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11話:ここで死ぬか未来で死ぬか

 エルミアがアンドリューに嫌悪されていた理由。それは彼の将来を絶ったこと。

 あることないこと悪評を立てた結果、学園側の威信に傷がつくと判断されたのであろう。噂の真偽はともあれ、彼は王族騎士団への推薦を取り消された。

 密かに約束されていた、裏口入団という名の不正な手段を。

 しかし、それは本当に彼にとってよいことなのだろうか。

 悪事は必ず白日の下に晒される。それが近いうちの出来事なのか、遠い将来に起こりうるのか。

 エルミアにはわからない。けれども、その時が来れば彼は必ず苦境に立たされてしまうのではなかろうか……?


「――ちゃん、エルミアちゃん?」

「はうぁっ!?」

「あ、やっと起きた」


 思考に耽ったエルミアを現実に引き戻したのはリアムだった。彼は今日も今日とてエルミアの部屋に訪れては起こし、身支度が終わるのを待ち、肩を並べて登校する。

 宿舎から学校までの短い道を、リアムと共にゆっくり歩く。

 初めは目を疑うようだったこの光景にも、あらかた慣れてきたものだ。

 あの頃は徐々に気温が上がりながらも、まだどこか麗らかな陽気が漂っていた。それが今や一転、すっかり夏の空気に。全てを焼き付くさんと言わんばかりに強く照りつける太陽は、ほんの少し外に出るだけで人類の体力を削りを疲弊させる。

 こちらの世界は向こうと違って、湿度が低いのがまだ救いであろうか。向こうの世界の、まるで蒸し風呂に閉じ込められているかのような不愉快な感覚は、できればもう味わいたくない。

 まだまだぼんやりとしているエルミアを見て、リアムがくすくすと小さな笑い声を漏らした。


「今日は一段と心ここにあらず、って感じだね。何か考え事でもしているのかな?」

「昨日のことでちょっと、ね……」

「どうして彼がエルミアちゃんにキツく当たるのか、とか?」

「それはテオくんから聞いた。私がマーフィー様の悪評を流したことがきっかけだ、って」


 彼はなるほど、と言いたげに小さく頷いた。


「じゃあさ、これは覚えているかな? 少し前に僕が久々の学校だよって言いながら、起こしに行ったこと」

「う~ん……」


 エルミアは当時の状況を思い出すべく、頭を回す。

 そういえば転生してすぐに、リアムからそんなことを言われていたような気もする。

 あの時は未知の世界へ飛び込むことへの好奇心や喜び、やがて味わう絶望に振り回され、それどころではなかったが。

 リアムの言葉はどういう意味だったのか。登校直後の皆の反応を見るに、長期休暇明けという線は薄いであろう。

 それはまるで、エルミア個人の復帰を忌み嫌うようでもあり――。


「あの日はね、エルミアちゃんの停学明けだったんだよ」

「停学!? ……私が!?」

「その様子だと、やっぱり覚えていないんだね。その前にも結構色々やらかしていたんだけれどね。一応は聖女様ってことで、皆手出しはできなかったんだけれども……。マーフィーのことが決定打になったのかもしれないね」


 ルペシャの話からも、以前のエルミアは相当な問題児であることは理解していた。

 素行不良を繰り返す聖女。おいそれと沙汰を下すことが出来なかったが、噂を広めたことがきっかけで、度重なる問題行動に業を煮やしエルミアを停学処置とした。

 謹慎期間までは不明だが、邪魔者がいなくなることに変わりはない。周囲の者はさぞ喜んだであろう。

 不意にあの時、初めて教室に足を踏み入れたとき、テオとアンドリューに言われた言葉を思い出す。

 『今日から復活する』、『もう来なくていいのに』――。

 今になって、ようやく意味を理解できた。

 不要なものは、ない方が皆にとっても都合がいいから。

 やはりこの子は――、エルミアは。

 誰からも煙たがられ、忌み嫌われる存在だったのだ。


「……そんなことが……」

「エルミアちゃんさ……あの日から別人みたいだよね」

「え」


 それまで明るく弾むようだったリアムの声のトーンが急激に下がった。絶対零度の冷たさを思わせるほどの低く疑念を孕んだ音色に、エルミアの心臓が大きく跳ねる。

 あの日というのは、間違いなく停学明けのこと。

 彼の読みは当たっている。今、隣にいる”エルミア”の魂は、彼にとって全く見知らぬ人に取って代わっているのだから。

 思えば誰かに追求されるのは初めてかもしれない。

 私自身も、自分が既に”エルミア”でないことを伝える必要はないと思っていたので、そのままにしていた。

 ……怒られる? 詰問される?

