菊池太平記~殺害された兄の代わりに12歳で当主を継いだら、衝撃で未来の記憶が生えました。名誉も命も全うするために、色々頑張った結果がこれです~
※「菊池祭り」参加作品
右腕で引き絞った弦を手放す。ひょう、と音を立てて飛んだ矢は、狙い通り的に突き刺さる。
うむ、よい感じだ。最近は狙いを外すことはほとんど無くなってきた。次は、速射と騎射の稽古だ。3年後の元服までにすることは多い。いっぱしの武士となるため精進せねばならぬ。
斯様なことを考えておると、傅役の西牧隆明が、血相を変えて飛び込んできた。
「正龍丸様! 正龍丸様!」
「なんじゃ? 小太郎、そのように慌てて如何した?」
「一大事にございます! 先ほど御殿にて、時隆様が生害されましてございます」
「何じゃと!」
「下手人は甲斐武本様とのこと。ですが、時隆様は最後の勇、武本様と差し違え、御自ら仇を討ちましてござる!」
「では、兄上と叔父上が一度に死んだと申すか、何と言うこと……」
あまりの衝撃に俺はめまいを起こす。
と、その時、うずくまった俺の頭に、思いもかけぬ大量の情報が流れ込んできたのだった。
―――――――― 2か月後 ――――――――
「正龍丸様、いや、武時様、元服おめでとうございます!」
「「「おめでとうございます!!」」」
「うむ、今日元服を果たしたことで、私は名実ともに当主となった。2か月前の凶事以降、この若輩者によくぞ付いてきてくれた。今後とも、その方らの忠勤、期待しておるぞ!」
「「「はっ!!」」」
あの後、俺がまずしたこと、それは、甲斐家の討伐だった。
『舐められたら終わり』の、この時代、縁者を殺されて黙っているような者は『頼りにならぬ』と除かれるのが習いだ。
幼少の従兄弟らに恨みはないが、殺らなければ殺られるとあれば是非も無し。当主である兄の突然の死で混乱する郎党どもを叱咤した俺は、そのまま甲斐家の屋敷に攻め入り、叔父の縁者を悉く討ち滅ぼしたのだ。
そして、17歳で死んだ兄の葬儀を行い、49日の法要が済んだこともあり、本日元服を済ませたと言うわけだ。
正龍丸 改め 菊池次郎武時、数え13歳 これが今の俺だ。
ちなみに、兄と叔父の死を聞いて倒れたときに、頭に流れ込んできたもの。それは未来を生きた1人の人間の記憶だった。
未来の記憶(?)によれば、今から29年後に天下の執権、北条得宗家は滅亡するらしい。そして、俺は得宗家討滅に大く関わり、その功によって我が菊池家は大きな飛躍を遂げるようだ。
治承・寿永の乱以来、我らの本貫の地の多くを奪ったばかりか、元寇で目覚ましい戦働きをしても恩賞を出し渋る。それでいて、自らは次々と知行国を増やしていく北条得宗家の浅ましさ。
『御恩と奉公』の原則を忘れたその有様に、もう愛想の尽きている我らとしては、奴らの滅亡は願ってもない慶事である。
しかし、この未来、一つだけ見過ごすことの出来ぬ大きな問題があった。
俺を含む菊池一族の郎党200余名が、得宗家滅亡の2か月前に、博多の鎮西探題に無謀な討ち入りをかけ、壊滅していたのだ。
全国の武者たちに先んじて挙兵した功が認められ、我が子は肥後の守護に任ぜられたし、史書にも大きく取り上げられたらしい。
「虎は死して皮を残し、人は死して名を残す」
高名を残せた事は本望だが、どうせ残すなら死んで残すより生きて残した方が良いと思うのが人情ではないか?
それに、残された我が子らは、肥後の守護にはなったものの、海千山千の連中の相手は荷が重かったらしい。筑前多々良浜の合戦では、大量の裏切り者が出て、当初圧倒していたはずの足利勢に、最終的に大敗する始末。
子孫の繁栄のためにも、俺は生き残らねばならぬ。
幸いにも期限までは30年近く残っている。しかも未来の知識もあるとなれば、如何様にもなろう。『死して名を残す』ではなく、是非とも生きたまま名を残してやろうではないか!
