仮泊地到着(前編)
「あっ!? 姫様が落ちた……!」
運転席でハンドルを握る下館ニーナ3曹が、不意にそう声を上げた。
と言っても、その声音に慌てた要素は微塵もなく。
また慌てて急ブレーキを踏んだりする様なそぶりを見せると言う事も無かったのは――。
その右隣の助手席に座る車長の稲田昌幸海曹長以下、同乗している他の3名も。
それを一切、咎め立てる様な様子も見せない事と関係していた。
何故なら。言葉だけ聞くなら物騒な、その〝落ちた〟と言うのが。
車上からの転落などではなくて、所謂〝寝落ち〟の方を意味していたからだ……。
一列縦隊で進む軽両用機動車たちの末尾を走る、彼女たちの3号車の車上からは前を行く2号車――。
小隊最年少の隊員である新治浩輔3曹が運転して、指揮官の結城悠斗2尉を車長に。
お客人である、異世界人の女騎士主従が乗っているその車上で。
後席の右側に座っているフィオナ候女が、急にその上体をすうっと傾げて。
そして左隣の小隊長の右肩に、かくりともたれかかる様がよく見えたのだった。
通勤電車の中でよく見かける様な、それの如くに。
身体が触れた感触でハッ!? と気付いて、すぐに身を離して……と言うそぶりも見られない辺り。
どうやらうつらうつらする……のレベルではない、完全なる寝落ちの域である様であった。
予期せぬ不意の接触に気付いてそちらを見やった小隊長も、そんな姫様を起こそうとはせずに。
そのまま顔を正面にと戻すと言う、黙って受け入れている格好であるのが見えたので――。
おそらくは、そういう事なのだろう。
あんな美姫に、いきなり密着されたのにも関わらず。
微塵も動じた様子を見せない辺りはまあ、小隊長も小隊長で。
やはり尋常ではないな……としか、言い様が無いのだが。
目にしている眼前の光景を、そんな風にも感じつつ。
「まあ、無理も無い事かも知れないけどなぁ……」
3号車の助手席で、稲田海曹長がぽつりとそう呟く。
「と言うと?」
左後席からそう尋ねる、福原 誠人1曹に。
稲田海曹長は振り返って、気の毒そうな声で応えるのだった。
「お疲れなんだろうさ、流石にな」
「ああ……」
会話には加わっていなかった、右後席の小田林瑤子1曹も含めた他の3人も。
言われてみればと、それで一様に頷きを返す。
既に起伏の有る低い尾根越えとなる区間は通り越しており。
後は海岸部へ向かってなだらかに下って行く、平坦な地形の中を行くだけと言う格好になっていた為に。
著しい段差や凹凸を乗り越える、激しい突き上げは。
大体は先に気付いて回避する事で、もうほとんど生じ無くなっており。
どちらかと言えば穏やかな振動が、リズミカルに続くだけの走行になっていたのだったが……。
もちろんそれ以前の話として、大休止で戦闘糧食をしっかりと喫した後だと言う事も相まれば。
眠気を誘われたとしてもおかしくは無い様な状況であるのは、間違い無かったわけだけれども。
とは言え、まだおよそ丸一日にも満たない期間に過ぎないながらも。
それなりには濃密な時間を、共に過ごした間柄ともなっていたとは言えるだけに。
おおよそにはそのお人柄を、理解が出来る様になっていた分も含めれば。
間違いなく、自身には厳しいお人であろう彼女が、そんな風に。
異世界人である自分たちの前で、そうした無防備な姿を晒してしまう格好になっていると言うのは。
ある意味、意外感を覚えさせられる様なものであったわけなので。
なればこその、〝お疲れなのだろう〟な……と言う話だった。
そういう彼らの側とて、であるわけだが。
初めて遭遇した異世界人である、姫様たち一行と言う――字義通りな、その存在の多様性にも。
更にはそんな彼女らが、実際に使って見せた「魔法」の力にも。
大いに驚かされる事となっていたのは、紛れも無い事実で。
加えて言えば、こちらについては最低限の事前情報もあっての事ながら。
実際にヒトならざる存在――小鬼類だと言う亜人種型類の一種とも遭遇して。
そのまま殲滅と言う展開も、その二例目となる立場でもって経験する事になっていたわけなので。
「まさに、驚くべき異世界体験の連続だよ!」
と言う他に無いだろう、信じ難い様な体験を。
立て続けにさせられていた格好であったと言うのは、決して過言では無い筈だが。
その度合いで言えば、自分たちの比では無い程のレベルでそうなっているであろう彼女たちの〝状況〟とて。
自ずと推察が出来ようと言うものだ。
