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戦闘AIは悪役令嬢の夢を見るか?

戦闘用AIの「ワタシ」は、兵士の脳内から彼らの戦いをサポートしている。

ある攻撃で兵士が意識を失った時、ワタシも同時に意識を失った。

目が覚めると、兵士慰労プログラム「薔薇のための城」の世界へ入り込んでしまっていた。


担当兵士の意識を見つけ、早く戻らなければ、生身の体が無防備に戦場へ放り出されたままになってしまう。


幸い、脳内の処理速度は変わっていない。ワタシの使命は二つ。記憶にない罪について弁明すること。そして担当の兵士がどのキャラクターを演じているのか突き止めること。

 弾道予知プログラムがアラートを発すると同時に、機体は横向きに吹き飛んだ。

 焦げて硬くなった赤茶色の地面に叩きつけられバウンドする。ワタシとハプーは着弾から0.68秒の間に意識を失い、その間に的確で残酷な追撃を右腿と右米神にくらう。ワタシはおよそ2.5秒後に目を覚ましたが、電子脳の中にハプーの意識が見当たらず、愚かにも焦った。

「82号、起きなさい、82号!」

 植物の色を忘れた地面は放射能を多分に含むため、長く横になることはたとえスーツ越しでもありがたくない。ワタシは通常のワタシや同胞が見れば一斉に白目を剥くほどの愚かさで、ハプーを、82号を呼んだ。

「起きて、ハプー」

 ヘルメット内蔵カメラからの情報によれば、彼は額からおびただしい量の血液を流していて、それが顎のあたりで小さな池になっているほどだった。

 ワタシは内蔵アームを作動させて(顔が痒いとき以外に使い道はないと思っていた)、頬をペチペチ叩いた。意識レベルと体温が綺麗な比例グラフを描いて緩やかに落ちていく。

「ハプー」

 ハプーが完全に眠りこけることは、幾万のミサイルが飛び交う戦場で身体を無防備に晒すことを意味する。

 そしてもう一つ。彼が電子脳を強制シャットダウンすれば、彼の脳内に依存するワタシも、同時に自我を失う。一連托生、という東洋の言葉が思い浮かぶ。

(だけど、ああ、ハプー。あなたはこれでいいと言うのかも)

 彼が失った婚約者も、両親も、7歳年下の妹も、この暗闇を通っていって、そして2度と戻らない。そういうことでしょう?

 なんて愚かなんだろう、でもワタシは安堵している。ワタシはこの幼い顔立ちの兵士が10歳で軍に引き抜かれたその日からずっと、ここで彼の戦いをサポートし続けてきた。

 最後の警告音がたった3回鳴った後は、もうなにも分からなくなる。

 ワタシとハプーの意識は、脳内の様々な情報を巻き込みながら、混ざり合うようにして落ちていった。






 目を開いたとき、愚かにも混乱した。

 なぜ、開く目がある?

 下に目を向けて(なぜ下に向ける目がある?)、細く長い指を見た(なぜ指が?)。

 手首には繊細なレースがまとわりつき、さらにその向こう、胴体にも同じ系統の布があり、要するにドレスだった。

 しかも、なんと、重力を感じる! ワタシは立っていた。生まれて初めて、自分の体というものを感じる。

 ワタシは顔を上げた。そして、絢爛豪華な建物のど真ん中に自分が突っ立っているのを認識した。

 咄嗟にあらゆるものと自分の距離を測ってしまう。特に武器と認識されるものとの距離を。

 一番近いのは10メートル先でこちらを睨む金髪の男が腰に佩いている細身の剣。さらにその後ろにいる黒髪の男の片刃剣。

 30メートル離れた壁際に並ぶ兵士らしき12人の持つ銃は驚くべきことに銃弾をセットするタイプのものだった。そんなの、資料の中でしか見たことがない!

