案内人のクリカイさん
島の主要施設、ドームと
不思議な男クリカイさんのお話。
夜が明けた。昨夜そのまま寝てしまった賢人は、急いで身支度を整えた。ドライヤーもかけずに寝たせいか、寝癖がなおらなくて焦る。始発のロープウェイが出る時間が迫っていた。少し跳ねている後ろ髪をそのままに、財布とスマホだけを持ってホテルを飛び出した。まだ外は薄暗い。
ロープウェイに乗り込むと、先客がいた。観光地に似合わぬスーツ姿の初老の男。少し気になりつつも、島の伝統工芸品の取引で来る人も少なくはないので、深く考えず海を眺めた。今朝も美しい。
島に到着し、管理塔を通り過ぎたあたりで10歳前後であろう少年が腕組みをして待ち構えていた。
「お前が賢人だな?テレビでてるやつ!」
「そうだけど・・・キミは?」
「セナはダメだからな!絶対ダメだからな!」
「何が・・ダメなんだい?」
「だから!セナはダメなんだってば!あんまり仲良くするな!わかったな!」
「キミは、セナがすきなの?」
「ちがう!そういうんじゃない!お前と仲良くなったら、あとでセナが悲しむんだ!だから・・・」
「ん??」
少年の話の意図が汲み取れない賢人は首をかしげた。
「とにかく!セナとこれ以上仲良くするな!わかったか!」
「俺、2泊3日の滞在なんだ。明日には帰るから、安心して?」
「そ、そうか・・・なら、いいや」
少年はそう言って少しバツの悪そうな顔をして俯くと、そのまま走り出した。セナの家とは反対側の街の方へ。
きっとあの子はセナを心配しているのだろう、と少年を微笑ましく思いながら、セナのいる染物小屋へと向かった。海沿いの道、今日は波も穏やかだ。
「賢人ー!おはよー!」
海からセナの声が聞こえた。「セドナの台座」から、セナがこちらに手を降っていた。足元にはセドナの頭が見える。
「おはようセナ!セドナも!」
海ざらしをしていた布を引き上げ、水を絞り、広げて干すのを手伝った。
「これが済んだらご飯に行こう。何たべたい?」
「何でもたべたい!」
「ええ〜?それじゃ困るなぁ。どこ連れてくか迷ってるから聞いてんのにー」
「何でも美味しいから、何でも食べるよ!」
「じゃあ、ゴハンかパンか、えらんで?」
「昨日は朝飯おにぎりだったから、今日はパン!」
「じゃあ、焼きたてのパンを食べに行こう。その前にちょっと用事を済ませよう。」
「いいけど、何か予定があったの?」
「ううん、私の用事じゃないよ。賢人の用事。」
「え?俺何も用事ないよ?」
「夕べ虎ちゃんおいちゃんに頼まれたんだ、賢人に渡したい物があるんだって。」
「じゃあ、今から虎鐵さんのとこに行くの?」
「ううん、クリカイさんのとこに行くよ。」
「クリ、カイさん?」
「うん。ドームの泉にいるから、会いに行こう。」
どうしてそこへ行くのか理由がよくわからなかったが、黙ってセナについて行くことにした賢人。
「・・・でもドームって島の人しか入れないんだよね?俺そこに入って大丈夫?怒られないかな?」
「わかんないけど、大丈夫だと思う。こんなこと賢人が初めてだからさ。でも誰もダメだって言わなかったもん」
「そうなんだ・・・」
少し不安になりながらも、後片付けを終えたふたりはドームへと向かった。ドームは島の中心にあり、おおきな3つの建物が円形に並び、遠くから見ると半円状になっている。島の人専用の公共施設として運営しており、外部の人間の立ち入りは厳重に禁止されていた。中は産婦人科や学校代わりの勉強室などの育児棟、図書館や資料庫、外部から買った物資の貯蔵庫、インターネットや電話などで外部とのやり取りができる通信室などがあり、島の人は「蔵」と呼ぶ棟、仕事から引退したお年寄りたちが暮らす養老棟の3つで成り立っている。
島の人たちはここで生まれ、ここで学び、巣立ったあとでまた、引退したらここへ戻り、生涯を終えるのだ。
