ステイナイト(前編)
お待たせ致しました。
二つの世界の人間同士の初遭遇が成ったその日の経過。
そこまでの一連の締めくくりとなります、余話にして夜話です。
まずは前編から……。
立ちこめる湯気に、壁面の灯火が煙って見える。
魔導灯とは似て非なる、雷と同質の力をその源としていると言う「科学」の灯火に照らされながら。程よい加減の湯で満たされている広々とした浴槽へ身を沈めて。
全身を包み込む温もりに身を委ねると――久方ぶりに味わうその感覚に、フィオナは思わず溜息をもらした。
「まさか、こんな立派な浴場の恩恵にまでも預からせて頂けようとは……夢にも思いませんでした」
実に〔ファルカン号〕で出航するその前夜以来となる、浴槽に身体をいっぱいに伸ばして温浴すると言う無上の贅沢に。
フィオナも普段は凛々しさが勝っているその美貌を、艶やかに綻ばせていた。
「ふにゃあぁ……! これは何とも、堪らないのにゃあ……」
その傍らでは、口に出すその言葉以上に蕩けきった表情で。湯舟に浸かっているターニャの姿がある。
おとがいを浴槽の縁に乗せた、うつ伏せの。
まさに水浴する大型ネコ科動物を思わせる様な――しかし全く掻くそぶりもない猫掻きの体勢で。ただ湯の浮力に身を任せていると言う、おそらくは本能的なリラックスさが現出しまくっている状態なのだろうが。
そんな全身これぐだりきった感全開の中で。湯面から飛び出す猫尻尾のみが唯一、堪能しまくっているその心地よさぶりを示すかの様に、ずっと動き回っている。
もっとも、フィオナを挟んでその反対側にいるシルヴィアの方も。そのたいがいさ加減においては似た様なものだった。
「くっ、ナタリアどの……! いったい……ニホン人は。我らに、どれだけ馳走すれば気が済むと言うのですか……!」
(候女様から、「くっ殺!」役、引き継いだんですか……?)
などと言われてしまいそうな。常態とのギャップがこれまたひどすぎる、いろいろな意味合いで残念なお姿を。すっかり晒してしまっている。
(やっぱり、「お風呂の魔力」は異世界でも変わらないって言う事なのね……)
思わぬ処でまた一つ。
異世界エリドゥとの、〝共通項〟だと言えてしまいそうな要素が発見されたのかしら? などと言う、微苦笑も誘われつつ。
明らかな好反応である事には素直に笑顔も浮かぶ、岩瀬二曹ら3人の結城小隊の女性隊員たち。
片脚に矢傷を負わされたシルヴィアも。
患部だけ浸けない様に、そちらの片脚は浴槽の縁に引っかけて上げたままにしておく格好でなら、多少は浸かって貰っても良いだろうと言う事で。
その介助も兼ねつつ、シャワーやシャンプー類の使い方など、彼女たちには未知な筈の要素も多々あるだろうから……と言う事で。
一緒に入浴しつつの実演で、お世話をすると言う格好であったのだったが。
「入浴の習慣自体はともかく、私たちが元いた地球でも。国によっては、人前でこうして素肌を晒すと言う事には抵抗感を覚える文化の処もあるのですけど……。
姫様方はその辺り、お気になさらないご様子ですね?」
女騎士たちと向かい合う位置で湯に浸かりながら。
結城小隊の女性隊員たちの中では最年長で、先任でもある小田林瑤子一曹が、そんな問いを口にする。
ちなみに小隊のWAVEたちの中では唯一、彼女だけが黒髪黒瞳な純日本人系でもあったので。
比率的に言って、国際色に異世界色も豊かな格好だと言える〝この場〟においては。むしろ彼女の方こそ、絵面で言えば逆に目立つ格好ともなっていたりするのだったが。
「そうですね……私たちも、普段であれば日常的に入浴は致しておりますが。
こうして大勢でもと言うのは軍営や、その前に過ごした『学院』時代にも。寄宿しての集団生活を経験しますので、慣れが大きいかもしれませんね」
頷いて、そう応じるフィオナ。
その様な辺りを気にするそぶりが見えないと言うだけでなく、手慣れた感じである様にさえ思えたのにも。どうやられっきとした理由はあるらしいと言う事だ。
更にそこへ、ようやく我にと還って来たらしい傍らのシルヴィアからも。同様にしながらの言い添えが行われる。
「連合では、一定規模以上の街であれば大概は。誰でも利用出来る公衆浴場が造られているものなのですよ、小田林一曹。
時にはそれを当て込んで、軍部隊が長距離の移動や野外での演習の際に近隣の街のそれを、時間を限って借り切ると言う様な事も珍しくはありません」
そう説明してくれるシルヴィアの言葉に。
マズダ連合とは。〝その辺りの感覚〟においては、どうやら古代ローマの様な文明社会であるらしいと。
そう推察させられる話をまた一つ、積み上げさせられるWAVEたちだった。
そんな話を聞かされて、(そういうものなんだ……)と言う納得自体は覚えさせられつつも。
「でも、皆さんがお使いの……「浄化の魔術」でしたっけ?