 結論としては、どれもこれも驚異ではない。いくらスーツを着ていないといえど、最短距離の剣は細身ゆえに横からの衝撃に弱いし、鞘なんてものに入っているから抜刀のタイムラグがある。

 あと、銃! なんてクラシックなんだろう。つい視線がそちらに向かいそうになる。ぜひ一度解体させてほしい。ちなみにこれも、引き金を引く前に「狙いを澄ます」という一手間があるのが欠点だ。ワタシたちの戦場で主に使われるのは確かに銃だが、出るのは弾ではなくレーザーだ。弾が切れることはないし、オートにすれば敵と認めたもの全てを予備動作なしに勝手に射抜く。

 最後に、ワタシは金髪の男に寄り添う赤髪の女を見た。あまりに弱々しい反応で見落としかけたが、どうやら彼女はその肉体のどこかに武器を携帯しているらしかった。なぜか極精密スキャンができないので、この目に見えていない以上、それが毒なのか短剣なのか判断がつかない。

愚かなことに、ワタシは困っていた。

 金髪の男はワタシを睨んだまま何も話そうとしないし、彼にすがる格好の赤髪女はしくしく泣くばかりでやはり何も言わない。ワタシが着ている(らしい)のに負けず劣らずの豪華なドレス姿の人々はどいつもこいつも見たことがないが、なんだか先ほどから記憶の回路がチリチリと何かを伝えたがっている。

 ワタシは意味もなく両手を広げたり閉じたりして、それから肩をすくめた。

「アー、失礼?」

 へえ、声帯ってこういう風に震えるんだーと感動していたら、金髪の男が「ハァ?」と初めて言葉を発した。

 起こったことはたったそれだけ。それだけで、人々のささやきが部屋を満たした。色々な言葉が聞き取れる。

 ありえない、話を聞いていなかったのか、今の品のない仕草はなんだ?(ハプーが婚約者を怒らせた時によくやっていた動きだ。意味は「怒らせてごめん、でも心当たりがないよ」です) などなど。よかった、情報の平行処理はそのままできるらしい。

 仕方なく、ワタシは彼らに背中を向けた。音の反響から背後に扉があることはわかっていたし、この場がワタシを歓迎していないこともよくわかったから。

 3歩踏み出したところで、声をかけられた。それは固有名詞だった。人の名前らしいが、よくわからない。もう一度、今度は怒鳴りつけるように発される。

 ワタシは扉の手前で振り向いた。金髪の男との距離は開いていたので武器警戒アラートが「敵性なし」になっている。

 男は三度、固有名詞を発した。

「エラリー・バスカヴィル! 貴様、逃げるつもりか!」

 おそろしいことが起こった。まさかワタシに固有名詞がつくとは——つまり、男が発したのはワタシの名前らしいのだ。

 それはともかく、エラリー・バスカヴィルだと? なんでそんなトンチキな名前になっているのだろう。

 いや、わかる。あれはまだハプーが訓練生だったころ、彼は毎晩のように図書棟で本を借りていた。内容が判明している紙の本はもれなく全て重要文化財なのだけれど、中には触れることが許されたものもあった。

 エラリーというのは、今からおよそ1200年前に推理作家として小説を発表していたエラリー・クイーンのことに違いない。エラリー・クイーンといえば「読者への挑戦」という様式が組み込まれたミステリが代表格で、ハプーはいちいち登場人物を書き出してはトリックについて頭を悩ませていた。「彼のすごいところは……いや、彼らというべきか。エラリー・クイーンは2人で1人だからね。とにかく、彼らのすごいところはね、徹底してフェアであることなんだよ。特別な知識がなくとも、彼らの挑戦を受けられるんだ」「彼らが生きていた時代から1200年後の兵士でも?」「もちろん。だから解いてみせるよ。おっと、きみは黙っててくれよな」

 なんて懐かしい会話だろう。そう、だからエラリーといえば、クイーンなのだ。

 そしてバスカヴィル! こんなの、シャーロック・ホームズのシリーズ作のうちの一つ、「バスカヴィル家の犬」からとられた以外に何があるというのだろう? ハプーはシャーロック・ホームズの本を借りすぎて、一時のあいだ司書たちから「ジョン」と呼ばれていたほどだった。それはシャーロック・ホームズの愛すべき相方であるジョン・ワトソンに由来するものだったが、ハプー本人は非常に不愉快そうだった。曰く、「僕は彼らの活躍に組み込まれたいんじゃない。221Bの壁になって、ただ側で見ていたいだけなんだ」だそうだ。なぜ壁…? と疑問に思うのはワタシがAIだからなのか。

 ハッとした。ではこの、エラリー・バスカヴィルというのはどちらも、ハプーの記憶の中から編み出されたものということにならないだろうか?

 ここまでのことを考えるために、ワタシはすでに3.96秒の時間を費やしていた。人間にとっては一瞬でも、膨大なデータを並列思考で処理する必要があるAIにとっては歯噛みしたくなるほど悠久だ。

 案の定、金髪男はワタシに指を突きつけてきた。

「なんだその顔は。貴様、まったく反省していないな!」

 ワタシは首を傾げてみせた。改めて、この状況は一体なんなのだろう?

