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国王陛下に「側妃のおまえは子を産むだけの存在だから愛するつもりはない」と宣言されましたので、さっさと務めを果たして領地に戻ることにします

「メイ、おまえはただおれの子を産めばいい。おまえは、それだけの為に王宮に呼び寄せたのだからな。これからは、王宮ここに置いてやる。食事や着るものの心配をせず、雨漏りや寒さや暑さを気にせず夜をすごせる。そのかわり、おれの子を産むんだ。側妃のおまえなど、ただそれだけの為の存在というわけだ。ああ、言っておくが勘違いするなよ。孕ませるだけの存在を愛することはない。そんなわけはないからな。それに、もともとガキの頃からいっしょだったんだ。だから、おたがいにそんな感情は皆無なはずだ。というわけで、期待をしたり夢みたりするな。それさえ自覚していれば、あとは好きなようにすればいい」


 国王エミール・ガブリエルは、わたしが宮殿に戻ってきて再会した瞬間そう宣言してきた。


 亡くなったお母様は、彼の乳母だった。だから、わたしは彼の乳母子にあたる。


「そうなのね。承知したわ」


 宣言されたら承知するしかない。一応、彼は国王陛下。国王の命令は、絶対なのですもの。


 どのような関係であれ、彼は国王陛下でわたしは落ちぶれ令嬢にすぎないから。


 それに、わたしは彼に拾われた。それは、まぎれもない事実。


 拾われて王宮で飼われる身とあっては、何を言われようとされようとも文句ひとつ言わずに従うしかない。


 生きていく為には、身も心も売らねばならない。


 それでもまだ、名も素性も知らない男に抱かれるよりかはマシかもしれないわね。


「メイ、ちょっと待て。『承知したわ』、だと?」


 金髪碧眼で見てくれだけは絶賛出来るエミールは、目をパチクリさせた。


「ええ、そうよ。いえ、失礼いたしました。陛下、そうです。陛下のおっしゃいましたこと、謹んでお受けいたします」

「バカな。おまえが、いまの理不尽な内容を了承するのか?」


 イラっときた。


 あなたが命じるからよ。だからどうなのよ?


 大人なわたしは、不平不満があったとしてもグッとガマンするだけの度量はあるつもりよ。


「ウウッ……。そんなに睨むなよ、メイ」

「陛下、用件は以上でしょうか? それでしたら、失礼させていただきます。王妃殿下にもご挨拶しなければなりませんので」

「いや、王妃に挨拶はしなくていい。彼女は、なんというか……」

「そういうわけにはまいりません。側妃が王宮にやってきて、正妃に挨拶しないなんてことありますか? それこそ、マナー違反です。常識を疑われます。亡くなった母に顔向けが出来ません。王妃殿下の気持ちやわたしのそれはともかく、義理は通すべきです。義理さえ通しておけば、わたしに非はありません。というわけで、これで失礼させていただきます」

「いや、待て。メイ、待てと言っているだろう」


 エミールに背を向け、さっさと歩き始めた。


 ムダに広い執務室の扉へ向かいながら、彼はあいかわらず本好きなのだと実感した。


 彼もわたしも読書好きで、昔は競うようにして小説を読破しまくった。


 この執務室の壁一面に本棚があって、そこには様々なジャンルの本が並んでいる。


 一瞬、食指が動いた。どんなジャンルのだれの小説でもいい。めちゃくちゃ読みたくなった。


 とくにこの三年間は落ちぶれまくり、ド底辺の生活を送ってきた。日々の生活に追われ、小説を読む暇もなかった。それどころか、近くに図書館や貸本屋がなかった。ときどき通りかかる旅の商人が、本を持っていることはあっても買えるわけはない。


 活字に飢えている。お腹もすいているけれど。とにかくゆっくりじっくり本を読みたい。


 だけど、いまはガマンしなくては。


「メイ、待てってば」


 エミールは、まだ引き留めようとしている。


 だけど、わたしはもう彼に用事がない。


 だから、聞こえないふりをした。


 まだ「待て」と言っている彼を残し、執務室をあとにした。



 王宮の執事たちを束ねる執事長を通じ、正妃のローズに面会のアポイントをとった。


 ローズは、このアルエ王国に三家ある公爵家の筆頭ミドル家の長女である。彼女の美しさや高潔さは、アルエ王国だけでなくこの近隣の国々でも有名である。


 そんなローズがわたしの親友でいてくれたのは、奇蹟としか言いようがない。


 ミドル公爵家の屋敷とわたしのデュモン伯爵家の屋敷が近くだった。そして、彼女とわたしは年齢が近い。だから、仲良くしてもらったのは自然の成り行きだったのかもしれない。