セナのように外で生まれた斑の手の子は、すぐにここへ搬送されて育てられる。
島の女たちはここでお産をし、ある程度に生活が出来るようになるまでここで暮らす。医師も助産師も看護師もいるが、動ける老人たちも子守りを手伝う。同じくここでお産を終えた女たちも、手があいていたら面倒をみたりもする。自分の子供だけではなく、どの子も大事に育てる。みんなそうして育てられたのだ。
男たちは妻と子供が何不自由なく暮らせるように、身の回りの事をする。食事を作って運び、掃除洗濯をし、子守りもする。この島で生活していくのに、一切お金はかからない。だから仕事を休んでも何も困らないし、誰も咎めもしないのだ。
性同一性障害などで性別が体と違うもの達も、ここでは子育てを手伝う事ができる。自分の子供を産めないであろう彼らにとって、子育てが経験できる唯一の場所だ。島の子供は、みんなの子供。みんなの宝なのだ。同性カップルが外で生まれた子供たちを引き取って育てる事も少なくはない。そして逆に、子供が苦手な者や、子育てに向かない者はしなくてもいいのだ。誰にだって得意不得意がある、誰もそれを責めたり咎めたりはしない。自由なのだ。ただ、苦手だからと言って子供を傷つけたりする事は許されない。無理にさせないのは、それを防ぐためでもあるのだった。
3つの棟の真ん中には、ぽっかりと穴が空いたように大きな泉がある。周りを海で囲まれた島で、唯一淡水が湧き出る所だ。ここから湧き出る水が、島全体の生活にほぼ使われている。水深はかなり深いらしいが、だれも測ったことは無い。
棟と棟の間の道を入っていくと、中から風が吹き抜けた。外とは違って潮の香りがしない。
泉の前に着くと、泉に向かってセナが大きな声で呼んだ。
「クリカイさぁーーーーん!」
すると建物から女の人が顔を出した。
「セナー!ちょうどよかった!ちょっと手伝ってくれるかしら!」
「はーい!・・・ごめん賢人、ちょっとここで待ってて?クリカイさんすぐ来るから。」
「あ、え、うん・・・行ってらっしゃい」
セナは建物へと走っていき、何だか手持ち無沙汰になってしまった賢人は、泉の前にしゃがみ込んだ。
泉を覗き込むと、とても澄んで美しく、けれどとてつもなく深いのか、どこまでもどこまでも奥が続いている。
「あれ賢人、セナは?」
急に話しかけられて驚いた賢人が振り返ると、そこにはボサボサの長髪に、襤褸と言うのだろうか、ツギハギの古くて青い羽織を着た、痩せた背の高い男が賢人の顔を覗き込んでいた。まるでカカシのようなその男は、セナは?ともう一度聞いた。
「あ、今セナは手伝いに呼ばれて・・・」
「ああ、そう。」
そう言うと、さっさと泉に入っていく男。賢人は慌てて呼び止めた。
「あ!あの!クリカイさんですか?!」
「うん、あれ?知ってるのかと思ったよ。」
「すみません、今日初めて聞いたので。」
ニコリと笑うとまたどんどん泉の中へと泳いで行こうとするクリカイさん。虎鐵から渡されるものとは?セナがいないから何も話さないのか?ああダメだ、行ってしまう!と焦った賢人は
「く、クリカイさんは何を作る人なんですか?!」
と思わず聞いた。
クリカイさんは思わず振り向き、不思議そうに賢人を見て、そして優しく笑って話した
「わたしは何も作れない。私が出来ることは、みんなを連れて行くだけ。そしてただ、ここにいるだけ。みんなの声を聴きながらね。」
「連れて・・・いく?それは案内する人って事ですか?」
「そうだね、案内、だね。キミも連れてきたし、キミのおじいさんも連れていったよ。」
「・・・・ん?え、それってどういう・・・」
その質問には答えることなく、クリカイさんは泉に潜って行ってしまった。祖父と自分をこの島へ案内したのはクリカイさん、ということなのだろうか?
