13
自室。
昨日は夕食も食べずに朝までぐっすりだったので眠気はない。
気力も体力も充実している。
想いも十分だ。
今日なら書けそうな気がする。
あらためて、藤咲さんのことを好きになれたし。
また一つ、藤咲さんのいいところを発見できたし。
今日なら、いくら筆不精のぼくでも、藤咲さんを納得させるようなラヴなレターを書くことが出来るのではないだろうか。
そう思って午後四時に書き始めたラヴなレターは、けれど、夜九時をすぎても書き終わらなかった。
いけそうだと思ったんだけど、しゃべることも書くことも苦手なぼくには、想いをことばにするってのは、やはり、存外難しいことだった。
「コーヒーでも飲むか」
一階に降り、コーヒーの入ったカップを手に戻ってくると、テレビをつけて休憩する。
テレビの中では、ぼくたちと同世代ぐらいだろうアイドルの女の子が歌って踊っていた。
可愛い。素直にそう思う。
――藤咲さんの方が、断然。
いや、画面の中のアイドルの子も十分可愛かったけれど、それでも、藤咲さんにはかなわない。
ならば。
行くべきなのだろう。
藤咲さんは。
この、16:9の長方形の向こう側の世界へと。
ぼくは、藤咲さんを、信じて送り出さなければならない。
それが、ぼくに残された、たった一つの使命なのだから。
翌日、お昼。
例によって例のごとく。
犬丸さんの策略によって藤咲さんとふたりきりになったぼくは、
「あの、これ」
彼女へ渡した。
思いのたけをしたためたラブレター。
たぶん、ぼくはもう、この先、この手紙よりも真剣に文章と向き合うことはないだろう。
「ありがとう」
礼をいって受け取った彼女は、ゆっくりと、封筒から便箋をとりだし、読み始める。
ごくりっ、と喉を鳴らすぼく。
この手紙には、ぼくのことだけじゃない、彼女の未来もかかっている。
正直、これ以上は、もう無理ってくらいのものを仕上げたつもりだ。
これで納得してもらえないなら――――藤咲さんの芸能界デビューはおじゃんだ。
そうなってしまったら申し訳ない。
……まぁ、いざとなれば、ラヴなレターのことは関係なくデビューするのかもしれないけど……藤咲さんの性格を考えれば、それはたぶん、ものすごい屈辱なんだろうな、って。
ぼくが書いた手紙を読む藤咲さん。
視線が、左から右に流れ。
そしてまた、左へともどる。
そうした作業を何回か繰り返し――ふと、彼女の口元が、ほころんだ。
それは、芸能界がどーのこーのとか、彼女を納得させるラブレターを書かなきゃいけないとか……そんな感じのことがどうでもよくなるくらい、魅力的な笑みで。
「あっ」
けれど、その顔が、きょとん、と。
彼女の手から、便箋を奪い取る手があった。
小さくて、おかっぱで、メイド服を着ている彼女は……
「犬Q?」
だった。
犬丸さんは、眉を八の字に曲げ、手紙を忌々し気に見つめてから――
「ああっ」
ビリビリと真一文字に引き裂いていた。
増えた紙を重ねて、二度、三度。
跡形もないほどに小さく破られた紙は、風に乗って、いずこかへと。
……あー、なんてことを。
「い、犬Q、あなた、なんてこ」
「ダメです」
藤咲さんのことばをさえぎり、犬丸さんは、
「こんなの全然ダメです。こんなしょぼい文面ではとてもお嬢様の心を動かすことはかなわないのです」
腰に両手をあてて、偉そうにそういった。
藤咲さんはしばらくあっけにとられていたけど、やがて。
こけしの頭をなでなで。
「よくやったわ、犬Q。たしかにそのとおりよ。全然ダメ」
ほめられたこけしは、むふー、と上機嫌。
藤咲さんはぼくへと視線を向け、
「それなりに心にぐっとは来たけど……まだまだこんなものじゃあ私の心を動かすにはいたらないわね」
「は、はぁ……」
「私の本当の魅力をまだまだ分かってもらえてないのかしら?」
口元に人さし指をそえてそういって。
「まぁいいわ。これからじっくりと時間をかけて……ぜっっっっっっったい私に惚れさせてみせるんだからね!」
そういって、犬丸さんと手をつなぎ、弾むように校舎へともどってゆく彼女の後ろ姿を見送りながら、ぼんやりとぼくはつぶやくのだ。
「いやぼくはもう、とっくに藤咲さんのことが大好きなんですが……」