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マーメイドラプソディー

 これは僕が「SEKAI NO OWARI」さんの楽曲「マーメイドラプソディー」を聴き、その物語性やメッセージ性を独自の解釈で小説化したものになります。

 二次創作要素になりますし、解釈の違いが違う場合、また作曲者様の思いと違うものが含まれている可能性があります。その場合は本当に申し訳ありません。また苦手な人はここで読むのをやめることを推奨します。

 不手際な点やルール違反がありましたらすぐに削除いたします。

 またぜひ本家様の「マーメイドラプソディー」をお聴きの上読んでいただけると幸いです。


 ここまで読んでも大丈夫という方は、人と人魚の物語の世界へ行ってらっしゃい!

 雪が降っていた。きらめやかに街を飾る光がその季節を強調するように輝きを放つ。

 人の流れがやっと今日の終わりを告げるかのように強くなる。その姿にはさまざまな感情が隠れていた。

 そんな中、人も光も雪ですらも交わらない世界で僕は一人立っていた。

 ずいぶんと悴んでしまった手の指に「はぁー」と息を吹きかける。一瞬にして血が巡るような感覚に陥ったが、それはきっと気のせいだろう。僕はつけていた手袋を外し、持ってきていた荷物の中からあるセットを取り出した。

 紙芝居のセットだ。

 現在ではこんなことをする人も少なくなってきているのだろうか?まだ幼い子供はこの存在自体を知らないのではないだろうか?最近では規制も厳しくなり街中で読み聞かせをするだけでも注意を食らう。そんな不自由な世界で今日も僕は自由に語ろう。

 カンカン。と木の棒で音を立てると、自然と視線が集まる。同時に「むかーしむかし…」と僕は声を上げる。

 これから始まるのは誰も知らない『人』と『人魚』の物語だ。



    ◇



 昔々あるところに一人の青年がいました。彼はある大きな水族館で働いていました。その水族館は繁盛していて、毎日が忙しくて仕方がありません。もちろん他の水族館もあるけれど、人々はそっちのけでその水族館に足を運んでいました。理由はただ一つ。彼女の存在があったから。

 彼女の部屋の前には大きな看板で『マーメイド』の文字。人と魚の半分ずつ。人魚という名前の生き物でした。

 人々は珍しいその生き物を一目見ようと世界各国から足を運ぶ。

 青年は長い間その人魚の担当として働いてきました。雨の日も風の日も、今日のように雪が降る日も通い続ける日々は止まりません。

 青年と人魚には彼らにしか解らない深い絆て結ばれていました。

 人魚は硝子に囲まれ、青年と共に健やかに育ちました。

 いつしか、二人の時間が無意識のうちに、かけがえのない物になっていきました。

 しかし、そんな時間は永遠には続かなかったのです。

 水と陸地と半分ずつ、アクアリウムと呼ばれるその場所は、彼女に『不自由』をもたらしたのだと、「世間(ひと)」は言いました。

 そんな声は日を増すごとに大きさを増していきます。繁盛していたその水族館は暗い時期に迷い込んでしまいました。



    ◇



 時刻は八時四十五分。よし、いつもの時間だ。

 僕は右手につけている腕時計に視線を落とし、心の中でそう呟いた。

 いつからかこの時間が来ることを楽しみにしているのかもしれない。まぁそんなこと口には出さないのだけれど、。

「大変だ大変だ大変だーー!!」

 僕が腰を浮かした直後、そんな声と共に慌ただしくドアが開いた。部屋にまで足を踏み入れた男は勢いを落とさずに言葉を並べた。

「まぁーたマスゴミの野郎共が有る事無い事流して世間の声がうるさくなったぞ。恐るべきは世論だー!」

「全く朝っぱらから元気ですね、彼女がびっくりするのでボリューム下げてください」

 うるさ…大きな声でそんなことを言うのはこの水族館の館長。人魚を連れてきたのもこの人だ。

「なーに(たわ)けたこと言ってんだ。その彼女の件なんだぞ?」

「まぁ、……僕はただ仕事するだけなんで」

 実際、僕からしたらただの仕事に過ぎない。それに慌ててもその事実が覆ることがない以上僕に何かが解決できるかと言われたらできるはずがない。館長もそれは認識しているだろう。

 少し前は多くの人が足を運んだこの水族館も、今や環境保護なんたらこんたら団体とか言うのが押し寄せてくるせいで人は減り、従業員すら半分を下回った。そんな暗黒の停滞期。それが僕たちの現在地点に過ぎなかった。

「中卒でバイトさせてやってるのに!」

「その時雇ってくれたのは前館長ですよ〜」

「くそ生意気め…」

「それじゃ、時間なんで行きますね」

「あぁ、なんとかしてくれよぉ」

 館長の言葉になんとかってなどと思いつつ完全に浮かし切った腰を向けた。そのまま部屋を出て、ある扉の前に立ち止まる。

 ここが僕の職場。人魚の住む水槽『マーメイドラプソディー』だ。


 ガチャリと扉を開けるとそこには他より幾分も大きい水槽がある。イルカのショーをするような大きさの水たまりに岩や小さな滝などの人工的な装飾がいくつか備え付けられている。

 外から見えるようにと硝子ばりのこの水槽には僕と館長以外基本立ち入りが禁止されている。それほどに重要な施設の一つだ。

 内に入り()()()()()から僕は周囲を見渡した。

 流れる水の音だけがよく聞こえる。それどころか流れすらも眼視できた。

 そこで僕は異変に気づいた。彼女がいない。

 普段ならヒョイっと顔を出してくれるのだが、今日はそんなことがない。そこである言葉が脳裏に浮かぶ。館長の一言だ。

 もし、過激派がこの施設に乗り込んでいたら…、そんな想像ができてしまった。僕は慌てた様子で水に手を入れ、入水の準備をした。

 …シューーー。

「うわぁがぁ」

 途端顔面に目掛けて少し強めの水鉄砲のような威力の水が直撃した。勢いで僕は後ろに倒れてしまったが、同時にそっと胸を撫でた。

 この施設内でこんな芸当ができるのは一人しかいない。それどころかどこを探しても彼女しかいないだろう。

「あはは〜こんなのに引っかかるなんてまだまだだね〜」

 ザブーンと波を起こし水面から胸の上あたりまで姿を表すその少女。なんとも言えない無邪気な笑顔にはいつも負けてしまう。そう、この少女こそがこの水族館の大目玉。世界で一人の人魚だ。