 だけど、いまはもう彼女と親友ではない。


 彼女が正妃に決定したあの日から、わたしたちは親友どうしでいるどころか、まともに顔をあわすことすらなくなった。


 おたがいに気まずいということもある。だけど、やはり世間体というものがある。


 だから、彼女を避けるようになった。意識的にも無意識的にも。彼女も同様に、わたしを避けていた。すくなくとも、わたしにはそう感じられた。


 そんな状態なら、付き合いが希薄になり、疎遠になるのは当たり前のこと。


 それはともかく、彼女には幼い頃から憧れている人がいた。


 夢見がちな彼女は、いつもキャーキャーと騒ぎまくっていた。それを、わたしはある意味ではうらやましく眺めていた。


「わたし、ぜったいに『あの方』のお嫁さんになるわ」


 それが彼女の口癖だった。


「あの方」というのは、彼女とわたしとの間での呼び名である。


 彼女があれだけ騒いでいたのに、結局わたしは「あの方」というのがだれだかわからなかった。当然、いまでもわからない。


 どこかの貴族子息なのかしら。そうとしか推測のしようがない。


 そんな彼女のドキドキでキュンキュンした日々は、ある日突然終わりを迎えた。


 三年前に起った「エローの悲劇」の日に。


 毎年、このアルエ王国の建国記念日を祝う為に王都近くの「エロー駐留地」でお祝いのセレモニーが行われる。アロエ王国軍による行進、それから何十発もの祝砲をぶっ放すのである。


 三年前のあの日、いつものように行軍が行われた。その後、祝砲が発射された。当然、空砲である。が、あの日は違った。


 三門による空砲の内、一門に本物の弾がこめられていた。弾は、観覧されている国王や貴族たちのところに飛んでいった。


 大惨事になったことは言うまでもない。多くの命が奪われ、さらに多くの人たちが重軽傷を負ったり精神的にダメージを受けた。その中には、わたしの両親も含まれている。


 その事件は、命を奪ったり悲しみを生んだだけではない。ローズの、いいえ、多くの人たちの人生をすっかりかえてしまった。その人たちの中には、現国王エミールやわたしも当然含まれる。


 その事件により、結果的にローズは王妃にならなければならなかった。


 彼女は、子どもの頃から大好きな「あの方」のことを諦めなければならなかったのである。



 彼女が正妃に決定したとき、わたしは彼女とエミールには二度と会わないことを決意した。


 幼馴染というよりかはケンカ友達であるエミールに会うことは、彼女に対しても彼に対しても失礼だと思ったからである。


 いずれにせよ例の事件によって両親を亡くし、同時に屋敷もなくしてしまった。


 当主不在のデュモン伯爵家に叔父夫婦が乗り込んできて、好き勝手し始めたから。


 そういうこともあり、わたしは伯爵家の小さな小さな、ほんとうに小さな領地へ逃れた。


 そこでわずかな貯金と、親切な領民たちのお蔭で生活した。


 その領地は、亡くなったお母様が乳母をしていた際に「有事の際に役立つかもしれない」と与えられたわずかな領地で、通常は王家の管理人が経営をしてくれている。


 そこですごすことにし、実際にすごしていた。


 が、そんな苦しくとも平和な生活も終わってしまった。


「側妃にする。すぐに王都に戻るよう」


 王命を承ったのだ。


 そうして、わたしはいまここにいる。



 王妃とはすぐに会えた。


 よくあるようにどんなひどいことを言われるかもしれない。


 だってそうよね。


 わたしが側妃にさせられたのは、エミールの子を産む為である。それ以上でも以下でもない。


 三年間、正妃は懐妊しなかった。だから、子を産むだれかが必要になった。


 だれだって気分がいいわけはない。


 子を産む側妃を迎える正妃も、子を産まされる為にイヤな思いをすることになるわたしも。


 王都に戻る途中、覚悟はしたつもりだった。だけど、その覚悟は足りなかった。


 このままあの小さな領地に戻り、畑を耕し家畜に餌をやりたい。


 馴染み深い宮殿の大廊下を歩きながら回れ右をし、逃げだしたくなるのをどれだけガマンしなければならないか。


 が、さすがにそうはいかない。


 結局、彼女と会った。


 指定された場所は、庭園の東屋だった。


 そこは昔、エミールや彼女や他の貴族令嬢たちと競うようにしてスイーツを楽しんだところである。



「久しぶりね、メイ」

「王妃殿下、ご挨拶申し上げます」


 ローズは、あいかわらず美しい。東屋の屋根のせいで影がさしているけれど、彼女の顔色がすぐれないような気がする。それに、最後に会ったときから少し痩せたかしら。


 王妃ともなれば、公私ともに国王を支えなければならない。肉体的だけでなく、精神的にも大変に違いない。


 それに、彼女は幼い頃から持病を抱えていた。もしかすると、その影響もあるのかもしれない。


「あなたの分のお茶も用意させたの」


 彼女は、東屋の作り付けのテーブル上をきれいな指で示した。


「下がっていいわよ」


 彼女がそう言ったのは、侍女たちにである。


 三名の侍女は、頭を下げてから立ち去った。


 言われるまま、彼女の向かい側に着席した。


「どうして黙って姿を消したの?」

「なにをいまさらやって来たの?」

「側妃になんてなることなかったのに」

「わたしに恨みでもあるの」


 叩きつけられるであろう疑問や誹謗中傷や恨み言は覚悟している。


 ここに来るまで、それどころか王都にやって来るまで、ずっとそれらに対する言い訳やごまかしを考えていた。返すべき言葉や返さない方がいい言葉についても。


 彼女の端正な口から飛び出してくるであろう言葉を、テーブル上のお茶やケーキを見つめて待った。


 ただただ待った。


「メイ。戻ってきたら、陛下の次に会いに来てくれると思っていたの。だから、朝に侍女長に頼んであなたの好きなローズティーとチョコチップ入りのマドレーヌを準備してもらったのよ」