私らから見ても凄く便利過ぎで、正直言ってかなり羨ましく思うんですけど……」
と、WAVE3人の中では最年少ながら、近接格闘を得意とする猛者でもある下館ニーナ三曹が。
純粋に感じさせられていた事についてを、更に突っ込む様に尋ねる。
彼女たちが最初に――同時にそれは、地球生まれの人類としても〝お初〟となるものだったわけだけれど――眼前で目にする事になった「魔術」は。
フィオナ候女が騎士マリオ卿に掛けた、「治癒の魔術」であったわけだが。
そうしてひとまずそれが、うまく行った後に。
女騎士たちは続けて、闘争後の後始末として。自分たちに「浄化の魔術」を使って見せたのだ。
一瞬、やはり全身が魔法の顕現による光に包まれて。
そしてそれが消えた後には、衣服や防具に付着していた自他の血糊や草木の切れ端と言った、闘争に伴う汚濁の類が。
一切の痕跡も遺さずに、清潔な〝真っ新の状態〟へ戻っていたのには、唖然とさせられるより他になかった。
しかもそれでいて。矢で射貫かれたり、刃先で切り裂かれたりと言った、損傷している部分については。
勝手に元に戻っていたりなどする様なわけでもなく、〝そのまま〟であると言う辺りが。逆に妙なリアルぶりを醸し出してもいたのであったが……。
と、そうしたら先方より。「せめてもの気持ちに」と言う事で。
「結城小隊に対しても、これをご提供させて頂きます」
そんな申し出が、提示されて来る展開となったのだった。
目の前で彼女たちが、まず自身に対して先に掛けて見せていた上での事でもあり。
悠斗たちとしても、〝それ〟が決して身構える様な類の代物では無かろう事自体は理解しつつも。
実際に重態の騎士マリオ卿へ、「治癒の魔術」を使ったフィオナ候女が。それで倒れそうになったりするのも目の当たりにしていて。
そうやって魔法を行使するその代償だと言う、逆凪と言うものも説明された直後であっただけに。
「なのにこの上、更にそんな事をして大丈夫なのですか?」
と言う、ありがたいと思うよりかはまず彼女らの負担の方が。
むしろ心配にならざるを得ない処だったわけだが。
しかし「浄化の魔法」自体は、大した負担にはならない程の〝簡便な術〟であると言う、追加の説明を信じて。
素直に受け容れてみると――衣類はもちろん、皮膚の汚れまでもが瞬時に浄められて行くと言う――術を掛けて貰って初めて識るその「摩訶不思議さ」を実感させられ。
(成程、これは確かに……「魔法」だ!)