「あれれ?なんで起きないの?」

 僕が転び数秒反応しないことを不安に思ったのかさっきより身体を上げこちらを確認する。少しやり返してやろうなんて思いもう少しこのままにしてみることにした。

 するとついにはその人間じゃない部分すらも水からあげ、その姿を現した。

「ちょっとだいじょ、ぼぼぼぼぼ」

「僕だけがやられると思ったら大間違いだからな」

 人魚が出て来た時に手元に溜まった水を彼女目指して噴射する。すると想像通り喰らってくれた。

「も〜レディーには優しくだよ?」

「どこで習ったんだよそんな言葉」

「一般常識です〜」

「その常識を教えたのは僕なんだけどな」

 気づけば自分の服はびしゃびしゃになってしまっていたが全く気にならなかった。今日も彼女に会えたことに安堵し僕はいつもの作業に移る。と、言ってもその大半がただの会話で終わるんだけど。

「それで〜?今日は何しに来たの?」

「いつも通り毎日の点検。そんで掃除だ」

「掃除ぐらい自分でできるっていつも言ってるでしょ?」

「残念ながら魚は汚いとストレスで死ぬらしいからな」

「半分人間だから大丈夫だもん」

 掃除に取り掛かろうと支度を教える間にも会話は成される。元は普通の魚の水槽を担当していたので、無という時間にも慣れはあったが、やはりこっちの方が幾分も楽しいし有意義なように感じる。勘違いしないでもらいたいのは普通の魚の方を下げてるというわけではないということだ。本当に。

 ぷくぷくという音が聞こえたので水面を少しみると頬を大きく膨らませて目だけをこちらに向けている人魚がいた。ご立腹のようだ。

 そんな僕になぜここまで懐いてくれているのか、その説明のために少し時間を遡ろう。



    ◇



 時は数年前。僕が初めてこの職について数ヶ月が経ってからの話だ。

 この水族館は周辺の学生やカップル、子供達には人気であったけれど所詮は地方の水族館、人混みができるほど繁盛はしていなかった。その頃のバイトや職員は十人にも満たないほどの少人数。そのうちの一人が僕で、その頃の先輩が今の館長だ。

 僕はその頃から館長には良くしてもらっていて、よく一緒に釣りなんかに連れて行ってもらったりしていた。

 そんなある日僕たちはいつものように釣りへと向かった。そこは人気が少なく、静かな浜辺。僕も初めて来る場所だった。その上時間帯は早朝、もちろん僕ら以外の誰かがいるはずはなかった。

「うん。静かでいいな」

「まだ日の出したばっかですよ。眠い眠い」

「情けねーな。釣りつったら遅いぐらいだ」

 元気でうるさいのはこの頃から変わらない。だからこそ着いてきているのだろう。

 海面に反射する光が眩しかったのを覚えている。そんな光に当てられている中僕は確かに何か水中で動いたものを見た。それはとても大きくて魚にしては自由な腕?のようなものを付けていた。

「先輩、今あそこになんかいませんでした?」

「あー?魚か?ここから見えるとなるとそれなりに大きいな」

「なんですかね、、。不確かです」

「まぁ、釣りなんてそんなものだ。ものは試しそこらへんにやってみるか」

 先輩は手慣れた動作で竿を投げ入れた。しかし、竿に動きはない。やっぱり気のせいだったのだろうか。疑いの目を向ける僕に対し、先輩は待つことが釣りなどと言い、そこから動くことはなかった。

 僕らは釣りをする際ずっと同じ場所にはいない。数分経ってもその場で動きがなかったため、僕は他の場所を探し釣りの準備をしていたところであった。少し歩き先輩の姿が見えなくなった頃、僕はある水たまりを見つけた。潮の満ち引きによってできた溜まり場とでもいうのだろうか。深さもそれなりにあるし日当たりもいい。僕は岩々の間に荷物を置き、その場で釣りをしようと決めた。直後のことだった。

 ポトン。ガラガラ…。

 静かに水面が動く。その動きは本当に微かで普段の僕なら気づいていなかっただろう。静かで誰もいないこの空間だからこそその音と動きに気づいた。しかし、何かがおかしい。

 水面が動くのはおかしなことではない。少し波が高くなり水が入ってきただけかもしれない。それこそ魚が動いたものかもしれない。しかし、それは陸地から衝撃を与えたかのような動きに音だった。

 僕以外の誰かがいるのかもしれない。まぁでも考えてみればそれも当然か。先輩も言っていたことだ。釣りにしては遅いとか…。ならば後から来た僕がここから去るのは常識。せっかくいい場所を見つけたと思ったが、一旦離れることにしよう。そうして僕が腰を浮かした。

「なにしてるの?」

「うわぁ」

 バッシャーーン!!

