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酪農家夫婦、やよいと鶏壱

やよいちゃんお母さんと鶏壱お父さんと家族のお話。



 虎鐵の小屋から5分ほど山を登ると、煙突から煙が出ているログハウスのような家が見えてきた。家の横には牛舎や鶏舎、いくつかある囲いにはそれぞれ、山羊や羊が入っていた。家の裏には畑が広がっており、こんな山の上にあるにも関わらず、きちんと整備された敷地に感心してしまう。



 家の玄関前にはハーブだろうか、可愛いらしい草花が並んでいた。外国の絵本に出てきそうな光景だ。




 「やよいちゃんお母ぁーさぁーん!」




 「はいはーい、おかえりなさい!」




 玄関のドアを開けると、優しい声が出迎えてくれた。中から料理のいい匂いがする。チーズが焼ける匂い?パンが焼ける匂い?ずいぶんと山登りをしてきた賢人とセナには、もうたまらない匂いだった。





 「お昼はピザよ。もう焼けるから、2人とも手を洗ってらっしゃいな」




 「はーい!賢人、こっちだよ。」




 セナに促され、洗面所へと向かう。すると足元をするりと薄茶色のものが通り過ぎてセナに飛びついた。




 「タロ~!久しぶりだねぇ。元気にしてた?・・・・ん?タロも手を洗いたいの?・・・あー、そうなのね。わかったよ。おいで。」




 2人は会話らしき事をすると、セナがタロを抱きかかえて、洗面台の横の踏み台にタロを立たせ、石鹸でタロの手を洗いだした。泡立てた石鹸を両前足によく擦り込み、そのあとしっかりと水で洗い流した。




 洗い終わる頃に新しいタオルを持ってやよいちゃんお母さんが洗面所へ来た。



 「あらあら、タロちゃんまでお手手洗ってもらったの?」




 「新しい石鹸を試してみたかったんだって。」




 「んまぁ!よく気がつく子だこと!そうなの、石鹸を新しいのに変えたのよ~。それで?使い心地はどうだったって?」




 セナはタロの前足をタオルで拭いながらタロを見つめると、タロもセナに何か訴えるかのように見つめ返した。



 「においはいいんだけど、洗い心地は前の方がよかったってさ。ゴワゴワするって。」




 「あらあら、残念。じゃあ前のにまた戻さなくちゃねー。」



 そう笑って、やよいちゃんお母さんはタオルを置いてキッチンへと戻っていった。賢人は少し困惑しつつも手を洗って心を落ち着かせた。




 「ただいまぁー。」




 少ししゃがれた男の声がした。この家の主人、鶏壱だった。裏の畑で仕事をして戻ってきたのだった。




 「鶏壱お父さん、おかえりなさい」




 「お?セナか?久しぶりだなぁ。ただいまぁ。そちらは?お客さんか?」



 「お邪魔させていただいております、星乃賢人といいます。」



 「おお、そうか。ゆっくりしてってな。・・・ん?あんた、うちのボウズのシャツじゃないか?」



 「あら!やっぱりそれあの子のシャツなのね!そうじゃないかと思ってたのよー。あなた、おかえりなさい。手を洗って来てくださいな。」



 賢人が戸惑っているとセナが言った。



 「やよいちゃんお母さんと鶏壱お父さんは、牛丸兄やのお父さんとお母さんだよ。賢人のシャツ、私が貰っちゃって着るもの無かったから、牛丸兄やがシャツくれたの。」





 「ああ!そうなんだ!・・そうです、牛丸さんのシャツをいただきました。」




 「そうかい、そりゃあセナが世話んなったなぁ。セナもうちの娘だから」




 「やよいちゃんお母さんは、私と玉藻さん姐さんの乳母さんなんだ。学校行く歳になるまで私も姐さんもここで育ったんだよ。」



 「ああ、それで・・・」



 賢人は牛丸が「妹みたいなもの」だと言っていた意味がわかり、納得していた。




 「ほらほらあなたたち、ごはんが出来たわよー!」





 テーブルに座ると、まだフツフツとチーズやソース煮立っている熱々のピザが、木製のプレートにのって出てきた。真っ赤なトマトソースにたっぷりのチーズ、このバジルは玄関先に育っていたものだろうか。何ともたまらないビジュアルの大きなマルゲリータが並べられた。他にも彩りが美しいサラダや、こんがりと焼き目がついたソーセージ、搾りたてのミルクなどたくさんのご馳走が並べられた。



