斑目さんとキヌコさん
虎鉄の父親である斑目、不思議な蜘蛛の糸を織るキヌコのお話。
「あぁー......腹いっぱい、幸せだー...」
賢人が満足そうに腹をさする。
「それはよかった。ねぇ、ここに来たついでに、蔵にちょっと付き合ってくれないかな?ここの隣の棟。」
「全然いいよ。セナの行きたいとこどこでも着いていくよ。」
「......そういう事サラッと言えるあたり俳優だねぇ。」
「....?」
「言う言葉も男前だねってこと。じゃあ、いこか。」
まだよくわかってないながらも、少し照れながら席を立つ賢人。
老人たちに挨拶をし、食堂をあとにした。
この食堂は養老棟にある。「蔵」と呼ばれる棟は真ん中にあり、中には色んな施設がある。ここがドームの中心部であり、島の重要な施設だ。
蔵には資料室と呼ばれる大きな部屋があり、そこにはこの島の古くからの歴史的価値のある物や書物に加え、外の世界の物もいくつか揃えられている。
島から出られない島民たちにとって唯一の娯楽だった外の世界の本や音楽、映画のディスク、ゲームなどだ。古い機械が今でもちゃんと動くのは、きちんとメンテナンスされているからだろう。
映画の棚からいくつかのディスクをセナが持ってきた。パッケージには主演である大物俳優が載っていた。
「賢人、このひと知ってる?」
「知ってるも何も!海原晃治、大御所の俳優じゃないか。大先輩だよ。まだお会いしたことは無いけどね...亡くなられた奥様も大女優だよ。」
「...この人ね、玉藻さん姐さんのお父さん。女優の風丘しほりさんはお母さん。」
「え!ぇええええええっ!!!...いや、あれ、そう言われてみれば確かに似てる。風丘しほりさんと。でも、外で生まれたマダラの子は...」
「うん、本当の親とは関わりを持っちゃいけない、名前も島でつける、お互いの事は何も知らされないし、探してもいけない。...だからなのかもしれないけど...」
「.....?」
「私たちだけかもしれないけど、島の外で生まれたマダラの子は、幼児期健忘が無いままなんだ。全部覚えてる。両親の顔も、何を話してたかも。ここへ来た時の事も全部。きっといけない事だろうから、誰にも内緒にしてたんだ。」
「...だから、玉藻さんも覚えてたんだ。」
「うん。ここでも映画やテレビは観られるから。」
「...そっかぁ。」
「ここへ連れて来る時にね、お父さんが言ったんだって。どうか穏やかに、誰よりも一等幸せでいてくれって。「ナギ」って名前をつけたかったって。」
「海の「凪」かな...?」
「そうかもしれんし、違うんかもしれんけど。確かめられんからねぇ。」
「だから、もしね。もし、賢人がいつかこの人とお仕事を一緒にすることがあったら、玉藻さん姐さんに知らせてあげて。ファンレターを渡してやってほしいの。図々しいお願いだけど、頼んでも...いいかな?」
「ええ!いや、それは構わないけどさ、こんな大御所と一緒に出来るなんて、本当何年先になるかわかんないよ?一生ないかもしれないし...いや、頑張るけどね?頑張るよ!玉藻さんのファンレター渡せるように俺も頑張るよ!確実にはいかないかもしれないけど、そんときはどうにかしてでも渡して貰えるようにするよ!....でも、セナじゃなくて玉藻さんに直接知らせるんだね?」
「...うん。私、携帯電話とかパソコンとか持ってないからさ。」
「...そっかぁ、わかったよ。俺の連絡先教えとくから、玉藻さんに渡しておいて。」
「...ありがとう!賢人!よろしくお願いします!」
セナは賢人に深々と頭を下げた。
「大袈裟だよ、そのくらい全然いいよぉ。」
「賢人は本当に優しいね、ありがとう。」
「いやいや、ファンを大事にするのも大切ですから~」