 お前は誰だと糾弾されるのだろうか。

 額からじんわりと嫌な汗が流れていく。考えている合間にも、リアムの手がゆっくりと伸びてくる。何をされるか分からない、言われるか分からない恐怖心から反射的に目をつむった。


「たくさんのことがあって、きっと疲れちゃったんだよね。無理しないで。僕はいつでも、エルミアちゃんの味方だから」


 ぽん、と頭に置かれた手。

 それはエルミアの不安や恐怖を払拭するように、緩やかに頭頂部を往復する。手のひらから伝わる暖かさと慈しみに、エルミアは思わず拍子抜けした。

 

「あ、……りがとう」


 まだまだ信用してくれる人が少ないという現状において、その言葉はとても心強いのであった。

 

---

 

 リアムと他愛ない会話をしていれば、教室までたどり着くのはあっという間のこと。席について周囲を見渡してみるも、やはりアンドリューの姿はない。

 エルミアがため息をつきながら席に着けば、見計らったようにチェルシーが駆け寄ってきた。

 向日葵のように鮮やかな黄色の髪を片側でお団子風にまとめ上げ、サイドテールのように肩まで垂らしている少女。ぱっちりとした大きな瞳に二重のまぶた、夕暮れのように穏やかな橙を宿す彼女は、エルミアの数少ない友人の一人である。

 ニコニコと明るく人当たりのよい笑顔を浮かべる少女は、ひらひらと小さな手を振りながらエルミアへ話しかけた。


「おっはよ~。昨日、マーフィー様とはどうだったー?」

「どうして私が嫌われているかを話して終わったよ」

「えぇえええっ」


 エルミアの淡泊な返答に、彼女は両手で口元を覆い驚きを見せた。

 残念だがそれが事実。有力な情報を提供してくれたのは、テオやリアムの方だった。

 なんとしてでも、もう一度アンドリューと話す機会を設けなければ。恐らく今が彼に近づくにあたって、絶好のチャンスなのだから。

 思考を絶えず回し続けるエルミアへ、その間チェルシーは何も話しかけなかった。

 しかし彼女は唐突に、まるで歌うような口調でとんでもないことを口にする。


「それよりさぁ、次のテストは”また”下の方でいてくれるんだよね?」

「なにそれ、どういう意味?」

「は……?」


 チェルシーは得体の知れないものを見るような目でこちらを見た。驚嘆とほんの少しの侮蔑を交えたような視線は、まるで化け物を見るかのよう。

 テスト……”また”下の方、とは一体どういうことか。


「あ、あのさ。君、エルミアだよね?」

「え、うん、そうだけど……――ッ!?」


 彼女の問いかけに答えていたエルミアは、突如として激しい頭痛に苛まれた。患部を抑えながら机に肘をつき、断続的に続く苦痛へ耐えようと歯を食いしばる。

 特に酷いのが左のこめかみだった。内部から針で数カ所も刺されているような錯覚さえ覚えるほどの痛みは、まともに顔を上げられないほどに。遅れてやってきた眩暈は宙に浮かされている感覚に陥り、目の前がふわふわとして気持ち悪い。

 そこでエルミアは、自身の身体が小さく震えていることに気がついた。

 なに……これ。

 怖い、怖い。

 まるで何かに縛り付けられ、支配されているような畏怖の念は吐き気すら覚えるほど。

 頭に浮かぶのは、逆らえば命はないとでも言うような、背けば今よりもっと酷い目に遭うという感情。

 何に対しての恐怖? これは何に対する恐れ?

 ……チェルシー?

 体調不良を悟られないように、あくまでも平静を装い彼女へ視線を寄越す。何かに感づいたであろうチェルシーは両手を大きく振って、否定の意を表した。


「えっ、あ、いや……変な意味じゃなくてね? エルミアはいつも頑張っているでしょう? だからあまり無理しすぎない方がいいんじゃないかなぁ~って、思ってさ」

「心配してくれてるんだ、有り難う。でも大丈夫、私は私の出せる全力を以て臨むから」

「……そ、そうなんだ……」


 返事をする彼女の顔色はやはりどこか優れない。心なしか歯切れも悪く、言葉に詰まっている、そんな気がした。チェルシーは自分の手首をぎゅっと掴んだまま、床に目線を落とす。

