テレビの人と子犬
セナと賢人の出会い。
マダラ島へ旅行者が渡る朝一番のロープウェイに、1人ぽつんと乗ってきた男がいた。
彼は星乃賢人。俳優をしており、今まさに売り出し中といったところだ。人気が出てくるのと同時に、批判的な意見や根も葉もない噂話も多くなり、少々疲れていたところにこのマダラ島への旅行の話が来たのだった。マダラ島への旅行は審査が難しく時間がかかるので、申請をしてから忘れた頃に許可が出る、なんてこともよくあることなのだ。賢人もずいぶんと前に申請を出しており、仕事がだんだん忙しくなるに連れて忘れかけていたのだったが、心身共に疲弊していた所にちょうど仕事も一区切りしたので、これはもう二度とないチャンスかもしれないと、今回マダラ島へ思い切って旅行したのだった。
待ちに待っていたこの時、島に滞在できるのは日の出から日没まで。島への出入りの許可がおりたのは3日間。一分一秒たりとも無駄にしたくなかった賢人は、朝一番のロープウェイに乗り込んだのだ。まだ朝の6時前。目覚ましのアラームに飛び起き、着の身着のままホテルの朝食も待たずに飛び出した。一応変装の為の眼鏡だけかけて。
朝焼けの海がキラキラと光り、まだ完全に目が覚めてないのか、少しぼんやりとした頭とロープウェイの揺れが心地よく、今にも眠りそうな夢うつつの心持ちで静かに島へと運ばれていた。
カラーンカラーンカラーン・・・
ロープウェイの到着を知らせる鐘が鳴る。半ばウトウトしていた賢人は、ハッと気付いて立ち上がり、急いで降りた。朝日はすっかり登っており、本日は快晴であることを報せるように、美しい青空が広がっていた。
橋の終わりあたりにある建物は「管理塔」と呼ばれ、そこで島を出入りする者は身分証明と申請書を照合し、IDを発行してもらうのだ。病院で入院する時に付けられるようなテープ状の腕輪なのだが、それには位置情報を把握出来るGPSがついており、「よみわたり」が起こる前までに島から退出しているかを確認するためのものである。これが無ければ入ることも出ることも出来ない、大切なパスポートなのだ。
IDを腕につけてもらう時に、係員がやたらと自分を見ていることに気づいた。他のスタッフも賢人を見ている。
「あなた、テレビの人よね?」
「あ、なんか見た事ある!」
「ほら、なんだっけ~ドラマの~」
人々が思い出そうとしてる間にするりと抜け出し、小走りで島へと向かった賢人。なるべく人目につかないように街の方へは行かず、人の少ない海沿いの小道を行った。波の音と潮風が心地よく、目的地の確認もせず道なりに歩いていたら迷ってしまった。
「しまったな、まだこんな時間じゃ人もいないし・・・」
スマホの時計を見る。まだ7時にもなっていない。バレるのを面倒臭がらずに、道を聞けばよかったと後悔する。しかし、この時間ではまだ開いてる店もないだろう。とにかく海沿いを行けば島を1周出来るだろうと思い、人に会うまでこのまま歩くことにした。
海を見ながら歩いていると、なんとも美しい青色が目に入った。グラデーションになったその青色は、この美しい海の深海から空までを彩ったような、そんな色だった。それはワンピースだった。
海の中の小さな岩場に、青色のワンピースを着た女の子が立っていた。手には黒い布のようなものを持っている。それを広げていき、海水でザブザブと洗っているようだ。広げた布の先を、イルカのような生き物が口に咥えて引っ張っていった。
「もうちょっと引っ張ってー。もう少しー。あ、ストップ!ストップだよー!はい、下にー。」
女の子がイルカのような生き物に何か指示をだしていた。すぐ近くの小屋にはたくさんの色とりどりの布が干してある。染めものだろうか。
「クィ、クキュウ、ギギギギ・・・」
イルカのような生き物の鳴き声だろうか、それを聞いた途端に女の子が賢人の方へ振り向いた。賢人は少し驚いて慌てたが、本来の目的を思い出し、彼女に道を聞こうと思った。
「あの、すみません、道に迷ってしまって・・・」
「玉藻さん姐さんの店は、この先2つ目の角を右に行った先だよ」
「え、なに?たま、姐さん?そこは何のお店ですか・・・?」
「玉藻さん姐さんたちにエッチなサービスしてもらうお店。」