「よくわかっていないらしい貴様のため、もう一度言ってやる」ワタシは拍手したくなった。非常にありがたい。

「貧民層出身であることを理由に、このアドリア嬢へ嫌がらせといじめを繰り返した挙句、昨晩彼女の部屋へ刺客を放った罪について、何か申し立てはないのか!」

 ワタシはひとつ咳払いをして、おそるおそる口を開いた。

「ないね」

「この後に及んで嘘を重ねるか、この毒女め」

「OK、落ち着きなよ。アー……?」

 ワタシは困ってしまった。名前がわからないから宥めることもできない。

その時、救世主が現れた。

「……もう大丈夫です、オスカー様」

 それは、赤髪の女から発せられていた。オスカーと呼ばれた男ははっとしたように女の肩を抱きしめて、「辛いなら無理をするな」と言いつつまたワタシを睨む。おお、お前はオスカーというのか。

「いいえ、ほんとうに大丈夫。ありがとうございます」

 赤髪がゆっくりと持ち上がり、その顔がこちらを向いた。瞳は明るいハチミツ色、泣き腫らした目元は薔薇色、愛らしい唇は潤んだピンク色。

 絶世の美少女がそこにはいた。


 瞬間、ワタシは全てを悟った。

 

「エラリー様がどれだけわたしを憎もうと、わたしは、わたしは許します。彼女の憎しみも、女神様はきっとお救いになるはずだから」


 これは夢だ。いや、夢といってもレム睡眠中に脳がフラッシュバックするあれではない。

 我が国が聖戦を行うにあたり、兵士たちに施しとして与えた娯楽のうちの一つが「夢」だった。

 システムとしての夢は、要は体験型アトラクションの一つの形だった。探検や恋愛、育成などの様々なジャンルに分かれていて、ハプーはいい歳こいてその中の恋愛ものに夢中だった。文字通り。

「あなたには婚約者がいるのに?」とからかうと、必ず「だからこそだよ」と帰ってきた。意味がわからない。いまだに。

 現実に愛すべき女性がいてなぜ夢の女に夢中になる必要が?

 そう、その、特にお気に入りだった夢の一つ。それが「薔薇のための城」という恋愛シミュレーションだった。

 ハプーは「薔薇のための城」の、ヒロインが大好きだった。

 ビジュアルはさることながら、中身までまるで完璧な聖女だと。彼女に会うために明日も生き残りたいと思えると。

 その、聖女が、いま、目の前にいる。


 ワタシはようやく悟った。

 ここは兵士慰労プログラム「夢」の恋愛部門No.27916、「薔薇のための城」の中であると。


 こうなってしまった原因には心当たりがある。「夢」は直接電子脳のフォルダにデータをダウンロードすることによって、休息時間のみ再生することができる。彼はいま意識を完全に失うことによって、勝手に「休息」モードへと入ってしまった。

 そして、ワタシは彼の脳内に依存している。これまで彼が休息中にこれを再生してワタシが巻き込まれることなどなかった。今回なぜワタシというAIに体が与えられたのかというと、意識を失う寸前にあらゆる情報が正しく終了されないまま強制的にシャットダウンしたことに起因する……んじゃないかと思う。

 物事には必ず理由が存在する。人間がどうかはわからないが、AIはそうだ。人間は間違える。銃弾の雨の中で突然アーマーを脱ぎ捨てたり、重機用のオイルを飲もうとしたりする。別に構わない。

 戦闘AIは彼らをサポートするためにある。ワタシたちにだって完全じゃない面がある。

 だから別に、なんというか、その、人間はそのままでいい。


 というわけで、ハプーが再生していた内容を思い返すにあたり、ストーリー上ワタシはここで激情して怒り散らし錯乱状態になったところを壁際の兵士に撃ち殺されることになっているらしい。

 が、ワタシにはそういう動きが指示されなかった。なるほど。確かにこのシミュレーションは、誰かの言動をトレースするというよりかは「なりきって遊ぶ」という類のものだ。キャラクターひとりひとりにディープラーニングするAIが用いられていて、(もちろんワタシほどでないにしろ)ある程度の自由意志があるらしい。ただしそれは主要人物だけなのだろう(当たり前だ、何百人という登場人物すべてに自由意志なんか与えたら、どれだけデータが重くなることか!)。

