使者として…(後編)
(承前)
「姫様……。あれはいったい、何をしているのでしょうかにゃ?」
眼前で行われている、小田林一曹と岩瀬二曹。二人の女性隊員たちが手際よく進めて行く意味不明な行動に。
すっかり困惑な体のターニャが、小声でそうささやく。
(もう少し、見てみましょう)
そう目で促しつつも、それはフィオナ自身にとっても同様の疑問ではあった。
「食事の支度をしますね」
そう告げて来ながら、しかし焚き火を起こそうとするわけでもなければ。
食材の類も、鍋や包丁の様な調理器具を用意し始めると言う事でもなく。
代わりに彼女たちがし始めたのは、乗って来た車の荷台から降ろした品――〝オリーブドラブの袋〟が、10個以上はあった――を平らな場所に並べて。
そして順次、それらの口を空けて行くと言う行動であったのだから。
次々とその中身が取り出されて行くが、それらの袋の中に収まっていた物品も。やはり黒みがかった緑色をした、大小幾つかの包みたちで。
とうてい食べ物には見えない、何やら良く判らない代物であるとしか見えなかったのだ。
そんな主従の目の前で、女性隊員二人はと言えば。
出て来た包みの内で、一番小ぶりな一つだけを開けると。それを頭に、一度全て取り出していた筈の中身を全て袋の内へ再度戻し入れて行く。
「まずは検品! と言う事ですかにゃ?」
その一連の流れから、そう解釈しての呟きを漏らすターニャ。
しかし、黙って見ていたフィオナが直ぐに応じる。
「いえ……、そうではない様ですね」
端から見ている分には、今更ですか? としか思えない女性隊員二人のそんな行動だったわけだが。
しかしそれは次の瞬間、やはりちゃんと理由はあったらしいと言う事を示す別の訝しみによって上書きされる。
中身を全て戻し入れた袋の中へと。
仕上げだと言うかの様に、持参の水筒から幾ばくかの水を注ぎ入れて。手早く口を結び合わせたその直後――その袋が膨らみ。
そして驚くべき事にその中からは、甲高い音を立てて白い煙が勢いよく噴き上がり始めたのだ。
同じ様にされて行く袋が増える度に、その数も増して行き。終いには結構な重奏音となったその噴出は。
火で物を燃やして生ずる煙ではなく、湯気である事に気が付くフィオナとターニャ。
近付いて立ったまま袋たちの上へと手を伸ばしてかざす形で、立ち上るその煙に触れてみる事で確かめた――
「熱いですから、火傷しますよ!」
もっとも、脇から岩瀬二曹にそう注意を受けて、直ぐにその手は引っ込めたのだったが。
引っ込めた指先が、しっとりと水滴で湿っていた事からしても、間違い無かった。
火も一切使わずに、袋の中で。
瞬く間に熱湯を沸かすなどと言う手妻を成してみせる〝技術〟とは、果たして如何なる原理であるのか?
奇異を覚えさせられる事象である事は言うまでもないけれど、それこそ魔導的な現象だとも見える――むしろ、そう考えた方が自然である様にさえ思えるものであった。
そもそも普通に考えれば、先ずは枯れ木や落ち葉を集め、火を起こす事から始めて。
そこに鍋を架けて、湯を沸かすものであろうとばかり思っていた一行12名分の食事の支度が。
いっかなそうするそぶりも見せる事なく。こうして〝不思議な袋〟と、その中に幾ばくかの水を入れるだけで。
少なくとも煮焚きの如き体にはなってしまっていると言う、それ自体がもう。
既に彼女たちの感覚を、遙かに超えた領域のものであったのだから。
もちろん、そうして別個に少量の湯を沸かしただけで、それでどうするつもりであるのだろうか?