 刹那、その場に轟いたのは僕の悲鳴と大きな水の音だった。

 魚釣りをしていた人だろうか。突如話しかけられた僕は驚き水に落ちてしまった。水が溜まっているところは岩が入り組んでいる。びっくりして落ちた僕は変なところに足を挟んでしまったらしい。鼻や口から海水が入ってくる。息が苦しい。慌ててしまっている僕の体力はみるみるうちに減少して行った。薄れゆく意識の中、最後に見たのはこちらに泳いでくる少女の姿だった。


「ぅ、、ん」

「あっ、起きた?」

 眩しい光が瞬時に視界に入ってくる。その様で可愛らしい少女がこちらを覗き込んでいるようだ。まるで、天使のよ……。

「うわ、誰?」

「きゃっ」

 思わず突き飛ばしてしまった。そんな中で僕は少しずつ記憶を取り物出していく。確か、いい水たまりを見つけ、そこで釣りをしようとしたら先客がいて、場所を変えようとしたら…。

 あぁ、この子がその先客なのか。となれば悪いことをした。僕は頭の整理がつくと同時に少女に手を伸ばしていた。助けてくれたのもきっとこの少女なのだろう。にしてもまだ幼い少女が朝から釣りだなんて…。

「んもう」

「………は?」

「うん?」

 手を差し伸べた先には異形そのもの。美しいと思っていた少女は人ではなかった。

 差し伸べた手に僕以外の手が触れる。瞬間振り払いたくなった。しかし身体が動かなかった。手や顔は人間だ。それも整った顔をしている。服装は少しというかかなり露出的で、年相応とは思えない。というか釣りをしに来ている格好ではなかった。

 長く伸びたその髪を辿るとその異形に辿り着く。彼女に足はなかった。いや、正確には足のようなものはある。彼女の下半身は魚のヒレだった。

 僕はそんな生き物を知っている。空想で物語の中だけの生き物だ。君たちも知っているだろう。『マーメイド』と呼ばれる夢の生き物を。

 僕はすぐにそれが夢だと思った。冷静に人魚がいるはずがない。いたとしてもそれに話しかけられたり、助けられるなんてことはあり得ない。そもそもこんな少女なはずもない。もっと言ってしまえば先輩と早朝から釣りしてるのもおかしい。そうだ、これは夢だ。そうに違いない。

「貴方のそれなに?」

 疑問の含む声と指を指された先には僕の足がある。彼女からしたら僕らの方が異形なのか。夢の中だとわかると少し冷静にもなる。僕は落ち着いて声を出した。

「ぁ、し」

 まずい裏返ってしまった。そういえばまだ手の震えが止まってないことに気づいた。きっと寒いからだろう。そうだろう。

「おーい。大丈夫かー?」

 遠くから先輩の声が聞こえる。その声はこちらに向かってきているようだ。

 僕はなぜだが咄嗟にその少女を隠し、自ら姿を現した。どうしてこんな行動をしたのか。それは今でもわからない。

「おっ、てなんでそんな濡れてるんだ」

「あ、いゃ、滑って…」

「アホだな〜でもいい潮溜まりじゃないか」

「あはは。でも魚のさの字もないですよ。場所変えましょ」

「そうだな。それでお前はなにを隠してるんだ?」

「ふぁ?」

 いい感じに話を逸らせたと思っていたというのに、先輩の一言に僕は動揺を隠さなかった。そもそも僕はなんであの少女を隠しているのだろうか。本当に人魚なのだとしたら世紀の大発見だ。だとしたら彼女を捕まえてでも、、。

「ほんと、なんでわたし隠されてるんだろ」

 直後その場に響いたのは僕でも先輩でもない三人目の声だった。それはもちろんあの人魚で顔だけを岩の隙間から覗かせている。一言で言うと状況は最悪だ。

「おま、うわぁそんな趣味が…」

「いや、ちがうんで、、」

 冷静に考えれば今人魚は顔しか出ていない。すなわち足元を見られていないのだ。そうすればただの可愛らしい女の子。それを隠しているとなると僕の印象は終わるかもしれないが、それ以上の悲惨を呼び込まなくて済むのではないだろうか。

 幸い上半身すらも見えてないので服装も見えていない。言い訳はいくらでもあった。

「そ、そこらへんにいたので保護しました」

「じゃあなんで隠したんだ。お前こんな幼い子にまさか」

「いや、違いますよ?ただ見せれない事情が」

「なんだよ。顔しか見せてないのももしかして」

「ダメです!」

 先輩が人魚に近づこうとするのをなんとか阻止する。側から見たら怪しすぎる状況だ。先輩もそんなバカじゃないだろう。僕のことをよくしてくれているが故、こう言ったことに対しても行動が早かったりもする。

「なにがダメなんだ。ここに連れてきた俺にも責任がある。ほら、君もこっちに出ておいでこいつになんかされた?」

「え、あぁ、押し倒されたり…?」

 なに言っちゃってるのこの子。

 ただ思い返せばさっき驚いて突き飛ばしてしまったことを思い出す。この少女意味もわからずそう言っているのだ。このニュアンスの違いが現状をさらに紛らわしくする。

 それから数分、こんなやり合いを少し続けた。そのうち人魚は痺れを切らしいよいよその姿を現した。

 先輩の最初の反応は「あぁぁあ゛」と声にならないほぼ呼吸だけの声を発して驚いていた。無理もない。


「わはは。それでお前隠してたのか」

「全く、受け入れ早いですって。誤解が解けてよかったですけど」

「にしても、本当にいるんだな。しかもこんな幼いのか」

「はぁ、これからどうするべきなんでしょうか…」

 問題はここからだ。人魚というその異形は世間に認めてもらえるわけがない。変な僕らが見つけてしまったから彼女に迷惑がかかるかもしれない。この関係はどうするべきなのだろうか。そんな疑問だけが僕の頭を反芻した。

「どうするってなにが?」

「いや、人魚というのは異形ですよ?それに…」

「全くバカだな」

「…?」

「異形を恐れるのは自己の限界だ。余裕を持って生きろよ」

「!?…なんすかそれ、」

「わはは。結構いいこと言うだろ」

 穴下を指で擦り満面の笑みを浮かべた。そんな姿はなぜか僕にも勇気を与えてくれた。

「ところで、さっきからなんの話をしてるの?にんぎょ?いぎょう?なにそれ」

「おぉすまなかったな。なぁ嬢ちゃん帰るうちはあるのか?」

「うち?巣のことかな?」

「人魚界でもそう言うんだな。じゃあその巣はあるのか?」

「ん〜…今は、、ないかな」

 ニコッと笑いながらそんなことを言うが、どこか表情が濁ったように感じた。気のせいかもしれないし考えすぎかもしれない。先輩も気にしている様子はないので、考えなくてもいいかもしれない。だと言うのに、僕はその顔を忘れることができなかった。