 普段朗らかな彼女からは到底想像できないような、憔悴しきった姿に今度はエルミアが心配をする番であった。


「チェルシー、大丈夫?」

「う、うん。なんでもないよ~? それより、エルミアは? なんか震えてるみたいだけど」

「これ? ああ……。テスト、緊張してきたかも! 多分武者震いってやつ!」

「え? ……いやまだかなり先だよね!?」


 チェルシーの的確なツッコミに、それもそうか、と笑って誤魔化す。

 その頃には得体の知れないものに対する恐怖感など、嘘のように消え去っていた。


---


 テオと違い、未だ授業をサボり続けているアンドリューは決して教室に現れない。

 そもそも学校にすら来ているのか、いないのか。それすら不明な状況では、彼と面向かって対話など不可能である。

 しかしエルミアは、彼のいそうな場所に一つだけ心当たりがあった。もしかして、と直感で思い至るその先に、何の躊躇いもなく飛び込んでいく。

 

「マーフィー様」

「またテメェかよ。聖女サマっつーのは、随分と暇なんだな」


 放課後、エルミアが訪れたのは自習室のとある一部屋であった。アンドリューは机の上に参考書とノートを広げ、大人しく勉強に励んでいた。彼はエルミアの姿を認めるなり、面倒くさそうに一瞥をくれる。

 ――もし彼がまだ王族騎士団への道を諦めていないのであれば、今日もこの場所で分厚い冊子と睨めっこをしている。

 予感は的中した。根拠のない想像にすぎなかったが、アンドリューは確かにここにいる。

 エルミアは丁寧に腰を折ると、もう何度目かもわからない謝罪を口にする。


「大変申し訳ございませんでした」

「だからなんだよ、俺は絶対許さな――」

「それでいい。だからどうか、私に償いの機会をいただけないでしょうか」


 彼がそう簡単に受容しないことは分かりきっていたこと。むしろエルミア自身も、許してもらうために顔を合わせに来たわけではない。

 頭を上げ、アンドリューを真剣に見据える。彫りの深い顔を瞬きすることなく、視線をそらすことなくはっきりと。

 そんなエルミアの覇気に尻込みしたのか、アンドリューはわずかに頬を引きつらせる。


「わーった。期末で俺が赤点を回避することができたら、テメェを認めてやる。どんな手を使ってでもいい」


 やがて観念したように両手を挙げると、ため息と共に贖罪の条件を提示してきた。その中身に、エルミアは反射的に眉をひそめた。

 手段は問わない。つまり、カンニングをしても構わないと、そう言いたいのか。

 あれだけのことがありながら……この期に及んでまだ懲りていないとでも。

 そう思えど言葉にはしなかった。そうすればきっと、また面倒なことになるのは目に見えている。

 無言で巨漢を見つめていれば、彼は机の傍らに置かれたバスケットからリンゴを取り出した。そういえば先日ここで会ったときも、山積みにされていたと思い出す。よっぽど好きなのか、それとも何か特別な思い入れでもあるのだろうか。

 裏の裏を思考しながら美しい球体に目線を奪われていれば、バキャッ、と生々しい音を立て粉砕された。

 リンゴを素手で握りつぶすには、約六十キロから七十キロの握力が必要だと昔どこかで聞いたことがある。

 アンドリューはそれを軽々とやってのけた。つまり、彼の力はそれに相当するもの、もしくはそれ以上。

 リンゴだった物の欠片たちが音を立て床へと転がり落ちた。桁外れの筋力を見せつけた生傷の絶えない大きな手からは、黄金色の汁がしたたる。

 つり上がった目尻の奥で紅色が煌々と輝き、呆然とするエルミアに確かな殺意を向けた。


「もし出来なかったら――テメェをぶっ殺す」


 冗談でもなんでもない。この男は本気だ。

 これは警告である。失敗した暁には、こうなるのはリンゴではなくエルミアなのだと。

 頭蓋骨を粉砕される。もしくは頸椎を折られる。想像もつかないほど残忍な方法で、彼の手にかけられこの世を去る。

 誰かの手によって命を奪われる恐ろしさと経験したことのない痛みに、ゾクリと背筋が震え全身の血の気が引いていくのを感じた。

 けれど引き下がりなんてしない。アンドリューからの信頼も得られなければ、どの道エルミアは死ぬ。

 ここで死ぬか未来で死ぬか。

 ただ、それだけの問題なのだ。

 息を吸って、吐いた。降りかかるプレッシャーすらはね除けるように、エルミアは男をこれまでになく鋭く睨み付ける。


「……ええ、好きにしてちょうだい」


 返答を受け、アンドリューが鼻息荒く腕を組んだ。同意、と解釈して問題ないだろう。

 ――交渉成立。

 早速行動を開始するべく、エルミアは教室へ急ぎ筆記用具を取りに行く。

 どこまでやれるかなんてわからない。けれど、全力を以て臨むだけ。

 好感度のことなんてすっかり頭から抜け落ちていた。

 私は……必ず約束を果たして、自身の死を回避してみせる。


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