あまりにも衝撃的な状況が続くと、当然の話だが気疲れを強いられて。やがてどこか麻痺して来るしか無い……。
全てをまともに受け止めていたなら――頭も感覚も飽和して、パンクする事になるのは必然であるが故に。
しかも、フィオナ候女の場合と来ては。
単なる将校に相当する上位の騎士としての立場だけでなく。
そんな状況下で更に上乗せさせる格好で、非公式ながらも公人として――母国を代表する外交官たる者の立場までをも背負って。
こちらと向き合うと言う事までも、してのけていたわけなのだから。
おそらくは自覚する余裕さえも無いままに。
そんな重圧から溜め込んでいたその疲労たるや、想像以上のものであろう。
その辺りを思いやってみれば――。
(まだお若いのに、立派なお姫様だよ……)
と言う、感嘆させられて敬意を覚える様な心境にしかならない。
それこそ、自分たちのご先祖様――江戸時代頃までの人間の〝感覚〟と言うものは。
むしろそんな感じだったのではなかろうか? と言う様な連想が、頭をよぎりさえする処であった。
「それにしても……」
くすりと笑いを含んだ声で、小田林1曹が不意にひとりごちる様に言う。
「〝落ちた〟だなんて言っちゃうと、違う意味の方で聞こえてしまいそうな話にも――
なってしまうんじゃないか? って、そう思われそうな画ではあるのは確かでしょうけどね」
「えっ!? ……ああ、〝そういう事〟ですか!」
一瞬遅れて、言わんとする事に気が付いた下館3曹が同様の声で返す。
気高く美しい若き姫騎士が、出会って程なき異世界人の青年士官の肩にと。
全く無防備にその身を預けて、静かに寝入っているお姿と言うやつは……。
寄り添われている側の小隊長の方も、細身で中性的な造りの端正な容貌をした青年であるだけに。
客観的に見る分には確かに、所謂「尊み」が……! などと言われそうな類の画になっている事は間違いないだろう。
それこそ、異論無しに〝美味しいシチュエーション〟であると。
そう立派に認定されそうな……。
しばしそんな姿を眺めやってから、小田林1曹がおもむろに呟く。
「ま、そういうのは置いといたとしても。いい事だって言えるものではあるんじゃないかしらね?」
ん? と訝しむ表情の同僚たちに対して、彼女は更に続けて言う。
「だって、そんな隙を〝うっかり〟見せられるくらいに。彼女の中ではもう、私達の事を。
気を許しても大丈夫な相手なのだと、そう見なしてくれているんだって言う話になるでしょう?」
流石に疲労が――身体的なもの以上に、精神的な方でのそれが大きいであろうが――蓄積しているとは言え。
油断せずに気を張り続けていなければ! と言う、身構える意識が強いままでいたならば、決してそんな事にはなるまいと。
「そういう事か! 確かに、道理だな……」
納得した表情で応じる稲田海曹長に、小田林1曹はくすっと笑いながら更に返す。
「まあ、厳密に言うなら。私達に対して――と言うよりも、小隊長に。じゃないかしら? って思いますけど……」
「え!? そうなの?」
「あー……確かに、そうかも!」
小田林1曹からの見解に、驚いた反応を見せる福原1曹と、対照的に納得する様な声で応じる下館3曹。
そんな両者間では、さもありなんと言う感じが言外に共有されている辺り。
自分たちには知る由も無い、昨夜の「女子会」な時間のやり取りの中に。
きっとそう感じさせる〝何か〟が、在ったんだろうなぁ……と言う事だけ認識して。
深入りはしないでおこうと内心で即決する、稲田海曹長と福原1曹であった。
(ま、間近で端から見ている分には、あるいは面白くもあるのかもしれないが……)
内心ではそんな風にも思いつつ、稲田海曹長としては。
このままに。後でお姫様が目を覚ました時に、その心境が。
「それこそ、あれだ……。『候女様の黒歴史が、また1ページ』ってやつに、なりゃしないかね?」
と言う、その辺りの事も心配になるわけなのだったが。
そうは思ったところで直接的にはどうしようも無く。ただ見ている以外はない話であるわけなので。
(まあ、あれこれ考えた処で、所詮は。なる様にしかならない話だしなぁ……)
そんなある種の割り切りでもって、どうなるか? を見守って行こうと思うばかりであった。
それからしばしの時が経過して――そんな具合に微苦笑混じりで観察されていた2号車の車上では。
案の定、目を覚まして自身の状況に気付いたフィオナが。しゅんと小さくなっていた。
(ま、またしても……! やってしまいました!)