「なぁ、この子うちで飼えないかな?」

「は?うちって水族館のことじゃないですよね?」

「他にどこがあるんだよ」

「や、や、無理でしょう。そもそも館長にはなんて言うんです?」

「そこら辺はほらうまくやるよ。うちには鳥もいるだろ?」

「いや、ペンギンは鳥であって鳥じゃないんで例外なんですよ」

「はは。まぁ大丈夫だって。とりあえず話してこい」

 話してこい、というのは人魚である少女に対してだろう。一体何もどう説明したらいいのやら、僕には皆目見当もつかない。

 しかし、先輩とはそれなりに長い付き合い。こうなってしまったら止まらないことを知っていた僕はしぶしぶ従うしかなかった。

 一度呼吸を整えてから「えっとぉ〜」と少女に話しかける。

「ん?」

「君、、ご両親はいないの?ほらお母さんとかお父さんとか」

「まぁそうだね〜。生まれた時にはもういなかったから」

「そうか…」

 これが人魚の世界の常識なのだろう。彼女の様子がそれを裏付けていた。

 なら誰がこのように言葉や服装を教えたのだろうか?生き物としての本能なのだろうか?少しずつ僕は彼女に興味を持ち始めていた。

 最初こそ驚きや恐怖があったが、実は今すごい経験をしているのではないか。そんな考えが頭を支配しつつあった。そこからというもの、話は流れるように進んだ。

「なぁ、もし君が一人なら僕たちと一緒に来ないか?」

「…えっ!?」

「あぁ、まぁ唐突なんだけど僕たちの職場って君にとっても便利だろうし、先輩もあんなんだから…」

 後ろではすでに誰かに電話をする先輩がいた。電話の相手は考えずともわかることだ。うちの水族館はわたし立であるが故比較的簡単に彼女を向かい入れることが可能かもしれない。

 あとは彼女次第と言ったところだろうか。僕はこの選択における正解がわからなかった。

「わたし、、」

「あぁ、あんま深く考えないでくれ、先輩もちょっとおかしいんだ」

「おい」

「だから今の言葉は忘れ…」

「…いいの?わたし着いて行ってもいいの?」

 少女からの言葉はあまりにも予想してたものとは違っていた。これまでの笑顔とは違う顔で僕にそう訴えかけてくるその子に誰が否定の言葉をかけれるのだろうか。少なくともこの場にそんな人はいなかった。

「君がいいなら、」

「うん!いく」

「わはは。じゃあ決まりだな。館長は何言ってんのか分からないみたいだからとりあえず行くぞ」

「でも、ほんとにいいの?わたしはみんなと違うよ?」

 先頭する僕たちの背中に投げかけられたそんな言葉。僕たちはピタリと足を止めて顔を見合わせた。

「なぁ、さっき確かにこいつは驚いていたし信じていなかった。ただそれは単なる驚きに過ぎない」

「もし君が嫌だというのならここで見たことは口外しないよ」

「…でも、」

 まだ下を向く少女に僕は一歩、また一歩と近づき最後に手を伸ばした。

「ん、おいで」

 どうせ先輩がこうなってしまった以上後に引き返すことは僕にはできない。それに彼女が来たいというのなら僕たちはそれを止める権利を持ち合わせていなかった。

 今彼女は自分の扉を開こうとしているのかもしれない。出てきた場所まで困らぬよう手伝いをすることぐらいなら僕にもできそうだった。

「いくーーー!」

 こうして僕たちは……一人っ匹(ひとりっぴき)の人魚を水族館に向かい入れることになったのだ。


 少女に足がなくて車まで運ぶためにおんぶをしたのはここだけの秘密にしておこう。



    ◇



「さぁ、掃除も終わったし好きなことしてていいぞ」

「もう帰っちゃうの?」

 人魚である少女はもうすっかりと背丈を伸ばし、気づけば少女とは言えない見た目になっていた。

 年は人間で言うところの二十歳ほどだとされている。初めて会った時が何歳だったのかは分からないが、僕とは五から十歳差ということになる。でも、長年の付き合いで僕たちに変な壁は存在しなかった。