「いやいやいやいや!違っ違う違う!探してるのはそんなお店じゃなくて!」
「あれ?そうなの?ところでさ、お兄さん」
「ん?」
自分が俳優であることがバレてしまったかと、少し身構える賢人。
「その犬はお兄さんが連れてきたの?」
「へ?」
彼女が指さす方へ振り向くと、舌をだして尻尾をふり、こちらを見ている小さな子犬がいた。プードルか何かだろうか。潤んだ目で一生懸命に愛想をふりまく姿に賢人はキュンとしてしまった。
「いや、俺の犬じゃないよ。迷子かな?どっからついて来たんだろ。かっわいいなぁ~。おいでおいで~」
寄ってきた子犬に手を伸ばしたその時。
「やめろさわるな!!!!」
女の子が大声で怒鳴るのでびっくりして固まる賢人と子犬。
女の子は着ていたワンピースをガバッと脱ぎ、下着姿になった。慌てて賢人が見ないようにそっぽを向いてる間に、彼女はそのワンピースで子犬をくるりと包んで抱き上げた。
「もう大丈夫、すぐ病院に連れてくからね。」
下着姿のまま歩き出そうとする彼女を、賢人は慌てて止めた。
「ちょっ!ちょっと待って!そんな格好でダメだろ!」
「この子病気!はやく病院連れてかないと!」
「ちょっと!ちょっとまって!」
賢人はそう言うと、自分の着ていたTシャツを脱いで彼女に渡した。
「俺が犬抱いてるから、それあげるから着て!汗臭かったらごめん・・・」
鳩が豆鉄砲をくらった顔、というのはこういう表情なのだろうか。キョトンとした女の子は素直にうなづいて、渡された白いTシャツを着た。彼女が着るとそれは短いワンピースのようになった。
「病院はどこ?」
「あっち!」
2人は走った。海沿いの道から街へと入り、島の中心にある「ドーム」と呼ばれる島の施設が見えてきた。ここは唯一部外者が入れない場所であり、島の人々専用の施設なのだ。そのドームのすぐ横に「病院通り」と呼ばれる場所がある。旅行者の中にも、この病院通りで病気や怪我を治してもらいたくてやって来る人も多いのだ。
段々と息がきれ苦しくなってきた時、古い小さな診療所のような所へ辿りついた。引き戸のドアが壊れそうなくらいガラガラガラビシャーン!!!と開けて
「牛丸兄や!助けて!この子病気!」
女の子が大声で呼びかけると中から2人の人が出てきた。ヒョロリと長身な白衣を着たボサボサ頭の男と、少しふくよかな白衣をきた看護師の女性。
「セナ!そこから入らないで!消毒持ってくるから!」
看護師の女性はそう言うとすぐまた引っ込んだ。
「なんだぁ、セナ坊。そんなまっちろい服着てどうした?」
「この人がくれた!そんなんいいけぇ!はよう!」
「わかったわかった。」
そう言うと、賢人からワンピースに包まれた子犬を受け取り、奥の診察室へと連れて行った。
「あんたたち!外に出てぇ!消毒するけぇ!」
先程の看護師が、ガスマスクをつけて何やらホースのついたタンクを背負って出てきて、2人は追い出された。
「はーい!目ぇと口をとじて!息止めてー!」
言われるがままに目と口を閉じて息を止めると、勢いよくブシャァァァ!!っと何かを全身に吹きかけられた。どうやら消毒されているようだ。
「はい、おしまーい。2人ともこっちおいで。」
「スマ子姉や、ありがとう」
「いくら水着でも、それじゃあんまりやろ。私のお下がりあげるけぇ。ボクは、先生のシャツがちょうど洗濯終わったのがあるけぇ。それ着ておいき」
セナと呼ばれた女の子が着ていたのが、下着ではなく水着だったことに少し安堵した賢人。とっくに成人しているのに「ボク」呼ばわりされて少し恥ずかしくなりながら言った。
「え、あのっ、いいんですか?服をお借りしても・・・」
「なんを言うてるん。あげるわよ。」
スマ子姉やと呼ばれる看護師は、そう笑って着替えを2人に手渡した。賢人に渡された白いカッターシャツは、生地がとても柔らかく肌触りがよい。縫製もしっかりしており、大変良い品だと素人がみてもわかるものだった。こんないいシャツを貰えるなんて、ラッキーだと思いつつも、いいんだろうか?と少し不安だった。
スマ子姉やにもらったお下がりのズボンを履き、セナは奥の診察室へと行った。賢人もすぐに追いかけた。
「今な、薬打った。お別れするか?」