胸の内で「不覚!」と叫ぶより他に無い状況に。
彼女としてはまさに、穴があったら入りたい……な心境だった。
ふと、微睡みから我に還って。自身が結城2尉の右肩に上体を預けている――。
寝入ってしまっていたのだと言う事に、遅ればせながら気付いたフィオナは。
「……あッ!? す、すみません、結城2尉!」
ハッ!? とするやいなや、撥条に弾かれたかの様な勢いで。
がばっとその上体を大慌てで離して、姿勢を正す。
「わ、私……とんだ無様を!!」
お詫びの言葉を口にする以外無いそんな大失態に、赤面するしかなかった彼女は。
「いえ、思いもよらぬ光栄でした。多少なりともお休みになれましたら、何よりです」
屈託の無い微笑を浮かべてそう応じる、悠斗からの。逆に気遣う言葉に、いよいよ項垂れてしまう。
そんなフィオナは、しかしそれに続けて悠斗が口にした予想だにしない一言に。
はっと顔を上げて、彼のその表情を見やる事となった。
「それに、お詫びをするのでしたら。むしろ我々の側こそ、そうすべきかと」
そう言って寄越す結城2尉の、声音だけでなくその表情も。
本当に申しわけなさそうな態度を、くっきりと滲ませていたからだ。
「出発を控えていると言うのに。シルヴィアさんに治癒魔法を、と言うご無理をお願いしたのですから……」
彼がそう言う通り、一行がUC-2で仮設前進基地から出立するその前に。
「この場でもう一度、「治癒の魔術」の行使をして頂けまいか?」
との、本郷2将よりの依頼が。フィオナに対しては打診されていたのであった。
昨夜と同じ顔ぶれでの朝食の席は、同時に本日の予定についてのブリーフィングをも兼ねるものでもあり。
一通りの〔ファルカン号〕の下へと帰着するまでのプランと。
その後のフネ側の上層部との交渉内容についての確認を、相互間で行う事となっていた。
それ自体が体現してもいると言えるだろう、彼らのその物事に対する速度感覚に対しても。
(昨夜の会談から夕餉の会食の後に。短時間でここまでの計画策定を仕上げてしまうとは……!)