「まぁね、ここ以外行くところもないんだけど」

「じゃあここにいればいいじゃん。退屈って疲れるんだよ」

「ちょっとだけな。さっ、なにする?」

「何もしなくていいよ。お話ができればそれでいいの」

「ここ最近は話の芽も枯れてきたからな〜」

 そしてぐるりと周囲を見渡す。開場前ではあるから当たり前だがお客さんは誰もいない。いや、開場してもそこまでまだ増えないことはもうわかってる。

 資金不足で多くの海洋生物は姿を消し、ここは質素の権化のような場所だった。

「じゃあ、わたしの会った時の話してよ!」

「えぇ〜そんな話すこともないって」

 あの日のことは瞼を閉じれば今すぐにでも思い出すことができる。しかし改めて口にするのは少し恥ずかしいものがある。まぁ本当に忘れることはできないのだが、。

 あいにく彼女は僕たちの出会いやそれ以前のことを何も覚えていないようだ。

「館長さんなら話してくれようとするよ?」

「あの人の言うことは信じちゃダメだ。何言い出すかも分からんし」

「む〜」

 顔の半分を水面に沈めぶくぶくと泡を立てる。どうやら拗ねさせてしまったみたいだ。

 僕はやれやれ、と息を吐き彼女にこんな提案を持ちかけた。

「今日ここでご飯食べようかと思ってるんだが、」

「それがどうしたの」

「一緒に食べるか?」

「ふんだ。女の子の心傷つけてご機嫌取ろうなんて」

 あら、少し違ったらしい。なんならさらに怒らせた気がする。

 こうなって仕舞えば仕方がない。ここは大人しく引くしかないだろう。

「悪かった。じゃまたこん…」

「……べ…る」

「へ?なんて?」

 僕の言葉に被せて彼女は何かを言ったのだが聞き取ることができない。気づけば彼女の耳が少し赤くなっていた。

 体調でも悪いのだろうか。だったらいけないと思って僕は彼女に顔を近づける。おでこに手を当て確認しようとした時だった。

「食べる!わたしも一緒にご飯食べる!」

「あぁわぁ、」

 バッシャーンと水飛沫が上がる。驚いた僕はそのまま水槽へと落ちてしまった。

 こんなところで働いているのだから当然だが、僕は泳げる。しかし水槽蓋の窪みに足が挟まってしまった。

 驚きで口の中に水が入ってしまったこともあって意識を保つのすらままならなかった。

 かろうじて開ける目に映るのは懐かしいあの景色だった。僕は安心して目を閉じた。

 ここはマーメイドラプソディー。人魚の住む水槽だ。



    ◇



「幸せなのか不幸せなのか。二人の運命は誰も知りません」

 ………。

 人の波が少し落ち着いてくる。僕の紙芝居は小さな子やカップルのような学生が少し聞く程度の人気だが、どうやら今日は違うらしい。

 ヒューと吹く風が身体の熱を奪ってゆくそんな日に一人の女性が僕の前で足を止めていた。

 手袋をつけ!足が隠れるほどに長いコートを見に纏っている。よく見れば靴はブーツのようだ。防寒対策はバッチリと言った様子の通行人。そんな印象を受けた。

 気づけば僕は、不思議とその女性に気を取られていた。

「続き、、やらないんですか?」

「あぁ、すまない。続けるよ」

 唖然としている僕にその女性は声をかけてきた。

 意識を取り戻したかのように我に帰る。落としてしまった手袋を拾い上げる。

 一度大きく息を吸い込んで、物語の続きを始めようとする。

「ふふ」

 刹那、女性が微笑むように声を漏らした。



    ◇



 それからと言うもの市自治体、愛護団体、そしてマスコミなどの世の中の声は次第に大きさを増して行ったのです。次第に発達したネット上で匿名の攻撃も飛んでくるようになりました。

 ネットというのは誰でも簡単に見えてしまう。だから一度上がった炎はなかなか消えない。広がり続ける世論は水族館にダメージを蓄積させました。

 二人もその中の存在でした。

 ある日、ついにこの問題は日本全国放送のテレビの議題として取り上げられました。もちろんそれは館長含めた水族館職員の目にも止まります。青年と人魚も例外ではありません。

 画面の中の人は『自由』について熱弁をしていました。そしてある結論を出します。

「人魚を自由な海に帰すべきだと」



    ◇



 さぁ、今日も八時四十五分、いつもの時間に僕は腰を浮かした。そろそろかなと思って扉の方に視線を向ける。すると狙ってたかのようにバタバタと足音が聞こえてきた。

「あいつら、またうちの前で張ってるぞ!!」

 忙しく入ってきたのは館長。相も変わらず騒がしい。

「もうどうしようもありませんよ。そろそろ……いえ、なんでもないです」

「あぁ変なことを考えるな。お前には親も彼女も友人もいないかもしれないがそんなことは、」

「考えてないっすよガチで、てか親はいますわ」

 とんでもない人だ。しかしこうなるのも仕方がないと言えるだろう。実のところ、正直僕も世論を無視できなくなってきた。それほどに強大で厄介な敵だった。

 なんとかしたい。この状況を打開したい。そう何度だって考えた。メディアやネットを通し弁解だってした。それでも、その全てが意味を為さなかった。日々を生きる中で痛感する。僕たちに、、いや、僕にできることなんて本当に少ないのだと。

「とりあえず彼女のところ、行ってきます」

「あぁ。変な気は起こすなよ」

 珍しく館長は静かな声で告げてきた。

 僕は言葉を返さずその場を後にした。


 そうして、僕はマーメイドラプソディーの前にたどり着く。感情に閉ざされた扉の前で目を瞑る。手を伸ばしたドアノブは少し遠くに感じた。僕はそのまま一度大きく息を吸い込み、笑顔を作ってそれを捻った。

 ギィ〜、、。

 少し古さを感じる音と共に大きな水と数々の装飾、そして彼女の姿を確認した。

「今日は隠れてないのな」

「あ、よかったきてくれた」

「そらくるさ。ここの担当はもう僕しか残ってないからな」

「前からほぼ貴方しか来てないけどね」

 いつもにまして静かな雰囲気に飲み込まれそうになるが、ここにいるというだけで心が晴れる。

 いつも通り仕事という大義を背負って僕は人魚と会話をする。

「前食べたご飯美味しかった。また食べたいな〜」

「んまぁ、いつもそれなりに豪華なんだけどな?以前までに比べたらアレだけど、」

「んーん。いつもより美味しかった。貴方と食べたからかな〜?」

 ふふ。と笑った顔がなんとも美しい。そのご飯というのは少し前に僕が彼女のことを怒らせてしまった時のことを言っているのだろう。確かに、僕が彼女と同じご飯を共有するのは初めてだったかもしれない。

 人魚ではあるが上半身は人間だ。彼女が何を食べるのか最初はわからなかったけど、のちにほぼ人間と同じ食生活であることも知り、餌は普通の食事と何も変わらなかった。

「あの日はわたしが水槽から出てご飯を食べた初めての日だしね」

「そうだな。お前水なくても生活できるんだな」

「ふふ〜ん。アレが初めてだったから賭けだったけどね」

「んな危ないことするなよ」

 確かにあの日僕たちは食事を共にした。それもわざわざ僕の方に行きたいということでなんとか水槽の外に出てだ。と言っても水族館内の今は使われていない食堂だったのでそこまで遠くに行ったわけではない。