「賢人のファンじゃないけどねぇ~」
「あ~...、そうでしたー(笑)」
くだらない事で笑い合う2人。せっかくだからと、資料室の中の古い物を見て回った。目に付いた物を片っ端から「これは何?」と質問する賢人に、セナはひとつひとつ丁寧に説明した。
「セナ、この糸はなに?セナもこれで織物作ってるの?」
そう言って指さしたのは、天井から吊り下げられた半透明の糸の束。神社のしめ縄のように纏められている。
「それは、キヌコさんの蜘蛛の糸。」
「え!?これ...蜘蛛の糸?!」
「マダラ島にしかいない蜘蛛がいてね、とても丈夫な蜘蛛の糸を出すの。それはくっつかない糸。織物にしたり、釣り糸や網にしたり道具になる。もう1つ、くっつく糸があるんだけど、賢人。ここに来る時に橋を渡ってきたよね?」
「うん、橋の下のロープウェイで。」
「あの橋の煉瓦は全部、この蜘蛛の糸で繋いでいるんだよ。」
「.....まじか」
「うん。接着剤とワイヤーの役割?かな。煉瓦を1つずつこの蜘蛛の糸で編み込んでくっつけて、繋げてるんだよ。」
「....はぁ~!こんな細い蜘蛛の糸でそんな事が出来るんだ、すっげぇぇー!セナの染めてる織物にも使ってるの?」
「ううん、それはもうロストテクノロジーなんだよ賢人。だからここに保管されてる。」
「もう、作れないってこと?蜘蛛が絶滅したとか?」
「ううん、蜘蛛はそこら辺にいるよ。ただ、蜘蛛の主だったキヌコさんが亡くなってから、誰も蜘蛛の主になれてないんだ。私でもダメだった。蜘蛛は自分達が認めたたった1人の主の言う事しか聞かないの。次の主がいつ現れるかもわからないし、今はロストテクノロジーって訳なんだ。ここに保管されてるものはほとんどそう。後継者がいなくなった物ばかり。いつか次の後継者が現れるまで、ここで大切に資料として保管してるんだよ。」
「なるほどなぁ....ちょっと身につまされる想いだよ。」
「...なんで?」
「俺も、じいちゃんの鍛冶屋を継がずに俳優やってるしさ。」
「それはここでも同じ。みんなやりたい事をやる。無理してやる必要は無いから。だからその中でどうしても余ってしまう物もある。だけどいつか、それに興味を持って、もう一度やってみようって人が現れるかもしれない。100年前に1度ロストテクノロジーになってしまった染物を復活させようとしてる私みたいにね。」
「あの青い染物、そんな凄いものだったんだ!」
「まだまだ、完全には復活出来てないんだ。悔しいけど....時間が無いのになぁ。」
「どうして時間がないの?コンクールとか?」
「イ空がなんか言ってたでしょ、私はダメだとか。」
「ああ、うん。なんか言ってたね。」
「私、もうすぐ消えちゃう。たぶん。」
「.....消えちゃうって、え?どういう...」
「生け贄って言うのが正しいかはわからないけど、外の世界でも似たような事があるでしょう?少し意味合いは違うけれど...」
セナは賢人にも分かりやすいように、少しずつ説明した。この島の民と、この星と、神々との約束を。
この島の民は、この星を見守る管理者として神々が創った者たちなのである。この星の全ての生き物たちの均衡を保つために、この恵み豊かな島と、彼らに知恵とその類まれなる技術を持った手を与えられた。
そしてもう1つ、この星そのものと言われる女神セドナを祀り、そのセドナが生きていく為に必要なエネルギーとなる「セドナの娘」を大切に守り、育て上げるため、この島は「黄泉渡り」と呼ばれる光で外の世界から分断され護られている。黄泉の国と命を繋ぐクリカイと、命の源であり母である女神セドナが彼らにとって絶対的な存在なのだ。海にいるイルカのようなクジラのような生き物のセドナは、彼女の化身だと言い伝えられ大切にされている。「セドナの娘」だけが、あのセドナの台座に乗ることが許されているのだ。
