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01 始まりの直前(1)

【あらすじ ストーリ→ストーリー、ストリー→ストーリー】 三日前、私は41歳になった。

 周囲の評価を使いまわすならば、仕事のできる女、我が社初の女性役員抜擢、男に頼らないカッコいい女、上司にしたい先輩No.1。

 その言葉の裏には、仕事しかできない女、出世にしがみつく女、男が寄り付かない女、責任を押し付けても何とかしてくれる上司。所詮女は行き詰る、だけど結婚できないから逃げ道がない。そう思われているのだ。

 30代後半から、後輩から飲みに誘われる回数が激減した。同期は結婚していき、後輩は同年代と飲むかスマホをいじるか。昔のように飲みすぎることも少なくなった若い世代は、お酒の付き合いなど過去の遺産としか思っていないだろう。そこから得る関係性と次の仕事のチャンスなど、あほくさいと思っているのだろう。

(あほくさいも、死語かしら。死語も死語?)

 むつかしい世の中だ。実に分かりづらい。彼らの思考回路は複雑怪奇で、扱いづらい。

 だから別に、飲みに行きたいとは思っていない。

 ただ、だれからも「おめでとう」と冗談でも言われない誕生日が、少しだけ、空しかった。40歳過ぎた女に誕生日を話題に出すことがハラスメントだと、笑って話す男性社員たちこそが、ハラスメントの塊だと抗議する気も失せた。

 コンビニでケーキを買った時のレジのバイトが、少しかわいい青年でさらに惨めな気持ちが膨らんだことや、三日経った今になって電話をかけてくる母親の放漫さに嫌気がさしているなんて、絶対に言葉にはしない。私にだってプライドぐらいあるのだ。強い女という看板しか残っていないから、それくらいは守らないとやってられない。

 この年になると、素直さなんて何のメリットもない。素直でかわいいなんて評価は得られない。せいぜい若作りのおばさん、歴史の教科書で見る世代、としか見られないことくらい分かってる。キモイと言われるだけだ。

(気持ち悪い、って言えよ)

 考えて、さらに気が滅入った。本当にそう言われたら、さすがに立ち直れないだろう。

『ちょっと、聞いているのっ』

 スマホの奥から母親のかみつくような声がして、我に返った。

 そういえば、電話中だったと思い出す。

「聞いてる」

『だから、週末くらい帰ってきなさいって言ってるでしょっ』

 こういう時の「だから」という接続詞の使い方が私は嫌いだ。

 何が「だから」なのだろうと本気で思う。その前の発言が理由として成り立っていないのだ。でも、発言者はいつもそれに気づかない。

『どうせ暇でしょ』

 休みの日は休みたいだけだ。

『やることないんだし、付き合ってる人だっていないんだし』

 勝手に決めつけるな、と言いたいが、間違っていることを立証できるだけの手札がないから、私は押し黙るしかない。ただ、やることがないわけではない。これでも忙しいのだ。部屋の掃除やゴミ出し、洗濯、アイロンがけ、はクリーニングに出してしまうけど、たまった郵便物の確認と撮り溜めた録画の再生、映画も見たいし本も読みたいし、たまには料理だってしたいし、お酒を飲みにいきつけの居酒屋にも行きたい、ゴールド免許も活用したいし、最近見かけたカフェのかわいい店員も見に行きたいし。

(全部ひとりでできることしかないじゃん)

 さらに気が滅入ってきた。

『さくらったら、子供おいて遊びに行っちゃうし、ママ友の付き合いは大事だから仕方ないけど、孫二人をずっと見てるのも大変なのよ。もう体力がついていかなくて、お母さん疲れちゃった』

 母親がこれ見よがしのため息を送ってくる。

 正直、私と何の関係があるんだと思う。なぜ妹の子供のために実家へ帰らないといけないのだろうか。理解できない。それも、娘の誕生日を三日遅れで平然と祝う母親のために。

 いつもこうだ。自分が大変なことばかり主張する母親、運良く結婚した妹ばかりをかわいがる母親。長女だからしっかりしろと私だけ厳しくしつけてきた母親。自由奔放な妹は「しかたない」の一言で終わらせる母親。

 だから家を出たのに。

 だから家に帰らないのに。

 母親はまだ、何一つ気づかない。

 きっと、死んでも気づかない。

「忙しいから」

『何が忙しいの?』

 聞いてはくるが、私の答えは認めないだろう。

 だから、言わない。

 いつからか、私は自分のことを家族に話さなくなった。話しても無駄だと理解したから。聞いているようで、自分の求める答えしか受け入れないから。

「もう切るよ」

『なによ、薄情な娘ね!』

 まだ向こう側でわめいている母親の声を、ボタン一つで遮断した。

 途端に静まり返る室内。

 一人の自室は、本当に静寂に満たされている。

 自分の作り出す物音と、独り言の声。わざとつけるテレビの音声。わざとつけるスマホから流れる音楽。この部屋での音は、それくらいだ。

(この部屋で死んだら、何日後に発見されるかな)

 最近、そんなことをたまに考えてしまう。

 初めてそのことが頭に浮かんだ日、身震いして、なぜか欲しくもない商品をネットで取り寄せた。

 翌日にドアフォンの音がして、荷物が届き、笑ってしまった。

 今日死んでいたら、すぐに発見してもらえたかもしれない、そんな風に考えていた自分が面白かった。

 それから、ネットでの買い物の回数が増えた。

 その辺の薬局で買えばいい物も、スマホで注文していた。

 そんな自分が笑えてしまう。

(さて、寝ようかな)

 明日は予定もない休日だから、朝まで映画を見ていても問題ないけど。

 今日はお布団に頭まで潜り込んで、意識を失いたかった。

 だから、いつもよりも早く、寝た。


 ふわふわ漂う空間で、誰かの声が聞こえてくる。

 何が漂っているのだろう。

 誰の声だろう。

 分からない。

 だけど、ここは、どこか居心地が悪い。

 なぜか不安がこみあげてくる。

 早く抜け出さなければ。


 助けて。


 今度ははっきりとした声だった。


 もう、無理。


 震える声は、泣いているように聞こえる。


 もう、耐えられない。

 見せられない。

 戻りたくない。


 声は、折り重なるように、反響するように響く。


 あなたに、あげる。


 何を?


 その疑問に答えてくれる声はなく、すべてが消えて、私は、落ちた。

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