 しかし下手くそなりに頑張って歩こうとする姿や楽しそうに食事をする彼女に僕は心を打たれた。

 先ほども言ったが少しなら歩くこともできるし水無しでも生活ができるようだ。これじゃあ半分じゃなくて八割程度人間なのかもしれない。

 もし長いズボンを履き、ヒレ(あし)が収まる方があれば外を出歩くこともできるかもしれない。そんな空想に僕の頭は飲み込まれるのだった。

「まぁ、生きてから大丈夫じゃない?」

 そんな声が僕の意識を取り戻す。そういうことじゃないだろう。と軽いツッコミを入れたら彼女はえぇ〜と声を出して水の中に潜って行った。

 直後施設内にあるテレビが僕の目に飛び込んできた。ここ最近ニュースはこの議題に支配されている。そして僕たちはその標的。

 そう。そのニュースこそこの施設。そして人魚について言及するものだった。

 画面の中では専門家と呼ばれる人や芸能人、アナウンサーが各々の考えを述べている。しかし日を増すごとを…いや、今思えば最初からこの施設に彼女を置いておくという考えはなかったかもしれない。

 この水族館を知らない第三者が僕たちのこれからを決めようとしている。実際はそうじゃないのかもしれないが、彼らの持つ影響力はそれとなんら変わらない。

 今も外では押し寄せがくる。そのうち彼女にも被害が出る。本当に、このままでいいのだろうか。

(変な気起こすなよ)

 ………。

「館長…僕たちは…」

 そんな言葉を呟いた時、水面にバシャーンと水飛沫が上がった。

「ここはやっぱいいね〜のんびりできるし楽しいし」

 呑気な言葉を呟いたのはもちろん人魚だ。水の中で気晴らしに少し泳いできたのだろう。

 そんな彼女はぷかぷか水に浮かびながら「ところでさ、」と言葉を続けた。

「貴方に分かるか、わたしはわからないけど、ここってダメなところなの?」

「…は?それって?」

「いや、ちょっと気になってね」

 彼女の後ろで映るテレビでは大きく『自由』とテロップが映し出されていた。

「ねぇ、教えてよ。自由はどんなものなの?」

「ッ…」

 言葉が出なかった。そんなこと僕が教えてやれるわけがなかった。

 人々の声は彼女の現状を自由と思わない。それも半分以上人間の彼女をこんな水槽に閉じ込め、客引きの商売として使っていた。そんな現状で彼女に言葉を告げることなんてできなかった。

 そんな僕に気づいたのか、彼女は待たずに言葉を紡ぐ。

「多分今のわたしは不自由なんだと思う。お世辞にも水槽(ここ)は大きくないし、食べたいときに食べれるわけでもない。掃除だって勝手にやられるしね」

「それは…そう、、だな」

 何一つとして間違っていない。テレビに出ている人や愛護団体、スマホを突いてる人と彼女の意見は一致している。そしてそれは僕が考えまいとしていた考えだ。

 ならやっぱり…。そんな考えをしている僕に彼女は「でもね、」と優しく続けた。

「わたしは貴方が会いにきてくれる『不自由』なこの場所がとても好きだわ」

「でもやっぱりここじゃ…」

 再度彼女はこの場所が好きだと言った。これは彼女の主張だったのだろう。

 ……でも、それを聞いた僕には何もできなかった。


 数時間後僕はいつものようにマーメイドラプソディーを後にした。あの後はいつも通りだったと言えるかもしれないが、どこか心の中ではモヤモヤしていた。

 休憩室の扉をこじ開け、自分の席に腰を下ろす。直後、漏れ出すかのように大きく息を吐いた。

 ふと周りを見渡す。埃を帯びたこの部屋はいつもに増して散らかっていた。

 シフト表なんてものも貼ってあったが、そこに連なる名前の主たちはもうここにはいない。気づけばここで働くのは僕と館長だけになっていた。まぁ、働いていると言っていいのか疑問ではあるが。