「お別れって・・・」
賢人がそう言ってる間に、セナは診察台の上で動かなくなったワンピースの包みに何か話しかけていた。
「もうな、ダメだったんだ。よくあるんだよ。よくわからないウイルスに感染させた生き物を島に送り込んでな。何がしたいんだか。可哀想になぁ。」
牛丸兄やという医師はそう言うとゴム手袋を外してゴミ箱に放り投げ、ポケットから煙草を取り出し、1本咥えて火をつけた。
先程着替えをくれたスマ子姉やが、棺だろうか、木の箱を持ってきた。
「セナ坊、それ、なかなかの出来っつってたワンピースじゃなかったんか?もう着られんぞ?」
「うん、今のところ最高傑作。でもいい、この子にあげる。次はまっすぐ私の所に来られるように。そしたら一緒に生きよう。ね?」
そう言うと、ワンピースの包みを優しく抱き上げ、棺へおさめた。先程まで小さく息をするように動いていたが、もう全く動かなくなってしまっていた。未知のウイルスに感染しているので抱きしめてやることも、素手で触れることも出来ない。この包みを取る事が出来ないのだ。一瞬しか見てないが、あの愛らしい顔ももう見られない。厳重にビニール袋で梱包された棺に額を合わせ、目を閉じてお別れをした。本来なら額と額同士を合わせるのだが、これが島での死者への別れの挨拶なのだ。賢人も見よう見まねでお別れをした。小さな棺は防護服を着た人達が回収して行った。
賢人たちはもう一度スマ子姉やに消毒された。診察室を消毒するついで、とか言っていた。悲しみに沈んだ2人に、小さなイタズラをして元気をださせようとしてくれたのだった。
「あ、あの、先生。すみません、こんないいシャツをもらってしまって・・・ありがとうございます」
煙草を吸って一休みしている牛丸兄やに賢人はお礼を言った。すると先程のセナのようにキョトンとして
「だって、セナが今着てるのはあんたのだろう?あんたがセナに着せてくれたんだろ?アイツは妹みたいなもんでな。本当にありがとうなぁ。俺の着古しのシャツで悪ぃけど、着て帰ってよ。」
なんだか嬉しそうにそう言う牛丸兄や。
「本当に、どうもありがとうね。ところでお兄さん、どこかで見た事ある顔よね?」
スマ子姉やが何かに気付いて、牛丸兄やまでも賢人の顔をじーっと見始めた。
「ああ!テレビの人よね?あの!この前までやってたドラマの!ほら!なんとかケント!」
バレてしまって苦笑いする賢人。牛丸兄やにマジックを渡され、診察室の壁に何故かサインを書かされていた。
「お兄さん、ケントって言うの?テレビの人なの?」
セナに話しかけられた。
「うん、星乃賢人です。」
「わたし、セナ。病院ついてきてくれてありがとね。服も。ごめん、汗かいたから洗濯して返すね?いつまでいる?」
「いいよ、あげるよ。ただの白Tだけど。俺もこんないいシャツもらっちゃったし。」
「そう?ありがと。でも賢人。そういえばさ、どっか行くんじゃなかったん?」
ナチュラルに呼び捨てされても、あどけないセナの顔を見ると許してしまう。そして本来の目的がなんだったか、ようやく思い出した。
「あ!!!そうだよ!俺、探してたんだ!セナ知ってるかな、虎鐵さんって鍛治職人さんの店!」
そう言ってケントはスマホを取り出し、1枚の写真を見せた。それには流れるように美しい文字で書かれた手紙の最後に虎鐵と記名されていたものだった。
「・・・・こてつ?知らないなぁ」
「先生方は、知りませんか?」
そう言って牛丸兄やとスマ子姉やに写真を見せた。
「あー!虎ちゃんおいちゃんとこな!賢人ぉ、これ、こてつじゃないんだ。とらてつ。」
牛丸兄やがそう言うとセナが
「なんだ、虎ちゃんおいちゃんのとこなら私の担当だから案内するよ。でも賢人、ご飯食べてきた?」
「いや、まだ・・・今朝は何にも・・」
「あらあら大変!水筒は貸してあげるから、食堂に連れてって何か食べさせてもらって行きなさい!セナ!どうせあんたもまだなんでしょ?」
「おー、それがいい。食ってかねーと無理だぞ。あ、背負子どっかで借りてけ。向かいの花屋のマチ子さん母さんとこならあるだろ。」
「わかったー。いってきまーす」
スマ子姉やに水筒を1つずつ持たされ、送り出された2人。まずは花屋へと向かった。