玉藻さん姐さんと、2人の姉や
島の人との出会い。
「マチ子さん母さぁーーん!おはよーう!」
「はぁいはぁーい」
セナが店先から呼びかけると、奥から前掛けをした中年女性が出てきた。賢人の母親とそう変わらないくらいだろうか。
「マチ子さん母さん、お願いがあるの。虎ちゃんおいちゃんのとこにお客さん案内するけぇ、背負子貸してくれんやろうか?」
「あー!ほんならついでにお願い!頼んだ花きり鋏、貰うてきてー!背負子はほらこれ!持っておいき!」
マチ子さん母さんに背負子を担がされたセナと賢人は食堂のある飲食店街へと向かった。
まだ朝の8時すぎ。観光客はほとんどおらず、島の人々でにぎわっている。観光客向けの高級店はまだ準備中の札がかかっている。開いているのは屋台やパン屋や食堂。どこの店からもいい匂いがしてきて、到着してから走り回ってすっかり空腹になった賢人にはたまらなかった。食堂に入ろうとしたその時。
「あらセナ坊、そんな真っ白い服着てどした?」
艶っぽい声がして振り返ると、浴衣姿の女性3人がいた。声の主は玉藻さん姐さん。この島1番の美人で、1番の稼ぎ頭だ。3人とも風呂上がりのようで、石鹸のよい香りが漂っていた。
「姐さん方おはよう。これ、この人がくれたん。」
「ええ!あんた、外の人だろ?ありがとうねぇ」
「本当にありがとう。お兄さん店においでよ。サービスいっぱいするから♡」
「ありがとうお兄さん、でも見た事ある顔だよね?テレビの人?」
「あ、賢人テレビの人だって。飛鳥姉や知ってる?」
セナがそう聞くと、1番若い飛鳥姉やは目を見開いて
「あああー!星乃賢人じゃん!・・・あ、ごめ、星乃賢人さん。」
「はい、そうです。よろしくお願いします。」
「ええ~なになに、何に出てた人?ドラマ?」
店においでと誘った出雲さん姐さんが飛鳥姉やに聞いた。
「ほら~ぁ、医療ドラマのさぁ~ヒロインの同期の研修医の役の~」
「あーあーあー!見てたわそれ!え!そんな人がなんでセナといんのよ?」
「お客さん!虎ちゃんおいちゃんのとこに案内すんの。だからその前にご飯。」
「虎ちゃんおいちゃんのとこ行くのかい?!ちょっと待ってて!静さんにお弁当頼んでくっから!あんた後で寄ってお弁当虎ちゃんおいちゃんに届けとくれ!出雲、あとお願い!この兄さんにたんとご馳走頼んだげて!」
玉藻さん姐さんはそう言うと、食堂に入らずどこかへ行こうとしていた。
「姐さん!姐さんは何食べるのー?!!」
玉藻さん姐さんの後ろ姿に出雲さん姐さんが聞くと
「さーばーみーそー!」
と、返ってきた。
「あいよお!玉藻さん姐さんにさば味噌定食ー!」
「あいよお!玉藻さん姐さん、さば味噌ー!」
威勢のいい声が掛け合う。草平兄やと、弟の良平の兄弟だ。
残されたセナたちも店内に入り、席に着くと注文をとりに中年男性がやってきた。この店の大将、正平父さんだ。
「あとの姐さん方は何にするや?お?どしたセナ坊、そんな真っ白い服着て。」
「この兄さんにもらったんだって!テレビの人だよ!」
飛鳥姉やが興奮気味に言うと
「あれぇ!そりゃあえれぇこった!ありがとうなぁ兄ちゃん!金はいらねぇから!遠慮なく何でも食ってってくれ!」
「いえ!そんな、ちゃんと払いますから!」
「おおーいお前ら!この兄ちゃんにセナが服貰ったってよ!たんまりご馳走したれやー!!」
「あいよお!兄ちゃんありがとなー!」
「ありがとう兄ちゃん!何が好きや?何でも作るから言うてくれー!」
「あたしたちもさば味噌、セナあんたは?」
「豚汁とー、おにぎり!」
「じゃあ俺もそれで。」
食堂の男たちは謙虚な注文に少々不服そうだったが、今から虎鐵へ向かうと聞いて2人に軽食を作って持たせた。