 彼女の形のいい口から出てきた言葉は、おもいっきり意表をついていた。


「メイ、まずは腹ごしらえよね。いつもそうだったでしょう? お茶の時間がまだなのに、王宮の侍女や厨房の人たちにせがんで準備してもらったわ。まずは飲んで食べる。そうしないことには、お喋りや追いかけっこや木登りが出来なかった」


 彼女の言葉に、おもわず笑ってしまった。


 まさしくその通りだったからである。


 子どもの頃のわたしは、控えめにいってもやんちゃすぎた。その上、生意気すぎた。


 さらには王子であるエミールだけでなく、ほとんどの貴族子女よりもタフだった。


 だから、いつもお腹を空かせていた。


 みんなで集まり、王宮で準備してくれているお菓子やお茶を独り占めして食べた。


「メイ、やっと笑ってくれたわね。あなたのその飾らない笑顔。どれだけ癒されたことでしょう。その笑顔をまた見ることが出来てよかったわ」


 ローズは、またしても意表をついてくれた。


 テーブルの向こうの彼女の笑みは、はかなさすぎる。


 見た瞬間、不安な気持ちにさせられた。


「さあ、召し上がれ」


 再度勧められた。


 断る理由なんて何もない。


「では、いただきます」


 だから、素直に従った。


 両手を合わせ、チョコチップ入りのマドレーヌとローズティーがテーブル上にセッティングされるまでに携わった人々、手配をしてくれたローズに感謝をあらわした。


 それから、遠慮することなく食べて飲んだ。


 ローズは、ただ見守っていた。空になったローズティーのお代わりを注いでくれ、チョコチップ入りのマドレーヌがなくなると自分の分のお皿と入れ替えてくれた。


 思い出したわ。


 彼女はいつもそうだった。自分は食べず、わたしにくれたり飲み物を注いでくれたりしてくれた。それは、宮殿だけでなく彼女の屋敷でもそうだった。


 わたしの実家であるデュモン伯爵家は、いろいろ事情があって当時からけっして裕福ではなかった。食べる物がまったくないということもあった。ましてや、ふつうの伯爵家が食すような物がしょっちゅう食卓に並ぶようなことはなかった。とくに亡くなったお母様が乳母の仕事を終え、病に伏せてからは使用人にも迷惑をかけるようなことになってしまった。結局、他家へ移ってもらわねばならなかった。


 そんな中、わたしはよそで食事をすることを覚えた。


 当時王子であったエミールや公爵令嬢の彼女は、そういう意味ではいい遊び相手だった。王宮にしろミドル公爵家にしろ、遊びに行けばかならず美味しいものをお腹いっぱい食べることが出来た。


 エミールや彼女以外にも、そういう友人が何名かいた。貴族や政治家や裕福な商人の子女たちである。


 そのことは、亡くなった両親には秘密にしていた。


 いつも「お腹がすいていない」とか「スイーツをごちそうになった」とごまかしていた。


 両親は、気がついていたと思う。だけど、何も言ってこなかった。


 それはともかく、ローズはいまもかわらずわたしの世話を焼いてくれている。


 それがこそばゆかった。同時に、彼女は昔と何もかわっていないと思った。そして、自分自身も昔のままだと実感した。


 チョコチップ入りのマドレーヌを食べ尽くした。それから、お茶も飲みつくした。


 もっとお代わりを、という彼女に丁重に断った。


 それはそうでしょう?


 だって、側妃のわたしが、正妃である彼女に挨拶に来ただけなのに、これ以上スイーツやお茶を食べたり飲んだりしたらみっともなさすぎる。


「せっかく久しぶりに会ったんですもの。いろいろお話したいわね。だけど、先に伝えたいことがあるの」


 いよいよね。


 切り出されてしまった。


 自然と身構えてしまう。姿勢を正していた。そこでやっと、彼女と視線を合わせた。


 おもわず息を詰めてしまった。もちろん、そうとはわからないようにだけれど。


 鼓動が早くなり、額や背筋に汗が浮かんできた。


 それらは、わたしの身体の不調などからきているものではない。彼女の様子にショックを受けたからである。


 顔色が悪いだけではない。なんというか、人相? 雰囲気? とにかく違うのである。美しいのは美しい。それにかわりはない。以前よりもはかない感じがする分、何とも表現の出来ない美しさのようなものが備わっている感じがする。


 それとは別に感じる。


 あきらかに何かがおかしい、と。


 はっきり言うと、死んでしまうのではないの? という死相のようなものが表れている気がしてならない。


 息をつめたのを隠すだけでなく、驚きと不安の色も隠さねばならなかった。


「ええ、王妃殿下。ですが、どうか昔の『やんちゃ坊主・・』の数々の武勇伝だけは勘弁して下さい」


 だから、わざと笑顔を作って冗談を言った。


「やんちゃ坊主・・」というのは、子どもの頃のわたしの素行に呆れ返った大人たちがつけたあだ名である。


「そうね。だけど、あなたの武勇伝はどれも楽しいものばかりよ」

「そうでしょうか?」


 王宮の森でハチに追いかけられて刺され、顔や体がパンパンに腫れあがったとか?

 王宮の池にいる魚を素手で捕まえ、それを焚き火で焼いたけど生焼けでそれを食べてお腹を壊したとか?

 エミールを木の枝につるしたままさっさと宮殿に戻ってとっとと食事をしたこととか? しかも大人たちがエミールを慌てふためいて捜すのを、笑ってみていたこととか?


