②フィンランドの伝統料理の話
『カラクッコ』という名前を最初に聞いたのは、友人の蝉川夏哉先生からだった。
「カクラッコ?」
「いや、カラクッコ。ラが先」
どちらにせよ初めて聞く名前だった。
カクラッコ、カラクッコ……実はこの文章を書いている今もどちらが正しいのか覚束ない。
「フィンランドの伝統料理らしい。パンの中に小魚が詰められた料理で、温かかくても冷めても食べられたから木を切りに行くときとかに弁当にしたんだと」
「携帯料理、携行食とかいうやつか」
持ち運びもできる具材の入ったパンの料理、そんなイメージから連想されるのはサンドイッチだった。
あるいはカラクッコ伯爵なる人物が中世の北欧にいたのかもしれない。
「カラクッコ、興味があるんだけど、よくわからないんだよね。『サウナ発祥の地であるクオピオでできた料理である』とかそういう情報は調べれば出てくるけど、その料理を現地の人がどのように捉えているのかがわからない。知りたいのはそこなんだけど」
この会話が交わされたのはもう一年近くも前のことで、もちろんその頃にはまだこのエッセイは陰も形もなかった。
しかしこのやりとりがきっかけで始まった以降の展開は、いまにして思えばこの連載のテーマとあまりにも合致していたと思う。
とにかく、真剣なトーンで興味関心を示す蝉川先生に、僕は気楽な気分で次のように申し出たのだった。
「んじゃ今夜あたりフィンランド人の友達に聞いてみようか?」
「頼む」
ということでその数時間後、僕は早速Rindouさんにチャットでこの話を振った。
「ねぇRindouさん、カクラッコ……いや、カラクッコって知ってる?」
「もちろん知ってますよー!」
返答はいとも頼もしかった。
「東フィンランドの伝統料理です! 豚肉と小魚をぎっしり詰め込んで、パン生地で包み込んで、オーブンでじっくり時間をかけて焼きます!」
「ぎっしり、そしてじっくり」
「うん、じっくり。七時間とか。お魚は骨がついたまま入れるんですけど、じっくり長時間調理なんで骨まで食べられるくらい柔らかくなります」
火を落としたオーブンの余熱で寝てる間に調理していたって話もあります、次の日のお弁当にする為に。
「なるほど、木こりのお弁当だって聞いてたけど、まさにその通りだ」
「お肉からラードが一杯出て、それが冷えて固まると中の具材を包み込んで、こうなると立派な保存食にもなります!」
「すごい! 理に適ってる!」
僕は感心してため息をついた。
そこに漂っているのは美食というよりはあくまでも生活のニュアンスだった。
暮らしの為の工夫が結晶した伝統料理。
「私の住んでる西の方ではあまり見かけないけど、東フィンランドではとてもポピュラー、スーパーとか市場で普通に売ってます。特にサヴォ州で」
「若い人も食べる?」
「もちろん食べます。毎日食べるわけじゃないけど、食べたいときに買って食べるおやつみたいな」
僕はもう一度しみじみと感歎する。
異国や異文化の話を言うのは、やっぱり知れば知るほど面白いものなのだ。
「サンキュー。……せっかくだから、もう少しフィンランドの伝統料理を教えてもらえる?」
僕がそうリクエストすると、Rindouさんは「もちろんです!」とやっぱり頼もしく応じてくれた。
そうして列挙された名前は、ムスタマッカラ、マンミ、レイパユースト、そしてカルヤランピーラッカ。
見事なまでに初耳の名前ばかりだった。
「まずムスタマッカラ、これは黒ソーセージです。血でできてるんです」
血のソーセージ。そういえば前に血のパンケーキというのがあると聞いたな、と僕は思い出した。
「レイパユースト、北のほうではユーストレイパって呼びます。クラウドベリーを入れて焼いたチーズ料理です」
クラウドベリーと聞いて、高校の時に愛聴していたスウェーデンのバンドを思い出した。
ベリーといえば、フィンランドの食文化を語る上ではベリーの存在もまた欠かせない。
「マンミ。イースター(復活祭)のデザート。ライ麦の粉や砂糖、塩、蜂蜜を混ぜて焼いた飴とペーストの中間みたいな料理。そのままでも食べられるし、牛乳とか生クリームと混ぜて食べたりもする。う○こみたいな見た目です」
「とんでもないことを言いやがる!!」
せめてカレーって言おうぜ! と僕は窘めたのだけれど、しかしマンミの見た目にまつわるジョークはフィンランドではこれもまた伝統的なものだという(第二次世界大戦後に調査に来た外国人救援活動家がイースターの食卓に並んだマンミを見て「彼らは一度食べたもの(つまり大便)を再び食べている!」と嘆いたというもの)。
面白いのが、ここまでに名前の挙がった料理はカラクッコも含めてすべて保存食としての性質も持っているということだった。
美食ではなく、生活に根ざした伝統料理。もう一度その言葉を思い描く。
「あれ、そういえば」
と、そこで僕はふとあることに気付いた。
「『カレリアパイ』ってのは伝統食じゃないの?」
おそらく日本では一番有名なフィンランド料理の名前がまだ挙がっていない。
僕がそのことを指摘すると、Rindouさんは「あw」と言って。
「カルヤランピーラッカがそうですw フィンランド語で言っちゃったw」
「あーw」
我々は一万キロの距離を隔てて笑いのネットスラングを繁茂させた。
※
さて、これは完全に後日譚というか、この文章を書くにあたって細部の調整をしていた、なう現在のことだが。
Rindouさんが、とんでもないカミングアウトをした。
「もしかしたら私、ちゃんとしたカラクッコ食べたことないかもw」
「なんてこったい」
ということで、今度お互いに機会を見つけて食べてみようということになった。
しかし日本でカラクッコを探すのは、西フィンランドで探すのよりもさらに難易度が高いのではなかろうか?