と言う衝撃を、内心で覚えさせられている主従であったが。
その「行程計画」に示されている、進行距離と速度もまた。
昨日にここへ迎え入れられるまでの移動を、実際に体験させられた後でなければ。
到底考えられない程の代物であったわけだが。
流石に事ここに至れば。もう〝そういうもの〟なのだろうと、納得するより他に無かった。
そして到達のその後には、フネ側の首脳部――つまりエンヤ船長とドノヴァン副長の両者へと。
ニホン国側からの提案を、どの様に示すのが適当であろうか? と言う辺りを。
双方でもう一度、頭を突き合わせて検討し合う。
そう言った出立前の準備を一通りを済ませた処で、おもむろに。
「その前に、もしもご負担が過大で無い様でしたら? と言う話ではあるのですが……」
本郷2将からは、遠慮気味な表情を包み隠さず見せながらの依頼が切り出されたのだった。
「ご出発に先立って。その前にシルヴィアさんへ〝治癒の魔術〟を掛けて行って頂くと言う事は、可能でしょうか?」
あくまでも、無理をせずに可能であれば……と言う事が大前提での〝要望〟として。
本郷2将がフィオナに打診をして寄越したのは、そんな問いであった。
彼女らにとっては、身内の問題でもあるとは言え。
これから先の、この異世界の人々と――ひいてはその母国との関係性をも左右するものとなる、極めて大事な交渉に。
いざ向かって貰おうかと言う、その矢先に。
心身を疲弊させかねない行為であると聞く、魔術の行使を。
見たいなどと言い出す流れは、悠斗としても。
本郷2将らしからぬ、配慮を欠いているものなのでは? との、疑問を覚えさせられる様な話ではあったのだったが。
しかしそれが、昨日マリオ卿の緊急手術に当たっていた医官や看護士たちからの。
「可能であれば是非とも、後学の為にそれを見てみたい!」
と言う、連名で上げられて来た緊急の要望に基づくものであると知らされては。
複雑な想いであるのには変わりないながらも、流石にそれ自体については納得させられるよりかは無くなる。
すなわち、現代の医学や科学技術をもってしても不可能な。
致命的な重傷ですらも、まだギリギリで繋ぎ止められるかも知れないと言う、瀬戸際の状態にまで。
瞬く間に回復させる事さえも可能な――「治癒の魔術」と言う、今のこの世界ならではの〝力〟。
とりわけ軍医もまた。そこを主戦場とする立場の一角である、救急救命医療の分野においては殊更に。
文字通りに革命的な〝新たなる可能性〟を。まさに拓く事に成り得るかもであろう、〝未知なるそんな代物〟の事を。
もっと識りたい! と言う旨の、熱意著しい要望が出されて来ていると言うの自体は。
全く以て、むべなるかなだと言うべき流れなのも間違いなかったわけだし。
もちろんそれ以上に、今後に向けての重要な〝布石〟としての意味合いをも有している事であるのは、客観的な事実で。
データを残す為の各種の条件も相応に整っている、|ここ《前進基地において。
改めてその力が振るわれる実際を観測し、分析する為の記録としたいと言う声が出て来ると言うの自体は。
ある意味で、当然の帰結であったとは言えるだろう。
「いえ、それはむしろ私の方が。もしご了承を頂けるのであれば……と。
お願いをさせて頂くつもりでおりました事ですので、むしろありがたいお話だったのですが……」
そしてそれは、そう言って応諾するフィオナの方が逆に。
明らかに前のめり過ぎるものだと判る、先方のそんな熱意に対しては。
むしろ戸惑い気味にならざるを得なくなるくらいな話でもあったのだけれども。
ともあれ、かくして双方それぞれの思惑がうまい具合に咬み合った格好にて、この日はまず。
騎士シルヴィアに対しての「治癒の魔術」の行使が、実演される運びとなったのだった。
仰々しく、周囲を何やら良く判らない機器類が列線となって包囲している中でと言う〝状況〟に。
何とも言えない居心地の悪さを覚えつつ。
騎士シルヴィアは岩瀬ナタリア2曹の手を借りて、既に昨日に処置を受けていた足の矢傷を露わにする。
そしてその傍らに膝を付いたフィオナ候女が。
昨日と同様、患部の手前へ右の掌をかざして目を閉じ、「力ある言葉」を紡ぎ出し始める……。
そうして発動する魔術の力が生み出す光輝の下、およそ〝有り得ない速度〟で。
騎士シルヴィアの負傷がみるみる塞がって行く――その始終は、しっかりと観測された。
それは、科学と言う異世界の技術が。
この異世界には実在していた、「魔法」と言う未知なる〝力〟に対しての。
本格的な観察を始めた、記念すべきその第一歩でもあったのだった……。
(後編に続く)
おかげさまで、投稿開始より丸一年を待たずして50,000PVを達成出来ました!
更新も決して早くはなく、またこのジャンルの他作品の様な
現代兵器が無双する派手なドンパチにも未だ至らない、
現状ではまだまだ〝地味な物語〟でしかないとは思いますが……
にも関わらず、それだけのご覧を頂けていると言う事に感謝を申し上げます。





