④ボトルで売ってる調理用血液と血のパンケーキのお話
これももうだいぶ前のことだけど、Rindouさんからスーパーマーケットの冷凍ケースを映した写真が送られてきたことがある。
冷気で曇ったケースの中には、中身の見えない大きなボトルがいくつも並んでいる。
白い不透明ボトルはいかにも謎めいた雰囲気を漂わせていて、さらにそのミステリーな白さをキャップの赤が底上げしているように僕には感じられた。
「なにこれ?」
若干ビビりながら聞くと、Rindouさんは自信満々、
「トナカイの血です!」
「トナカイの血?!」
返ってきた答えに、僕はだいぶ度肝を抜かれた。
トナカイ、そして一般販売されている調理用血液。
日本人の僕にとっては二つの単語はどちらも衝撃的だったのである。
「――でも血のソーセージって、世界的にはけっこうメジャーらしいよ」
と、横からそうツッコミを入れたのは僕の妻だった(必要が生じなかったので今まで書かなかったけれど、初回から何度か言及しているように我々が会話をしているのは主にディスコードのグループチャットで、そこには僕の妻とRindouさんのハズバンドも参加しているのである)。
「日本では食べないみたいですけど、ヨーロッパでは家畜の血液を使ったソーセージは一般的ですね。フィンランドでは血のパンケーキというのもあります」
「血のパンケーキって前に名前だけ聞いたけど、かかってるジャムとかソースが血に見えるからそういう名前がついたとかじゃなくて、マジで血が入ってんの?」
「はい。マジで血が入ってます」
まじか、と僕は思った。まじか。
「えー、どんな味がすんの?」
「んー、血の味?w」
やっぱり想像がつかなかった。『血の味』というのは日本では料理の味を表現する語彙ではないのである。
「料理用の血が売られてるのってトナカイだけ? それともいろんな動物の血液が揃ってる?」
「いえ、お店で売られている血はトナカイと牛のものだけです」
最もポピュラーなのはトナカイの血ですが、それも大きなスーパーとかにいかないと売ってないですね。Rindouさんはそう説明してくれた。
「ちなみにDJにも前に食べさせたことがあります」
このDJさんというのがRindouさんの旦那さんである。
ちなみに彼はアメリカ人。彼の生まれ育った北米にも血液を食用利用する文化はなかったはずだ。
「DJ, what did you think of the food?(DJさん、食ってみてどうだった?)」
僕が翻訳ソフトを使って英語で質問すると、DJさんもまた翻訳ソフトを噛ませた日本語で返答してくれた。
「『(こんなものを食べさせようとして)彼らは本当にひどいと思っていたけど、結局それほど悪くなかった!』」
「あー、食う前はやっぱ恐る恐るだったか!」
「Yes!」
このあと、我々は『DJさんがはじめて血のパンケーキを食べるシーン』を撮影したホームビデオをみんなで見た。
Rindouさんのご家族に囲まれたDJさんは、目元にあからさまな緊張を漲らせてフォークに刺したパンケーキを口に運び、しかし一口食べたあとには表情を緩ませて力強く親指を立てた。
その反応に、ビデオの中のファミリーと同じように僕らもまた笑ったものである。
※
さて、ここからは現在の話。
「友達が今日ホテルの朝食でムスタマッカラ食べたそうです!」
この連載を開始してから数日後(というかこの文章を書いている数時間前のことである)、Rindouさんがお友達からもらった写真を僕に見せてくれた。
主食・主菜・副菜のバランスが整った激映えホテルモーニング一式の中に、鮮やかなジャム(リンゴンベリーのジャムだとRindouさんが教えてくれた)の乗った黒いソーセージの皿があった。
ムスタマッカラ。
伝統料理の回で名前の出た、血のソーセージである。
「そしてこれは私からの写真です!」
次にりんどうさんが送ってきたのは、パッケージに入ったパンケーキの写真だった。
数年前にとあるホームビデオで見たのと同じ色合いのパンケーキ。
「血のパンケーキだ!」
「です! 久しぶりに食べたくなったんで買ってみました!」
最近食べてなかったけどパンケーキを買うならこれかな、とRindouさんは感想を教えてくれた。
※
ここまで三回にわたって食べ物の話を続けて感じたことは、フィンランドの食文化からは常に歴史的な生活の実情が垣間見えてくるということである。
保存食としての性質を備えた伝統食、みんなで共有して重宝とする自然の恵み、血の一滴まで無駄にせず頂く動物の命。
そういった背景にあるのは『なんでも使って上手に暮らす』というタフな精神、タフな国民性であるように僕には感じられた。
『元々実り豊かな土地ではないからこそ、独自の文化を維持できたという面もある』
そう教えてくれたのはこれもまた蝉川夏哉先生だった。
中世のヴァイキングは西ヨーロッパを徹底的に蹂躙して王国を築いたが、フィンランドはそこまで無茶苦茶に侵略はされていない。
環境が厳しくて、食料にあまりがないから。
『厳しい自然と向き合い、そこで暮らす知恵を身につけた人々だけがそこで暮らすことができる。厳しく鬱蒼とした森を家具に変えてIKEAにしたり、先進的な電子技術を身につけてNokiaを作ったり、(フィンランドには)そういうしぶとさがある』
面白いでしょ? 蝉川先生はそう締めくくった。
面白い、と僕は全力で肯いた。
食から文化が見えてくるという使い古されたコピーを、おそらくはこれまでの人生の中で今が最も強く実感している。
それだけでこの連載を始めた価値はあった。
※
「まぁでも、やっぱり血よりもお肉のほうが好きですけどね!」
「いい感じで締められそうだったのに!」
作中でも書いたけれど、今回の写真は旅行中のRindouさんのお友達から頂きました。
遠い異国の友達のお友達よ、ありがとう! また一緒にFFやりましょう!
Kiitos, ystävän ystävä kaukaisesta vieraasta maasta! Pelataan taas yhdessä Fäfää!