と言う〝その先〟については皆目、見当も付かない事であったわけだけれども。
「『魔法』はありません」
と言っていた彼らニホン国軍が。大がかりな機械や、精緻な装置ばかりであったこれまでのものとは異なる。
むしろ「魔導具」の類ではないのだろうか? と考えた方が腑に落ちそうな小物を、ここで持ち出して来たと言う状況に。
フィオナとターニャの主従も、必然的に注目させられるより他に無い処では有ったのだけども。
しかしそこから後はしばしの間。特段何事も無いままに、ひたすら待ちの一時が過ぎるだけとなっていた。
何分、その扱いは客人と言う事になる彼女たちとしては。
特に何かを言われない限りは、大人しく見守ると言う格好に徹するべきであるのは確かだったし。
もちろんそれは、決して居心地の良いものでなかったのだけど。
かと言って、自分たちの常識が基本的に通用しない状況下においては。
下手に手伝おうとする方が、却って先方二人の手間を増やすだけになるだろう事は明らかなので。
そこは、わきまえる以外にない部分であった……。
やがて、手分けしてそれぞれ。
乗って来た車両の点検確認を行う者たちと、周辺の警戒確認に別れて当たっていた結城二尉以下、小隊の他の面々が三々五々戻り集って来る頃には。
先程まで激しく音を立てて吹き上がっていた〝謎の袋〟の中からの湯気も、既に途切れて静かになっており。
そうなった袋が再び開けられると、もわっとひときわ大きく湯気が立ち上るその中から。先程入れ戻されていた包みたちが次々に取り出されて行く。
そしてやはり湯気を上げるそれらの包みが、封を切られ出すや――何とも食欲をそそる、香ばしい料理の匂いが辺りに立ち込め始めたのだった。
(あれらの包みの中には……きちんとした料理が、封じ籠められていたと言うのですか!?)
まず最初に嗅覚で、その事に気付かされる主従の眼前で。
湯気を立てる白く輝くコメが平らに盛られた皿の上に。別の包みの中から絞り出される、とろみのある汁をまとった具材がそのまま掛けられて行って。
あっと言う間に、何種類もの立派な料理たちが。その場に忽然と出現を果たしたのだった。
とうてい食べ物とは見えなかった黒緑色の包みたちは。なんとその中にコメはもちろん、様々な調理済みの料理を丸ごと封じてあって。
そしてそれらを収める袋も、ただそれだけではなく。同時にその中で、丸ごと中身を茹で上げる為の機能まで併せ持った代物だった!
そんな発想、まずそれ自体にも大いに驚かされているフィオナとターニャに向かって。
「まずは姫様とターニャさんから、どうぞ」
「どれでも、お好きな物を選んで下さいね」
と、女性隊員たちがそう言って促してくれるそんな料理の群れは、様々な具材をソースごとその上に乗せかけた白いコメを主として。
それ単品でも食べられる炊き込みの類なのだろう、コメを主体にした料理も幾品か交えている。
野外行軍の途上に、お目にかかれる様な代物では無い筈の。
どれもこれも食欲をそそられる、幾種類もの料理が盛られた皿たちに主従は目を奪われる。
「うーん、これには本当にびっくりにゃ……!」
「ニホン国軍では、行軍中に食べる携帯食でさえも。これ程のものなのですか……」
そんな具合に圧倒されての感嘆の言葉しか出て来ない、またしてものカルチャーショックを覚えさせられながら。
何となく目に止まったものを手に取ると――それが盛られたその白い皿も。
陶器でなければ、木とも違う。薄くて軽い、何とも不思議な柔らかい素材で出来た代物である事に気が付く。
「そうですね。こうした食事は大事な活力源の補給であり、同時に娯楽でもあると言う現実を踏まえて。現代ではこう言った部分にも、相応に力が入れられる様になっていますね」
味の方も、お口に合わないと言う事は無いかと思いますが……と。そう続けながら勧めて寄越してくれる、結城二尉たちから教わるままに。
一緒に用意されていたやはりプラスチックで出来ている、先端がフォーク状に割れたスプーンで、供された料理に手を付ける騎士主従は。
もちろんその味わいに、揃って笑顔を浮かべる事になるのだった。
「これは……! 基地で頂いた料理とも、遜色ない様な素晴らしさです……」
「おまけに熱々で、身体も温まるにゃあ……!」
顔をほころばせて賞賛の声を上げるフィオナに、ご機嫌な様子で猫尻尾をふりふり動かすターニャ。
輜重役を伴う事の出来ない少人数での野外行動と言う状況下であるにも関わらず、こうして。
それだけでも充分に贅沢な事である、熱々のと言うだけでなく。本格的な料理を堪能する事が出来るなどと言うのは。
まさに思いもしない、嬉しい驚きに他ならない。
しかもその味わいの方も、これまた美味だと納得するしかない様なもので。
ふっくらとしたコメに、彩りを添える刻み野菜と小海老やイカ、剥き身の貝が入ったピラフなどに至っては。
傷みやすい海鮮を、どうやったらこの様に瑞々しいままに保存する様な真似が出来るのか?