 「さあさ!まだ焼けるから、たんと召し上がれ!」



 「いただきまーす!」





 鶏壱お父さんがピザを切り分けて、セナと賢人へ渡しながら言った。



 「やよいちゃん、石鹸新しいのに変えた?香りはいいんだけど、前のが洗った後がしっとりしててよかったなぁ。」





 「あら、同じことさっきタロちゃんにも言われたわ。あの石鹸はお洗濯用にして、前のに戻しておくわね。」




 「そうか〜、タロ。気が合うなぁ~。」



 足元にいたタロの頭をワシワシと撫で、チーズの欠片をあげた。タロは嬉しそうに尻尾をふる。




 賢人の疑問は確信に変わっていた。




 食事の時間、色んな話を聞いた。牛丸兄やには「馬次(うまつぐ)」「羊三(ようぞう)」という2人の弟がいて、三兄弟揃って「お医者さん」だという。長男の牛丸は動物のお医者さん、次男の馬次は人間のお医者さん、三男の羊三は機械のお医者さんをしている。そして、牛丸兄やと玉藻さん姐さんは同い年、三男の羊三はセナと同い年。島の外で生まれ、親のいない玉藻とセナは、やよいちゃんお母さんから母乳をわけてもらって育った。


 外から来た子の乳母になるには母乳が出れば誰でもなれるのだが、赤ん坊が自分で乳母を選ぶのだった。人見知りが激しかった玉藻の乳母選びはとくに大変だったという。誰にも懐かず、誰の母乳も飲まず、ひたすらずっと泣きわめいてばかりの玉藻を唯一泣き止ませることが出来たのが虎鐵だったのだ。虎鐵の髭を掴んで離さない。無理に離すとまた火がついたように泣きわめく。しかし虎鐵は男。母乳は出ない。そこで家も近いやよいに頼み込んで、乳母になってもらったのだ。初めてのお産でまだ不安のあるやよいは乳母に立候補していなかったのだが、あれだけ誰にも懐かなかった玉藻が必死に母乳を飲む姿をみて見捨てられずに受け入れてくれたのだった。しかし母乳をやる間ずっと虎鐵がやよいの側にいる訳にもいかないので、虎鐵は長くのばしていた立派な髭を切り落とし、紐で括って玉藻に持たせたのだ。それを握らせると不思議と泣きやみ、今もそれを御守りにして玉藻は大切に持っているという。虎鐵もまた、自分の髭は玉藻にあげたのだと、それ以来髭をのばすことは無くなったのだった。



 セナの時も、なかなか泣きやまずに困ったという。玉藻の時と同様、誰にも懐かず、誰の母乳も飲まずに泣いてばかりいたので、もしやと思いやよいに頼むと、やよいの母乳は飲んでくれたが、またすぐ泣き出してどうしようも無い。誰が何をしても泣いて泣いて、このままではいけないと島の大ババに相談した。このマダラ島の1番長寿で1番物知りなのだ。


 セナをひと目見た大ババは、セナを抱きかかえると外へ行き、海へと向かった。大ババが向かった先は、染め物小屋の側にある「セドナの台座」。セナが染め物を海ざらしにしていたあの岩場の事である。あの岩場は島の守り主と言われている海獣セドナの物であり、他の生き物も島の人も一切立ち入ることを許されない場所であった。入ろうものならセドナに叩き落とされるか海に引きずり込まれるので、決して立ち入らぬようにと皆子供の頃から厳しく言いつけられているのだった。それなのに、大ババは何を思ったか、泣きわめくセナをセドナの台座に置いたのだ。見守っていた島の人々もこの時ばかりは目を疑った。数時間前に生まれたばかりの赤ん坊を、海の岩場に、しかも獰猛なセドナの台座に置き去りにするなんて。あの子が死んでしまう!と。