「おまたせ賢人ー!」
建物からセナと先程の女性が赤ちゃんを2人ずつ両手に抱えて出てきた。
「あ、クリカイさん来た?ちゃんと渡してくれたんだね」
「え?渡すって何を?」
「賢人が握ってるそのナイフ」
「ん?」
身に覚えのない賢人が右手を見ると、いつの間にか冷たく重みのある何かを握っていた。
「え?ええ?いつの間に?いや、渡されてないけど、え?どうなってんのこれ?」
「それが、虎ちゃんおいちゃんから賢人に渡してって頼まれてたものだよ。斑目さんのナイフ。虎ちゃんおいちゃんの、死んだお父さんの遺品なの。」
「わぁー!それ斑目さんのナイフ?!懐かしいわねぇ~!そう言えばあれからずっと、斑目さんみたいな目の子は生まれてきてないわぁー」
そう話した女性はともこさん母さん。ここの助産師さんだ。この赤ちゃんたちはまだ生後間もない子たち。赤ちゃんたちはここにいる間、この泉で毎日沐浴するのだ。
「そんな大事なもの、俺もらっちゃっていいの?!形見でしょこれ?!」
「虎ちゃんおいちゃんがそうしたいって言うんだから。もらっとけばいいじゃんか。」
「そうねぇ、虎ちゃんには子供もいないし。貴方に受け継いで欲しいんじゃない?」
「うわぁー・・・・なんか、重みが・・・」
「とりあえずそれ、ポッケにしまって手伝ってよ。」
「え、あ、はい。」
「ちょっとセナ!この人お客さんでしょう!」
「あ、そうだった」
「いや、いいよ。手伝いますよ。」
ナイフをポケットにしまって、赤ちゃんを1人セナから受け取った。助産師のともこさん母さんから手ほどきを受け、手つきがおぼつかないながらも赤ちゃんを泉にそっと浸し、ガーゼで優しく顔をふいてやった。
「上手上手!その調子で、首まわり、脇の下、足の付け根と、おしりもねー。」
「は、はいっ!」
赤ちゃんは不思議そうに賢人の顔をジィーっと見つめる。生まれたばかりの赤ちゃんの目は、まるでツヤツヤのガラス玉のように綺麗だ。
「斑目さんって、どんな目をしてたんですか?」
「目の中に目が2つあるのよー。」
「 え? 」
あまりの内容に賢人の思考が停止してしまった。てっきり目の色や形がみんなと少し違うのだろうくらいにしか思ってなかったのだ。
「昔はみんなそうだったんでしょ?」
「そうよー、500年くらい前まではねー。あんたたちは見た事無いからあれだけど、ちょっぴり怖いのよねー。」
「あー、そうだよねぇー。」
「いや・・・あの、それ・・・どういうことになってるんですか?目の中に目が・・・2つって」
「ひとつの目に、黒目が2つあるんだよ賢人」
「ええええええええええ!!!・・あっ!」
賢人の声にびっくりした赤ちゃんが賢人の手から滑り落ちてしまった。バシャン!と水音が響いて飛沫が賢人の顔にかかり、賢人は思わず目を瞑った。赤ちゃんが沈んでしまったのではないかと慌てて顔を拭い、泉を見ると・・・・
「・・・・・・・浮いてる。」
「うん。」
「浮くわよ?」
「え?・・・ぇぇえ?・・・なんで?」
赤ちゃんは何事も無かったかのように気持ちよさそうにプカプカと泉に浮いている。でも向こうへ流れて行かないように、賢人は慌てて赤ちゃんを抱き上げた。
「賢人、水をパーで強く押してみて?」
セナにそう言われ、恐る恐る水を押してみた。
「・・・・・・・なんで?」
どんなに強く押そうとも、賢人の手は押し返しされ、力を抜けばすぐさま浮いてくる。まるでビート板のように、どんなに沈めても手を離せば浮いてしまうのだ。
「この泉の水はね、生きてる者は沈まないのよ。」
ともこさん母さんがそう言うと、沐浴を終えた赤ちゃんたちを連れて建物へと戻っていった。
「賢人、ちょっと待っててね」
「あ、うん。」
セナも赤ちゃんたちを抱えて建物へ入っていった。さっきの言葉の意味を考えてみるが、分からない賢人。
指を泉に入れてみる。指の付け根位までは入る。だがそれ以上奥へ入れようと力をいれると、押し返されてしまう。今度は水を掬ってみる。普通の水と同じように掬うことができる。匂いを嗅いでも無臭だ。味は、美味しい水だ。
生きてる者は沈まない、とはどういう事なのだろう?死んだ者は沈むのだろうか?