それこそ、ある種の「魔導」の精華なのでは? と考えた方が納得できそうな代物だと思わされて。
「行軍中にも、こんな立派な食事を取る事が出来るのだと言うのを知ってしまいますと。もう以前には戻れなくなりそうで、怖いですね……」
冗談めかしつつも、結構真剣にそんな事を口にするフィオナ候女に。悠斗たちも自然と微苦笑を誘われる。
そんな具合に彼女たちが。用意した「戦闘糧食Ⅲ型」を、ひとまず美味しく堪能してくれている様子である事を。
自衛官たちの側も、ようやく微笑ましげに見られる様になっていたのであった。
何しろ、猫の獣人さんであるターニャが。躊躇も見せずに、海鮮混じりの一品を手にして見せてくれたりするものだから。
(あれ? 確か猫って、エビとかイカは危険なんじゃなかったっけ……!?)
と言う事に思い至って、脊髄反射的に――
「大丈夫なんですか?」
と、思わず声を掛ける事になっていたのだったが。
とは言えそれも。
「ん~? 何がですかにゃ?」
どうして? と言う感じに小首を傾げる表情と声音でもって、即座にそう返って来るものだから。
(そう言えば、母邦ナージゥは港湾都市だと言う話なだけに。そういうものなんだろうか……?)
と、一応は納得しつつ見守っていたのだったけれども。
どうやら本当に問題ないらしい事が確認できたので、ひとまず安堵ができたと言う格好でもあったのだった。
そうしてしばし、和気あいあいとした昼食の時間が過ぎて。
綺麗に平らげられ終わった処で。食後の茶ならぬ、温かい飲み物までもが用意されるその始終にも。
フィオナとターニャの主従は再び目を見張らされる事となる。
それだけでも驚きである紙で造られたカップの中に、掌に収まる程の細長い小ぶりな袋の中身が開けられ。
カップの中に溜まる白が混じった茶色いその粉末へと、取り出された水筒の口から水が――否、湯気を立てる白湯が注ぎ入れられるや。
その香りだけで甘いものだと判る、芳しい香気が立ち昇った。
文字通り〝あっと言う間〟に出来上がったそれを手渡され、その香りに誘われるまま一口含んでみると。
乳のまろやかさを加えた優しい甘さが、馥郁たる香気と一緒に口腔内を満たした。
温かく、おまけに量もたっぷりな美味しい食事に加え。その締めにはこんな温かい飲み物までもと言う、異次元の充実ぶりが。
それでいながらこうも手軽に実現されてしまうと言う、その事実こそ。
彼我の懸絶さと言うものを雄弁に証する諸々の、立派なその一つであろうと言うのをひしひしと感じさせられながら。
騎士主従の関心は、ここでそうして姿を見せたその水筒に向く。
水筒は水筒でも、まさかその中身が水ではなく熱い白湯であろうとは!