 自慢ではないけれど、武勇伝は数えきれない。


 とても今日中には語りきれないわ。


「メイ、あなたに陛下の子どもを産んで欲しいの」


 武勇伝を思い出していると、彼女はそう言った。


「王妃殿下……」


 彼女にどういうことなのか尋ねようとしたけれど、無言の圧に負けて言葉を呑み込んだ。


 いいえ。どういうことなのかはわかっている。


 意志に反してとか無理矢理とかは別にして、わたしが側妃として呼び戻され、エミールから「子を産むだけの女」認定された。

 

 ローズは、そのことを言っているのだ。


 それは、充分わかっている。


 わたしが知りたいのは、真実である。


「どうしても無理なの」


 黙ってきいているしかない状況で、彼女は続ける。


「陛下のことが、彼のことがどうしても受け入れられないの。いいえ。これは語弊があるわね。おたがいに、と言った方がいいかもしれない。わたしもだけど、彼もわたしを受け入れようとしてくれないの。この三年間、おたがいにがんばったわ。正直なところ、愛などなくてもかまわない。わたしは、彼の子を産めばいいだけのことなのだから。そして、彼もわたしに産ませればいいだけのこと。だから、二人ともせめて夜のほんのひとときだけでもすごそうと努力はしたの。だけど、神様はお見通しなのね。おたがいに身も心も捧げあっていないし想いあっていないから、うわべだけ結びついても出来なかった。そして、二人ともがんばることすら出来なくなってしまった」


 周囲やおたがいや自分自身……。


 この三年間、二人はどれだけのプレッシャーに耐え忍び、戦ってきたのか。


 わたしには到底わかるはずがない。


 わたしには到底耐えられるわけがない。


「メイ、覚えている? わたしの『あの方』のことを」

「ええ、もちろんですとも」

「『エローの悲劇』のことで諦めなければならなかった。自分の中では、これで想いに終止符を打ったつもりだったの。だけど、ダメだった。想いは、勝手にふくらんでしまう。ダメだと自分にいいきかせ、忘れようとすればするほど、ますます大きくなってしまう」


 彼女の美貌には、ハッとするほど悲し気な表情が浮かんでいる。


「想いを募らせすぎたのね。痩せてしまったでしょう? 顔色も最悪じゃないかしら。もっとも、陛下はまったく気付きもしないけれど。最近、陛下は公式の場ですらわたしに『同道しなくていい』と言うから、顔を合わせることもないの」


 彼女は、小さな溜息をつきつつ視線を彷徨わせた。


「メイ、来てくれてありがとう。あなたが来てくれたから、いつ離縁されてもいい。お父様も戻って来いとおっしゃってくれているし、早々に離縁を申し渡されて実家に戻りたいわ」


 彼女は視線をこちらに戻してから、つぎは大きな溜息をついた。


「お、王妃殿下、いくらなんでも離縁などと……。陛下とわたしの間には愛などありません。もちろん、これからもあるわけがありません。だいたい、呼びつけておいて『愛することはない』とか『子を産むだけの存在だ』とかエラソーなことを叩きつけてくるなんて、何様よって言いたくなります。ああ、そうでした。国王ですよね。それでもやはり、許せません」

「まあっ! あなたたち、あいかわらずなのね」


 彼女は笑いだした。心の底から笑っている感じがする。


 微妙だけど、彼女が元気に笑っているのを見るのはうれしくなってくる。


「だけどね、メイ。もう決めたことなの。身勝手なことはわかっている。あなたや陛下や多くの人たちに迷惑をかけるし、混乱させてしまうということもわかっている。それでも、わたしはワガママを通したいの。もううんざりだし、疲れてしまっているから。実家に戻り、「あの方」を想い続ける。そういう生活が、わたしにはあっているの」


 もったいない。もったいなさすぎる。


 彼女は、王妃になったことですっかり変わってしまったかと思っていた。傲慢で思いやりの欠片もない、イヤなレディになっているのかと。だから、この場で蔑まれたり嫌味を言われるかと思っていた。


 その為の覚悟をしていたのに。


 だけど、彼女はまったく変わっていなかった。


 昔のまま、やさしく思いやりのあるレディだった。


 これならいっそ、イヤな奴に変わってくれていたらよかったのに。


「メイ、お願いね。わたしに「あの方」がいるように、じつは陛下にも『あのレディ』がいるの。陛下とわたし、そういう意味では似たもの夫婦だったわけね」

「陛下に『あのレディ』ですって? いったい、だれかしら?」


 貴族令嬢をあれやこれやと脳裏に思い浮かべてみるけれど、該当しそうなのはローズくらいである。


 もしかして、他国の王侯貴族のレディ?