「賢人ー、終わったよー。ご飯行こう!」
「セナ、生きてる者は沈まないってどういう事なの?死んだ者は沈むの?」
「そうだよ。ほら、あっち側に階段があるの見える?死んだらみんな、あそこから体を沈めるんだよ。」
「そしたら泉の底に沈んでいくってこと?」
「ううん、あとはクリカイさんが連れていくんだよ。」
「・・・・クリカイさんが案内するって死んだ人のことなの?」
「さっきの赤ちゃんたちも、クリカイさんが連れてきたんだよ?」
「あ・・・・・だから、俺も連れてきたし、じいちゃんも連れてったって・・・そう言うことなのか」
「みんな、クリカイさんが連れてくんだよ」
「でもクリカイさん、さっき泉に潜って行ったけど、クリカイさんだけ特別なの?」
「ううん、クリカイさんは生きてないよ?」
「へ?!・・・・死んでるってこと?」
「死んでもないけど、生きてもないよ。人間じゃないから。」
「に、人間じゃないって・・・?神様とかなんかそういうのってこと?!」
「神様とは違うけど、何なのか私もよく知らない。大昔は犬だったってクリカイさん言ってたけど。でも私たちみたいに時間の中を生きてないの。だから死なないけど、生きてるってのもちょっと違うかな。」
「犬だったって・・・・俺が喋ったのは普通に人間の男の人だったよ?」
「あの姿だと怖がられないからって。それにクリカイさん、喋らないよ?」
「え、喋ったよ俺。ちゃんと会話したよ?」
「会話はできるよ。でもクリカイさんは言葉を喋らないよ。」
「え、でも・・・!」
「じゃあ賢人、クリカイさんの声はどんな声だった?話してた時、唇は動いてた?思い出せる?」
「・・・・・・・?!」
たった半時前の事なのに、全く思い出せないのだ。男の姿だった、だから声も男の声だった気がするのだが、それがどんな声だったか思い出せない。高いのか、低いのか、それさえも。唇はどうだっただろう?ニコリと笑ってはいた、だが、何度思い出そうとしても、唇がどう動いてたか思い出せない。ニコリと笑ったまま、開いていなかったのだ。
「・・・ね?でも賢人、それね。私と動物たちと話す時と同じなんだよ。言葉じゃなくて、そうやって会話するんだ。クリカイさんは誰とでも会話が出来るから、賢人とも話せたんだよ。」
「誰とでもって、動物や虫とかも?」
「うん、水も光も風も全部。」
「それでも神様じゃないの?」
「違うって言ってたよ。女神さまの旦那さんなんだって。」
「女神さまの旦那さんが犬なの?」
「なんか面白いね。でも私も犬大好きだよ。」
「そういう問題じゃないと思うけど・・・なんか色々衝撃的過ぎて、頭が爆発しそうだよ・・・」
「そうだね、お腹すいたしご飯いこう!そろそろパンが焼き上がる時間だよ!」
「うん・・・・」
脳内がぐるぐると目まぐるしく回る賢人の手を、セナが引っ張って建物へと入っていく。建物に入ると、パンが焼ける香りがした。バターやコーヒーの香りもする。ふと正気に戻った賢人は、一気にお腹が減っていくのを感じた。
ここはドームの食堂。産後間もない人や動けない人など各自の部屋で食べる者もいるが、ドームで生活する者はだいたいみんなここで食事をする。施設内の食堂とはいえ、ホテルのレストランさながらの雰囲気だ。清潔に掃除され、座り心地のよい椅子とお洒落なテーブルに、花が美しく生けてある。窓からは虎鐵たちの住む山と自然の景色が見え、奥にはバーカウンターもあり、夜はここでお酒も楽しめる。