 そんなとき部屋の扉が音を上げた。

 誰が入ってきたのか、その答えはすぐにわかった。

「珍しいな。こんなところで休憩とは」

「あぁ…帰る気にもならなくて」

 入ってきたのは館長。最後に使ったのがいつかわからないコーヒーメーカーでコーヒーを二つ作り、僕の前にポトンと置いた。

「まぁ、飲め」

「えぇ、ありがとうございます」

 とても苦いコーヒーだった。でも何かを言う気力もなくただそれを飲み干すことにした。

 そんな感情は僕だけではないようだ。

「苦いな〜。アレのせいなのかな」

「……」

「そうか。やっぱ考えるか」

 声は出していない。視界に映るのはただ薄汚い天井。そして聞こえる館長の声。

 僕はただその空間に身を任せ、時間を消費する。

「俺も日に日に頭をよぎるんだ。こんなおんぼろじゃあ彼女を養うことは難しい」

「……」

「一体何が正解で、なにが最適なのか。わからねーけどさ、いまのま」

「解ってるんです。僕ちゃんと解っちゃってるんです」

 館長の言葉が耳に痛くて、僕はつい言葉を遮ってしまう。でも、一度口から溢れた想いは止まることを知らなかった。

「僕たち多分このままじゃダメなんです。彼女の居場所はここじゃない。マーメイドラプソディーは彼女にとっての呪いになる。だから僕は」

 言葉に詰まってしまった。それを言えば全てが終わってしまうことをきっと解っていたからだ。その最適解はあまりにも残酷で悲惨で悲しいものだから。

「団体に連絡しよう…」

 最後にそう答えを出したのは館長だった。僕が何も言えていない状況にただその一言で肩を叩いた。

 僕は小さく「はい」とだけ返事をした。

 連絡は館長がしてくれた。きっと僕なら勇気を出せていない。

 電話をする館長が言った一言は、忘れることができないだろう。

「えぇ、彼女を自由な海に返すことにします」



    ◇



 カラン…。

 手が悴んでいて紙芝居のセットの一部を落としてしまった。

 手を伸ばした僕に重なる手が一つある。

 それはずっと僕の物語を聴き続ける女性の手だった。

「あ、すみません。少し悴んでしまって」

「大丈夫ですか?もう寒いですもんね」

「ですね。すみません。続けます」

「無理しないでください」

「ありがとうございます。手が冷えることには職業柄慣れてるので大丈夫ですよ」

「ふふ。案外水の中の方があったかいこともありますしね」

「そうですね」

 紙芝居をセットしなおして僕は続けようとした。

 しかし僕が水を扱う仕事だと、この女性に伝えただろうか?少し疑問を覚えた。



    ◇



 それから数日間、青年と人魚はいつも通りの日々を過ごしていました。

 しかし、人魚は気づいています。青年の様子がどこかおかしいことに。そしてそれは自分に関わっているということに。

 そんなある日青年が去った後に硝子の外にたくさんの男たちが入ってきました。みんな優しそうな顔をしています。人魚はその顔がなんとも怖くすぐに隠れてしまいました。

 しかしある言葉が聞こえ、人魚はいてもたってもいられませんでした。

「さぁ、やっと自由な海に帰れるぞ!」

 男たちは自由を唱え、海に返すと言っていました。人魚の声は誰にも聞こえません。

「自由」は「孤独」と半分ずつ。人魚は青年に会えない自由な世界へ、引き剥がすように硝子の外へ連れて行かれました。



    ◇



 海に帰れる。わたしはその言葉を聞いた時すぐに姿を見せた。

 嫌だった。涙が溢れてきた。顔周りにあるのが水槽の水なのか涙なのかわからなかった。

 わたしは叫んだ。

「いやだ。やめて。わたしは、わたしはずっとここにいたいの。お客さんが来なくてもご飯が少なくてもわたしはここが好きなの」

「あーそうかそうか。嬉しいか」

「そりゃこんな可愛い子が人魚としているなら人気も取れますもんね」

「ひどい商売だな」

「ほらこんなに彼女も喜んでるのが証拠だ」

 外にいる人たちは何やら笑っていた。笑い憐れみの目をわたしに向けていた。

 なんでそんな目でわたしを見るの。なんでわたしにそんな人が来るの。なんで、なんで貴方は来てくれないの。

 硝子の中で叫ぶわたしの声は届かなかった。

 その人たちは数分わたしのことを見たら身を翻し帰っていった。泣いていたわたしの目は赤く腫れ上がっていた。

 でも、硝子の外からはそう見えないらしい。彼らの笑顔がそれを物語っていた。

 わたしは怖くて隠れてた。この中にある岩場の影は光の届かない静かな場所。わたしはそこで身を縮めて彼を待った。


 時間はたてどたてど彼は来なかった。いつのまにかわたしは岩場から顔を出し、いつものように水面から顔を出した。いつもならこうしてたら彼は来てくれる。きっとそれを望んでいたのだろうと思う。