―――――――― 29年後 ――――――――
ひっきりなしに剣戟の音や怒号が飛び交い、時折、炸裂音すら響く屋敷の中、我ら菊池家の精鋭は決戦に及んでいた。
襖を蹴倒し、天井を突き刺しながら進むと、屋敷の反対側から、七男である菊池武吉の大音声が聞こえてきた。
「菊池武時が子、武吉! 鎮西探題 赤橋英時を討ち取ったり!」
「よし!! 武吉でかしたぞ! 皆の者、勝ち鬨を上げよ!! 鋭! 鋭!」
「「「「「応!!」」」」」
「鋭! 鋭!」
「「「「「応~!!」」」」」
いつまでも続く勝ち鬨、俺は賭に勝ったのだ!
菊池家を継承して29年、長い道のりであった。
家督相続直後から動き始めた俺だったが、まず行ったのは反抗的な同族を滅ぼすことだった。そして、集権体制を確立した俺は、領内の開発に突き進む。
新田開発と農業改革で10年で収量を3倍に増やしたことで領民も収入が増え、人口も加速度的に増加した。
また、山間部では養蚕を奨励するとともに、菊池川の流れを利用した水力紡績機を開発、絹糸を領内の一大産業とすることに成功する。また、生産した絹糸を扱う問屋を博多の街に出店、生産から販売までを一手に請け負うことで、大きな利益が上がるようになる。さらには、副産物である蚕の糞を活用して、培養法による硝石生産にも着手したのだ。
10年ほど前から硝石が安定供給されるようになると、『手投げ爆弾』や石火矢も作れるようになった。火縄銃の製造には少し時間が掛かったが、それでも3年前には完成した。それ以前に完成していた弩や投石器と合わせて、訓練を積んでいない従者でも、毎日厳しい鍛錬を繰り返す武士に対抗できるようになった。
いくら収量や人口が増えたとは言え、肥後半国にも届かぬ我らの力は小さい。領民皆兵のつもりで向かわねば、鎮西探題に勝ちきることなど到底出来ぬからな。
そして、百姓どもが戦う手段を身に付けたとは言っても、戦の中核になるのはやはり武士だ。収入が増えて農作業から解放された郎等どもに猛訓練を施し、集権化によって集団戦の意識をたたき込み、領内にあった炭鉱と鉄山を利用して製鉄を行い、徹底的に装備も整えた。
さらに5年ほど前からは、博多の店を隠れ蓑にして、諜報機関を設置し、九州土着の守護と鎮西探題の仲を裂くべく、流言飛語を流すようにした。これによって、少弐・大友・島津の3守護と鎮西探題は徐々に疑心暗鬼を抱くようになっていった。
そして、とうとう先日、「薩摩守護の島津貞久が、大隅・日向守護職の回復を狙って、兵を集めておる」という讒言に惑わされた鎮西探題赤橋英時は、島津貞久追討令を出しおった。
本当に島津が謀反を企んでおったかは知らぬ。知らぬが、島津が大隅・日向の守護職を狙っておったのは紛れもない事実だ。それにしても、これ以上ない時期にこれ以上ない方法で踊ってくれたものだわい。これを聞いたときは、しばらく笑いが止まらなかったぞ!