すでに先客が何人かいた。早起きのお年寄りたちだった。朝食のパンが焼き上がるのを待っているのだと言う。
「おはよう!大ババさま、おばぁ、おじぃ!」
「あんれ、めずらしぃー。どしたのあんた」
「セナ坊、彼氏がでけたんかー?」
「違うよ、この人お客さん!赤ちゃんの沐浴を手伝ってもらったから、お礼にご馳走様するの!」
「あれまぁ、こん子は!お客さんに手伝わせて!」
大ババさまが目を見開いてセナを叱りつけた。
「あ、いえ!俺が手伝いたかったんで!セナは悪くないんです!」
賢人がセナを庇うと、お年寄りたちはみんな目をまん丸くして、賢人を見た。
「ありがとうねぇ、お兄ちゃん。たーっくさん食べておいき!ここのパンはねぇ、島で1番美味しいのよー。」
「手伝うてくれてありがとうなぁ、けどあんたぁ、どっかで見た顔やのー?」
「こーんな男前、会うたら忘れんがねぇ!」
「そうよねぇー!でもアタシもなーんだか見覚えがあるのよねぇー。」
「あ、賢人はテレビの人だよ。」
「星乃賢人です。役者をやっています。」
「あああー!あれ!ほら、この前までやってたドラマ!お医者さんの役の!」
「あー!アタシあのドラマ大好きだったのよー!」
「なんやなんや、芸能人か兄ちゃん!」
おばぁとおじぃたちはきゃあきゃあと盛り上がり、そうこうしてるうちに食事が運ばれてきた。
焼きたてふかふかのテーブルロール、こんがり焼けたたっぷりバターのトーストもある。彩りのいいサラダに、ソーセージ、フルーツ。淹れたてのコーヒーと紅茶、それから・・・・
「セナ、これは何?」
陶器でできた小さな小さな片手鍋のようなものを賢人は指さした。蓋がついており、中からジュージューと音がしている。
「熱いから気をつけて。」
そう言うとセナは、置いてあったミトンをはめて蓋を取った。中には目玉焼きのような卵が入っていた。
「目玉焼き?」
「うん。」
「こんな目玉焼き、初めて見た」
「そお?パンの時はいつもこれだよ。普通の目玉焼きがいいなら頼もうか?」
「いやいやとんでもない!これ食べます!でも、どうやって・・・食べればいいの?」
「お醤油か、お塩か、ソースでも好きなのかけて、スプーンで食べるんだよ。でもちょっとバターが跳ねるの落ち着いてからね。バチバチ飛んでくるよ。」
「わ、わかった!」
先程までジュージュー言っていたのが落ち着き、醤油をひとたらしすると、半熟になっている黄身と白身のところをスプーンで掬って、熱々のその卵を口に入れた。
「・・・・うま!え、あははは、なにこれ。」
ただ卵をバターで焼いて醤油をかけただけなのに。普段食べている目玉焼きと何ら材料に変わりはないのに、調理法ひとつでこんなにも違うものになるのだろうか。火傷しそうな程熱々のこの卵は、火傷をしても後悔などないほどに美味い。熱々のうちに食べなければ勿体ない!思わず笑ってしまうほどに美味しい代物だった。器に残った黄身やバターもパンで一滴残らず拭ってしまうほどに。
「よかった。おかわりもできるよ。いっぱい食べてね。みんな喜ぶし」