 それでもやはり、ローズほどのレディはいなさそうだけれど。


「まったくもうっ! 王妃殿下にこんな思いをさせるなんて、陛下はバカです」


 たとえ他に好きな人がいるとしても、レディを悲しませるようなことはすべきではないわ。


 ローズは自分が悪くて自分から王宮を去ると言っているけれど、ほんとうはエミールが悪くて彼女を邪険にしているに違いない。


 彼女は、きっと離縁はしたくないと思っている。それでもエミールの意志を尊重し、なおかつ彼を立てて彼から離縁されようとしている。


 こんなやさしくて思いやりのあるレディを逃すことは、エミールだけでなくこのアルエ王国にとって多大な損失になる。


「おれがなんだって?」


 そのとき、背後で声がしたから驚いてしまった。


「エミール、あ、いえ、陛下? 驚かさないで下さい」

「メイ、やはりここだったのか。まだ話があったのにとっとと出て行ってしまうなんて、あいかわらずせっかちだな」


 エミールである。


 東屋の段を軽快に上がってくると、両手を腰にあててエラソーにのたまった。


「陛下」


 ローズがさっと立ち上がり、ドレスの裾を持ち上げ挨拶する。


 さすがよね。


 その優雅さにほとほと感心してしまう。


「あ、ああ、ローズ」


 エミールは、急にしおらしくなった。


「よかったですわね、陛下。メイが快く王宮に戻ってきてくれて」

「きみのアドバイスのお蔭だよ、ローズ」


 彼は、わたしの方へと手を伸ばした。


 なんのつもり?


 その手の届かないところにさりげなく移動した。


「おい、なんだよ?」


 エミールは、それに気がついた。急につっけんどんな様子にかわった。


「その手よ、手」

「手? ああ、手持無沙汰だからおまえの尻でも叩いてやろうと思っただけだ」

「まるでガキね」

「なんだと、この『やんちゃ坊主・・』!」

「ちょっと、エミール」


 護衛はついてきていないみたい。


 それを確認してから言葉を続ける。


「さっきは人がいたし久しぶりだったから、しおらしく『国王に逆らえず無理矢理召しだされた伯爵令嬢』を演じたけれど、それにも限界があるわ。しょせんわたしはあなたの道具なんでしょう? 子を産む為の道具。そんな道具に絡んでこないでちょうだい。それとも、あなたは道具にいちいち話しかけたりムダにさわりまくったりするわけ?」

「なんだと? おまえが道具だって? 道具だったら、それだけペラペラぎゃあぎゃあ騒がないだろう? おれだって、さっきはそれっぽく演じていたんだ。本来なら、もっと言ってやりたかったさ」

「言ったわね。この泣き虫王子っ! あなたのアレをつかんでひっぱってやる」

「はあああああ? おまえ、おれをだれだと思っているんだ? 国王だぞ、国王。それをアレをつかんでひっぱるなどと、不敬罪どころか反逆罪だぞ」

「あら、ごめんなさい。国王陛下、そうよね。ひっぱることが出来るほどのモノじゃないかしらね」

「こ、このお転婆でワガママで態度の悪いクソ女っ」


 おたがい、胸元をつかみあっていた。


 例の「エローの悲劇」が起こる前まで、ケンカがエスカレートしてしょっちゅう取っ組み合いのケンカになっていた。


 いままさに取っ組み合いになりそうになったとき、ローズの笑い声が耳に飛び込んできた。


「二人ともほんとうに、ほんとうにちっともかわっていないのね」


 彼女の美しい、だけど血色の悪い頬が涙で濡れている。涙がでるほど笑っている。


 ほんとうに楽しそうに。


「子どもの頃に、いいえ、三年前の『エローの悲劇』が起こる直前に戻ったみたいですわ。あの頃、ほんとうにしあわせでした。二人のケンカっぷりには、いつもハラハラどきどきさせられました。だけど、二人とも理不尽なこととか無茶なことばかりを言い合っているのにまったく気が付いていなくて、それが面白くもありました。そして、うらやましくも……。陛下、これでわたしは用済みになりました。以前、打ち合わせました通り数日はこれみよがしにメイを寵愛され、その後わたしに離縁を申しつけて下さい。そうしましたら、わたしはその日のうちにミドル公爵家に戻らせていただきます」


 彼女は笑いをおさめ、そういっきに告げると席を立った。


「メイ。あらためて、王宮に戻ってきてくれてありがとう。わたしにかわり、陛下のことをよろしくね」


 そして、こちらが口を開くまでに優雅に礼を施し、去って行った。


 その彼女の気高い後ろ姿を、エミールとともにただ黙って見送った。



「ほら、メイ。おまえの好きなチョコチップクッキーだ」

「メイ、おまえの好きなチョコチップ入りパウンドケーキだ」

「メイ、これは特製のシチューだ」

「いいにおいだろう? 大鳥の丸焼きだ」

「ほら、食ってみろよ。これは、おれが釣った大魚をおれが煮込んだ大魚の煮込みなんだぞ」


 エミールは、過剰なまでに絡んでくる。というよりか、べたべたとくっついてくる。


 しかも食べ物でつろうとしている。

 それで結局、食べ物につられてしまう自分が情けなさすぎる。


 王都を離れるまでも粗食に耐えていた。だけど「エローの悲劇」後の三年間は、よりいっそう粗食に耐えていた。


 王宮やローズのミドル公爵家でご馳走になることがなくなったからである。


 それに、テーブル上に並べられているスイーツや料理の数々をムダにするわけにはいかない。


 ということは、イヤでも食べなければならない。


 という大義名分は別にしても、鼻先に食べ物をぶら下げられれば完食する。食べられるときに食べておく。これが、物心ついたときからのモットーなのである。


 食べ物だけではない。エミールは、なにかとわたしにまとわりつきまくってくる。だから、周囲にはわからないよう邪険にしたり逃げたりしている。だけど、彼はまったくへこたれない。