みんなの定食が並ぶ頃には、玉藻さん姐さんも帰ってきて、きっと走ってきたのだろう。ほんのり頬が紅くなっていた。でも本当の理由は賢人だけが知らないのであった。
具が溢れんばかりに入った大きな汁椀の豚汁と、炙りたての香ばしい焼き海苔が巻かれた大きなおにぎりが2つ。中には梅干しとオカカ昆布。キュウリとセロリのぬか漬けが添えてある。空腹でたまらなかった賢人は、こんなにも一生懸命に食事をしたのは小学校以来ではなかろうか。とにかく夢中で食べた。なんといっても、この島の食べ物は世界で一番美味しいのだから。
この島の住民はみな、どこで何を飲み食いしようとお金はかからない。物でもそれは同じだ。金銭のやり取りをする相手は外の人間とだけなのだ。島の皆で稼ぎ、みんなで養うのだ。まだ仕事に就いてなく稼ぎのない子供は、皆のお手伝いをする。手伝いながら、色んな職を見たり体験したりして、勉強するのだ。
それぞれ担当の店子が決まっており、そこへ客を案内したり、島の人のお使いを頼まれたり。セナの担当の虎鐵も、そしてセナが仕事に就いたあとには別の子供が引き継ぐのだ。年々子供が減っており、担当も1人でいくつか持ち回り、手が回らない時には職から引退した老人たちがサポートしていた。
「セナ坊ぉ、ついでに虎吉っちゃんにこの包丁、研いでくれって頼んできてくれぇ。」
「はーい。正平お父さんもご馳走様でしたー!」
「ご馳走様でした!めちゃくちゃ美味かったです!」
「そらぁよかった!気ぃつけて行ってきな!」
「はぁーい」
正平と姐さんたちに見送られながら店を出ると、邪魔になるので外に置いておいた背負子にはぎっしりと鋏やら包丁やら刃物がケースに入れられて入ってた。注文書だろうか、メモ紙のようなのが挟んであったり。
「賢人、背負える?」
そう言って細い肩で軽々と背負うセナに、背負えませんとは口が裂けても言えない賢人は、平気なフリをしてどうにか背負った。
「全然大丈夫!(嘘)」
「キツくなったら言ってね、休憩しながら行こう。あ、その前にお弁当取りに行かなきゃ。」
そう言うと、飲食店街の奥の方へと向かった。この辺りは観光客向けの高級店のようで、まだほとんどの店は準備中だったり閉まっている。セナは「準備中」の札が下がった小料理の戸を開けた。
「静太郎兄やー、お弁当とりにきたよー」
カウンターには背の高い、少しムスッと不機嫌そうな顔をしたガタイのよい男がたっていた。
「ん。」
そう一言いって、風呂敷包みをセナに渡した。
「いいにおい。虎ちゃんおいちゃん喜ぶね」
「ん。んん。」
静太郎兄やは顎を少しクイッとやる。そうするとセナは嬉しそうに目を輝かせ、雛鳥のように口を大きくあけた。
「あーー。」
静太郎兄やがセナの口に、細い菜箸で何かを入れた。
「んーーーー!おいひぃー。」
「んん。」
今度は賢人の方を向いて、静太郎兄やが顎をクイッとやる。
「賢人、口をあけて!」
「へ、あはい、あーーー」
賢人の口にも何かを入れた。オレンジ色でツヤツヤした何かだった。
「ん!んんーー!うんまっ!金柑ですか?」
「ん。」
静太郎兄やが頷く。ほどよくやわらかく、甘酸っぱい金柑の甘煮。お使いに行く彼らに、ご褒美のつもりなのだ。
「静太郎兄や、ありがとう!いってきまーす」
「ありがとうございました!」
無愛想な顔が、少し綻んだように手を振って、静太郎兄やに見送られながら2人は山道へと向かった。
「途中で湧き水を汲んでいくよ。道のりが結構あるからね。」
「そんな山の上にあるの?」
「そりゃあそうだよ、鉄を打つんだから。お山の上にいかなきゃ強い風は吹かないじゃないか」
「そ、そうなんだ・・・」
虎鐵に行きたいと軽々しく言ったことを少し後悔しながら、セナに置いてかれないように賢人も必死でついていった。