セナの言葉に頷きながらパンを頬張り、ふと気付くと周りの人達がみんな賢人を見ていた。それは優しい眼差しで、嬉しそうに。ちょっと恥ずかしくなった賢人は少し俯いて、また食べだした。
老人たちは嬉しかったのだ。この若者は何の見返りも求めずにセナの仕事を手伝い、なんの躊躇もなくセナを庇った。実は昨日のTシャツの一件も噂に聞いていた。自分たちの子供であるセナを大切に扱い、守ってくれたことが嬉しかったのだ。そして、何でも美味しい美味しいと一生懸命食べる姿が、外の人間なのにまるで島の子供を見ているのと同じような気分にさせるのだった。
「あ、そうだ。俺あんまりセナと仲良くしちゃダメなんだった。」
「え、なにそれ今更。」
「朝さ、島に着いた時に男の子から言われたんだ。10歳くらいの、サッカー好きなのかな。サッカーウェアのメーカーのシャツと靴だった」
「あー、イ空だ。私の後を継ぐ子だよ。明日から私の仕事を引き継ぐの。虎ちゃんおいちゃんのとこにも、あの子が行くようになるの。」
「へぇー。明日から!でもなんか中途半端な時期だね?なんで明日?」
「明日で私が18になるから」
「え!誕生日?!おめでとう、なんかお祝いしなくちゃな」
「賢人は明日、帰っちゃうじゃん」
「そうだった・・・・もうずっとここに居たいよ。」
「1日で死んじゃうじゃんか」
ふふふっとセナが笑う。笑い事じゃないけど、そうなのだ。それさえ無ければ、ずっとここで暮らしたいほど、賢人はこの島が好きになっていた。島の人々もまた、賢人が外部の人間でなければ、ずっとここで暮らせるのにと思っていたのだった。外部のしかも都会で暮らす人々の中に、このような屈託のない善人がまだいたなんて。島の人々も賢人に驚いていた。
「セナと仲良くしてるの見つかったら、イ空君に怒られるかな・・・」
「ふふふ・・・そうかもねぇ?賢人にヤキモチ妬いてんだねぇ」
「参ったなぁ・・・彼氏でもないのに」
「彼氏だと思われちゃったねぇ?」
「こんなオッサンが彼氏とか、犯罪じゃんかー。セナにも申し訳ないヨ・・・」
「え、賢人オッサンなの?」
「明日18になる子からしたら、立派なオッサンです。」
「あはははは!ウケるー」
「ウケないで・・・オジサンカナシイ・・・」
ケラケラと声をあげて笑うセナを見ていて、賢人は気付いた。セナはとても綺麗な顔立ちをしていることを。少しタヌキ顔だろうか、いや、ネコだろうか。
彼らを卑下する言葉の「スポッツモンキー」は、アジア人を差別する「イエローモンキー」から文字っている。でも彼らはアジア人特有の平べったい顔とは少し違う。セナは特にこの小さい鼻や整った顔立ちはまるで人形のようだ。この暑い日差しの中で、毎日海で布を洗っているのに日焼けやシミひとつない綺麗な象牙色の肌、そしてまだら模様の薄青い斑点が自分で染めたであろう深いブルーのワンピースによく映えて、更に美しい。この肌はブルーが良く似合う。彼らの斑点が何の違和感もなく腕にあるのも、調和が取れているからなのだろう。
それ以外は何も変わらないのに、どうして彼らはここで、僕らは外でしか生きていけないんだろう?
どれもこれも美味しすぎる朝食を食べながら、賢人はぼんやりとそんなことを考えていた。