 彼は彼でローズとの約束を守る為に、わたしはわたしでローズに気を遣って、それぞれの思惑でそれぞれ行動している。


 いずれにせよ、結局はケンカになる。いっしょにいなかった三年間分、怒りをぶつけあい殴りあったり罵りあったりしてしまう。


 そして、疲れたらなんとなく黙って寄り添いあう。ただ、寄り添いあうのだ。


 これが、わたしたちの子どものときからの習慣なのである。


 結局、ローズには会えなかった。

 王宮に戻ってきて最初の日に会って以来、彼女にどれだけ面会を申し込んでも拒否されてしまった。


 そして、わたしが王宮に戻ってきてから十日ほど後、エミールはローズに離縁を言い渡した。


 ローズは、ひっそりと王宮からいなくなっていた。



「どうして離縁なんてするのよ。ローズは正妃でしょう? 子どもがいなくても、正妃のままで問題ないわ。他の国だって、側妃が産んで正妃が育てるなんてことあるじゃない」


 このときばかりは、怒り心頭でエミールを責めた。


「おれも彼女に『離縁まではする必要はない』と何度も言った。しかし、彼女は離縁してくれと譲らなかった。おれは、彼女によほど嫌われていたらしい」


 エミールは、美貌を曇らせつぶやいた。


 その彼の真剣で困り果てた様子を見、いくら体裁を整える為とはいえ好きでもない人と夫婦でい続けるのはむずかしいのかもしれない、とあらためて気が付かされた。


 同時に、ローズは強いとも思った。


 ふつうは、自分自身の矜持やミドル公爵家の立場を守る為に国王からの離縁は避けたがる。


 たとえ愛されなくてもいい。お飾りでもいい。だから、離縁せず正妃として側においてほしい。


 正妃になったレディのほとんどが、正妃それに執着する。


 だけど、ローズは違った。お父様であるミドル公爵が理解があるから、ということもあるのかもしれない。


 とにかく、ローズは去った。


 王宮から正妃がいなくなってしまった。


 当然、そのあと正妃になるのは一人しかいない。そして、その一人は正妃の座に就きたいとはまーったく望んでいない。


 だから、エミールがそのことを打診しかけた瞬間、彼を頭ごなしに怒鳴り散らしてしまった。


「それらしきことについて言うのなら、このまま王宮を去って領地に帰るから」


 そう宣言をした。


 この宣言に関しては、エミールも納得してくれた。彼自身も、わたしをいますぐ正妃にしようなどとは思っていないのかもしれない。


 が、彼の執着っぷりは衰えをみせない。それどころか、ますますひどくなっていく。


 彼に文句を言ったり冷たくしたりしつつ、じつは彼といっしょにいることに安心しているし満ち足りている自分がいる。

 そのことを、認めざるをえない。


 以前もそうであったように。


 いつもそれに気が付かないふりをしていた。認めたくなかった。


 だけど、そろそろそのふりをやめて認めるべきなのかもしれない。


 そのことを、頭と心のどこかではわかってはいる。だけど、生来頑固でワガママで天邪鬼なわたしである。その気質が邪魔をしてしまうのだ。


 結局、執着心もあらわに絡んでくるエミールに、文字通り牙を剥いてしまう。


 しかし、そんな態度も唐突に出来なくなった。


 正妃が不在となってから三か月ほど後、ローズが亡くなってしまった。


 その日はめずらしく、朝から陽がやさしく地上を照らしていた。


 梅雨の時期で、宮殿内に閉じ込められてばかりいた。だから、その日は朝から宮殿内の森に遠乗りに出かけた。


 エミールもいっしょである。


 彼は、サンドイッチや葡萄酒や果物がいっぱい入った二つのバスケットを両腕にぶら下げて現れた。


 彼は、大食漢であるわたしの胃袋をつかみまくっている。


 彼は、国王でありながらみずから料理やスイーツを作る。


 子どもの頃から器用な彼の趣味のひとつが、かくいう料理なのだ。


 それだけではない。王領内から農家や酪農家を呼び寄せ、農作業や酪農を学んでいる。広大な宮殿内に畑や牧草地を作り、そこで農作物やウシやブタやヤギやヒツジやトリを育てている。そうして育てたいろいろなものを、みずから料理する。


 そして、その料理をわたしの鼻先にぶら下げるわけ。


 本能や理性が耐えることなんて出来ないわよね。



 王宮の森は広大で、池や小川もある。子どもの頃からのお気に入りの場所は、そんな森の中でも奥の方に位置する池の畔である。


 そこまで馬を駆けさせた。馬たちもひさしぶりのいい天気に上機嫌である。


 それぞれの馬にバスケットをくくりつけ、木々の間や草原を疾駆した。


 さすがにエミールと二人きりというわけにはいかない。近衛隊の一隊が、距離を置いてつかず離れずでついてきている。


 とはいえ、怒鳴ったり叫ばないかぎり彼との会話はきこえない。そして、肉眼ではやり取りを見られることもない。


 だから、二人きりですごしているのも同じことである。


 池の畔に到着し、お喋りしたり持ってきている小説を読んだり魚釣りをしたりボートに乗ったりと、ひさしぶりに思う存分楽しんだ。


 当然、サンドイッチや果物やチーズや葡萄酒もおおいに楽しんだ。


 お昼をすぎてお腹もいっぱいになり、陽の光を浴びていると眠くなってきた。草の上に大の字になってウトウトしていると、護衛の近衛隊の隊長の声がきこえてきた。馬の嘶きや馬具の音もきこえる。


