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⑨『伝説のデジモンアドベンチャー』と『英語が覚えられて羨ましい』のお話

 今回は少し長いのですが、是非最後までお付き合いいただけたらと思います。よろしくお願いいたします。

 2015年5月28日のヘルシンキ・サノマット(Helsingin Sanomat、以下ヘルシンキ新聞)に、『Agapio Racing Teamin tarina(アガピオ・レーシング・チームの物語)』と題するインタビュー記事が掲載されている。 


 アガピオ・レーシング・チーム(以下、文脈に求められない限り『アガピオ』と略称する)は、その名に反してレース競技ともオートモーティブ業界ともまるっきり無関係の会社である。

 紛らわしさ全開のこの社名は『CEOがモータースポーツのファンだった』という冗談みたいな一点に由来する。


 2000年代初頭のその頃、アガピオは古いショッピングモールの一角にオフィスを構える小さな映像制作会社だった。

 手がけていたのはもっぱら、アニメーションの吹き替え事業である。


 ……察しのいい皆さんはもうおわかりだろうが、このアガピオこそが『伝説のデジモンアドベンチャー』の生みの親である。

 そして流れからしてこれもまたお察しかと思うが、この伝説はあまりポジティブな性質のレジェンドではない。


 アガピオが生み出したデジモンアドベンチャーは、そのクオリティの低さによって伝説にまで昇華された。

 キャラクターの声と口の動きが同期していないのは序の口で、声優の演技は下手くそで場面場面の効果音もしばしば不適切、そもそも肝心の翻訳シナリオが誤訳と珍訳に満ちている。

 新しいデジモンが登場した際に画面に表示されるプロフィールが『べジーモンもデジタマモンもなぜかみんなワーガルルモンのものになっている』などのお粗末なミスも散見された(ところでワーガルルモンのモチーフはワーウルフだが、この画面で表示されている名前は『SOTA-GARURU-MON』。SOTAはフィンランド語で戦争の意味。ウォーとワーを取り違えたのだろうか?)。

 こうして生み出された数々の『名シーン』を集めたYoutubeの動画は、2024年の九月時点で81万再生を記録している。フィンランド語の話者が500万人しかいないことを考えると、これは驚異的な数字ではなかろうか。


 なぜアガピオはこのような不名誉な伝説を生み出すに至ったのか?

 ヘルシンキ新聞はその真相を追い求めてアガピオの関係者にインタビューしているのだが、そこから判明した当時の実情が実にとんでもなかった。


 まず第一に、キャスティングされたのはプロの声優どころかその道を志すアマチュアですらなく、当時十五歳だったCEOの息子をはじめとする門外漢の素人たちだったのである(ちなみにインタビューに応じているのはこの息子のパウリ・タリッカ氏。2015年時点では30歳で、吹き替えでは主人公の八神太一とアグモンを担当した)。

 低予算同人ゲームなどでしばしば見られる、いわゆる『身内ボイス』。それを国営商業テレビで放送するアニメでやってのけたのだ。

 

 他にも原因はある。アガピオは翻訳の作業を自分たちで手がけずに、外部の翻訳家に、しかも複数の翻訳家たちに丸投げしてしまったのだ。

 結果的に、この判断もまたアガピオの首を大いに絞めた。手がける翻訳者の力量によってクオリティはばらついて一定せず、しばしば先述したような誤訳・珍役が生まれた。

 ダンボールで届くシナリオが郵便配達されるのはいつも締め切りギリギリ、しかしアガピオ側にも守らなければならない締め切りがある。

 身内ボイスの声優たちは時にエピソードの全貌を把握することすらできぬまま収録に臨んだという。


 さて、かくも盛りだくさんな悪条件の中で制作されたアガピオ版デジモンアドベンチャーは、当然のなりゆきとして猛批判を浴びることになった。

 相次ぐ視聴者からの苦情に、放送局である国営ネロネンチャンネルは26話を最後にアガピオを制作から降板させることを決定、27話以降の残りのエピソードを別会社に制作させた。

 後任のトゥオネンタル・ヴェルネ社は確かな仕事をやってのけたようで、こちらのバージョンは今日に至るまで評判も上々。演者もほとんど全員が職業的な吹き替え声優や俳優だった。

 日本でもおなじみのオープニングテーマ『Butter-Fly』も、アガピオ版と比べるとその差は歴然としている。興味のある読者様はYoutubeをチェックしてほしい。



   ※



 さて、ことほどさように重篤じゅうとくな汚名を背負ってしまったアガピオ・レーシング・チームだが、しかし仕事に情熱がなかったのかといえば、どうもそうでもないらしい。

 上に書いた締め切りにまつわるキツい制約の他に、今よりもずっと使いにくくて信頼性も低かった当時の機材がもたらすトラブル。一度などはハードドライブの突然の故障によって数日分の録音が消えてしまったことすらあったという。


