごさを理解させてやった。なんかこう、胸の中でモヤモヤしていたのがスッキリしたんだ。一泡食わせてやって気分だ!」
「それもしかして、”一泡吹かせる”って言いたいんですか?」
「え、違うのか?」
さも当然かのように言い放つアンドリューの態度に、思わずその場へ崩れ落ちそうになった。
あれ、この人、今回のテストでちゃんといい点とれたんだよね?
総合順位でもかなりいい方に入っていたし、今だって即答できてたし……。
うーん。先が思いやられる。
彼の行く末を案じていれば、不意にアンドリューが歩みを止めた。それに気づいたエルミアが振り返れば、彼は深々と頭を下げていた。
「エルミア。……悪かった」
指の先を伸ばし、ズボンの縫い目にしっかり沿わせたお手本のようなお辞儀。
テオの時と同じだった。名前の呼び方が変化している。
これは……彼からの信頼を獲得できた、という解釈で問題ないだろうか。
思わず口元が緩んでしまいそうになるが、今は浮かれている場合ではない。咳払いで己を律した後、あくまでも平静を装いエルミアは返答する。
「どうかお気になさらず。私がマーフィー様を深く傷つけてしまったことには、変わりありませんので」
「……やっぱりテメェ、なんか変わったよな」
顔を上げたアンドリューがしみじみと呟く。そこに警戒や敵対の色はなく、あるのは仲間に対する信頼と安堵の表情。
エルミアはゆるゆると首を振り、苦笑いを浮かべた。
「ごめんなさい。自分ではよくわからないんです」
「前はもっとジメジメとした暗い奴だった。自分の意見もはっきり言えないような、そんな奴」
「うーん……まぁ色々あった、ってことにしてください」
濁された言葉に、アンドリューは首をこてんと横倒しにする。
まさか中身が別人になっているからです、なんて言えるわけがない。
「それでは、私はここで失礼致します」
ルペシャから学んだカーテシーで締めくくり、エルミアはその場を後にした。
教室までの長い廊下を歩く最中、エルミアは”彼女”について考えていた。
エルミア=アルネスト。
私が抱いていたヒロイン像と、どうにも違う。
強大な能力を有しておりながら、その力を誰かのために振るうことなく隠し持っていた。
聖女としての務めを果たさないどころか、他の人々を傷つけて回るばかり。
アンドリューの言うとおり、陰湿な人間という印象を受けるのだ。
誰にも愛されるような、あたかも天使のような容姿を有しておりながら行動が陰険極まりない。それも各所から大きな恨みを買ってしまうほどに。
ひとえにヒロインと言っても、様々な性格があるのだろうか。
いくらゲームの世界といえど、エルミアも一人の人間なのだから。




