03 プレートの解析(1)
朝になり、いつものように部屋に入ってきたマレンダは、サイドテーブルに積まれた本に表情を歪めた。
私を今までで一番険しい表情で睨みつける。手に持ったボウルを叩きつけられそうな雰囲気がしたので、私は慌てて本を床に下した。
マレンダに、これでいいでしょう、と微笑んで見せる。うまく笑えているかは分からないけど。
マレンダは舌打ちをして、乱暴に水の入ったボウルを置いた。腐った水が飛び散った。
ふと思う。こうして毎日腐った水を用意するのに、かなりの労力が必要ではないだろうか。1日ではここまで水は腐らない。その腐った水を毎日用意するのだから、準備と、保管場所を確保するだけでも大変なはずだ。嫌そうに仕事をしている割に、ずいぶんと仕事熱心だと思う。
好ましくはないが、努力をする人間は嫌いではない。間違った努力だとしても、この分かりやすい女は、今の私にとっては一番身近な情報源なのだから。
私から彼女を拒絶することは、できない。
マレンダは、微笑む私を警戒しているようだ。
「マレンダ」
よし、声もちゃんと出せる。
「鏡が、欲しいの」
控えめに、怯えている様子を出しながら、お願いした。
私が怯え、苦しみ、泣く姿を見せると、みな一様に満足していくのだ。
「はあ?いらないって言ったのはお嬢様でしょう」
マレンダは馬鹿にしたように笑った。
「そのみすぼらしい姿を見たくないと言って暴れて、部屋の鏡をすべて割ったのはお嬢様じゃないですか」
その時のことを思い出したのか、マレンダは笑い出した。
みすぼらしい姿の原因が、このメイドたちだということは、私にも分かる。
ミリアはきっと、それを訴えたかったのだろうが、うまく表現できなかったのだろう。
この体の中にいるからか、なんとなく、ミリアのことが理解できてしまう。
「まあ、いいですよ。持ってきてあげますよ。ご自分の姿をきちんと見たほうがいいですからね」
マレンダは笑いながら言った。
腐った朝食、といっても、相変わらず丸パン一つとスープ一皿、今日は得体のしれない親指ほどの大きさの物体が一つだった。きれいに間食したころで、マレンダが戻ってくる。
後ろに、初めて見る男がいた。
黒いスーツを着ている。普通に考えたら使用人だろう。
男は姿見を抱えていた。
「その辺に置いておいて」
マレンダが支持を出す。
そして、完食された皿をみて、
「よく食べれるな」とつぶやいた。
私からすれば、よく毎日こんなものを用意できるなと思う。
真面目に仕事に取り組めば、彼女はきっと、優秀な人材として評価を得るだろう。
これでも、会社では部長職まで昇進したのだ。初の女性執行役員に抜擢されるかもしれないとささやかれ、その栄光が目前まで来ていた。部下も抱え、人事権も与えられていた。人を見る目は高いと自負している。いや、そううぬぼれていたのかもしれない。
ここでは、その役職も評価も、無意味な気がしてならない。
世界観が違いすぎて、戦場に丸腰でいる気分だ。
(とにかく情報収集だ)
気を取り直して、今日のすべきことを考えるようにした。
いつの間にかマレンダたちはいなくなっている。
室内には自分一人と、新たに持ち込まれた姿見が一つ。
自分の頭上にプレートがあるかどうかを、確かめたかった。
プレートさえあれば、この体の持ち主がわかる、自分の置かれた状況も見えてくるはずだから。
私は姿見の前に立った。
灰色の長い髪、青白い頬、やせ細ったからだ、少し大きめの紫色を含んだ青い瞳。
もっと栄養がいきわたった体であれば、美少女と言えただろう容姿だが、今は、薄汚れた服とやせ細った体で、かわいらしさなど見当たらない。
(ずいぶん、若い子)
きちんとした成長をとげていないのだろう、身長も一般的平均よりも低いのではないだろうか。
(プレートはっ)
鏡の中の少女の頭上に、グレーのプレートが浮いていた。
鏡に映っているためか、逆さ文字になっているが、読めないことはない。
要約すると、
『ミリア(14歳)
生まれてすぐに親に捨てられる。
路地裏で乞食のように物乞いと窃盗で食いつなぐ。
9歳の時、偶然通りかかったヴィスコス公爵閣下の目にとまり、いなくなった娘と同じ白銀の髪を持つという理由だけで、公爵家の養女として迎えられる。
以後、公爵家の中で、使用人からの虐待を受けて育つ。
14歳の時、反省部屋として使われていた屋根裏部屋で、使用人の男に強姦される』
愕然とした。
これが、この少女の経歴なのだ。
こんな悲惨な人生を14年も歩んできたのだ。
(どうして14歳で止まっているの)
他の人のプレートには生まれてから死ぬまで、過去と未来が書かれている。
その疑問の答えは、
(14歳で、終わった?死んだってこと?)
では、なぜ私はこの体の中にいて、この体は動いているのだろう。
なぜ、ヴィスコス公爵は、ミリアを拾い、養女にまでしたのか。
余計に混乱しただけだった。
疑問は増え、その答えの探し方が分からない。
情報を得るには、人か物を「見る」しかない。
この部屋の中はすべて「見て」みた。これ以上の情報をこの部屋の中で探すことはできないだろう。
(大した情報もなかったし)
かといって、無計画にこの部屋から出るのもまた、得策ではない。危険すぎる。
相手がどう反応するか分からないからだ。
部屋を出るなら大部分の者たちが寝静まった深夜しかない。
今日の夜、もう一度部屋の外へ出てみようか。
そう考えているとき、思い出した。
今日は、「ここ」に来てから8日目だ!
夜、私はただ静かに待ち続けた。
異常に軽く聞こえるお知らせ音がいつ鳴るのかと、決して聞き逃さないようにと、身動き一つせず、待ち続けた。
4日おきに鳴るとは限らない。
でも、可能性がないわけではない。
最初のボーナスが96時間で、出た。今日が、あれからちょうど96時間経つ。
(お願い、来て!)
祈るようににじり占めた手が、汗ばんでいる。
ピコンッ。
鳴った!
私は勢いよく顔を上げた。
突然現れたプレートが、目の前に浮かんでいる。
これで私の推理はほぼ確定した。
このサービスプレートは四日おきに現れるのだ。
『96時間経過
ボーナススキルを受け取れます』