 マダラ島では、外で生まれたマダラの子を島全体でとても大切に育てる風習がある。元々、宝である子供をとても大切に育てるのは当然なのだが、外で生まれた子供は皆、何かしら大切な使命を授かってやって来るという言い伝えがあるのだ。こんな小さな体に大きな使命を背負い、生まれてすぐ親から引き離され、このマダラの島へやって来てくれた子供を大切に大切に育てる。命の危険にさらすなどとんでもない事であった。



 大ババがセドナの台座に赤ん坊を置いて数分後、波が静まりかえった。急に冷たい場所に置かれてびっくりしたのか、赤ん坊もピタリと泣き止んでいた。シンと静まり返った夜の海、音もなく現れたセドナの姿にみんなは息をのんだ。セドナは台座にドッカリ体を乗り上げ、赤ん坊の顔を覗き込んだ。「もうダメだ」と誰かが呟いたその時・・・。赤ん坊が笑ったのだ。



 キャッキャと声をあげて笑う赤ん坊と、クルルルルルルル…と優しく鳴くセドナ。まるで赤ん坊をあやしているように。そしてこの時から、セドナはセナのもう1人の乳母になった。セナという名前も、セドナからもらったのだ。やよいのように「やよいちゃんお母さん」という風には呼ばないが、セドナもセナのお母さんの1人なのだ。



 「セナといくら仲がいいっつって、あの台座に乗ったらいけんぞ兄ちゃん。うちのボウズが何時だったか真似して、尻尾で叩き落とされたからな。」



 「ええ!それもしかして・・・、牛丸さんですか?」




 「おお、よくわかったな!」



 動物が大好きな牛丸兄やはセドナと仲良くなりたい一心で、今も時々チャレンジしては、秒で叩き落とされているらしい。




 「セドナって、あの、イルカみたいなの?」




 「イルカじゃないけど、そうだよ。」




 「セドナは何の生き物なの?クジラ?」




 「私も知りたいけど、世界中の海の生き物の図鑑や本を調べたけど、どこにも書いてなかった。だからわからないんだ。」




 「そっか・・・。・・・ねぇ、あのさ。変なこと聞くけど」




 「なあに?」




 「セナ、動物の言葉がわかるの?」





 「・・・・・本当に変なこと言うね。動物は言葉なんか使わないよ?」




 「え?あ、いや・・・あのそうじゃなくて、えっと」





 「セーナ、意地悪言わないの。さっきタロちゃんともお話してたじゃない。賢人さんはそれを聞きたかったのよね?」




 「あ、はいっ。そう・・・です。」




 「こうして言葉でしか伝えられないのが人間はめんどくさいね。そうだよ、他の生き物と話ができるよ。なんでだか知らないけど。でもそれだけ。大したことじゃないよ。」




 「外で生まれた子は何かしらお役目があるからなぁ、なんか意味があるんやろうよ」




 「玉ちゃんもセナも、大事なうちの子よ。お役目もいいけど、ちゃんと幸せになってほしいわぁ。」




 話をすればするほど、この2人に温かく大切に育てられてきたことがよくわかる。それを少し照れくさそうにしているセナもまた、この2人をとても大切に思っていることも。たらふく食べたあと、食器の片付けを手伝いながら、賢人はしみじみ感じていた。





 「街に牛乳おろすついでに、車で送ってくからちょっと待ってなよ兄ちゃん。歩いて山降りてちゃ間に合わんやろ。セナもあんまり遅くなったらセドナに叱られっぞ。」




 「うん、ありがとう鶏壱お父さん」


 「すみません、よろしくお願いします」




 お喋りしながらの食事が楽しくて、あっという間に時間が過ぎていた。片道4時間はかかる山道を今から急いでくだっても、日の入りまでに間に合うかギリギリになっていた。日が完全に暮れると「黄泉渡り」が始まる。外の人間である賢人は、それまでには橋の向こうに行っていなければならないのだ。