 宮殿から使いの者が馬でやって来たのかしら。


 そう考えていると、まもなく隊長が年配の貴族を連れて現れた。


 その貴族は、よく知っている人である。


 彼を見た瞬間、ドキッとした。


 草の上で座ったまま彼を見上げ、彼が口を開くのを待った。


 すぐ隣で同じように彼を見上げているエミールの手を、無意識の内に握っていた。


 エミールもまた、何かを予感している。彼は、上の空で近衛隊の隊長に合図を送った。すると、隊長は一礼して去って行った。


「陛下、ご挨拶申し上げます」


 ミドル公爵、つまりローズのお父様は一礼した。


 昔、ミドル公爵家には頻繁に遊びに行っていた。彼には、ずいぶんと可愛がってもらった。


 いまの彼は、わたしの記憶の中の彼とはすっかり変わってしまっている。


 年老いたのならまだわかる。悲しみうちひしがれ、人生をただただ悲嘆している。そんな変わり方である。


 直視するのがつらい。


「メイ、元気そうだね。これは失礼。もうすぐ正妃になるのかな? 三年前、きみの手助けが出来なくてすまなかったね」

「おじ様、そんなことはどうでもいいのです」


「エローの悲劇」で、彼は最愛の一人息子を亡くした。そして最愛の一人娘を、国王に即位したばかりのエミールに嫁がせなければならなかった。


 あれだけお世話になったのである。わたしの方こそ彼とおば様の側にいてあげなければならなかった。


 だけど、あのときはだれもが自分と家族のことで精一杯だった。まったく余裕がなかった。


「陛下。娘が、ローズが亡くなりました」


 予期していたとはいえ、彼のその一言は重すぎた。けっして言ってほしくなかった一言だった。


 静かすぎる。つい先程まで、小鳥たちのさえずりや魚が跳ねる音がしていたのに。いまは、この世から音という音がなくなってしまったかのようにまったく音がしない。


 それとも、わたしの耳がきこえなくなってしまったのかしら。


「誠に恐縮ながら、ローズの意向で陛下とメイに伝えるのはすべてが終ってからということでしたので」


 ローズのお父様は、視線を合わせようとしない。目を地に落としたままで伝え終えた。


 エミールの手を握るわたしの手が震えている。いいえ。わたしの手だけではない。エミールのそれも震えている。


「こちらを……」


 ローズのお父様は、正装用のジャケットの胸ポケットから封筒を取り出すとエミールに差し出した。


「陛下とメイにと預かっております」


 ショックを隠しきれないエミールは、かろうじて手を伸ばした。そして、それを受取ろうとした。


 ポツリ、ポツリと大粒の涙が落下していく。ローズのお父様の涙が、封筒を濡らす。


 彼女の繊細できれいな文字がにじんでいく。


 宛名は、エミールとわたしになっている。


「も、申し訳ありません」


 ローズのお父様の涙声をきいた瞬間、不覚にも涙腺が崩壊してしまった。


 一人息子に続き、一人娘を亡くしたローズのお父様とお母様の悲しみや苦しみははかりしれない。


 とぼとぼと去って行く彼の背中は、小さく打ちひしがれていた。



 封筒を開け、手紙を読んだのはエミールである。


 そこには、エミールとわたしへの謝罪と願いが認められていた。


 エミールの為、王家の為、ひいてはアルエ王国の為、せめて一人だけでも子どもを産みたかった。それが出来なかったばかりか、一年前に余命宣告を受けた。それでなくても、子ども一人産めるだけの体力があるかどうか自信がなかった。それなのに、余命宣告を受けてしまった。


 これ以上希望や期待を持つことは、だれにとってもいいわけはない。


 だから、わたしを捜しだして王宮に戻ってもらい、側妃にすればいいとエミールに進言した。


 余命宣告のことを言えば、エミールもわたしも同情する。同情だけはされたくないので、そのことは伏せておいた。


 そうして、わたしがやって来た。だから自分は、エミールをわたしに託してひっそりと王宮から去った。


 そして、実家で両親と最期のひとときをすごし、死ぬことになる。


 エミールは、それらのことを淡々と読んだ。


 そうしないと、泣いてしまうからに違いない。


「どうしてもローズを抱けなかった。一度も抱かなかったんだ」


 エミールは、手紙を読み終えた後苦しそうに言った。


「頭ではこれは王家の為、王国の為なのだとわかっている。だが、どうしても出来なかった」


 わたしたちは、池の畔で文字通り膝を突き合わせている。


「ローズは、彼女は最高のレディだ。美しくてやさしく、賢くて万事そつがなくて。貴族令嬢というだけでなく、王妃としてどこにだしても恥ずかしくなかった。実際、外交でどれだけ鼻が高かったことか。だが、やはり違った。王妃としては完璧で、おれにはもったいないくらいだ。しかし、妻として、愛する伴侶としては違ったんだ」