そうとしか言いようのない|その「チートさ」っぷりについての。
何より雄弁な実感を伴いつつの〝納得〟を、させられるよりか他に無くなって行ったのであった。
元地球人たちからすれば。
眼前にした「治癒の光魔法」にも、勝るとも劣らない程のインパクトを感じさせられるものであったそんな「浄化の魔術」と言う力が。
しかしてエリドゥの住人たちの認識で言えば、あくまでも〝下術〟――
すなわち、「普及魔術」と総称される、「魔素」に対する〝活性〟の程度がそれ程高いとは言えない多くの者たちでも、行使する事が出来る類の簡易な魔術と言う区分であり。
エリドゥにおいては一般に、それらの「普及魔術」のみを扱う事が出来る術者たちが「魔法使い」と扱われる事はないのだ……と言う話を。
回収ポイントへと移動の道すがらに、聴取していた。
住んでいた「世界」自体が異なっていればこその、意識の相異だと言うより他に無さそうな話であったわけだけれども。
実在する〝力〟としての「魔法」になど、全く縁もゆかりも無かった元地球人たちの感覚からすれば。
そんな扱いだと言う、「普及魔術」の時点でも。既に十二分過ぎるくらいに〝凄い〟と感じさせられる代物であるわけなのだが。
そうした「魔法」の力が、日常の中に融け込んでいるのが〝当たり前〟であるエリドゥにおいては。
それこそ、庶民でも入手が可能な魔導具が有れば。あらかたのものはそれで代替も出来てしまう「普及魔術」が使えると言う、それだけでは。
早い話が、一般的なもので〝あり過ぎ〟て。
流石に「(魔法の)使い手でござい!」などと自慢ができる程の才能であるとまでは、見なされはしないのだと言う話であった。
逆に言えば、エリドゥにおいて。
所謂「魔法使い」と呼ばれる者として見なされる、その最低限の〝基準〟とは。
フィオナが使った癒やしの術や、シルヴィアが本来ならば使っていた筈の攻撃術の様な「神秘魔術」――
「魔素」に対しての、高い親和性を備えている者でなければ発現させる事が出来ない、より直接的で強い効果を導く上位の魔術を。
最低でも一つは使えるだけの魔術的な素養を秘めている、比較少数の者たちのみを指して言う、概念になるのだと言う事であったが。
地球世界の何か――日本人の感覚的に馴染んだ概念へ置き換えて例えるとするならば……。
さしずめ「大相撲」における関取と、取的の〝格差〟の様なもの。だと言えるかもしれない。
あるいは合衆国の人間向けにであれば。
三大プロスポーツにおける、マイナー契約選手とメジャー契約選手の違いの様なもの。だと言い換えられるだろうか?
いずれにしても、エリドゥにおける「魔法使い」とは。
すなわちプロスポーツ選手の分野内における、別格の才能を持った上位一握りのメジャー契約選手のみを指して言う〝それ〟の様な感覚だと思えばよい――と言う事になるわけだ。
しかしながら、聞かされてみればそう言うものであるらしいと言う事。それについては理解しつつも。
それでもそのインパクトさ加減においてならば、「浄化の魔術」自体も充分に。
より高度な術だと言う「治癒の魔術」と比べてみても、決して遜色はない代物であると。
結城小隊の面々たちからすれば、その様に感じていたのは。
やはり現場にも出て行く事が多い立場の人間としての、感覚ならではのものだったと言えたかもしれない。
無論、自分たちの任務がそういうものであると言うのは、とうに覚悟の上であり。
かつ、もう慣れたものであるのも確かだとは言えだ。
ストレス源には違いない、汚れの解消(文字通りの物理的に)でもあり。それ以上に、衛生面での配慮およびその負荷の軽減と言った実用上の観点からも。
まさに「そんな事、出来たらいいな……」と言う、埒も無い願いでしかなかった筈の事を。
具現化してしまえる、「魔術」の力と言う代物の。その反則ぶりというやつを、痛感させられずにはおれない処であったのだった……。
