12話:憧れと断たれた道筋---アンドリュー
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マーフィー伯爵家に生を受けたアンドリューは、貴族とは思えないほどのやんちゃ坊主として育った。ダンスも作法も芸術もまともに身につける訳がなく、座学なんてもっての外。身体を動かすことが大好きで、気づけばホコリと泥まみれになる姿に両親も手を焼いていたが、決して見放したりなどはしなかった。
実家はリンゴ農園を営み、領民や親交のある者たちに売り込み生計を立てる。
瑞々しく大柄な果実はツヤがよく、ナイフを入れれば金塊のごとく輝く中身が姿を見せる。
蜜入りの甘くほっぺたが落ちそうに果物は、小さな頃からアンドリューの大好物。成長した今となっても、生きる上で欠かせない食べ物であった。
無鉄砲で常識外れ、じゃじゃ馬の如き生きるアンドリューが”彼”の存在を知ったのは、弱冠五歳の時である。
忘れもしない、国王陛下の誕生日パーティーでの出来事。マーフィー伯爵家は招待を受け、豪華絢爛たる宮殿に訪れていた。
両親が周囲の挨拶回りに奔走する中、アンドリューはそっちのけで一人食事を楽しんでいた。
流石に陛下が何かを話されているときくらいは目を向けるものの、それ以外はてんで無視。お偉いさんの話なんて、聞いたところでわかりゃしない。
宰相を名乗る豚のような人間と入れ替わりで登壇したのは、深海のような藍が目を引く男児だった。とても小柄で、華奢な体つきも相まって自分よりも年下に見える。
どうやら第一皇子の番が回ってきたらしいが、これもたった一瞥で終わるはずだった。
いいところのボンボン風情に興味はない、と食べ進める手を止めない。
――しかし、彼が口を開くなり、その評価は一転する。
彼は驚くほど流暢に、自己紹介や季節の挨拶を口にしてみせた。眠たくなるような難しい言葉だけでなく、時に他愛ないジョークを交えながら。
胸を張って堂々と、一切物怖じすることなく、薄い笑顔を浮かべ周囲の人々を虜にしていく。
リスのごとく頬張るご飯をアンドリューも、その時ばかりは目を奪われ、フォークを動かす手を止めざるを得なかった。
「……かっこいい」
気づけばそんな言葉が漏れていた。
宝石のように目をキラキラと輝かせるアンドリューの耳に届くのは、周囲の貴族たちによる賛辞の声。その中で、あの男の子が自分と同い年であることを知った。
「とうちゃん、かあちゃん! 俺、あの王様みたいにかっこよくなれるかな!?」
帰りの馬車で、アンドリューはずっと彼の話ばかりをしていた。
彼の名前はディランと言うらしい。ディランは将来国の頂点に立つという。あんなにも小さな身体から繰り出される台詞、所作、魅力はまさに「完璧」と言っていい。
両親は絶えず笑顔を浮かべ、無邪気に憧憬を向けるアンドリューに優しく肯定を示した。
「ああ、きっとなれるとも」
「じゃあ俺も王様になれるのかな?」
「そうだね~。アンドリューは力が強いから、騎士様の方が向いているかもしれないね」
「きしさま?」
「そうよ。王様や領民といった、いろんな人を守るのよ」
王様を……皆を、守る。
ディランの力になれること、それはなんと喜ばしく光栄なことか。
胸がドキドキして鳴り止まない。今すぐ身体を動かしたくてたまらない。
馬車を飛び降りてでも、剣を手にして振るいたくて仕方がない。
この日、アンドリューは興味の欠片も示さなかった王族に強く惹かれ、心をわしづかみにされたのであった。
幼いながらに将来の夢を抱いたアンドリューは、その日から研鑽を重ねた。一日たりとも無駄にはせず、来る日も来る日も剣を振るい続ける。元々素質があったおかげか、武力は下手な大人をも上回るほどに成長した。
しかし、問題は学力にあった。
どんなに参考書を読み込んでも理解が出来ない。一つ新しきを覚えたかと思えば、それまで蓄えていた知識の一つを忘れてしまう。
それでもアンドリューはめげずに、必死に努力した。
どうしても叶えたい夢があるから……――けれど筆記の成績は、どうにも振るわない。
このままでは入団テストに合格どころか、受験資格ですらなくなってしまうのではないか。焦燥は、年を重ね日を追うごとに増していく。
そんなアンドリューに悪魔の囁きをかけたのは、とある一人の教師だった。
彼は言った。特別な道で、アンドリューを王族騎士団に入れてみせると。
その言葉は救いであり光であり、希望であり地獄へ垂らされた脆くも細い糸のようであった。
限界だったアンドリューは縋り、手を伸ばす他なかった。
それが例え、後ろめたい方法であったとしても。
やがてテオと出会い、交流を重ねていくうちに自ら堕落の道を歩み始めることになる。
このままではよくないと思いつつも、自身には絶対的に騎士になれる道があるから大丈夫だと目をそらし続けてきた。
勉強はすっかり諦めてしまった。けれど心配することはない。俺には確実な道筋と、入団できるだけの技術と体力があるのだから。
気怠い時間をやり過ごし卒業さえしてしまえば、俺は念願の騎士になれると――。
そう、信じて疑わなかったのに。
「どういうことだよ先生、俺の推薦を取り消すって!」
「しかしね、ああも噂が立てられてはこちらとしても限界なんだよ」
突然のことだった。
貴族学校の三年生になったアンドリューは、相も変わらず遊び呆けていた。
授業をサボり、学校内をふらふら練り歩く際目にしたのは、いじめの光景。ただならぬ様子を感じ取ったアンドリューは、即座に割って入りいじめられっ子を救済した。
しかし、それは思わぬ形で伝播し、終いにはアンドリューが加害者側に回った、とまで吹聴されていたのだ。
噂のことは知っていた。けれど、どうでもいいと思って放置していた。
だが、まさかこんなところに影響を与えるだなんて考えてもみなかった。
その後もなんとか掛け合ってみるも、彼がまともに取り合ってくれることはなかった。
……知るかよ。そんな大人の都合なんて知ったことかよ。
「くそ……ッ!」
怒り任せに拳を壁へ叩きつける。振動で欠片がパラパラと舞い、床に転がり落ちた。
噂の出所は把握済みだ。
エルミア――エルミア=アルネスト。
あいつさえ、あいつさえ、あの女さえいなければ、俺は将来を約束されたも同然だったのに!