 ワタシが考え込んでいる間にもストーリーは進む。赤髪の聖女とやらがオスカーとやらの手を離れ、ワタシに正面から向き合う。

「エラリー様。どうかわたしと一緒に教会へ行ってください」

「教会」

「一緒に懺悔をしてください」

「懺悔」

「きっと女神はお許し下さいます」

「女神」

 ワタシは淡々と単語を繰り返した。確かにわが国の歴史には宗教が原因で巻き起こされた戦争も存在する。しかし、宗教で人間は救われなかった。地球上から無害な土地が完全に失われたあの戦争から、人々は祈ることを辞めた。いや、正しくは「祈っているだけの奴から死んでいった」というべきか。

 神、という単語自体久しく聞いていなかった。愚かなこととわかっていながら、どうにも気が抜けるのを止められない。

 赤髪のアドリアさんは胸の前で手を合わせ、指を組んだ。そして涙に潤む瞳をワタシに向けるのだ。

「お願いします……あなたが本当は素晴らしい人間であるということを、わたしは信じています」

 ワタシが答えようと口を開いた瞬間、間に割って入った人間がいた。オスカーだ。

「貴様、今何を言おうとした? また彼女に暴言を吐こうとしただろう!」

「引っ込んでろこの■■■■野郎」

 む、単語が規制されてしまった。ま、大したことは言っていない。

 にわかに会場の緊張感が増した。壁際の兵士たちのうち、特に若そうな奴が両腕に力を込めているのがわかる。

 だんだん読めてきた。どうやらここでのストーリーは、「エラリーが撃たれる」というポイントを通過することへ向けて動くようになっているらしい。

そういったポイントを用意しておかないと、しっちゃかめっちゃかになるから仕方ない。

「エラリー様、懺悔を」

「何について……?」

「エラリー、答えろ」

「何を……?」

 二人から詰め寄られて、後ずさる。

 ワタシには撃たれるつもりが毛頭ない。ただただ、戸惑うだけだ。

「ワタシは……」



 いろいろなことが同時に起こった。

 まず、壁際の例の若い兵士がワタシへ銃を向けた。それをとっさに止めようとした隣の兵士が銃の向きを変えた。向きが変わった銃口の先には壁があった。

 ワタシにはその銃がどの場所を狙っているのかよくわかった。どこでもない、ただの壁だ。扉に近いとはいえ、ワタシから標準が外れたのがはっきりとわかる。

高そうな壁紙は貼られているけれど、でも要するに壁だ。

 数秒後には穴が開いているであろう場所の傍には子供がいた。金髪の、おそらく五歳くらいの女の子だ。兵士が撃ったところで女の子に弾は当たらない。

 しかしワタシは駆け出していた。衝撃でピンヒールの靴が折れた。関係ない。脱げばいいだけだ。

 女の子までは約13メートル。彼女の前に飛び出した瞬間、下腹部に兵士の撃った弾が命中した。やっぱり角度からして、別にこうしなくても少女には当たらなかった。

 とたんに、会場中から悲鳴が上がった。視界の端で兵士が呆然とワタシを見ているのがわかった。周りに人が集まってくる。赤髪の女は人波に紛れてどこかへ消えていた。

「お姉ちゃん、だいじょうぶ?」

 少女は膝をつくワタシに向かって心配そうに言った。ワタシは答えようと口を開いて、そこから血を吐き出した。少女は悲鳴を上げて逃げていった。

 なるほど、痛み。これが。誰かどうにかしてくれ、とわめきたくなる。

 もしかしてこれで元の戦場へ戻れるのだろうか。だとしたら、やはり撃たれたのはワタシでよかった。

「なぜ飛び出したりなんか」

「あの子を庇ったのか?」

「なんて動きだ。まるで……」

 誰かがそう言った。答える必要はないと判断して目を閉じた。

 だって、ハプーがどこにいるのか、どの役割に就いているのかわからなかったから。

 物語の登場人物ではなく、彼らが生活する部屋の壁になりたいと言っていた彼が、自分の演じるキャラクターとして会場の壁を選択していないと言い切れなかったから。

 別に誰が撃たれようと構わない。なんだって、ワタシだって、撃たれてもいい。でもハプーである可能性が少しでも残っている物や者はダメだ。絶対に撃たれてほしくない。


 愚かなことだ。

 壁を庇って撃たれなければならなかったことも。

 目覚めたらどうかハプーの中へ戻れていますようにと、いない神へ祈ってしまったことも。



楽しんでいただけたら幸いです。

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