 ヘルシンキ新聞の特集記事が伝えているのは、そうした状況下でも仕事に全力で、そして楽しんで取り組んでいたアガピオの声優たちの姿だ。

 彼らは確かに素人だったが(出自も来歴もハッキリしている後任の演者たちと異なり、アガピオの声優たちには誰一人としてウィキペディアの項目すら存在しないのだ)、それでも素人なりに本物の熱意をもって演技と収録に挑んでいた。

 アガピオが翻訳の下敷きにしていた『デジモンアドベンチャー』は英語版ではなくオリジナルの日本語版だったが、素人の声優たちはオリジナルの日本人演者がどのような熱意を込めて演技しているのかを確かめるために、繰り返しビデオを視聴したという。

 締め切りのくだりの文脈から推察するに、ここには翻訳の脚本が届く以前の『キャラクターがなにを言っているのかさっぱりわからない』という時期も含まれているはずだ。


 インタビュイーのタリッカ氏はインタビューの後半、SNSが発達した現代において世界中の人々がアニメに独自の吹き替えをつけた動画を投稿していることを引き合いに出し、『それこそがこの仕事(声優の、演技の仕事)がどれほど楽しいかの証明だ』と、そう語っている。



   ※



 前々回の記事で『フィンランドの小学生の英語力が高いのは、子供向けの漫画やゲームがほとんどフィンランド語に翻訳されないのが原因だ』と書いたところ、Twitter(現X)を通じて多くのコメントを頂いた。

 その中には『これによって英語を覚えられても、それはまったく良い話ではない』というご意見もあった。

 僕たち日本人はつい『英語を覚えられて羨ましい』と考えてしまうけれど、現地の子供や親からしたら、確かにそれはそんなに良い話ではないのだろう。

 娯楽を娯楽として楽しむために高いハードルを突破しなければならないことは、子供たちにとっては苦痛以外のなにものでもないのだ。それに学校教育においても、英語をはじめとした語学の授業を充実させているということは、裏を返せば他のカリキュラムが言語教育に圧迫されているということでもある。


 そうした実情を無視して、母国語で娯楽も学びも享受できる日本人が『英語を覚えられるのは羨ましい』と言ってしまうのは、想像力が足りていないのかもしれない。

 なんだかひどく耳が痛かった。そういえば先日、僕はニンテンドースイッチオンラインで遊べる『スーパーメトロイド』の画面内表記が全部英語だったというそれだけの理由で(大して難しい英語じゃないはずなのに)、たった2,3分遊んだだけで電源を切ってしまった。これではフィンランドの子供たちに向ける顔がない。


 

 さて、ここでもう一度だけ『伝説』の話に戻る。



 当時はクオリティを批判され現在ではすっかりジョークにされてしまっている『アガピオ版デジモンアドベンチャー』だが、放送時に子供だったRindouさんは夢中で見ていたという。


『内容が面白かったんで! 翻訳もひどいと思いながらも愛されてたw』と彼女は言った。

 Rindouさん以外の感想も欲しくて同じ質問をフィンランド・コミュニティに書き込んでみたのだが、そうして返ってきたご意見は同じようなものだった。


 品質の程度によらず今よりもさらに吹き替え作品が少なかった中で、ヘルシンキの奇妙な名前の映像制作会社が子供たちに届けた『自分たちの言葉で楽しめる外国の人気アニメーション(デジモンアドベンチャーは日本でも人気を博したけれど、欧米での人気ぶりは日本のそれを凌駕するという)』は、最高のプレゼントであったに違いない。

 そしてその仕事に携わったアガピオの声優たちの熱意は本物であったのだと、僕はそう信じたいと思う。


 Rindouさん曰く、彼女と同年代のフィンランド人が日本でカラオケに行った時は、必ず『Butter-Fly』が歌われたそうだ。

 画面に表示される日本語の歌詞ではなく、みんなが覚えている『アガピオ版』の歌詞で。



   ※



 今回の記事はなんだかえらくとっちらかってしまった印象があるけれど、最後にもう一つだけ。


 母国語の娯楽が充実している日本人が、フィンランドの人に対して『英語を覚えられて羨ましい』と思うことの是非。

 そのことについてRindouさんに尋ねると、彼女は少しだけ考えてからこう答えてくれた。


『子供の頃に読めるゲームあったらもちろん嬉しかったよ。でも少なかったからこそ英語も学んだ。悪いことだけじゃなかった。』


 そして彼女が(望むと望まざるとにかかわらず)幼少期の環境により獲得した言語能力のおかげで、僕はいま有難い友人との得難い友情に浴している。それもまた動かし難い事実だ。



   ※



 英語を覚えられて羨ましい、と、英語を覚えなければ楽しめない。

 それにまつわる是非について、僕はまだ暫定的な結論すら出せないままでいる。


 しかしとにかく、今度もう一度だけ『スーパーメトロイド』を起動してみようと、そう思った。

※ ヘルシンキ新聞の記事内でのカウントは27万再生だったので、9年で50万再生以上伸びているようだ。この数字はきっとこれからも伸び続けるだろう。


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