 「すみません、色々たくさんおご馳走様でした。すごく美味しかったです。ありがとうございました」




 「あらまあ、嬉しいわぁー。またいつでもいらっしゃいな。セナもたまには帰ってらっしゃいよ」




 「うん、やよいちゃんお母さんありがとう。」




 やよいちゃんお母さんに別れを告げ、鶏壱の運転するトラックに乗り込んだ。荷台には牛乳を入れた缶がたくさん並んでいた。


 途中、虎鐵の小屋に寄り、頼まれた品の入った背負子を荷台に積み込み、虎ちゃんおいちゃんにも別れを告げた。滞在中、時間があればまた寄るようにと賢人に言っていた。





 山を降りて食堂街に牛乳をおろし、染め物小屋近くの海沿いまで辿りついたあたりで奇妙な歩き方をしている男を見かけた。腰が抜けているのか、覚束無い足取りで、ヨタヨタとゆっくりゆっくり進んでいた。





 「玉藻さん姐さんのお客さんかな?」




 「・・・だろうなぁ。セナ、お前先に小屋に送ってくぞ。すまねぇけど兄ちゃん、さっきのお客さん荷台に乗せるの手伝ってくれ。あれじゃ橋まで行くのに間に合わねぇ。」




 「あ、はい。でもあの人、どうしたんですか?」





 「玉藻の客はみんなああなるんだよ。大抵は送迎車を呼ぶんだけどな、有り金全~部使っちまったんだろ。」





 「はあ・・・・そうなんですか・・・」




 セナを染め物小屋の前でおろした。



 「今日は本当に色々とありがとう。セナのおかげでじいちゃんとの約束も果たせたよ。」



 「こちらこそだよ、賢人。まだいるんでしょ?明日またここへ来てよ。お礼にどこでも案内するよ」



 「えっ、マジで?!ありがとう、助かるよ。じゃあ明日も朝1で来るから!」



 「じゃあ明日も朝ごはん一緒に食べよ?」




 「もちろん!」




 「じゃあ、また明日。鶏壱お父さん、お願いします」




 2人でセナに手をふって、さっきの客人の歩いていた場所へ引き返し、2人でトラックの荷台に乗せた。




 「あ・・あへ、すみ、すみません、ありが、ありがと・・・」



 呂律も上手く回らない状態で、足はガクガク震え、腰は完全に抜けてしまっている。それでも幸せそうな恍惚の表情をしている客人。





 「本番無しで、これだもんなぁ・・・静太郎のやつ、初夜で死なねぇといいけどなぁ。」




 「は、あはははははははは」

 「ははははは」




 鶏壱と賢人の乾いた笑いが車内に響いた。静太郎ならきっと大丈夫ではなかろうかとささやかな希望を持って、2人は心から静太郎の無事を祈った。




 橋のロープウェイ乗り場に着き、鶏壱は管理棟のスタッフを呼びに行った。賢人は鶏壱にお礼と別れを告げ、スタッフの男性と一緒に客人を連れてロープウェイに乗り込んだ。夕陽が海を照らし、今朝ここへ来た時と同じように美しく光っていた。とんでもなく濃厚な1日を過ごし、なんだか信じられないような、少しフワフワとした気持ちだった。




ホテルに戻ってシャワーを浴び、ふと窓の外をみると、真っ暗になった景色にライムグリーンの閃光が見えた。島の端から端へと、まるでスキャンしているかのように光の帯が行ったり来たりしている。これが「黄泉渡り」という現象だ。こんなにも美しい光を、ただ浴びただけで死に至るなんて、想像もつかなかった。何故そうなるのかもよくわかっていないらしい。何故、島の人たちは平気なのかも。島の人たちは何か知っているのだろうか。聞いたらセナは教えてくれるだろうか?明日は何を食べようか?他にどんな物や場所があるんだろう?外を眺めながらそんな事をベッドの上で考えていたら、いつの間にか眠ってしまった賢人。






 平和にみえるこの瞬間にも、この平和を壊そうとするものたちが忍び寄っていた。何も知らず、幸せそうに眠る賢人をよそに。












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