02 公子との遭遇(1)
この「世界」で目覚めてから5日目の朝、朝食を運んできたのはマレンダだった。
夜の間ずっと考えていたことを実行に移すために、私は自分を奮い立たせる。
とにかく情報が欲しい。
彼女たちをなるべく刺激せずに、どうにか情報を増やしていかないといけない。当然、知らないことを彼女たちに聞くわけにはいかない。夜の鞭が増えるだけだ。
朝食をサイドテーブルに乱暴に置いた女に、私は声をかけてみた。
「マレンダ」
マレンダは一瞬肩を震わせ、驚いたように私を見る。
自分の名前を知っていることが意外だったのだろう。
だが私もここで引き下がるわけにはいかない。
「マレンダ」
もう一度名前を呼んだ。
どんな態度をとってきたとしても、メイド服の女たちはみな、一様に私を「お嬢様」と呼んでいた。ということは、私の立場は、少なくともメイドよりは上だということだ。あくまでも形式上は。
「なんでしょうか、お嬢様」
本当に面倒くさい、といった態度を隠すこともなく、しぶしぶ受け答えた。私を見下ろす目が、とても冷ややかだ。
果たして私の望みを受け入れてくれるだろうか、返ってくるのが鞭かもしれないという予想を持ちながらも、私は意を決して、マレンダに言った。
「本が、読みたいの」
言葉数は少なく、簡潔に、必要なことだけを伝える。
数秒の沈黙の後、マレンダは舌打ちをした。
何も言わずに、部屋を出て行った。
やはり、無理だった。
閉ざされた扉を見つめて、私はうなだれる。
次の手を考えなければならない。
やれることと言えば、あとは脱出くらいだ。
それでも。
(声が出せるようになったし)
わずかな希望に、少しだけ意欲が湧いてくる。
(もう少し時間を稼いだら、次のスキルが手に入るかもしれない)
ルールは分からないが、確かに私は一つの「スキル」を手に入れた。
「スキル」とは、訓練や経験を積み習得していく能力、技能のことだ。スキルを磨くことで、仕事や趣味などでステップアップを図り、自分の価値や評価を高めていく。そのための努力の結果だ。
今回、私が手に入れた「スキル」は「声」だ。
それは昨日の深夜、突然現れた。
ピコンッ、と音が鳴り、誰もいない室内で、突然、目の前にグレーのプレートが現れた。
『96時間経過
ボーナススキルを受け取れます』
まるでゲームのようなテロップだった。
下には「はい」と「いいえ」がある。
状況が全く分からない。ただ、もらえるのなら貰ったほうがいいと、直感が働いた。だから、選ぶのはもちろん「はい」だ。
これ以上何かが悪くなることはないだろうという希望的観測と、少しでも現状を変化させられる刺激が欲しかった。このまま死ぬまでこの室内に閉じ込められるなんて、死んでも嫌だった。
どうやって選べばいいのか分からず迷いながら、とにかく「はい」を念じてみた。
ピコンッ、と音が鳴り、プレートの文字が切り替わる。
『おめでとうございます
あなたは「声」を手に入れました』
(声!?)
喉に手を当てる。
胸が高まった。もしかして。
不安と期待が一気に膨らみ、めまいがした。
周囲を見回し、だれもいないことを確認して、ゆっくりと、慎重に、「声」を出してみた。
「あー・・・」
出た!
うれしくてもう一度出してみる。
聞き覚えのない声ではあったが、それでも、自分の意志で声が出せることが、嬉しかった。本当はこの場で叫んでみたかったが、それはやってはいけないことだと判断できるから、我慢した。
そうして得た「声」を使って、この「世界」で初めて声をかけてみたのだが、失敗したようだ。
誰もいない昼間の室内、次の一手を考えこんでいると、前触れなく扉があけられた。
昼間に誰かが部屋を音連れたのは、初めてだったから。開くはずのないドアが開くと、恐ろしさすら感じてしまう。
驚きと不安で跳ね上がる心臓が、苦しい。
私は心臓に手を当てて、何とか呼吸をし、突然の乱入者を見た。
ドアには、何冊も分厚い本を抱えたマレンダが立っていた。
無言で一歩、室内に入ると、マレンダは抱えていた本を床に落とした。
「本でございます」
私を見て、笑みを浮かべる。
(読めるものなら読んでみろ、ってことね)
マレンダの魂胆が手に取るように分かった。
その様子から察するに、きっとこの体の主は字が読めないのだろう。誰にも教えてもらえていないのかもしれない。何歳なのかは分からないが、学校に通っている様子もないし、家庭教師がついている感じもない。メイドたちが教えてくれているとは思わない。いつからこの部屋にいるのかは分からないが、自信満々なマレンダの様子から、容易に推測できた。
(なめるなよ)
負けず嫌いな本来の私が顔を出す。
失っていたものを一つ取り戻したからだろうか、すべてが怖くて仕方がなかったこの「世界」に慣れ始めてきたからだろうか。
ようやく自分を取り戻し始めていた。
もともと、私は負けず嫌いだなのだ。
誰かができるなら自分だってできるはずだ、そう思うことが機動力になるタイプなのだ。
だから、勉強も頑張ったし、運動も頑張った。
常に結果を出せるように努力した。
その結果が、仕事での出世につながっていると自負していた。
「ありがとう」
できる限り余裕のある笑みを心がけて、私はマレンダに向けて笑みを作った。
(あとで吠え面かかせてやる)
そう思うことで、闘志が燃えてくる。
マレンダが目を見張る。
吐き出す言葉が思いつかなかったのだろう、舌打ちだけして、部屋を出て行った。
(ふっ、勝った)
勝手に勝負して勝手に勝利宣言をする。もちろん心の中だけで。