 ふと天を仰ぐ。高い天井の小さな窓から大きな空が見えた。道を作るかのような月明かりが水面に当たっている。

 こんな美しいものがあったのかとわたしは思った。

 わたしは息を止めてその光の元に近づいた…。


 ギィィ〜。


 重々しい鉄の音が残る耳に微かに聞こえた。

 目を瞑るわたしはそんなことどうだってよかった。

 ーーーその声を聞くまでは…。ーーー

「何やってるんだ?」

 声はわたしのよく知る声だった。よく知っててずっと聞きたくて、ずっと聞いていくはずの声だった。

「おそい…」

「わるかった」

「今日は貴方じゃなくて、多くの人たちが来た」

「あぁ、」

「わたしを……海にって…言ってた」

「…そう、だな」

「ねぇ、なんで。なんでよ。もうわたしは要らないの。人を呼べなくなったから?わたしがこの水族館の人気を下げるから?ねぇ、なんでよ」

 わたしはまた泣き出してしまいそうな気持ちを押し殺して言葉を紡ぎ続けた。

 こんなこと言っても何も変わらないのはわかっていたはずなのに。

 わたしの声は届かなかった。でも彼になら…そんな淡い期待を込めていたのだと思う。

 そんな彼は「ちがう」と弱く、そして強く否定した。

 声が届いたことに一気に涙が溢れてきた。

「違う。邪魔になったからなんかじゃない。要らないわけがない。でも、、このままじゃ幸せになれない…こんな不自由な場所じゃ…」

 泣いているのはわたしだけじゃないようだった。

 涙こそは見せないけれど、彼は泣いていたと思う。わたしだからこそ、わかる。

「ねぇ、どうか押し付けないで。」

「え…?」

「わたしは貴方が会いにきてくれるこの不自由な場所がとても好きなの」

 いつかも言ったこの言葉。でもそれは本当に心の底からの本音だった。

 彼の優しさがこんなにも切ないのだと知ってしまったわたしはただ言葉を紡ぐことしかできなかった。

「マーメイドラプソディー。ここは不自由な水槽。でも、煌めく不自由なダンスホール。わたしと貴方だけの美しい不自由」

「ふじ、、ゆ、う」

「ここは狭くて暗くて不自由。でも、貴方がきてくれる。貴方が居てくれる。そんなわたしと貴方だけのダンスホールなの。だからこのダンスホールにもう一度会いにきてね」

「でも、無理させる。ストレスを与える。そんなものがダンスホールだなんて、」

「ここで貴方を待っているわ。今宵純白のダンスを踊るから」

「あぁ、やめ、、ろ。それ以上は。自、、ゆうに、」

「わたし、分かるの。自由になって広い世界を見て、わたしはきっと知ることになるの」

 これは、本音。わたしの最初で最後の告白。

 わたしは出来る限りの笑顔で伝えた。

「貴方の代わりはどこにもいないと」



    ◇



 すると青年は泣きました。人魚もつられて泣きました。

 二人の泣き声はダンスホールに響く音色のようでした。

 やがて、人魚は青年に会えた安心と泣いていた疲労で眠りにつきました。

 しかし人魚もわかっていました。もう自分は水族館には居られないと。

 夜が明けたら自分はもう海の中。



    ◇



 光が強く自分の顔を刺激した。

 昨日は安心して眠ったからかやけに目覚めがいい。

 ざぁーざぁーといつもは聞こえない音が聞こえる。いや、そもそも強い光で目覚めること自体いつも通りではなかった。

 目を開け周囲を確認する。水中はいつもより少し暗く冷たかった。

 光の方向を目指して水面に浮上する。

「わあぁ〜!」

 わたしは顔を出したそこから見える景色を見てそんな声を上げていた。

 自分でも驚くほどの声が出た。でもそれほどにそこはわたしの知らない世界だった。

 前を見ても後ろを見ても、どこを見てもただ広がる水溜まり。確かにあの水槽と比べたら段違いの広さだ。

 確か、こんな景色のことは「すいへいせん」というらしい。彼が教えてくれたのを思い出した。

 周囲をぐるりと見渡す。すると大きくて赤くて丸い、強い光を見つけた。確か、、。

「あさひ…」

 刹那、わたしの脳裏に変な景色が浮かんだ。

 あれもこんな光が強い日だった。誰かの声が聞こえ近づいて見た。そこで初めて自分のは違う生き物に出会ったんだ。

 顔や身体、手や腕は同じなのに違う部分があった。今はそれが何か知っている。あの人が教えてくれたから。

 そこで出会ったのは「人間」という種類らしい。彼らは優しくて賢くて、そして何よりも「自由」を愛す。

「そっか…」

 わたしは彼との出会いを思い出し、口を水に沈めた。ぷくぷくと息を吐き出す。これは彼のくせでもあった。

 ここは、自由だ。どこへでも行けるし、どの時間に何をしててもいい。そして、ひとりだった。

 ………。

「どこへ行ったら貴方に会えるの?」

 海の中で誰にも聞こえないそんな言葉を溢すのだった。

 わたしは少し泳ぎながら頭を整理する。それでも頭の大半を占めていたのはあの人のことだった。

 いろんなことを教えてくれて、いろんなことをしてくれた。あの時貴方に会っていなかったら、そんなことを考えるのすら恐ろしい。そこまでに優しくて楽しくて居心地のいい「不自由」がそこにはあった。

 次はわたしが…。

 初めて見た硝子の外の世界。あぁ、わたしはひとりで水平線を見ている。本当になんて海は広いの。

 初めて見た硝子の外の世界。あぁ、わたしは一番に貴方に伝えたい。『なんて海は広いの。』


 それからわたしはただがむしゃらに泳ぎ続けた。

 初めて見る魚たち、温かい海や冷たい海。光が届かないほど深い場所もあった。わたしはこの自由なダンスホールでたくさんの場所に移動した。たくさんの経験をした。そこで知ったたくさんのことを次は彼に教えたかった。

 彼にびっくりして欲しかった。彼に喜んでもらいたかった。彼に、また会いたかった。

 そして、この気持ちはなんなのか彼に教えてもらいたかった。

 ここは新しいわたしの居場所。でもここだけがわたしの居場所ではない。そう、ここは…。

「マーメイドラプソディー、煌めく自由なダンスホール。次はわたしが会いにいくわ」

 わたしはもう待ってるだけじゃないから。今宵純白のダンスを踊るから…。



    ◇



 その後、水族館はまた質素な地方の水族館に戻り、青年も続けてそこで働いていたのでした。

 世の中は人魚がいたという記憶を徐々に失い、今となっては空想上の生き物に逆戻り。しかし確実にいた人魚を青年は忘れません。

 心のどこかでは人魚に会えるのでは、まだ人魚はどこかにいるのでは。そんな考えが消えませんでした。

 二人はそれぞれの道を進み自由を手に入れました。

 人魚のいない日々の中でも青年は心の中に思い出を描き、そして、人魚は自由な世界で、今も生きているのだとか…。



    ◇



「おしまいおしまい」

 僕がそんな言葉をついた直後、ぱちぱちぱちと小さな音が聞こえた。

 後の主は僕の紙芝居を終始聴いてくれていた女性。手袋越しの拍手はとても暖かかった。

「最期までありがとうございます」

「いいえ、とても感動しました、」

「はは。そう言ってもらえてとても嬉しいです。まぁ、ただの物語に過ぎないんですけどね」

「ほんとうに…、本当にただの物語なんでしょうか」

「こんな夢のような話、あれば素敵なんですけどね」

 女性はやけに食いついていた。いつもなら颯爽と帰る僕だが、不思議とその空間に居心地の良さを覚えて少し話に華を咲かせていた。

 そんな理由も実はわかっていたのかもしれない。その居心地の良さを僕は知っていた。

「夢のようなって…まぁそうですよね。でもわたし少し納得いかないところが」

「納得がいかない?」

 僕の紙芝居についてだろうか。

 自分で言うのもなんだがこの物語はそれなりにいいものだと思っている。まぁ、僕から見た感想なんて大した影響はもたらさないのだが。

 それでも自分の力作だ。不満があるのならぜひ聴いてみたい。

「えぇ、人魚は今の方が幸せとか、ずっと自由に泳いでるとかってところ」

「あぁ、確かにそこは僕の予想でしかないので、考える人によっては違うかも、です」

「まぁ確かに、真実はその人魚さんしか知りませんもんね」

「そうなんです。僕にもその青年にもわからない。でもきっと人魚は今が幸せです」

 僕がそう言うとその女性は少し口角を上げた。温かい瞳で僕の瞳を見てきた。その姿はなんとも懐かしく僕の頭を破壊するにはあまりにも簡単すぎた。

「ねぇ、お願いよ。どうか押し付けないで」

 降りゆく雪景色が僕と女性だけの世界を作ってくれた。

 人の流れはもう見えない。ただここでこの時間が止まったようだった。

 僕は自然と上がってしまった口角のまま「おかえり」とだけ呟くのだった。


ーーーーーーーーーーーーー


マーメイドラプソディー。煌めく不自由なダンスホールにもう一度会いにきてね。

ここで貴方を待っているわ。今宵純白のダンスを踊るから…。

             (完)

 いかがでしたでしょうか?

 個人的にかなり自信作が仕上がったと思ってます。しかしやはりオリジナルの素晴らしさは表現しきれませんでした。僕なりの美しさが皆様に届けばいいなと思っています。

 さぁ、ここまで読んでいただき本当にありがとうございます。また次の作品や他の作品に目を通していただけると幸いです。

 では、自分の物語の世界へおかえりなさい!

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