前進基地を出発する際に――あるいは乗って来た〔CS-2〕の中で用意され、降機する際に手渡されていたものであるのかも知れないが……だとしても。
そこからの時間の経過を考えれば、冷め切っていて当然である筈だろうそれが。
まだ生温さは残しているどころか、充分に熱いままの状態を保っているなどと言うのは、完全に想像の範疇外の事だったからだ。
堪能させて貰った携帯食料を温めた、あの謎めいた袋を眼前にした直後なれば尚の事。
そんな不思議な水筒に対しても同様に、興味をかき立てられて尋ねてみて――。
そうして返って来た答えに、彼女たちは〝これまでとは全く違う方向に〟驚かされる事となる。
「これは魔法瓶と言って、中に入れたモノの温度を保っておく事が出来る様になっているんですよ」
魔法瓶構造の水筒で用意していたお湯で、ミルクココアを作って主従に供していた岩瀬二曹は、そう彼女たちへの説明を行う。
だが、それに対しての騎士主従からの反応が。正直言って、逆に驚かされる様なものだったのだ。
「ッ!?」
「にゃッ!? 『魔法瓶』!」
「ええ、温かいものは温かいまま。逆に冷たいものは冷たいままに持ち運べるので、便利で――」
そこまで続けた処で、岩瀬二曹の説明はターニャが上げた叫びによってかき消される。
「にゃんだ! やっぱり『魔導具』も有るんじゃにゃいか!!」
この「魔法瓶」とやらと言い、さっきのあの袋と言い。
自分たちが識るのとは全く異なる系統だと言うだけで。異世界においても「魔導具」は、ちゃんと使われていたのだ!
謎は全て解けたのにゃ! とでも言うかの如き表情で、一人〝納得〟を浮かべているターニャに。
「いや、ターニャさん! それ、魔法違いだから……!」
そうやって〝思わぬ誤解〟を解かねばならなくなってしまう、結城小隊の面々であったのだった。
……もっとも、微苦笑を誘われるだろうそんな勘違いに基づくやり取りも。
それこそ、冗談から駒と言うやつで。
そう言った思わぬ誤解から、それを着想の大元にしての。
地球由来の「科学」に、新世界に華咲く「魔導」と。その両者の融合だと言う事になる「魔導科学」――。
すなわちこの時期に端を発する、二つの世界を繋ぐ新たなる技術体系の。
その黎明期を体現する様な産物が試作をされ出す様になる、そのきっかけともなって行ったりもするのであった……。
例えば、魔法瓶の内部に緩やかな熱変動を生じさせる魔導回路を組み込んで。
加熱と冷却の双方で、その保温効果をアシストする事が可能になった「魔導式魔法瓶」――まさに「真・魔法瓶」だと言えるそれを、そのまま商品としての名称にもしてしまった代物は。
派生型と言えるタンブラーなども含めて、その手軽さから大ヒット商品となって行ったし。
また、既存の電気ケトルの筐体を用いつつ、固定台座を兼ねる加熱部には魔導具を組み込む事で。
使い勝手は従来そのままに、コードと電源を不要にしてしまった「魔導ケトル」なども。
異なる二つの世界が出会った事から始まる、一大フロンティア化の様相を見せる事となって。
既知範囲内となるエリドゥ世界の各地で、様々な開発が試みられて行くと言う時代とのマッチングも相まって、引く手あまたの品となって行く事になる。
異なる世界の住人同士の遭遇の、その第一号であるフィオナ姫たちと結城小隊による、ここでの限定的な移動の中にも。
そうした近い将来の様相へのフックとなるものは。その認識の有無に関わらず、数多散らばっていたりもしたのであった……。
使い勝手はそのまま、電源要らずな「魔導ケトル」やら。
夏は冷却、冬は逆に加温も可能な「真・魔法瓶」なんかが実際に有ってくれたら。
日々あちこちで頑張る現場猫たちも、きっと「わぁいわぁい!」と大喜びでしょうね(笑)