「確かに、下館三曹が言う通り、行軍中や船旅だったりの時には重宝してるのは間違いないにゃ……。
けど、にゃんと言うか……ずっとそればっかりだと、やっぱり……こう、心に潤いが
無くなって来るんだにゃあ……」
相変わらず、ぐでんと湯の中に身を預けっ放しな。ある意味では「説得力抜群なのかもしれない格好で、そうのたまうターニャ。
獣人と言う、その種族総称の。由縁たる特徴でもある〝動物のそれと同じ形をした尻尾だけが、今も機嫌よさげにふりふりと動き回っている。
少なくとも、彼女らが暮らすマズダ連合においては無縁の話であるのだったが、広大なエリドゥ全般を見渡せば。
常人をはじめ、森人や鉱人と言った他のヒト型類一般には見られない――その尾を持つと言う身体構造上の特徴故に。
所によっては獣人種を、ヒト型類には〝含むべきではない〟種族――。
すなわち、流石に亜人種たちよりかはまだマシだとは言えども。そちらに近い戎狄であると見なす。
その様な社会が在るのも、また一面の事実であったりすると言う「現実」も踏まえて。
果たして、ニホン人たちは。
その点に対して、どの様な目を向けるのであろうか? と言うのを、フィオナたちからは密かに注視もされていたわけなのだったが。
しかし、結果から言えば。彼女たちのそんな内心での身構えは、無用の心配でしかなかった。
確かに、湯面に浮かぶターニャの背中側、その脊椎の末端部から生えている猫尻尾それ自体に対しての。
奇異の念を抱いていると言うのは、WAVEたちも隠すそぶりさえ見せないオープンな態度にて、示してはいたわけだったけれども。
それこそ、「猿の尾を生やした少年」を主人公にした超有名漫画を筆頭とする、現代日本のサブカルチャーにも。
そこはもうかなり長い事馴染んでいる世代であるだけに。
動物の特徴を身体に有していると言う、種族的な差別へと繋がる源にもなっている、忌避感やら嫌悪感を覚えたりするどころか――なんなら逆に、歓喜の声すら上げかねない様な勢いで。
(まさか、本物と出逢えるだなんて……!)
と言う、快哉を上げるかの如き〝好意的な興奮〟しか現れて来ていないと、明確に感じられる辺りは。
フィオナたちとしても、逆に拍子抜けと言うか、その勢いに関しては。流石に若干|引き気味になり《の戸惑いをも覚えさせられ》つつも。
感謝すべき話なのだろうと納得して、そう思うべき処であった。
少なくとも、獣人と言う種族の形態に対して。
肯定的な――本物の耳と尻尾を触ってみたい! と言う、素直にただ愛でたがると言う反応を示すのみである――文化的土壌を。
偶々に遭遇した相手であった異世界人たちが、普通に持っていたと言う辺りは。
多分間違いなく、双方にとって幸せな事であったのだろう……。
ともあれ、その独特な姿形に対しての。何ら忌避的でない反応が、ごくごく自然に現れ出て来ると言う辺りで。
WAVEたちとしても、あくまで純粋なやり取りとしてターニャの言葉を聞いているだけであったので。
「いくら便利な「浄化の魔術」と言う代物が在るからと言って、〝お風呂は別腹〟ですにゃ!」
と言う、ターニャからの述懐も。
それはそれで、さもありなんと頷ける話ではあったのだった。
身に付けている物の汚れは消せても。その劣化自体までをも無かった事に、出来るわけではないと言う辺りからも明らかな様に。
精神的な癒やしの要素までをも、それで全て解消できるわけではないと言う意味でも。
結局は「魔法」と言う力もまた、自分たちがその恩恵を享受している「科学」の〝それ〟と同様に。
完全無欠な「奇跡」などと呼ぶべき代物だったりする様な事は、決してなくて。
そして、様々な生物的形態を有していると言う微妙な差異こそあれども。
エリドゥの〝人々〟とて、自分たちと大して変わらない相手――あくまで「同じ人間同士」なのだと言う事を。
まさに肌で感じる、そんな一時となっていたのであった……。
(後編に続く)
後編は、今週中に公開致します。