セドナがエネルギーを必要としたその時に、セドナの娘はその体と魂を分解され食われる、まるで消えていくように。それがいつになるかはセドナ次第である。何故、娘だけなのかはよくわかっていないが、セドナ自信が女性であり、いつも海の底深くにいるセドナは太陽のエネルギーを必要としているのかもしれない。古来より女性の体には太陽があると言い伝えられてきたからだ。
「セドナの娘」は必ず外の世界で生まれる。表沙汰にはされていないが、外で生まれたマダラの子が本当の両親との関係を絶たれる理由の1つはこれにある。
親や本人にとっては酷な話ではあるが、全ての生き物は何かを食べなくては生きていけない。この星も同じく、生きているのだ。この大きな星の命ひとつを数十年維持するために、この小さな命ひとつで済むよう創り出したのもまた神々の御業でもある。
だが太古の昔にいくつもあった神々の子らの島のほとんどが滅び、海の底へと沈み、今やこのマダラの島ひとつとなってしまった。
与えられたこの知恵と技術に欲を出し、この星の神になろうと思い上がった愚かな者たちは、ことごとく滅んでいったのだ。あくまでも、神が創り出した者たちであり、神では無い。神にはなれないのだ。それは猿が人間にならないように、明らかに違うものなのだ。
この与えられた物は、この星を守り、セドナを護る為のものであり、私利私欲を満たす物ではないのだ。
こうして最後の島となった今、「マダラの娘」を数十年に1度差し出さなければならなくなっていたのだ。
「本当なら、もう少し猶予があったんだろうけど」
「...時間が無くなったの?」
「私の前に「セドナの娘」だったのは、この糸を作ったキヌコさんだったんだ。キヌコさんはセドナの娘の中では1番長ーく生きてたんだよ。...でもそれがいけない事だったんだ。」
「...?」
「キヌコさんの旦那さんの斑目さんが、キヌコさんが長くいられるように何かしてたみたいなんだ。呪いとかそんなような事を。それが、私達が絶対やってはいけない、それは神様の領域だったんだ。」
「斑目さんって....虎鐵さんの...お父さん..」
「うん、キヌコさんは虎ちゃんおいちゃんのお母さん。虎ちゃんおいちゃんの目の前で、消えちゃったんだって。」
「斑目さんは、どうなったの...?」
「神様の領域を侵した罰に不治の病になってね、キヌコさんが消えるまで長いこと苦しんで苦しんで。キヌコさんの後を追うように死んだ後も、魂は泉の底に沈んだまんまなんだ。クリカイさんも連れて行けなかったって。だから今もまだ、あの泉の底。」
「ああ、なんて酷い....」
「キヌコさんが長く生きてた分、私が生きられる時間が減っちゃうみたいでね。ババ様たちにもそう言われた。それでも18歳になるまでは生きられるからって。それからはもう、いつになるかわからない。明後日かもしれないし、1週間後かも。だから賢人に今、頼んでおこう!って…ね。」
「そんな....」
「だから、今彼氏が出来たっていつ消えるかわかんないし、お互い悲しいだけだし。イ空はそれを心配してくれてるんだと思う。私が悲しい思いしないように。ちょっとズレてる気がするけど。あの子なりの精一杯なんだと思う。だから許してね。」
「そんなの!全然...許すよ..でも...」
「なーんも変わらないまま、いつも通り暮らして消えてくんだと思ってたけどさ。まさか誕生日の直前にこんな出会いがあるなんて思わなかったよ!こりゃあ最後のプレゼントかなーって。いよいよ近いのかもしんないねー。」
「...なんで、そんな、平気そうなの?セナ。怖く、ないの?」