 彼の碧眼は、まっすぐこちらを見据えている。


「おれの妻は、愛する伴侶は、この世にただ一人だけだから。それは、ローズではない。メイ、おまえだ」


 心臓が震えた。


「彼女をおまえに見立て、抱いてみようとも思った。だが、そんなこと出来るわけがない」


 小さくうなずくことしか出来なかった。


 ふと彼の手にある手紙に目を落とした。


 最後の数行は、わたしへの伝言のようだ。


 そっと彼の手から手紙を取った。それから、その最後の数行に目を走らせた。


「メイ。あなたは陛下だけのもの。そして、陛下はあなただけのもの。あなたは、しあわせにならなければいけないの。その為には、陛下が必要よ。口論をしながらでも取っ組みあいのケンカをしながらでも、あなたたちは二人でいなければならない。わたしにかわって、陛下のことをお願いね。あなたは、陛下と子どもたちといっしょにしあわせになれるから」


 涙が溢れ、視界がぼやけてしまった。


 このとき初めて、彼女の「あの方」の正体を知った。


 彼女が子どもの頃からずっと恋い焦がれていた存在が、だれかを知ってしまった。


「メイ、すまなかった。あの『エローの悲劇』のときこそ、おまえを守らねばならなかった。おまえに寄り添わなければならなかった。それなのに、おれはことごとくしなかった。何もしないまま、何も出来ないままでおまえを失った。言い訳はしたくない。だから、チャンスがほしい。おまえを守り、大切にし、心から愛するチャンスを」


 エミールは、膝を進めてにじりよってきた。その彼から手紙へと視線を落とす。


 そんなこと、何も気にしてなんていない。あのときはだれもが混乱し、打ちひしがれていた。とくにエミールは、国王である父親を亡くした。彼は、だれよりも大変だった。


 彼はすべての感情を封印し、王国の為、多くの人々の為に奔走したのである。


 わたしこそ、それを言い訳に彼を見捨てた。彼がわたしを必要としているときに、なけなしの領地へさっさとと去ってしまった。


(チャンスを与えてもらわねばならないのは、わたしの方だわ)


「陛下、覚悟は出来ているの? 毎日がハードなケンカになるわ。公私問わず、あなたのすることなすこ批判したりちゃちゃをいれたりするのよ。わたしは、ローズのように美しくも聡明でもないしやさしくもなければ気遣いや機転もきかせられない。そんなワガママでお転婆な『やんちゃ坊主』で、ほんとうにいいのかしらね? その覚悟が出来ているのなら、チャンスをあげてもいいわ」


 ローズ、ごめんなさい。心から謝罪をさせてちょうだい。


 素直ではない上に可愛げのないわたしには、これが精一杯の愛情表現だわ。


 ふと真っ青な空を見上げた。


 ほんとうにいいお天気だわ。


「覚悟なら大丈夫だ。出来ている。ローズのお蔭で、おまえにプロポーズする勇気が持てた」

「あら、そうなの。彼女がいなければ、一生しなかったわけね」

「なんだって? いまのは、たとえ話じゃないか」


 正座状態だった彼が立ち上がろうとした瞬間、こちらに倒れこんできた。


 油断したわ。押し倒されるなんて、わたしも焼きが回ってしまったのかしらね。


「ちょっと! 真昼間に、しかも外でなにをするのよ? あなた、あっちの方もアウトドア派なの?」

「ち、ちが、違うっ! だんじて違う。足が、足がしびれたんだ。しびれてバランスを崩したんだ。そもそも、野郎おとこみたいなおまえをこんなところで抱きたいなんて思うか? それこそ、心の準備と雰囲気を作らないと、ぜったいにそんな気にはならない」

「なんですって? ふんっ! どうだか。豆粒みたいなアレの持ち主が、ずいぶんとデカいことを言うようになったのね」

「ああああああ? いったいいつの話をしているんだ。いまは違うぞ。なんなら見てみるか?」

「この露出狂っ。だったら、護衛の近衛隊の隊員たちに見せて、どんなものか尋ねてみたら? ほんっと、ちょっとの話を盛りまくるんだから」


 ローズ、ほんとうにほんとうにごめんなさい。あなたに謝罪してもしきれないわ。


 この調子なら、いったいいつ子どもが出来るのかしらね。


 彼女は、きっと可笑しくて笑っているわね。それとも、苦笑しているかしら。


 ローズのやさしい笑みを思い出していると、あろうことかエミールがそのままおおいかぶさってきて、唇を重ねてきた。


 彼を殴りつけたり蹴り上げるようなことはせず、しばしそのままでいた。

 たぶん、わたしもイヤではなかったからかしらね。


 おそらく、だけど。


 ローズ、訂正しておくわ。


 予想よりもちょっとだけ早く、あなたに見てもらえるかもしれない。


 エミールとわたしの子どもたちを……。



                                  (了)

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― 新着の感想 ―
[良い点] ローズの献身 [気になる点] ヒーローは冒頭から無神経で鈍感な屑男で終始一貫しており、更に主人公がヒドイン過ぎてヘイトが高過ぎて無理でした。 これまでの経緯を知りローズの憧れの人の正体にも…
[一言] 正妃に迎えておきながら夫婦の務めもろくに果たさず、正妃を悲嘆にくれさせたまま体良く追い出して死に追いやって、自分は愛を貫いたと言い訳する王様。 憧れの人(感想欄見て初めて知りました)と結婚で…
[気になる点] うーん、作者さんが意図したのとは違うかもしれないけど、読んでみるとこのお話は死にゆくローズの国と友と初恋への献身がお話しの屋台骨になっているので、冒頭の王の宣言は実はお話の核には大して…
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