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もう少しだけ

作者: kei
掲載日:2025/03/26

放課後、夕陽が窓ガラスを朱色に染めていた。


教室の空気は緩やかで、友達の話し声や椅子を引く音が混じり合っていた。


自分はまだ帰る準備をする気になれず、机に肘をつき、なんとなく外を眺めていた。


赤く染まった校庭の向こうで、部活の掛け声が響く。


そのとき、不意に声がした。


「……まだ帰らないの?」


声のほうを見ると、彼女だった。


普段はあまり話すことのない同級生。


けれど、席が近いせいか、なんとなく互いの存在を知っている、そんな距離感。


彼女の髪が夕陽を受けて、ほのかに光って見えた。


「もう少ししたら帰るよ」


そう答えると、彼女は少しだけ考えて——


「じゃあ、一緒に帰る?」そう言った。


一瞬、言葉が出なかった。


別に特別な意味はないのかもしれない。


たまたま帰る方向が同じなだけ。


けれど、こんなふうに彼女から誘われるのは初めてだった。


「……うん、いいよ」


そう答えると、彼女は微笑んで、先に鞄を肩にかけた。


その横顔は、いつもより少しだけ柔らかく見えた。


昇降口を抜けると、夕暮れの空気が肌に触れた。


まだ少しだけ暑さが残る季節だったけれど、夕方になると風が心地よかった。


二人で並んで歩く。


特に話すこともなく、互いの足音だけが響く。


こうして並んで歩くのは、きっと初めてだった。


それが妙にくすぐったくて、何か話さなきゃと思うのに、言葉が見つからない。


彼女はどんなことを考えているんだろう。


こうして誰かと帰ることなんて、彼女にとっては特別なことじゃないのかもしれない。


でも、自分にとっては——


「……いつも、こうやってのんびりしてるの?」


彼女がふいに口を開いた。


「え?」


「帰るの遅いよね。前にも、夕方まで残ってたの見たことある」


「あぁ……なんとなく、帰るタイミング逃すことが多くて」


「ふーん」


彼女はそれ以上何も言わずに歩く。


でも、どこか納得したような表情だった。


風が吹いた。


前を歩いていた小学生たちの自転車のベルの音が遠ざかっていく。


そのまま、二人の間にまた沈黙が落ちる。


だけど——嫌な感じはしなかった。


交差点の手前で、信号が赤に変わる。


二人は自然と足を止め、並んで立つ。


「……こうやって歩くの、なんか新鮮」


ぽつりと、彼女が言った。


「……そう?」


「うん。こういうの、あんまりないから」


「友達とは帰らないの?」


「帰るよ。でも、こうやって二人っていうのは、あんまりないかも」


信号が青に変わる。


歩き出すタイミングが少しずれて、自分が少し前に出る形になった。


そうしてまた、並ぶ。


校門を出てから、すれ違う人の数が増えてきた。


部活帰りの生徒や、自転車で駆け抜ける人たち。


その中で、自分たちは変わらず並んで歩いていた。


何を話せばいいのかわからなかった。


でも、不思議と気まずさはなかった。


むしろ、この静かさが心地よく思えた。


この時間が、もう少し続けばいいのに——


そんなことを、ふと考えた。


住宅街に入ると、彼女が「あ、ここで曲がる」と言った。


「あぁ」


「今日は、なんかありがと」


「え?」


「たぶん、一人だったらすぐ帰ってたから」


彼女はそう言って、小さく笑った。


「……うん」


何か、言葉を返したかったけれど、いい返事が思い浮かばなかった。


彼女が軽く手を上げて、家の方へ歩き出す。


その背中を見送ってから、もう一度歩き出した。


心なしか、夕暮れの空がいつもより広く感じた。


住宅街を抜けて、ひとりになった帰り道。


彼女と並んで歩いていた時間を思い出す。


特別な会話をしたわけじゃない。


でも、あの沈黙が心地よかったことだけは、はっきり覚えている。


ふと、ポケットに手を入れると、指先に触れたものがあった。


それを取り出してみる。


——飴玉。


彼女が、別れ際に何気なく差し出したもの。


「これ、いる?」と軽く聞かれて、なんとなく受け取った。


そのときは特に気にしていなかったけれど、今になって妙に気になった。


彼女は、あのとき何を考えていたんだろう。


なぜ、わざわざ自分にこれをくれたんだろう。


考えたところで答えは出ない。


でも、なんとなく——


また一緒に帰れるといいな。


そんなことを思った。


次の日。


いつもと同じ朝。


いつもと同じ教室。


けれど、なんとなく、彼女の存在が気になった。


意識していないつもりだった。


でも、視線が自然と彼女のほうへ向かってしまう。


気づかれたら恥ずかしいから、さりげなく。


それとなく。


「……」


彼女はいつも通り友達と話していた。


昨日と変わらない日常。


自分だけが、昨日を引きずっている気がした。


窓の外を見る。


晴れているのに、風は少し冷たい。


秋が近づいているんだろう。


昨日のことを、彼女は覚えているんだろうか。


それとも、何気ないこととして、もう忘れてしまったんだろうか。


そんなことを考えていると、不意に——


「おはよう」


彼女の声が聞こえた。


びくりと肩が跳ねる。


「……お、おはよう」


予想外のことに、ぎこちなくなった声。


彼女は特に気にすることもなく、にこりと微笑んで、自分の席へ戻った。


それだけのこと。


たったそれだけのことなのに、なぜか胸が騒いだ。


放課後。


昨日と同じ時間、同じ場所。


ふと、昇降口で靴を履き替えていると、彼女の姿が目に入った。


——昨日と同じように、一人だった。


「……」


少しだけ、迷う。


でも、自然と足が動いていた。


「今日も、一緒に帰る?」


気づけば、そう声をかけていた。


彼女は驚いたようにこちらを見て——


「……うん」


昨日と同じように、微笑んだ。


それだけで、今日の帰り道が少しだけ特別なものに思えた。


昨日より、ほんの少しだけ距離が縮まった気がした。


そして——


昨日より、もう少しだけ長く、この時間が続けばいいと思った。

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