それでもアンドリューは諦めきれなかった。ディランの剣となり盾となり、彼の手足の一部になることを。
来る日も来る日も自習室に籠もっては遅れを取り戻そうと、大人しく机へ向かう。けれど出来ない、わからない。
どうにもならない焦りと不安でアンドリューは頭を抱える。完全に負のループへと突入していた。
「マーフィー様は、本気で殿下をお慕いしているのですね」
女の声ではっと我に返る。
今は次回の期末テストに向けて、自習室で勉強をしている最中であった。
目の前に座るのは、アンドリューが憎んでも憎みきれない相手。約束された将来を絶ち、その後も問題を起こしまくったにも関わらず、のうのうと生きている人間。
こいつに俺自身のことは話していないはずだ……となると、テオか?
アンドリューは親友の顔を浮かべ、舌打ちをする。
「だからなんだってんだよ」
「僭越ながら申し上げます」
テメェには関係ない、という気持ちを込めて突っぱねる。
しかしエルミアはこちらの感情などお構いなしに、真剣な顔をしたまま話を続ける。
こちらに怯む様子など見せることなく、それどころか淡い空色の瞳はアンドリューを捉えて離さない。
そして、おもむろにアンドリューへ現実を突きつけるのであった。
「不正を働き手に入れたものは、きっと長続きはしないでしょう」
不正? 一体何の話をしている。
考えて考えて、たどり着いた答えの先で――。
「……!?」
アンドリューは激しく動揺した。
この女に、裏ルートで騎士団に入る話があったことはしていない。入団の話はおろか、自身のことですら語ったことはないのだから!
「テメっ……!」
「貴方の悪事が、いつか明るみに出る日がくる。その時、貴方は殿下のお側に堂々と胸を張って、立っていられますか?」
「んなのやってみなきゃわからねぇだろ!」
「後ろ指を指されるというのは、存外辛いものですよ」
淡々と語るその様子がまた一層、アンドリューの逆鱗に触れていく。
知ったような口を。ならばいっそ、ここで本当に暴力でも振るい退学になってやろうか。
どうせ処分されるのなら完膚なきまでに叩きのめす。女だからとはいえ容赦しない、顔が原形をとどめない程にまで殴りつくす。
これまでの恨み辛みを込め、力一杯腕を振り上げたときだった。
「テオくんから聞きました。貴方には立派な夢があると。だからこそ私は、正攻法で貴方に騎士になってもらいたい」
その言葉を耳にしたアンドリューの右腕が空中で静止する。
エルミアの顔まであと少しだった。拳骨は彼女の小さな鼻先を掠め、ほんのちょっと力を込めるだけで女は容易に吹っ飛んでいくだろう。
たったあと数ミリ、ごくわずか振り下ろすだけなのに。
けれど出来なかった。まるで糸で縛られたかのように、魔法にかけられたかのように、アンドリューの身体はいうことを聞かない。
代わりに浮かぶのは、ディランの姿。
あの日からアンドリューの心を虜にしてやまない男児の姿が、色濃く鮮明に映し出される。
「本気で殿下のお側にいたいと願うならば、正々堂々戦うべきです」
エルミアの言葉に、発端となった事件の経緯を思い浮かべた。
あの時、いじめっ子は俺に暴力を振るわれたと嘘をついた。しかし殿下を始めとした人物らにより入念な調査が行われ、相手側の狂言であることが認められた。
その結果、あいつはどうなった? ――結果退学処置とされ、この学校の門をくぐることは二度と許されなかった。
もし俺が将来、同じような目に遭うとしたら。
金輪際、彼を守る役目に就けないとしたら。
最悪の未来を想像したアンドリューは大人しく拳を収める。
本来ならば暴力を振るおうとしたことに対し、きちんと謝罪をするべきなのだろう。
しかしアンドリューは意地でも頭を下げたくなかった。だからいっそ開き直る。
ドカリと椅子に腰を据え、鼻を鳴らし話題をそらした。
「それをなんとかするのがテメェの仕事だろ?」
「推薦の件に関しては、契約範囲外になりますけれどもね」
確かにアンドリューは今回の成績に関して言及したのみであり、今後については一切の約束を取り交わしていない。
とはいえ坊主憎けりゃなんとやら。今のアンドリューにとって、エルミアの言葉が真実であろうとなかろうと、気に触ることに変わりはないのである。
つくづく腹の立つ女だ、と心の中で悪態をついた。
そんなアンドリューの胸中など露知らず。彼女は不敵な笑みを浮かべるなり、高らかに宣言してみせた。
「まぁいいでしょう。マーフィー様の実力、是非ともご覧に入れましょうではありませんか」