追討令を馬鹿正直に信じた、少弐貞経や大友貞宗やらが、数千騎を集めて博多に馳せ参じる中、俺は阿蘇惟直、蒲池武久、星野家能ら、近在の信頼の置ける国人衆と語らって、じっくりと準備を整えた。そして、少弐・大友らが出陣したのを確認してから、のそのそ鎮西府を訪れたのだ。
期限に一月近く遅参しただけでなく、俺らが率いていったのは、合わせてもたったの100騎余。当然ながら、到着するなり、英時めに呼び出された。叱責のためにな。
その場で英時め、「鎌倉殿の御恩を何と心得るか!」などと迷い言を抜かすから、こう言ってやったのだ。
「治承・寿永の乱以降、我らが領地は増えるどころか削られっぱなし、2度の元寇では祖父武房らが武功を挙げたにも関わらず、目立った恩賞は頂いておりませぬ。
我ら一同、郎党どもが『奉公のし甲斐がない』と申すのを、粘り強く説き伏せ、何とか参じた次第でござる。
赤橋英時様は『鎌倉殿の御恩』と仰るが、一体我らがどのような御恩を頂戴しておるのか、後学のためにお聞かせくだされ。それを郎党どもに申し聞かせれば、速やかに、多くの軍兵を集められるかと存じますので」
聞いた英時の怒ること怒ること。神妙な振りをして頭を下げる我らに、「其方らのような不忠者は御家人でも何でもないわ! 追って沙汰を下す! 去ね!!」と言ってきた。
わはは、まさしく、こちらの思い通りの展開だったわい。
御家人であれば、鎌倉殿の配下。主人に従わねば『裏切り者』の誹りを受けようが、『御家人でも何でもない』ただの武士なら、従う必要など微塵も無いからの。
それに、この段階で隠岐の後醍醐天皇陛下の下に嫡男の武重を出仕させ、我らを北面の武士に取り立てていただく約束を取り付けてあった。御家人の地位を失おうが、今後の身の振り方に何ら問題はない。
これで、大軍がひしめいていれば、その場で追討されたのかもしれぬが、わざと、着陣を遅らせたからの。少弐貞経、大友貞宗らに率いられた討伐軍は、数日前に既に出陣しておった。
英時めが、なりふり構わず向かって来おったら危ういところではあったが、おおかた「その場で処断して残党に暴れ回られては鎮西府の郎党にも損害が出る」などという姑息なことでも考えたのであろう。放逐されるだけで済んだわい。僥倖 僥倖!
その後は、博多市中の菊池家直営商店に、あらかじめ潜ませておいた3千の兵とともに挙つだけだった。
たった100騎と侮った探題方は、邸の内外に詰めていた300騎を出してきた。しかし、大路の先に待ち構えていたのは、その倍を超える軍兵だ。すぐに実態に気付き、算を乱して引き返そうとするも、左右の路地から現れた伏兵に阻まれ、最後は我ら自慢の菊池千本槍の槍衾にて壊滅した。
そして、英時らの籠もる鎮西府には、3町ほど離れた商家から、投石器によって炸裂弾が打ち込まれ、大混乱に陥ったところを仕留めた。そんな具合だ。
未来の知識に気付き家督継承をしてから29年。長い道のりではあったが、目標であった『命を残し名を残す』ことができた。しかし、このままでは、まだ安心することは出来ぬ。
この凶報を聞いた少弐・大友らは、すぐに引き返してこよう。大軍を擁する奴らをどうにかせねば、命の危険は晴れぬのだ。
そして、上手く生き長らえ、建武の新政を迎えられたとしても、その先には足利高氏めの九州侵攻が待っている。高氏めは無類の戦上手、息子の武敏がしたような無様な敗戦だけは避けねばならぬ。
とは言え、既に歴史は変わったのだ、今後どうなるかは私にもよく分からぬ。ともかく、今日はこの素晴らしい成果を祝おうではないか。
「よし! 今晩は祝いじゃ! ありったけの酒を持ってくるように菊池屋に遣いを出せ! そうじゃ! 手柄の多い者には、秘蔵の清酒も振る舞うてつかわす!!」
「みんな聞いたか!? 流石は我が殿じゃ!!」
「「「うおおおおおおおお!」」」
「うむ。良い返事じゃ! ただし、心置きなく酒を楽しむために、まずは、しっかり鎮西府の掃除をするのだぞ!」
「「「「「応!!」」」」」
威勢の良い返事をして駆け出した郎党どもを、俺は晴れ晴れとした心もちで見送るのであった。
コロン様主催の「菊池祭り」に参加するため書き下ろしました。
※「菊池祭り」へは、広告の下の「武者イラスト」(ランキングタグ)をクリック!
今のところ続編や連載の予定は全くありません。