「.....平気なわけ、あるもんか。」
「......!!!!」
今の今まで笑顔で話ていたセナの顔がクシャクシャになって、大粒の涙が溢れ出し、セナは俯いてその場に座り込んでしまった。
賢人はハンカチを持って来ていないことに気づき、焦った様子でティッシュか何かないか辺りをキョロキョロ見回した。
映画など映像を再生する機器やモニターが置かれた棚の前のテーブルにティッシュ箱を見つけた。
箱を抱えて戻った賢人にティッシュを数枚手渡されると、セナはさっきより小さな声で話し出した。
「10歳になった時に大ババ様たちに言われたんだ。「セドナの娘」だって。大ババ様や島のみんなは私が赤ちゃんの時から知ってたんだって。物事がわかる年頃になったら伝えるんだって。これから思春期に入ろうかって時に酷いよね。
何度も思ったよ、なんで私なの?どうして他の人じゃないの?って。だけど、他の誰かがそうなっても嫌だった。だけど、割り切れなくて...。斑目さんのした事も、キヌコさんの為で...その結果...大好きな虎ちゃんおいちゃんが今いてくれる訳で...。だけど、なんで私の時間減っちゃうの?って。悔しいし、ムカつくけどさ、でも憎めないじゃん!文句も言えないじゃん!
島のみんな、優しくしてくれてさ、本当のお父さんお母さんみたいに、お兄ちゃんお姉ちゃんみたいにいてくれてさ。大好きなんだよ。もっと一緒にいたかった。でも私がこの役目から逃げたら、みんなが困る。わかってるけど、斑目さんがした事、やってみようかなって思ったこともあったよ。でもそれやったら、次の子はもっともっと時間が無くなる。18にもなれないまま消えちゃうのかもって。だから、やめた。
ずっと、ずっとね。諦めつかない気持ちと、私がやらなくちゃって気持ちが喧嘩しててね。ようやく落ち着いたのはここ1年くらいかな。抗うのはやめた。
だけどね、今でも時々思うんだ。朝、目が覚めたらどこかの違う誰かになってたらいいのになって。
ちょっとだけ、現実逃避?ふふふ。」
「あ〜ぁあ!なーにこんな事、よそのオジサンに話ちゃってんだろうね!関係ないのに。ごめんね。」
「そんな事ないよ!それに俺、よその知らないオジサンだけどさ。もうそろそろ知り合いのオジサンくらいにはしてくれてもいいんじゃない?」
「ふふふふ。それもそだねー(笑)」
セナの涙も乾き、賢人はホッとしていた。
「でもさ、どうせ食べられちゃうなら、島のみんなや賢人に食べられたかったな。そしたらみんなの体の1部になって、ずっと一緒に生きていけるのに。...とかキモい事考えちゃった。やだよね、私食べるなんて。そんな酷いことみんなにさせられない。ナシナシ!今のナシ!」
すると賢人がセナの顔の前に腕を差し出した。
「....じゃあ、俺を食ってみる?俺、食ったらセナの1部になって、消えても一緒にいけるんじゃなあかな...って。ん?あれ?なんか違うのか?」
頭がこんがらがってきた賢人が困惑していると、賢人の頬にセナが噛み付いてきた。
「痛いぃだいいだいいだいいだい!!!!!」
頬から口を離すと
「オジサンの肉、マッズ!」
と先をスタスタ歩いていくセナ。気のせいか、耳が少し赤くなっている。照れているようだ。
「ごめんなー(笑)オジサン肉不味くて。ここは美味いもんしか無いもんなー(笑)」
照れたセナに笑いを堪えながら、後ろをついていく。
「セナさ~ん、次はどこに連れてってくれるんですか~?」
「いいとこ!(怒)」
「わ~、たのしみ~(笑)」
そうして2人はドームをあとにした。
その頃、橋では異変が起きていた。たくさんもの国軍の車が行列をなして、橋を渡ってきていたのだが、この時はまだ知る由もなかった。